55.おてて繋いで歩きましょ
仕立屋でエドルドさんが選んだドレスに身を包み、店員さんが微調整を行ってくれるのをただひたすらに見守る。
「よく似合っております」
「まるであなたに似合うように仕立てたよう」
「お連れ様もきっとお喜びになられますわ」
お世辞の嵐に適当に相づちを打つ。
全身鏡を持ってこられても、似合っている実感がない。
ドレスなんて後にも先にも着る機会などないだろうから、楽しめればいいのだろうが、残念ながら私はドレスを楽しめる感性を持ち合わせていなかった。
けれどカーテンの先で待機を続けていたエドルドさんが「似合ってます」と言うからきっと似合っているのだろう。どこからか購入してきてくれたのだろうヒールに足を滑らせる。けれど前世ぶりでいきなり10cmヒールを履けというのは無理があったようで、一歩踏み出した途端に身体が前へとつんのめった。慌ててもう一方の足で踏ん張ったが、もがいた手がエドルドさんの手にぶつかってしまったらしい。支えにしてしまったことに謝りつつ、体勢を整える。
「すみません」
「いえ、このままで構いません」
けれど体勢が戻ってもなお、その手が離されることはない。エスコートするように繋がれた手を引かれ、馬車へと案内される。
「え、あのエドルドさん。手!」
「この程度で騒がないでください」
「いや、でも……」
「足下、気をつけてくださいね」
「ありがとうございます」
まるで騒ぐ私が初心であるかのよう。
確かに手を繋ぐくらいどうってことないかもしれない。
前世の幼稚園児時代はよく「危ないから隣の子と手を繋ぎましょうね~」と言われ続けていた。
だがそれ以降はそうそう手を繋ぐ機会などなかった。それ以上のことなど彼氏としてきたはずなのに、妙に顔が赤くなってしまう。
けれど相手は全くの無反応。
エスコートなんて前世も含めて初めての体験だが、貴族出身のエドルドさんは慣れているのだろう。
多分女性のドレスを選ぶのも。
それこそ幼稚園児が手を繋いで横断歩道を渡るのと同じくらいの感覚なのだろう。そう考えたら騒いでいる私が馬鹿みたいに思えてきて、スンっと真顔に戻ってしまう。
「メリンダさん?」
その名前で呼ばれて、ようやく完全に正気に戻る。
何を勝手に乙女思考に突入していたのだろう。
相手はエドルドさんで、彼の相手はお見合い避けのための仮初めの婚約者であるメリンダだ。
私に向けられたものではない。
男性と関わり合いがなさすぎて、こんな簡単なことさえも間違えそうになることに危機感を覚える。
「どうなさいました?」
急ごしらえの笑みで対応して、都合の良い婚約者を作り上げる。
「具合でも悪いんですか?」
「いいえ。大丈夫です」
プライスレスな笑みを向け、早く行きましょうと付け加える。
我ながら出来がいい。
そう思っていたのだが、馬車が発進するとすぐにエドルドさんは私の額へと手を伸ばした。
「本当に大丈夫ですか? 急なことですし、本当に具合が悪いなら延期しますが」
「良い婚約者を務めようとしているだけですから大丈夫ですって」
「あなたにとっての良い婚約者があれですか……」
「そうです」
慎ましやかな女性こそ貴族の婚約者に相応しい。少なくとも手を繋いだくらいで騒ぐ女は不要だろう。
何か間違っているだろうか? とエドルドさんを見つめれば珍しく真っ直ぐと見つめ返される。
「相手がつい最近まで孤児であったことは両親も知っていますので、無理しなくてもいいです」
「でもちゃんとしないと迷惑になるでしょう」
「私のことを気にしているんですか? なら人形みたいな笑みを浮かべるのを止めてください。そんな女を好きになったとは思われたくないので」
「別にエドルドさんのことなんか気にしてませんよ」
ただレオンさんを悪く言われたくないだけですよ、と付け加える。
本当はエドルドさんの言う通りなのだが、上から目線な態度にイラッときたのだ。私だって別にエドルドさんみたいな人タイプじゃないし。何考えているのか分からないエドルドさんの婚約者になるくらいだったら、独り身でレオンさんの老後の世話する方がずっとマシだ。
レオンさんには悪いけど、言い訳に使わせてもらった。
するとエドルドさんは呆れたように頬杖をつく。
「レオン、ですか」
「何か?」
「いえ別に。ただ離れてからますますレオンレオン言うようになったなと思っただけです」
「そうですか? 娘なんてこんなものですよ」
「加速してません?」
「本人がいないからそんな気がするだけですよ」
お父さんが会社の社員旅行を行っている時はお父さんの話題が増えるみたいな感じだ。
大抵がお父さんいないから夜はカップ麺でいいよね? とか、今日の分の時代劇録画しておかないと! とかそんな話題だが。後は、お父さんいないの忘れて持って来ちゃったアイスを食べたり。
まぁ家族なんてそんなものだ。
「そうですかね?」
疑わしげな視線を向けるエドルドさんに「そうですよ」と適当に返せば、ふうんと納得のいかなさそうな声を閉まった窓の外に投げつけた。
私のファザコンが加速していることに不満気なエドルドさん。何が不満なのかは分からないが、馬車内の空気は最悪だった。
お説教されている時よりも空気が悪いってどうなの?
何が悲しくて婚約者(仮)なのに喧嘩したカップルみたいな空気が張り詰めた馬車に乗らなければならないのか。
そんなに自分よりもレオンさんを優先させたのが許せなかったのだろうか。
でもメリンダはエドルドさんの婚約者である前に、レオンさんの養子なのだ。孤児って設定だし、拾ってくれた上に学園にまで通わせてくれたレオンさんのメンツを壊さぬように努めるのは当然のことだろう。
確かにエドルドさんにも下宿させてもらっている恩もあるけどさ……。
だからって当たり前のように恩義を感じろ、とばかりに不機嫌になられても気分は良くない。
第一、婚約者どうのこうので得するのはエドルドさんだけだ。
私は見合い避けに付き合わされているだけ。
今だってレオンさんを説得する前に両親と顔合わせさせられることになっている。しかも直前に告げるなんて勝手な話だ。
それでも良い婚約者を演じようと思ってたのに、人形みたいな笑みを浮かべる女を好きになったと思われたくないとか一体何様のつもりだ。
お貴族様か? お貴族様がそんなに偉いのか?
だったら断らないで適当な相手と見合いでも何でもして結婚してしまえばいいのだ。さすがに結婚した男の元に新たな見合いなど舞い込んでくることはないだろう。
「馬鹿みたい。これ以上付き合ってられないわ」
ヤコブさんのご飯は惜しいが、これ以上茶番に付き合っていられない。
走行中の馬車のドアを開き、思い切り飛んだ。
ドレスの裾は風を受け、ぶわっと広がる。中身が見えるすれすれで、思い切り下に手を払い、膨張を押さえた。そこから着地する直前ーー転移を作動させた。
転移先はゴブリンが巣を作っていた山の裾。
幸運にも人目はなく、急いで適当な洞穴に身を隠す。
周りに人がいないかを確認して、洞穴の入り口に結界を張った。少し進んだ場所にテントを張る。買ってもらったドレスはすぐに土で汚れて見る影もない。
所詮、ドレスなんて平民には無用の産物だったのだ。
アイテム倉庫から冒険者時代に来ていた服を取りだそうとして、洗濯に出していたことに気づく。
お金もギルドに預けたままで、最近使う機会がなかったギルド証はエドルドさんのお屋敷。
「二度目の家出も一文無しとか笑えるんだけど」
前回と違い、今度は冒険者登録も出来やしない。
以前よりもポイントには余裕があるが、もうあそこに戻れないのは一緒だ。
きっと今頃怒っていることだろう。
レオンさんに連絡が行ったら、彼のことだから仕事をほっぽって探し出すことだろう。
そんなことになったらレオンさんだけではなく、南方の人達にも迷惑をかけてしまう。
この世界に来てからもう5年も経つのに何をやっているんだろう……。
まるで本当に子どもみたいだ。
子ども扱いされて、甘やかされて。
感覚も子どもになってしまったのだろうか。
いくらなんでも逃げ出すことなかったのに。
後悔した所で、一文無しの私がここから王都に帰るまで何日もかかってしまう。
今から魔物を倒して、魔石収入で馬車に乗るのが最速だろうが、魔石を換金するのだってギルドに行かなければ出来やしない。
ここから一番近いギルドは山を三つ越えた先。
この場所はちょうど空洞のエリアになっているのだ。
多めに握らせて走らせてもらった所で、到着する頃にはもう遅い。謝ったところで許してくれないだろう。
いや、何をこの後に及んで謝れば許してくれると思っているんだろう。相手がレオンさんならまだしも、エドルドさんとは喧嘩して仲直りするほどの仲でもないっていうのに……。
私がすべきことはただただ謝罪することだけ。
二度と顔を見せるなと言われようが、頭を下げ続ける。
こんなことだったら王都でも何カ所か転移先に登録しておくんだった。
「折角良くして貰ってたのになぁ」
小さく呟いただけのつもりが、壁に反響してやけに大きく聞こえた。




