プロローグ 麦茶が飲みたい
異世界転生というものをご存知だろうか?
簡単に言えば死んだら異世界で別の人物や生物・物として誕生していた、みたいな現象である。大前提として体験するには一度死ぬ必要がある。
異世界転生を果たした! と自覚している人の死ぬ要因は寿命・過労死・交通事故や病死とさまざまだ。そして前世の記憶を取り戻すタイミングも違う。産まれた時点で記憶を持っている場合もあれば、死ぬ直前に思い出すケースもある。また転生する前に神様に会っただの、特殊能力を手にしていただの待遇もそれぞれならば、転生する世界も違う。
私も転生するまではこんなの小説や漫画・アニメの中だけだって思っていた。
けれど実際、体験してみると異世界って実在したんだな~と認める他ない。私が体験したのは中でも割と有名な、現地人よりも優れた力を持って転生する、いわゆるチート持ち転生というやつだが、驚きはあまりなかった。……少し喜びはしたけれど。幼い頃からゲームやアニメ漫画にラノベと人並みに嗜んでいればそんなものだ。
それにチート持ち異世界転生なんて、異世界で教祖になった転生者を前にすれば珍しくもなんともない。
多くの魔法が使えて、ステータスが高いだけのただの人だ。
この国どころか大陸中に信者がおり、銅像まで建てられている彼女とは格が違う。
教祖となった彼女と会うべく、臼と杵を持参して城へと足を踏み入れた私を待っていたのは謎の歌だった。歌が聞こえた瞬間、私を案内する使用人さんだけでなく、他の方もぴたりと手を止めた。
「申し訳ありません。ただいまグルメマスターは歌と舞のお時間のようで、しばしおまちください」
「はい」
事情を知らない人から見たら異様な光景だろう。
少し耐性があった私も初めて見た時は驚きを隠せなかった。
だがこれは決して私を驚かせようとしてのものではない。『グルメマスター』にして『踊り子』のジョブを持つ彼女は気持ちが昂ると歌って踊り出すのだ。
そのほとんどが前世の曲で、この世界の人達には知り得ないものであることからグルメマスターの有り難いお歌だと思われている。
『蒸らした〜もち米〜投下して〜
ち〜ち〜とむすこでペアを組み〜
も〜ちを〜つくぜ〜大量に〜
ぺったら〜ぺたらこ〜ぺ〜たんこ〜
爺ちゃん〜叫ぶぜ〜こ・し・入れろ! そいやっ!
あんこに〜きなこの〜王道に〜
いそべと〜みぞれの〜しょっからも〜
揃えて配るぜ〜ご・き・ん・じょ・に〜
ぺったら〜ぺたらこ〜ぺ〜たんこ〜
婆ちゃん〜叫ぶぜ〜きゅ・う・けい・よ~ 麦茶!』
あ、これ知らない。
多分彼女の前世のお兄さんが作詞作曲したものなのだろう。
私はこれらを勝手にお兄さんソングシリーズと呼んでいる。変わった歌詞の曲が多いが、妙に頭に残る歌詞とリズムが病みつきになる。ちなみに私のお気に入りは『ゆで卵の歌』で、夏休みの自由研究でゆで卵のゆで時間について調べた際に生まれたらしい。内容から察するに今回は家族でお餅つきをした際に考えたのだろう。
この曲聞くって分かっていたら麦茶持ってきたのに!
残念ながら今朝の私がお餅のお供にと用意したのは緑茶だ。
熱めの緑茶は絶対あんことよく合う~なんて思った私の頭をシェイクして、餅つき後の一服として別に麦茶も用意して! と耳元で叫びたい気分だ。
ありがたい曲に耳を傾ける使用人さんの後ろで、歌がリピートされる度に麦茶が飲みたい衝動に駆られる。喉は潤いを探すようにカラカラと枯れ果てていく。
一気にグイッと麦茶を煽りたい……。
ああ、麦茶。麦茶……。
王城で臼と杵を抱えながら麦茶に思いを馳せることになるなんて、転生したばかりの私は想像もしていなかっただろう。
そもそも記憶を取り戻してからわずか数年で教祖になった少女と友達になることなんて誰が予想できただろうか。
人生に絶望したかつての私に伝えてあげたい。
数年後、自分よりも上を、それも斜め上を行くご令嬢を出会うことになるよ――と。
けれど伝えたところで信じないだろうし、あの絶望がなければ私が私として今この場に立つことはない。
まぁ人生山あり谷ありってことかしらね。
補給エリアに麦茶があればいいと思う辺り、思考の深い部分まで麦茶が侵食してきているのだろう。