110.過ぎ行く日々の裏側は少しだけ暗い
隣国行きの馬車の中。
サンドイッチを頬張っていると、エドルドさんは窓の外を眺めながらおもむろに呟いた。
「ジェラールと何かあったんですか?」
「え?」
「以前にも増して勉強に励みだしたそうで。家に顔を見せたら、メリンダのおかげだと言っていたので」
「勉強すればいいんじゃないかって言っただけでそれ以外は何も……」
「それなら私も何度といいましたが、変わることはなく……。本当にそれだけとは思えませんね」
ジェラールさんのあれは、ブラコンを盛大に拗らせたエドルドさんコンプレックスであり、思いやりをツンデレ風味に加工しまくったものでもある。エドルドさんの言葉を聞かなかったのではなく、彼だからこそ素直に飲み込めなかったのだろう。
「兄と他人は別ものですからね」
案外いい人だし、素直でもある。
兄であるエドルドさんが深く関わってこなければ、という注釈が付くが。
あの一件以来、突撃されることがなくなったため、これからも顔を合わせる機会は減るのだろう。だが今後は普通に付き合えそうだ。
私がしたことと言えば、ココアを用意して話を聞いてあげたくらい。それでもジェラールさんには十分だった。ただそれだけのこと。前を向き、やる気と共に進めたのなら言うことないだろう。
「理由はどうあれ、良かったんじゃないですか?」
「そうですね」
ガタゴトと揺られ、入国を果たす。
久々の二人きりだが、ジェラールさんが考えていたようなことはなく、今まで通りだ。やはり結婚なんて、当主になりたくないジェラールさんが勝手に思い込んでいただけなのだろう。
変な空気にならなくて良かった。
目的地である学園に到着後、馬車を降りたエドルドさんを見送り、本を開く。待機時間用に用意したものだ。図書館で借りてきたもので、この大陸に伝わる童話をまとめた本だ。全10巻あったため、とりあえず半分借りてきた。
ペラペラとめくりながら一人の時間を過ごす。
たまにユリアスさんとチャットしたり、用意してもらったお茶とお菓子を飲んだり。さすがに寝転んだりは出来ないけれど、護衛職とは思えないほど、優雅に過ごす。
一刻半ほどが経過すると、エドルドさんは「お待たせしました」と馬車に乗り込んできた。今回はやや早く済んだらしい。
「今月は週末空けておいてください」
「お仕事ですか?」
「今月は毎週末、この場所に届け物をすることになりました」
「了解です。公爵にお泊まり会は断っておきます」
「お願いします」
エドルドさんの宣言通り、私達は毎週末隣国に向かった。最終日、配達先の方と初めて顔を合わせたのだが、まさか同じ年の男の子とは思わなかった。
「折角の休みを潰しちまって悪いな。グルメマスターに関する貴重な資料で、他人には任せられなくてな~」
「仕事ですので、お気になさらず」
彼、ルークさんはこの国にグルメ親善大使としてやってきているらしい。
グルメ親善大使とは……またユリアスさんに関する変な役職が出来ていたらしい。多分、ユリアスさん本人も知らないやつ。帰宅後、チャットを開こうとしてーー今さらか、と画面を閉じた。
それからは特別なことはなく、驚くほどに平穏な日々を送っていた。
二年生になってやっと落ち着いた――と思ったのだがおそらく慣れただけなのだろう。
「あまいですよ! そこっ、打ち込んで!」
「はい!」
「師匠、俺のも見てください」
「首筋がら空き! 後ろに回られたら即死です」
「って、教官。足ばかり狙うの止めてくださいいいいい」
「体幹が弱いんじゃないか?」
「そろそろ俺らも加わってっと」
「ひいいいいいいいい」
当初より予定されていた夏合宿にお城の兵士さん達が加わり、プロと学生による混合戦が行われている。
私&グルッドベルグ家対全兵士&学生である。
合宿開催にあたりいろいろと叩き込んだのだが、やはりこちら側が優勢だろうとのことで条件をつけた。
1.公爵と私は重りをつけること。
2.グルッドベルグの双子は開始半分は参加不可。
3.武器のエンチャント不可。
4.こちらのチームが使用出来る武器は、長さが15cmまでのもののみ。
5.こちらのチームは半数がやられた時点で負けとする。
けれどお兄さん達が参加した時点で開始人数の2/3以上が退場していた。それも意外と兵士側の脱落者が多い。学生に対して手を抜いているのではなく、私の戦い方に慣れてきているのだ。
週に一回の授業とはいえ、明らかに短期間で力を上げている。
汗と男臭さに囲まれながら退場に追い込んでいき――合宿が終わる頃には『弟子』が倍増していた。
今後、騎士側にも鍛錬をつけて欲しいとの申し出は断った。だってそんな大したものじゃないし、授業補佐でいっぱいいっぱいなのだ。
脳筋オンリーの合宿だったが、最終日には予想外の動きをされることも多かった。
「――ということで、楽しかったです!」
「良かったな~」
合宿後、一時的に王都に帰還していたレオンさんに夏休み中の報告をする。
なんでも南方領の方も冒険者達が育ってきているらしく、私が卒業する頃には王都に戻ってくることが出来るだろう、とのことだった。
1週間はいるとのことで、メリンダとして何度か一緒に仕事をして、買い物をして、ご飯を食べて。ずっと一緒に過ごして――私はとにかくレオンさん充電に励む。
「レオンさん、お昼何食べます?」
「何でもいいぞ? メリンダは食べたいものとかないのか?」
「レオンさん優先にしますよ。どうせすぐ帰っちゃうんですし」
「……あなたたち、四六時中一緒に過ごして飽きないんですか?」
「飽きないが?」
屋敷にも帰らず、王都の家で過ごせば5日後にはあきれ顔のエドルドさんが家の前に立っていた。
「たった一週間ですよ!? レオンさん、また南方にいっちゃうんですよ!?」
学校も休みだし、仕事はこなしているし、いいじゃないか! とレオンさんと揃って胸を張る。それ以上、エドルドさんは何も言わなかった。
代わりにレオンさんが帰った後、ことあるごとに「レオン離れ」と呟かれるようになったが……毎回華麗にスルーすることにしている。
夏が過ぎ、秋・冬も変わりなく過ぎていく。
ジェラールさんが顔を合わせる度にココアかお菓子を差し入れてくる以外は。だがその変化も悪いことではない。毎回ありがたく頂戴している。ただ難点を言えば、ジェラールさんからもらったお菓子の空箱を部屋に置いておくと、なぜかエドルドさんの眉間に深~い皺が刻まれることだろうか。不機嫌になる割に、なぜか翌日大量の贈り物を押しつけられるため、家に帰る前にアイテムボックスに収納し、学内か部屋の中でこっそり食べることにしている。
それにしても、あと一年ほどで卒業か。
意外と短かったな~なんて考えていると、食事の場でエドルドさんが爆弾を投下した。
「そろそろリリアンタール公爵が派手に動き出す可能性があります」
「え?」
「没落に向けて動いていますが、最後に動き出す可能性があります。以前、メリンダが狙われたこともありますし、学園にいる間も注意してください」
没落、か。偽ロザリア事件以来、グルメマスター信者達には睨まれているとは思っていたが、他にも何かしらのことがなければ没落するまでに至ることはない、と思う。色々と悪いことをしてたのだろう。もぐもぐと口を動かしながら、本当にろくなことしないな~と他人事のように考える。
「ほとんど単位は取れてますし、公爵の授業もないので、仕事とグルッドベルグ家に行く以外は今年はなるべく家にいるようにしますね」
「そうしてもらえると助かります」
少し暇だけど、まぁ仕方ない。
どうせ学校に行ってもガイナスさんはいないし。友人が少なく、興味のある授業は軒並み受講済みの私が無理に登校する理由はない。
それにあの家が没落するまでの辛抱だ。
ユリアスさんと会える機会も減ってしまうが、私達にはチャット機能がある。早速部屋に戻った後で、三年時は学園に通える回数が減りそうだと報告する。
『冒険者業が忙しいのね! 頑張って!』
ユリアスさんは仕事関係だと勘違いしているようだが、ありがたく乗らせてもらった。
それから私は外出といえば、数少ない仕事か学園登校、グルッドベルグ家訪問くらいなもの。
南方に行くことは出来なくなってしまったが、代わりに頻繁にレオンさんが王都に来てくれるようになった。
「私かレオンがいれば下手に手を出してくることもないでしょう」
エドルドさんの言葉に従い、市場だろうと買い物に行く時は必ずエドルドさんかレオンさんと一緒だ。エドルドさんとは婚約者という立場だからか、度々デートと間違われた。パッカー兄妹からも『最近よく王都デートしているようですが、卒業後すぐに結婚するのですか?』なんて聞かれてしまった。それも面白がっている訳ではなく、真顔である。どう返すべきか迷ったが、適当に受け流させて貰った。
私が深く追求して欲しくないと思っていることを察してか、二人とも案外すぐに引いてくれた。
「式を挙げるようだったら呼んでくださいね」
それだけ言って「これ昨日確保した分です」とサキュバスの秘薬とインキュバスの秘薬を渡してくれる。私は最近仕事のついでにしかハンティング出来ていないのが申し訳ない。
「すみません。ありがとうございます」
「別にお礼を言われるようなことではありません。ですが、グルメマスターが所持している物を紛失した際にはお渡しする役を頼みました」
「それは任せて!」
秘薬を渡す係も、彼女の背中を押す係も。
最近のユリアスさんは確実に王子へ好意を寄せ始めている。チャットを通して近況を聞く機会が増えたが、それでも格段に愚痴よりも惚気が増えた。折角用意した秘薬だが、使う機会もなさそうだ。
ベッドに寝転がりながら友人の惚気をサカナにコーラを飲むのが、最近の私の楽しみだ。
「王子も王子よね~。さっさと告白すればいいのに」
「メリンダさん、今いいですか?」
「はい、大丈夫ですよ。お仕事ですか?」
「いえ、明日買い物に出かけませんか? って誘いに来ました」
「何か欲しいものでもあるんですか?」
「まぁ」
私が暇そうなのを察してか、こうしてエドルドさんが外出に誘ってくれることも増えた。まるで引きこもりがちの子どもを買い物に誘うお母さんのようだ。実際、エドルドさんは買い物に付き合ってくれたお礼と言って、外出の度にお菓子を買ってくれる。今でも高い物を渡されたら困るが、お菓子くらいなら喜んでもらうことにしている。というか、受け取らないと「ジェラールからのものは受け取るのに……」とブチブチ文句を言ってくるので面倒臭いのだ。
前はこんな人じゃなかったのにな~。
なんというか子どもっぽい態度が目立つようになったというか、距離が近づいたことで見える範囲が広がったというか。だがツンケンしていた時よりも親しみやすい。
婚約者に逃げられた過去があるようだし、人との間に分厚い壁を作っていたのかもしれない。