54.良い話と悪い話
いくつかの絵本を読んでいれば、時刻はもう迎えの時間が迫っていた。本を全てあった場所に戻して、待ち合わせの場所へと向かえばすでにガットさんが待っていた。
走り寄ってぺこりと頭を下げる。
「遅れてすみません」
「いえ。こちらが早く到着してしまっただけなのでお気になさらず」
ん? この声って……。
違和感を覚えて顔を上げればそこにはエドルドさんの姿があった。
「エドルドさん、今日はお早いですね」
エドルドさんの帰りは大体夜7時前後。
私を乗せた馬車がお屋敷に到着してしばらくしてから迎えの馬車を走らせる。行きが一緒になることはあるが、帰りが同じになったのは初めてだ。
「用事があるので。説明しますから乗ってください」
「はい」
今日も帰宅後に用事があるのか。
昨日は帰宅後に気づいただけではあるが……。
用事があるなら時間を取らせる訳にもいかないと、ガットさんにぺこりと頭を下げてから、いそいそと馬車へ乗り込む。
それにしても説明ってなんだろう?
私も関わりのある用事となると、仕事だろうか?
レオンさん絡みの可能性もあるが、レオンさんへの手紙は数日前に出したばかりだ。返信を期待するにはまだ早いだろう。
馬車の中で話すとは急ぎの仕事に違いない。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、例の男子生徒が迎えを出すと告げた明後日には帰れることを祈る。
断るにも家名すら知らないのだ。一方的であったにしても約束は約束なのだから、何としても間に合わせるしかないだろう。
エドルドさんには知り合いの家に遊びに行くこととなったと告げることにして……と算段を立てていく。
けれどエドルドさんの口から出たのはクエストの話ではなかった。
「良い話と悪い話があるのですが、どちらから聞きたいですか?」
上げて落とすか、落として上げるか迷った時の常套句だ。しかも大抵が悪い話に繋がる構文でもあるのだから救いがない。
「どちらも聞きたくないです」
「では良い話から」
私に拒否権は与えられていないのか、エドルドさんは言葉を続ける。
「シュタイナー家が運営している店が取れましたので、今晩はそちらで夕食を取る予定です。一日一組限定の完全抽選制ですので運がいいですよ」
完全予約制ではなく完全抽選制とは珍しい。それだけ多くの客が殺到するということだろう。
それだけならなんとも運が良いと喜べるのだが、この構文を使われてしまったからには素直に喜ぶことが出来ない。
「で、悪い方は?」
すぐさまそう続ければ、エドルドさんは躊躇なく悪い話を切り出した。
「そちらで私の両親に会って貰います」
間違いなく悪い話だ。
私にとっても、そしてエドルドさんにとっても。
「逃亡は?」
「受け付けてません。それに逃亡した所でまた予定が組み直されるだけです。ちなみに今、ドレスコードを満たすために仕立屋に向かっています」
「嫌すぎるんですけど……」
「同意します。とりあえずあなたは余計なことを言わず、ただ座っていてください。ドカ食いもしないように。話は私が適当に返します」
美味しいご飯を前に、ただ座っていろとは生殺しも良いところだ。頬を膨らませれば、エドルドさんはスッと視線を逸らした。
「我慢してください。お詫びに週末は違う店に連れて行ってあげますので」
「あ、週末はお茶会に誘われているのでいいです」
「友人が出来たのですか?」
「いえ、友達ではないです」
「そこは素直に友人と言っておきなさい」
「本当に友人でも何でもないんです。お詫びをさせてくれとしつこいので、お茶を奢ってくれと頼んだらお茶会に招待されました」
「一体、何をされたんですか……」
「相手が弾いた剣が当たりそうになっただけですよ。避けたので怪我もないから構わないと言ったんですけど」
「学園で剣を振るとはおてんばな令嬢ですね」
「ご令嬢ではないです」
「? 平民だったのですか?」
「いえ、男だったので」
「…………は?」
口を開けて固まってしまった。
だが男性はご令嬢ではなく、ご令息だ。
つまりご令嬢ではない。
何も間違ったことは言っていないつもりなのだが、なぜ固まるのか。
もしや男性をご令嬢と呼ぶ習慣があるのだろうか?
私が知らないだけかもしれないので、認識を共有しておく必要がありそうだ。
「男子生徒でしたので、ご令嬢ではないですね」
そう告げれば、エドルドさんは長いため息を吐きながら右手で額を押さえる。
「なに男子生徒とお茶会の約束しているんですか……。他の参加者は? 女性はいるんですか?」
「そこにいたのは私と彼だけだったので分かりません」
「いくら公表はしていないとはいえ、あなたは私の婚約者なんですが……」
「(仮)ですけどね」
「仮でも何でも男性と二人にならないように気を付けてください」
「なぜです?」
「なぜって……。レオンに不純異性交遊として報告しなければならなくなるからですよ」
呆れた目からは完全にハイライトが失われている。死んだ魚のような目だ。
こんな些細な学生同士の交友すら報告しなければならないことが、よほど面倒臭いのだろう。
「気をつけます」
やはり学園でのことはあまりエドルドさんに話さない方がよさそうだ、と改めて実感する。
今回はダブルブッキングしそうだったからつい口にしてしまったが、今後は適当にごまかせばいいだろう。
いっそのこと架空の女子生徒を友人に仕立てて、何か用事がある度に登場してもらうのも! とそこまで考えて冷静になる。
エドルドさんは貴族だ。
貴族の令嬢・令息が通うあの学園の生徒をある程度把握していてもおかしくはないのだ。だからといって平民の友人を~と言ったところでやはり金持ちの子どもは特定されやすい。
まぁこんなことを考えなくても、1週間かけても一人も友達が出来なかった私にそうそう予定なんて入らないのだが。嘘を吐かなくてもいいのは嬉しいが、少しだけ目の奥が悲しさで熱くなるのを感じた。
「今日の夜にでも断りの手紙を出します。どこの家のご令息です?」
「えっとグルッドベルグ家って言ってました」
「グルッドベルグ? 確かにそう言ったんですか?」
「だと思います」
「おかしいですね」
「何がですか?」
「確かにグルッドベルグ家三男 ガイナスは学生ではありますが、確か彼は騎士学校に通っていたはずです」
「そうなんですか?」
「ですがグルメマスターのご入学もありますし、転入してきたのかもしれませんね。相手がガイナスなら問題ありません」
グルメマスターの入学をきっかけで転入してくるなんて……一概にないとは言い切れない。たった数日にしてグルメマスターとその信者達に慣れてしまっているのだろう。
狂信者には見えなかったが、人は見かけによらないという。特にグルメマスター信者はそれ以外の人物との見分けが非常に付きにくい。とりあえず私は学園内の生徒と教師、職員さんに至るまで全員が信者と思って行動している。
なので今日の彼も信者であったところでさほど驚きはしない。それ以上に、エドルドさんがあっさりと許しを出してくれたことの方が驚きだ。
「いいんですか?」
「グルッドベルグ家とは親しいので。それに末っ子のガイナスは兄弟の中でも群を抜いて女性に興味がありません。奥方以外に興味がない公爵ですらも頭を抱えるほどです。彼がお茶会に誘ったということは、単純にお茶を飲ませたいだけでしょう。何の心配もいりません。御者はユーガストと顔見知りですので、確認を済ませた後は行っても構いませんよ」
「なるほど」
「手土産はマリアに選んで貰いますので、それを持って行ってください」
「了解です!」
ビシッと敬礼をすれば、そこからまた「今回はガイナスだったからいいものを~」とのお説教が始まるのだった。




