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109.久しぶりの嵐。かと思いきや……

 数日経っても、週が変わっても疑問が晴れることはなく、考えるのも面倒になった頃――彼は現れた。


「兄貴と別れろ」

 ジェラールさんだ。休みに入る少し前から姿を見ていないので、約2ヶ月ぶりの対面となる。なのに、彼といえば出逢い頭に「兄貴と別れろ」なんてあんまりだ。進級を果たしたことだし、そろそろ挨拶にもバリエーションが欲しい。

「ジェラールさん、お久しぶりですね。あまりに姿を見ないので、すっかり存在を忘れていました」

「っ、お前な!」

「でもジェラールさんも私の名前、お忘れのようですし。仕方ないですよね~」

 何かある度に『お前』っていう癖もそろそろ治して欲しい。私にはロザリアもしくはメリンダという名前があるのだから。

 出会って一年が経つんだからそろそろ覚えろと圧をかければ、彼は「……メリンダ」とバツ悪そうな顔で私の名前を呼ぶ。嫌々でも何でも良い。

「それで、何の用ですか?」

 ジェラールさんにとって『兄貴と別れろ』は挨拶のようなもの。顔を見たらとりあえず唱えておくものでもあり、わざわざガイナスさんが不在の時間を狙って突撃するほどのことでもない。

 とりあえず読んでいた本を閉じ、視線を上げる。必要ならば場所を移ってもいい。しばらくジェラールさんの様子を窺ったが、口を開く様子もなければ、場所を移ろうとする気配もない。とりあえず彼の決心が着く前に本を棚に返すかと立ち上がる。それを彼は逃げられると勘違いしたらしい。



「待て」

 私の袖を掴んだ。

 なんですか? と払ってもいいのだが、彼は捨てられた子犬のような目をしていた。エドルドさんの塩対応を受けた時とは少し違う。少しでも押したら倒れて、地面に溶けて消えてしまいそうなほど。

 何かあったのだろうか?

 それも、嫌いな私に縋らなければいけないような何かが。

「場所、移りましょうか?」

「ここでいい」

 せっかく助け船を出してあげたというのに、自ら乗船拒否をするとは……。

 ならば早く用件を話せ、と視線で訴える。ジェラールさんは少し視線を彷徨わせた後で、ぽつりと言葉を落とした。


「……ロザリアさんはまだ、帰ってきていないのか?」

「? ええ。しばらくは帰ってこないと思いますが……」

「そうか……。あの人はいつ、兄貴の元に帰ってきてくれるんだろうか?」

「エドルドさんの元?」

「お前がいる限り、帰ってきてくれないのか? 兄貴はそれが分かってて!」

 呟くような声から、徐々に答えを求めて縋るようになる。私の袖を掴む手も小刻みに揺れていて、明らかに通常の精神状態ではない。


 本当に、一体何があったのだろうか?

 どうしてこうなったのか、まるで分からない。彼が『ロザリア』を求めていることだけは分かる。けれど『ロザリア』の帰る場所に『エドルドさん』は含まれていない。確かにシャトレッド屋敷は私の帰宅先の一つではあるけれど、今の私はメリンダであって、ロザリアではない。同一人物だけど、ジェラールさんはそのことを知らない。つまり彼の中の『ロザリア』は私の入学前の姿なのだ。

 だがそもそも、ジェラールさんって私の何を知っているというのだろう?

 一年前と同じように思考を巡らせたが、やはり接点がまるでない。

 帰ってくる場所が『レオンさんの元』なら分かるんだけど、なんでよりにもよって『エドルドさんの元』なの?

 メリンダはアウトなのに、ロザリアがOKな理由も分からない。


「とりあえず落ち着いて? ね? そうだ、飲み物でも飲んでゆっくりお話しましょう? 私、この時間暇ですし!」

 事情は分からないけれど、とりあえず宥めつつも自然な流れで別の場所への誘導を試みる。



 だってここ、図書館だし。

 静かに読書をしていた人達からの視線を背中に感じつつ、本を戻して中庭に向かう。


 この時間の中庭は人が少ない。

 ユリアスさんが受講している教室が講堂で行われているからだ。過去一番の受講者数を記録したという噂のその授業は、学内の半分以上の生徒が受講している。ちなみにその中にガイナスさんは参加していたりする。信者云々はさておき、元々興味があったらしく、私に受講を止める権利などはないが、今日くらい休んでほしかった! なんてとても自分本位なことを考える。だが願ったところで彼は真面目に授業を受けている最中で、授業終了のチャイムがなるまでは助けがくることはない。




「飲み物何がいいですか?」

 自分の力だけでどうにか解決をしなければならない私は、とりあえずジェラールさんをベンチまで誘導し、腰を下ろした彼と視線を合わせる。

「……ココア」

「ココアですね。持ってきますからここにいてください。分からなくなると困るので、動いちゃダメですからね」

「ああ」

 まるで子どもをあやしているようだと自分でも思う。けれどなんだか妙にしおらしいジェラールさんを長時間放置しておくことは出来ずに、走って食堂まで向かった。

「ココア二つお願いします!」

 考えるのが面倒くさいので私も同じものを注文し、出してもらったものを急いで運ぶ。ベンチに戻ると、ジェラールさんは頭を抱えて何やらブツブツと呟いていた。正直、あまり近寄りたくはない。けれどここで逃げてはいけない。よしっと小さく呟いて、一歩踏み出した。

「ジェラールさん、どうぞ」

「ああ、ありがとう……」

「それでロザリアがどうかしたんですか?」

「メリンダに言っても無駄かもしれないが……」

 ココアの入ったカップを両手で掴みながら、今さらながらの言葉を吐く。一人でいた短い時間に何か思うところがあったのかもしれない。だがすでに私は読書の時間を邪魔され、ココアまで用意した後なのだ。

「良い答えが導き出せるかどうかはともかく、時間はありますし、聞くだけ聞きますよ」

 話してみてください、と言えば「実は……」と胸のうちを明かし始めた。




「メリンダも知っていると思うが、兄貴には婚約者がいたんだ。仲は悪くなかったが、相手には思い人がいたらしく、結婚をする数ヶ月前に逃げ出した。それ以降、兄貴は塞ぎ込むようになった。そして俺に次期当主の座を譲り、ギルドに務め始めた」

 えっと……これ、私が聞いてもいいことなのだろうか?

 エドルドさん本人の口から聞くならまだしも、又聞きしていいような内容ではない。けれど当のジェラールさんはといえば、至極真面目な顔をしており、別れさせるために話しているとは思えない。

 困惑する私とは裏腹に、彼は話を紡いでいく。

「だが俺は当主なんて器じゃない。みんな、兄貴と比べるんだ。俺だって、兄貴が戻ってきてくれれば全て丸く収まることくらい分かってる! だから何度も伝えているのに……」

「はぁ……」

「以前のようにとはいかずとも、仕事以外のことを話し出したのはロザリアさんが兄貴の前に現れてからだ。しばらくしてから、彼女がレオンさんとも仲が良くなったと聞いて、15になったら結婚するものだと思っていたんだ。結婚したら家に戻ってきてくれるって。けれど彼女は姿を消し、代わりに婚約者として現れたのはレオンさんの養子に迎えられたばかりのメリンダだった。お前はロザリアさんが帰ってくるまでの『繋ぎ』なのだろう? 時が経てばいなくなるんだろう? そのために養子に迎えられたなんて、不憫じゃないか……。俺は兄貴みたいに都合よく相手を捨てるところなんて見たくないんだ!」


 ジェラールさんは苦しげに涙と共に見当違いの言葉を溢す。


 もしかしてジェラールさんが別れろ、別れろ言ってたのって私のためだったの!?


 それにエドルドさんがロザリアと結婚すると思われていたなんて……。まさかの事実発覚である。物凄い勘違いだけど。


「えっと……」

 確かにメリンダは後々エドルドさんとの婚約を破棄するし、ある意味メリンダは卒業までの『繋ぎ』ではある。

 だがそれはロザリアがエドルドさんと結婚するためではなく、リリアンタール家から逃れるためである。そして何より、ロザリアとしてもメリンダとしてもエドルドさんと結婚する予定はない。


 何と伝えるべきか。


「俺だってこんなことをメリンダに言っても仕方ないことくらい分かっているんだ。だが、家を継ぐのは俺じゃダメなんだ……」

「なぜジェラールさんじゃダメなんですか?」

「俺は兄貴のようにはなれない」

「まぁ別人ですからね」

「それじゃあダメなんだ!」

 カップをベンチの上に置き、ジェラールさんは私の肩を掴む。

 だが私には、なぜエドルドさんでなければいけないのか。そしてなぜジェラールさんがエドルドさんのようにならねばならないのかが理解出来ない。

「エドルドさんも当主経験ないんですよね?」

「ああ」

「ジェラールさんもエドルドさんも当主になったことないのに、なぜエドルドさんじゃなきゃダメだと決めつけるんですか?」

「兄貴ならきっと俺よりも上手くやれる」

「理由は?」

「……兄貴は俺よりもずっと優秀だから」

「なるほど。そうだとして、なぜ当主の仕事もエドルドさんの方が上手くやれると言い切れるんですか?」

「俺が兄貴を越えられるはずがないだろう!!」

「…………逃げるんですか?」

「は?」

「ロザリアが帰ってきたとして、エドルドさんと結婚するとは限りません。もしも結婚したとしても、彼が当主になるという確証はないでしょう?」

「それは!!」


 そもそも、エドルドさんが当主を譲った理由が婚約者が駆け落ちしたからなのか。

 もしそうだとして、他に理由がなかったのか。

 ジェラールさんとて、エドルドさんに直接訳を聞いたのではないのだろう。所詮、都合の良い憶測に過ぎない。


 それにエドルドさんが一度譲ったものを返せなんて言うだろうか?

 結婚相手が見つかったとしても、今まで通りギルドマスターとしての職務を全うしそうな気がする。勝手に期待されても、エドルドさん本人も、そして将来結婚する相手も困るだろう。


「力不足を自覚しているというのなら、エドルドさんの帰りを期待するよりも自分の力を伸ばしたらどうです?」

「力を伸ばす? どうやって?」

「普通に、勉強すればいいんじゃないですか? ご当主を継ぐのもまだまだ先でしょう?」

「勉強?」

「ジェラールさんはまだ一年以上学生としてこの場所に通うんでしょう? それに学外だって勉強の場くらいいくらでもあります。何も人に教えを乞うばかりが勉強ではありません。最初から諦めてたら身に付くものも身に付かないし、気付けるはずのものだって見えないままです」

「っそれは……そう、だな」

「でしょう? どんなに優秀な人でも実績を残さなければ普通の人です。確かにエドルドさんはギルドマスターとしての実績を残してはいますが、公爵家の当主とギルドマスターでは役目が違います。ジェラールさんはジェラールさんで、当主としての実績を残せばいいじゃないですか」

「メリンダ……お前、良いこと言うな。礼を言う!」

 今まで嫌みしか言われなかっただけに、ストレートにお礼を告げられるとなんだか気恥ずかしい。

「別に普通ですよ」

 赤くなった頬を掻きながら、何はともあれ元気になってくれて良かったと胸をなで下ろす。


「では俺は行く! ココア、ありがとうな!」

 手を振り、見送った後で、ロザリアの結婚ルートも回避出来たことに気づいた。


「もしかして一年前に逃げなかったら、私、強引に結婚させられていた?」

 あのときはメリンダとしてだけど、後で交換なんてことも……。想像して、サアッと顔から血の気が引いていく。

「まぁ過ぎたことだしいっか!」

 これ以上、もしもを考えた所でエドルドさんと顔を合わせづらくなるだけだ。不穏な考えはほどよく冷めたココアで胃の中に流し、空になった二つのカップを手に立ち上がる。

 キーンコーンカーンコーンとタイミングよく鳴った鐘に背中を押されるように、私はカップの返却に向かうのだった。


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