005:名前
俺が名前を言った瞬間、魔法陣っぽいのが空中に現れて、彼女に吸い込まれる。
なんか後戻りできねえ感がすげえんだが、まあ、これも俺が自分で選んだんだし、よしとしよう。
しかし、名前だけでこんな儀式っぽくなるってのも、さすがは魔神とかってやつなんだろうか。
などと思ってたら、当の本人は喜びを隠しきれない様子だった。
「うん、ヴィーデか、いい名前だな。そうかヴィーデか、ヴィーデ……ヴィーデ……」
ああ……見るからに感極まって震えてやがる……マジだ、マジなやつだ……。
これはマジに本気で心底喜んでるってやつだ。はじめての宝物でどうしようもなく嬉しくてしかたがないってアレだ。
いてもたってもいられなくて、食事中にまで横に置いたりさんざん触り倒した挙句にベッドに持ち込んで大事に抱えて眠るってやつだ。
一ヶ月ぐらいそれしか考えらんなくなるとか、そういう感じの。
なんか本気でマズイ生き物を相手にしている気になってきた……大丈夫なのか俺。
こんなのどこまで耐えられるんだろうか。
「……ボクはいまからヴィーデって名乗っていいんだな? いいんだよね? ああ……名前だ、本当に名前だ。これが、名前なんだね……ぞくぞくする!」
「……お、おう。まあそうだな、いまからお前はヴィーデなんだから」
「っ……!?」
突然、ヴィーデが雷にでも打たれたかのようにびくんとする。
「おい、どうした?」
「そうか、ああ、そうかそうか! そうだよな……ボクはこれから名前で呼んでもらえるんだな!」
「ま、まあ……そういうことだ」
うわ反応がすげえ。
いてもたってもいらんないってやつだ、目が思いっきり輝いている。
感極まり過ぎで、頭が混乱してじっとてらんないし、そもそもどう反応していいかわかんないっていう感じだ。
あ、でもこれってもしかして、初めて誰かにちゃんと認めてもらえたってヤツなのか?
そういや、自分があやふやで確証がねえって言ってたもんな。そりゃ嬉しいっていうか、未知の体験ってやつならわかる気もする。子供が初めて喋ったときの親の騒ぎっぷりと一緒だ。
「すまない……ええと、悪いが、ボクを名前で呼んでくれないか?」
ヴィーデは少し迷ったあと、恥ずかしそうに、でも我慢出来ないという感じで、おそるおそる願いごとを口にした。
こんな必死でささやかな願い、付き合ってやるしかない。
「ヴィーデ」
「……もういっかい」
「ヴィーデ」
「っ……もう、いっかい」
「ヴィーデ」
「ん……ぅ、……すまないが、もういっかい、いいか?」
「ヴィーデ。ま、これから何度でも呼ぶんだ、とりあえずお楽しみはとっとけよ」
「ああ……うん、すごくいい、身ぶるいする。どきどきが止まらないよ。これが名前……ボクの名前になるってことなんだな。ヴィーデ……一人称を名前にするのもいいかな? いやいや、さすがにそれでは慎みがなさすぎだろう。第一、魔術対象になる名前を晒しまくるというのはどうなのか……」
ヤバイ、とにかくヤバイ。コイツ、天然すぎていろいろと危険すぎる。
想像を絶する力を秘めた絶世の美少女が、名前を呼ぶたびに、顔を赤くしながら無邪気に喜び甘えるようなのを何度も見せられたら、人間いろいろダメになるぞ。
昔のやつはひょっとしてこれにやられたんじゃないかとすら思えるほどだ。
「ええと……そうやってあけすけにはしゃぐのもいいけどな? 別にそれでいきなり別人になるもんでもない、自分は自分だ。ヴィーデがヴィーデなことが変わるわけじゃないだろ。喜ぶことは大事なんだが、世の中は喜びすぎるってのもまた毒になることもあるって覚えとけ……その、いまはまあ、それでいいけどな」
想いは時に自分を刺す。
いい感情ならなおさらだ。特に、原体験ってやつからは逃れられない。
嬉しいことなんて何度あってもいい。大喜びしていい。だが、あまりにはしゃぎすぎると際限がなくなって、今度はそれがないと我慢できなくなる。
ハマるとヤバイ感じのアレみたいなもんだ。
世の中ってのは適度な具合がいいようにできてやがるんで、そういうものってのは大事にしまっといて、たまに眺めるぐらいでちょうどいい。
そうでなくても、大事な出来事ってのは風化しないんだからよ。
「ふむ、なるほど覚えておこう。たしかにこれは諸刃の刃だ。これでボクは呪詛や魔術の対象にもなるようになったんだからな」
「そういうことだ。世の中、いいことってのは、全部が全部いいことだけで構成されてないことも多いからな」
うんうんとなにごとか反芻しながら、俺なんかの言葉に真剣に頷いている。
ちょっとしたしぐさだけでもいちいち可愛いすぎるんだが、どう考えても悪いヤツに騙されるか、逆に悪いヤツがコイツに騙されるよなーって思うわ……。
「まあ、なんにせよこれで契約は成立だ。晴れてボクもココから出ることができるし、エイヤも生き埋めから脱出できる」
「おー、ちゃっちゃとやってくれ、さっさと出ようぜこんなトコ」
もし本当に運命が思い通りになるってなら、ここからは脱出できるって寸法だ。
そうと決まれば、いつまでもこんなところにいても仕方ない。
「……ただ、一つだけ問題があるんだ」
「おいおいなんだよまだなんかあるのかよ。俺に期待してもなんも出ないぞ」
話の順序が遅いというか、結論から話さないのは長生き種族の悪い癖だなあ。
時間持て余してたり結論を出さなくても良かったり、年食ったやつはだいたいのんびりになるんだよな。
タイムイズマネー。
「うん。運命と時間の法則の関係でね、基本的に起こったことは覆らないんだ。だから現時点はすでに起きてしまったアウトな運命でしかない」
「まあ、運命ってのは普通そういうことになるよな」
「む? つなぎ方とポイントさえ押さえておけば、多少ならやり直せるよ」
やり直せるのかよ、運命って思ってたより随分軽いな!?
「いつでも出来るわけじゃないんで、そこは覚えておいてくれ。準備とか制限があるんだ」
「制限?」
「そうだよ。もし、過去からやり直したところで、放っとけば同じ認識で同じことをするだろう? 未来の記憶を保ってないと戻す意味もない。だから、たとえばココみたいに流れと違うポイントを作ったりするわけだよ」
確かに、考えてみれば、巻き戻ってるのに未来の記憶が残ったまま戻れねえんじゃ意味がない。俺が封印ぶっ壊して生き埋めになるだけだ。
結局、どこだって行ったり来たりってのは、なんでもややこしいってことか。
そう言われてみりゃ、忘れ物取りに帰るのも簡単だが面倒だもんな。
「つまり、俺の26年は戻ってこないってことか」
「うん……そういうことになるね」
ヴィーデがあからさまに申し訳なさそうになる。
まあ26年が返ってくるならコイツがこんな気に病んだりはしねえもんな。
要するに、つなぐってことは、あるポイントで切り飛ばすようなもんだってことか。
事前準備とか必要で、タイミングがあるってことかね。まあ、なんだかんだでそのほうがいいのかもしれないと思うけどな。
世の中、なんでも出来すぎるってのは、だいたいあまり良くない。
なんでも試せるってのはいいんだが、なんでも出来るってなると、しなくていいことまでするもんだからな。
それに、どうせ結果は出るからなんてのも最悪だ。
結果が出るでないにかかわらず、やるだけやるべきってのが俺の持論だ。
手に入らないものまで高望みしない。なかったはずのものに変な期待をしない。
細かいことは気にしないでいいくらいの余裕があれば、大抵の物事はそれくらいで十分ってやつだからな。
「まあ無理ならかまわねえよ。じゃあ今は、とりあえずこの状況をやり直すってわけか」
「そうだ。封印を解いた上で生き埋めにならないためには、事が起こる前に巻き戻して違う運命をやり直す必要がある。まあ難しいことはすっ飛ばして、つまり……だ」
「つまり……?」
とても素敵にイヤな予感しかない。
「……封印を解くところまで戻すから、崩れる遺跡の中、ボクの手を引いて連れ出す必要がある」
「ちょっと待てコラァ!?」
思い通りの運命って、思ったより過酷だなオイ。