105.チキンソテーは呟きとともに
「そういえばこの前、グルッドベルグ公爵が来期からスタートする戦闘実践の授業で補佐役をやらないかって言ってくれたんですよ」
「補佐役?」
「運動系の授業は基本男子生徒しか受けられないので。単位にはならないけれどよければって」
プレートと生地を変え、ベビーカステラ製作にシフトチェンジした。
中には何も入れず、代わりに数種類のジャムとチョコレートを用意した。ジャムはユリアスさんからのお裾分けだ。なんでもユリアスさんの家の調理長が作ったもので、果物は王子と国務に向かった先でもらったのだという。グルメマスターお墨付きの品である。
少し多めにかけるといいとのことで、惜しげもなく瓶の半分を皿に出した。
爪楊枝に差し、ジャムを付けたものを一つ食べれば甘みが一気に口の中に広がる。砂糖は少なめで果物本来の甘みを最大限に活かしている。ホットケーキミックスを使ったからか、カステラ自体がやや甘くなってしまっているがちょうど良かったかもしれない。
足りるかな? と視線を動かせばジャムは一瞬にして量が減っていた。焼き上がっていたカステラもほとんどない。レオンさんはポンポンと口の中に投げ込んでいた。
うん、足りないな。
新たな袋を開けて、生地を作成する。
「ロザリアはどう思っているんだ?」
「やろうかなって」
「なら、いいんじゃないか?」
レオンさんはむしろ何を迷っているんだ? と首を傾げる。
私も本当は他の授業同様、手紙で事後報告をするつもりだったのだ。けれど一昨日、どこかでこのことを聞きつけたらしいエドルドさんが、眉間に皺を寄せながら夕食の場で話を持ち出したのだ。
「ただエドルドさんが反対だって言うんですよ」
「ロザリアは一年次に結構授業取っていたし、一つくらい問題ないだろう?」
「あ、いえ。授業自体はいいんですけど、夏場の訓練合宿が」
「却下」
「なんでですか!?」
「男しかいない合宿なんかに行かせてたまるか!!」
「心配ならレオンさんも来たらどうです?」
「いいのか?」
「グルッドベルグ公爵がロザリアとレオンさんにもよければって」
「そこで結婚の話を持ちかけるつもりだな」
行かせたくはないが、ロザリアの交流の邪魔もしたくない……と唸るレオンさん。
複雑な親心というものだろうか。でも多分、公爵はそこまで深いことを考えていないと思う。だって公爵は強者の血を求めるけれど、それ以前に彼は強者との戦いを欲するのだ。強引な求婚をして、私とレオンさんという強者を逃すはずがない。強い人がいっぱいいたら嬉しいな~くらいなのだろう。
貴族ってもっと腹黒いものなのだろうけれど、私は公爵の脳筋すぎるほど戦闘好きなことを知っている。アスカルド公爵も初対面の時こそ結婚結婚言っていたものの、顔を合わせる度に口から出るのは「手合わせしよう!」なのだ。求婚もされるが、帰り際に形ばかりのもので「はいはい」と流すのがお決まりとなりつつあった。
「心配なら止めておきますよ」
「ロザリアはそれでいいのか?」
「レオンさんを悩ませてまで受けるような内容ではありませんよ。それに手合わせなら補佐役にならなくても出来ますから」
「………………ロザリアは好きな奴いないのか?」
唐突になんだろうか。補佐役のことと何か関係があるのか。
少し考えたが、やはり分からない。だが先ほどの交友関係の話題を掘り返した訳ではあるまい。何と答えるべきかと悩んで、私なりの最適解を伝える。
「レオンさんのことなら好きですよ?」
だが私の答えはレオンさんのお気に召さなかったらしい。
眉を下げ、困ったように笑った。
「嬉しいが、俺が聞きたいのは異性として好きな相手はいないのか、だ」
「レオンさんは異性でしょう?」
「だがそれは恋愛的な意味ではない」
血は繋がっていないけれど、私にとってレオンさんは『父親』であり、レオンさんにとって私は『娘』だ。今も、これからも私はその関係を変えるつもりはない。それはレオンさんも同じはず。
「当たり前です。あなたは私の父親なんでしょう?」
真っ直ぐと見つめて答えれば、深く頷いた。
「ああ。だからこそ心配なんだ」
「いつか恋人が出来るのが、ですか? 安心してください。そんな相手いませんから」
好きな人なら出来るかもしれない。
けれど私は誰かと恋をしようとは思わない。
好きになった相手に恐れられるかもしれないと考えるだけで足がすくんでしまうだろう。秘密をずっと隠しておける保証などないのだ。何かの拍子にバレてしまうかもしれない。いつか恐怖に歪んだ表情を向けられる可能性に怯えながら、知らない顔をして笑い続けることなど私には出来ない。ポーカーフェイスは得意ではないのだ。だから自覚してから、恋の花びらが散るまでを一人で終わらせることを選ぶ。痛みが少ない方に逃げて、この一生を終わらせる。
「っと、話しているうちに焼き上がりましたよ」
「ちょっと待て。ロザリア、なぜ自分の皿にだけ乗せる?」
「レオンさんはさっき山ほど食べたでしょう?!」
「だからって独占することはないだろう。美味いものは分け合うべきだ! なくなったら今度は俺が焼くから、な?」
「もう、少しだけですよ?」
何も恋をするだけが幸せではない。
幸せなんて無数に存在する。
わざとらしく頬を膨らませ、焼きたてのベビーカステラをレオンさんのお皿に移すこの瞬間ですら、私にとっては幸せなひとときなのだ。
夕食の席。メインのチキンソテーに手をつけながら、それまで妙に静かだったエドルドさんは私に質問を投げかけた。
「それでレオンはなんと?」
「何がです?」
「グルッドベルグ公爵の話ですよ。もちろん却下されたんでしょう?」
「いえ。是非受けるべきだと。明日にでもお受けいたしますと公爵に伝えに行く予定です」
「は? 本当にレオンが言ったのですか?」
帰りの馬車に乗り込んだ私に、レオンさんは確かにそういった。
授業を受ける男子生徒の誰かと恋に落ちる心配などないと分かってくれたのだろう。少しだけ心配そうな目をしていたが、彼は「これからも定期的に手紙を送るんだぞ?」としか言わなかった。信頼というよりもあれは諦めだろう。とはいえ、レオンさんだって初めから私が普通の女の子と同じような生活を送ることが出来ないことくらい分かっていただろうに。今さらだ。エドルドさんが困惑しているのは、ファザコンのレオンさんが外泊をあっさり許したことが信じられないからだろう。だがそれだって、すでに私はグルッドベルグ家に何泊もしているからやはり今さらである。
「はい。疑うなら本人に聞いてももらっても構いませんよ」
新たな皿に手を伸ばしながら、面倒事を放り投げる。
どうせ私が言った所で信じてはくれないだろうし。この場合の適任者はレオンさんなのだ。「あり得ない……」
よほど衝撃的だったのか、エドルドさんはふらふらと食事の場を立った。
デザートもまだ運ばれてきていないというのに。
「戦闘系の授業を受けた所で仕事に支障が出る訳ないのに、何を心配しているんだか」
私の呟きはチキンソテーに吸収され、腹の中へと舞い戻るのだった。