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かなた

作者: みお

 雨の日は客がない。

 開店してからもう何度も拭いたグラスを、マスターは静かに棚に戻した。

 ここは、街にいくつもある酒場の一つ。

 いつもなら小さいながらも賑やかな店なのだが、今宵は月の見えぬ夜、客はまだ一人もいない。この店を切り盛りしているマスターは、お客が来なければひとりぼっちだ。

溜息をついて辺りを見回しても、狭い店内にある物はいつもと変わらない。カウンターから見えるのはテーブルと椅子、あとはそれらを照らす灯りの揺らめきだけだ。

 また小さく溜息をついて、弄んでいた布巾を放り出す。

 その時、ドアに付けられたベルが少々慌ただしげな音を立てた。

「いらっしゃい」

 マスターは素早く居住まいを正す。

「すみません、濡れてしまっているのですが」

「どうぞコレ、使って下さい。いやぁ酷い雨ですな。中で暖まって下さい」

「ありがとうございます」

 入って来たのは頭からスッポリと黒いマントを被った男だった。

 今の空の色のような、滴る、艶やかな闇色。

 マスターはカウンターの椅子を一つ引いてから男の立つ入り口に近づいた。

「私が一番乗りですか。この天気ですからね」

「えぇ、退屈で、もう閉めようかと思ったくらいですわ。さ、上着かけますんで、座って下さい」

「……はい」

 短い躊躇の後にマントの下から現れたのは、雪の肌に白銀の髪、瞳と唇だけが赤い宝石のように輝いている、スラリとした青年であった。

「おたく、アルビノかい。久々に見たねぇ」

 マスターは男からマントを受け取り小さく息を吐く。

「驚かないのですか」

 伏し目がちな男の声は、どこか冷たかった。

「ウチはホレ、こんなトコにある店だからね。色んな客が来るんだ」

「良かった。追い出されるかもと、心配していたので」

「まさか」

 マントをかけて、マスターは人の良さそうな笑みを向けてからカウンターの中に戻る。

 男はホッとした様子で口元を緩めた。少し、印象が幼くなった。


 アルビノが迫害の対象とされてきた歴史は長い。

 十年程前に法が整備され、最近は社会的地位が認められるようになってきたが、人々の間の差別の習慣はまだまだ根強く残っている。また、その“色”の珍しさから、商品としての扱いを受ける事も、未だ多かった。

「この街へは何をしに、職探しで?」

「いえ、色々な土地を歩いて回っているんです。政治に興味がありまして、勉強をしながら」

 男は微笑を浮かべてグラスを傾けた。

「そりゃぁ大層なもんだ。じゃぁ将来は、国の官吏の試験とか受けるのかい」

「……そうなれば一番ですね。ただ、学校に行く金はありませんし、どなたかに師事することもなかなか」

 カラリ。

 氷だけになったグラスに、マスターが新しくアルコールを注ぐ。

「どうも」

 男は柔らかな微笑をたたえたままグラスを傾けた。


 男は国境付近の小さな集落の出身だった。

 白い子は悪魔の使い。

 殺したら、祟られる。村の人々に知れたら、一族皆が追い出されるかもしれない。

 隠さなくては……!

 彼は十五で逃げ出すまで、家の最奥の檻の中で育った。

「本当に田舎だったので、人売り商人がいなかったのが、せめてもの救いでした」

「まだ、法令の出来る前だったんだね」

「今でもきっと同じ様なものでしょう。山の麓で、ほとんど自給自足しているような人たちです。自分たちのルールだけで生きているのですよ」

 男の声は乾いていた。赤い瞳は宙を見つめている。

「私が政治を志そうと思ったのは、私のような色を受け入れてくれる団体と出会ったからです。彼らは今回の法整備にも深く関与していました。法さえ整えば、ゆっくりと時間をかけてでも、私たちに対する不当な扱いは消えていくと思った」

 グラスを持つ手に力が込もる。

 感情の高ぶりが顔に表れ、微笑を失った口もとは逆方向に歪み、瞳は一層燃え上がった。

マスターは思わず、カウンターに放ってあった布巾を掴む。

「王宮のあるタペストの街ですら、私たちは人として扱われていないのです。男も女も、奴隷となるか身を売る意外に生きる術などない。いや、むしろ、タペストが一番酷かった。私が家から逃げ出して、最初に向かったのはタペストだったのです」

 ドロリと溶け出しそうな不気味な赤い目が、見えない何かを睨み付ける。

「人種の差別を規制する法令が成立する直前でした。タペストまで移動する間にその話を知り、法律を作ってくれるという王の所なら、王宮に行けば、救ってもらえるだろうと。私はまだ十五だった。必死の思いで辿り着いた先で、門兵に何と言われたと思いますか?」


『王は白いのがお好きだ。奴隷にしてもらえるよう、口をきいてやってもいい』


「目の前が真っ暗になりましたよ」

 濡れて光る赤い唇が不自然に吊り上がる。

「私はこれから、仲間と一緒にこの国を変えます。あちこち旅をしているのはその為です。こんな腐り切った王と議会の国なんか……」

「……お兄さん、飲み過ぎちゃいかんよ。今夜の宿は決まってるのかい?」

 握り締めていた布巾から手を放し、静かに息を吸ってから問うた。

「この街にも仲間がいますから」

「そうかい」

 マスターは聞けなかった。

 どんな方法で変えようと言うのか。

 一体何を変えようと言うのか。

「ご馳走様でした」

 小雨になった夜空の下、再び黒いマントを被って行く青年に、

「またおいで」

 とは、言えなかった。

 今夜はもう客は来ないだろう。

 マスターは扉に鍵を掛けた。些か早いが、店仕舞いだ。


 土砂降りの夜に、見えないはずの月を見た。


「忘れよう」

 男が使っていたグラスを手早く洗い、水切りの上に伏せる。

 雨は、明け方には止み、明日の夜には店もいつも通りの賑やかさを取り戻すだろう。

「忘れよう」

 マスターはもう一度呟いて、明かりを落として闇にした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 壮大な物語の一こま、という感じがしました。青年の過去や未来や、物語のバックグランドなど、いろいろなことを空想させてもらえる極めて良作だと思います。 [気になる点] 細部の描写をもっともっと…
[一言] こんばんは。 掲示板でお世話になっております。 百合宮です。 読ませていただきました。 世界観も人物もよく出来ていたと思います。 ただ、惜しむらくはやはり短編であることですかね? なんと言う…
[一言] 掲示板から来ました。和成です。 相互感想を、ということなので、さらっとコメントを残していきたいと思います。 しっとりとした雰囲気が伝わってくる文章ですね。時折挿入される何気ない描写が、酒…
2010/04/18 13:06 退会済み
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