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『ばなななななこ』

 




 彼女のアパートの部屋に入る時、ボクは鍵で開ける前に


 必ずチャイムを鳴らす。


 彼女から部屋の鍵を貰っているし、「いつでも入っていいよ」と許可されていても


 なんとなくお知らせのような感じで、チャイムを鳴らしてから鍵を開ける。


 ボクはとても静かな場所に住んでいて、ある真夜中、当時付き合っていた彼女が


 いきなり鍵穴に鍵を差し込んで回す音に、非常に驚いた事があるからだろうと思う。



 ドアを開けるとすぐにあるキッチンで、ナナコが「いらっしゃい!」と元気に言った。


「おじゃまします」と言って、スニーカーを脱ぐときちんと揃えた。


 ナナコは手を白い粉だらけにして、ボクの行為を見て笑った。


「すーちゃんてー、そういう所ホントに律儀だね!」


 大きな口を開けて、白い歯を見せて、少し鼻にしわをよせるようにした


 ボクの好きな笑顔で言う。


 すーちゃん とは不本意ながらボクの事である。


「進」なので「すーちゃん」


 女の子みたいで、ボクとしては付き合い始めの頃こそ改めて欲しかったが


 今は諦めた。


 ナナコに屈託のない笑顔で「すーちゃん!」と呼ばれると、今ではホッとするまでになった。



 時は人を変えていく。




 ボクは「何を作っているんだい?」と彼女の手元を覗き込んだ。


「あ、これ?バナナブレッド」


「ほお・・・」


 ボクはできる限り、表に出さないようにしたつもりだったけど


 ナナコはそんなボクを見て、また笑った。


「すーちゃん、バナナブレッド好きじゃないもんね。


 大丈夫。簡単だから、紅茶のブレッドも一緒に作るから」と言った。


 いや、ボクはバナナとか紅茶とか入れないで、プレーンで十分なんだけど・・・と


 思いはしても、それをナナコに言ったりはしない。


 確かに、食べ物に色々なものが入っているのは好きじゃないのだけど


 ナナコと付き合うようになって沢山の、ボクが「好きじゃないもの」を食べさせられた結果


 好きになったものもあるからだ。


 ボクは少し、自分で自分を決めつけすぎる傾向があるので


 それがナナコといる事で、だんだんと枠が取り払われて


 スケールの大きい男になれればと思っている。



 夢はでっかく。



 まぁ、とっかかりがバナナブレッドだとしても。






 ナナコが料理をしている間、ボクは散らかった部屋を片付ける。


 彼女のたくさんある長所のひとつに、「気にしない」というのがある。


 この「気にしない」は、場合によってはボクにとって不快な方向に働くこともあるけれど


 大抵の場合は、ナナコのそんな所に救われている。


 ボクは、色んなものを整理整頓しておかないと気がすまない。


 あるべき場所に、あるべきものがきちんと収まっている。


 それが美しい佇まいだと思っている。


 なので、それを付き合った彼女の部屋でも実行すると・・・


「嫁いびりのお姑さんみたいでイヤ」


「わたしだって掃除してるのに、そういうのイヤミ」


「この部屋が嫌ならもう来ないで」


 と、とても哀しい思いと哀しい誤解を生んでしまう。


 ボクは、整理整頓が趣味のようなものであって


 決して自分と同じにできない人を、責めたい訳じゃないのだ。


 人によれば「他人の部屋の物を勝手に動かさず、大人しくしていればいい」と言う


 尤もな意見もあるだろうと思う。


 けれど・・・、やはりコレがボクなのだ。


 ただし、勝手に片付け始めるのではなく、「片付けてもいい?」と聞くようにはしている。


 ナナコの場合は、「え、いいの?悪いなぁ」とニコニコしていたし


 終わったら「綺麗になったね!ありがとう!」と感謝までしてきて


 ボクを驚かせた。


 なんだ。ボクはずっと、ボク自身の(人から見たら)潔癖な所は


 悪いところなんだと思っていた。


 違ったんだ。



 ボクが悪かったんではなくて、相性が悪かったんだ、と気づいた。


 ボクはボクでいて良かったんだ。


 この事に、ボクは大きく救われた。




 綺麗になった部屋で、テーブルを綺麗に拭いていると


 ナナコが「できたよ~」とお盆に料理を乗せて運んできた。


 焼きたてのバナナブレッドに紅茶ブレッド。


 具だくさんのポトフ。


「すーちゃん来ると、部屋が気持ちよくなるわ~」


「ナナコの料理食べると、野菜不足が解消するよ」


 そうお互いを労って、仲良く食事をした。



 美味しそうにスープを飲む彼女の横顔を盗み見る。


 赤茶けたクセのある長い髪を、ふたつの太い三つ編みにして顔の横に垂らしている。


 よおく見ると、うっすらとソバカスが見えて「赤毛のアン」を思い出す。


 ピンク色の小花柄のワンピースの上に、黄色のチェックのエプロンをしている。


 彼女は本当にカラフルで、腕にもたくさんの色を使った天然石のブレスレットを


 何本もしている。


 紫、水色、緑、オレンジ・・・。


 それがまた、彼女によく似合っている。


 こんな風に、女の子と一緒にいてリラックスできるのは初めてだ。







 午後から、バスに乗って駅前の大きな書店へ行くことにした。


 バス停に着くと、すでに出発したばかりで誰も並んでいなかった。


 ナナコが時刻表を見て「うわあ、あと20分待つよ~」と声を上げた。


 寒い日だったので、「どうする?一旦部屋に戻る?」と聞いた。


「うーん。ま、いっか。部屋に戻ったら、行ってすぐ戻ってくるようだもんね」


 ボクがベンチに座ると、彼女は自販機の前に立って商品を眺めていた。


「買うの?」声をかけて、自分もナナコの後ろに立つ。


 ボクも小柄だけど、更に小柄な彼女がそのまま寄りかかってきた。


 ナナコの頭のてっぺんが、ボクの口のあたりにくる。


 彼女はピンクの小花柄のワンピースの上に、紫のカーディガンを着ていた。


 ポケットが花の形にアップリケされたもので、彼女のお気に入りだ。


「すーちゃん、何飲む?」


「ボクは・・・、水がいいんだけど、こんなに飲めないからいいや」


 口元にある彼女の頭が動いて、ボクを見上げるようにした。


「なんでこの寒いのに冷たい水なの~?」


 ボクは笑った。


「だから、冬は常温の小さなペットボトルで水を売ってくれないかなって思うよ」


 彼女が選んでいる間に、小銭を自販機に入れた。


「あっ、ありがと~う」


 ニコニコとしたナナコが、ボタンを押した。



 バナナココア。



 バナナココア!?



 ボクなら、絶対に選ばない。


「バナナ、ほんと好きだよね」


 心から感心して言うと、彼女も同意した。


「そうなの。ほんとバナナ大好き」


 ふたりでベンチに座り、他愛もない話をした。


 紫色のカーディガンの袖から除く、ナナコの小さな手。


 寒さで少し赤くなった鼻。



 愛おしくて仕方がない。



 ベンチから足を伸ばしてピンと揃えては、ぶらぶらしてを繰り返していたナナコ。


 ぶらぶらの最中に、履いていたサボが片方脱げて、飛んでいった。


 二人で顔を見合わせて、声をあげて笑った。


 フエルトで出来たグレーのサボを見て「可愛いね」と声をかけると


「ホント?嬉しいっ」と言ったあと、俯いて黙ってしまった。


「ごめん、何かヘンな事言った?」思わず誤ってしまうと


「ううん。そうじゃなくて。嬉しいなって思って」と慌てて顔の前で手を振った。


「すーちゃん、わたしにああしたほうがいい、こうしたほうがいいって言わないから」


「ん?例えば?」



 彼女はさっきより小さく足をぶらぶらさせた。


 相変わらず俯いたまま。



「んっとー。


 女なのに部屋が片付けられないのはよくない、とか


 柄物と柄物を合わせて、バカみたいな服装はやめろ、とか」


「そんな事言われたの?」


「うん、まぁ・・・。ホントの事だし」


 ナナコは鼻をすすった。


 寒さのせいか、ナナコを傷つけた言葉たちのせいかは判らなかった。


「ボクはそんな事思ってないよ。


 一度もそんな事思ったことないよ」


 思わず、バナナココアを持つ彼女の手を上から握った。



「うん。


 判ってる。


 初めてうちの部屋を片付けてくれた時、今までの人みたいに


 イライラしたり我慢してる風でもなくって、どっちかって言うと


 楽しそうで、それでいて真剣に片付けてるの見て安心した。


 ただたんに、この人は片付けが好きなんだなぁって思った。


 それで、えっと・・・」


 ナナコはボクの顔を見て、ボクの好きな鼻にしわを寄せる笑顔を見せた。


「すーちゃんと一緒にいられて、嬉しいなって思って。


 ありがとっ」と言った。



 ボクも、ナナコの手を握り締めながら鼻をすすった。



 たぶんきっと、寒いせい。






 暖房の効いたガラガラのバスに乗り込んで、一番後ろの席に並んで座る。


 しばらくすると、本当に鼻水が出てきて、二人で「やばいやばい」と言いながら


 こそこそと鼻をかんだ。


 別にこそこそする必要はないのだけれど。


 そのことで、くすくす笑った。



 書店で彼女が言った。


「あ、よしもとばななの新刊だ。買わなきゃ」


「またばなな?」



 思わず言うと



「だって、バナナ大好きなんだもん」と笑った。











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