『年上の あなた』
高校生の時、訳あってアパートに1人暮らしをしていた。
毎日毎日、嫌になるほど一日が長くて、うんざりだった。
高校で1人暮らしなんかしたら、部屋が友達のたまり場にならなかったかって
よく聞かれるんだけど。
俺は1人暮らしをしている事を、誰にも話してなかったから。
部活にも入ってなかったし。
当時は、まだそんな規制が厳しくなかったから、夜のバイトをやってた。
小さな街のバーみたいなとこ。
若いお姉ちゃんはいたけど、隣に座って接客みたいのはしなかったよ。
ただ、美味しいお酒出して、美味しいつまみを出すような、良心的なお店だったよ。
生活費はもらってたんだけど、部屋にいて1人でTV観て、笑い終わったらしーんとしてるとか
そんなんが耐えられなくってさ。
勉強も、別に自慢じゃないけど、授業ちゃんと聞いてたらなんとかなったんで
とにかく、1人で部屋にいたくなくて働き始めたんだ。
こんな事いうと、淋しかったんでしょって言われるけど
それも否定しないけど、だからって人と一緒にいるのも苦痛でさ。
だから、人の中にいるけど、人とそれほど関わらなくていいあの仕事は
俺にとって都合が良かった。
俺の店での役割は、酒を作るのと、つまみを作ること。
マスターが細かいこと言わずに自由にやらせてくれたからさ
メニューにない、オリジナルの料理とかを、ある材料でぱぱっと出したりして。
それが結構評判良かったりして、それから料理に目覚めて自炊もマメにしたりしたよ。
学校より、断然店にいる方のが楽しくなってきちゃって、まいったよね。
学校辞めて、このまま店で働き始めちゃいたいって思ったりしてね。
でもまぁ、それを真剣に思い悩む前に、ある人との出逢いがあって
結局そういう選択肢はなくなった訳で。
俺、店に顔出すようになった女性と付き合い始めたんだ。
俺ね、彼女が店に来たとき、なんとなく職業判っちゃったんだよね。
黒い髪のショートカットに、長く伸ばした前髪を横から斜めに流して
それほど色味の強くない、薄化粧して、爪を短く切りそろえてマニキュアとか塗ってなくてさ。
グレーのダッサいスーツ着てて。
俺、チラッと見て『音楽の教師みてぇ』って思った。
ビンゴだったね。
彼女は彼女で、カウンターにやってきて、俺の前に座ると
「キミ、未成年・・・って言うかまだ高校生なんじゃないの?」とボソッと言った。
俺はしれっと、グラスを磨く手を休めずに言い返した。
「そういうあなたは、補導員?それともセンセイ?」
彼女はハタと黙り込むと、自分の胸に手をやってこう言った。
「やだ。やっぱりあたしってそこまでダサイ?」
それで笑い出してしまった俺は、すっかり彼女を気に入った。
世の中にはおしゃれな先生もいると思うよ。
でも、イメージ。
彼女は俺の中の『音楽の先生』のイメージそのままだった。
初めて、彼女を抱いたとき
「まずいまずいまずい。これやっぱりまずいって。
バレたら超大変」
ベッドで抱き寄せる俺に、まだそんな事を言ってた。
「ちょっと黙って。いいから」
唇をふさぐと、可愛らしく抵抗するものの、すぐにほどけて俺に身体を預けてきた。
ベッドに柔らかく押し倒して「それって、バレなきゃいいってことでしょ?」と耳に囁いた。
彼女が「それってズルイ・・・」と言う唇を、また塞ぐ。
初めての女の味は、言葉では言い表せない。
柔らかさと、暖かさと、甘い匂い。
夢中になった。
付き合って、半年くらいして、ケンカが絶えなくなったよ。
彼女が、別の学校とは言え、教え子にあたる年齢の男との秘密の交際に
精神が耐えられなくなっていったんだろうね。
確かに、おおっぴらに出かけられるわけでもなく、常に人目を意識しているからほぼ俺の部屋で過ごす。
そうすると、出来上がるパターン。
俺が手作りの料理を振舞って、彼女をあとで美味しくいただく。
彼女は不満だ。
抱いている間はいい。
帰る間際になると、「こんなのばっかり耐えられない」と泣き出す。
あるいは、抱く前。
「毎回毎回やれればいいと思っているんでしょ!」と切れるのに
俺を押し倒して、上に乗ると、激しく求めてきたりする。
そうして、また泣く。
俺は、どうしていいのか判らなかった。
「もう少しで卒業するから。そうしたら、普通に社会人同士の恋愛になるから」と
繰り返しなだめるくらいしか出来なかった。
自分が頼りにならないから、彼女が不安定なのだと、俺は自分を責めた。
怖かった。
彼女のことが、俺は怖かった。
あんなに笑顔で、2人で笑いあったのに、気が付けば
泣き顔しか見てない。
ぼんやりと遠くを見ている彼女の横顔。
俺を見て欲しくて、俺を頼って安心して笑って欲しくて
彼女を求めた。
奪うように抱いて、彼女を揺すって、イカせて、泣かせて、また揺すって。
彼女が激しく、俺にしがみついてくるその腕の強さに、生きていく許しをみたんだ。
ある時、彼女が嬉しそうに俺の肩に顔を埋めて、甘えた声で言った。
「ねぇねぇ、今度の日曜日、出かけない?」
俺は驚いた。
いつも「いつ誰に見られるか判らないから、外はイヤ!」と言うのが彼女だったのに。
「え、いいよいいよ。もちろん。俺はいいけど、いいの?」
「うん。その代わり、本当のデートみたくさ、現地集合にしようよ。
バラ祭りっていうのがあるんだって。
それを見てみたいの」
「へえ、いいよ。行こう行こう」
彼女が久しぶりににこにこと笑顔で、俺はただそれだけの事が本当に嬉しかった。
約束の日曜日。
待ち合わせの公園に行くと、どうしてかガランとしていた。
公園の名前を間違えたのかと、犬の散歩をしている人を捕まえて聞いた。
「ああ、バラ祭り?まだまだ先だよ。
バラの季節は5月6月だよ」
そう言われた。
今は11月だ。
俺は、バラがいつ咲くのか知らなかった。
10時の約束に、彼女は現れなかった。
事故とか、遅刻とか、そういうのは一度も思わなかった。
彼女が、季節を間違えたのだとも思わなかった。
ただ何か知らないけれど、彼女はここで終わりにしたかったのだと
それだけ、はっきりと判った。
判っていたのに、俺は待った。
なんで待ったのか、自分でもよく判らない。
彼女を待っていたんじゃなくて、俺の中で、彼女に対する想いの証明のようなつもりだったかもしれない。
お袋が出て行った時、俺は驚かなかったんだよね。
親父はいつも好きなように振る舞い、おふくろと俺をないがしろにしてきたしさ。
でもお袋は、いつも何も言わなかった。
それを、親父はどう解釈していたのだろう。
お袋が出て行ってからの親父の落ち込みようがうざかった。
見てられなかった。
自業自得だ、ざまあみろと思った。
俺はしない。
俺はあんな風に、自分についてきてくれる女に、あんな仕打ちはしない。
そう思った。
お袋が出て行った事も、どこかで安心したくらいだ。
これで親父の犠牲にならないで済むって。
女は突然去っていくね。
彼女を失って、初めて気づいた。
お袋は、親父から去っていっただけじゃなくて、俺からも去っていったのだと。
そして、親父の姿は俺だったんだって。
俺もお袋に出て行かれたことがショックだったし、悲しかったんだ。
俺は親父の落ち込みを見ていられなかったんじゃなく
俺が本当に目を背けたのは、悲しみに暮れる俺自身だったんだ。
その事を、彼女が去ってから、初めて気づいたよ。
俺はアパートを引き払い、家に戻った。
親父なんて、どうにでもなれと思ってたけど、戻って親父の変わらぬ落ち込みようを見ていたら
労りの気持ちが出てきたよ。
そんな自分に、今世紀最大でびっくりしたけど。
無精ひげを生やし、疲れたようにワイシャツのままソファで眠る親父に言った。
「明日、お袋を迎えに行こう」
「・・・・」
もぞもぞと身体を動かし、濁った目で俺を見上げた。
「は?なに、なんだって・・・?」
「俺も一緒に行くから。2人でお袋の実家に迎えに行こう」
もう一度言った。
そして、辛抱強くじっと見た。
長く見つめあったままだった。
「ああ、そうだな。ああ・・・、判った」
起き上がり、ため息をつくと両手で顔を覆った。
「明日、ヒゲちゃんと剃れよな」
俺は返事を待たずに、窓を開け、空気を入れ替え、部屋を片付け始めた。
溜まった新聞、カップ麺やコンビニ弁当の容器、汚れた洗濯物。
親父を無視して、せっせと片付けた。
リビングが粗方片付いたので、キッチンへ行き溜まった洗い物に手をつけた。
ふと気づくと、親父が起き上がりもぞもぞとシャツを腕まくりして風呂場へと消えた。
しばらくして、風呂場を掃除する音が聞こえてきて、ほっとして笑った。
お袋は実家で少し太っていたよ。
親父が対照的に痩せた、と言うかやつれたので、なんだかおかしかった。
お袋は「もっと早く迎えに来てよ!」と玄関で怒った。
俺と親父は、顔を見合わせてしまった。
なんだそうか。
誰も彼も、自分は必要とされていないと思い込んでいたのか。
そうじゃなかったんだ。
ただみんな淋しくて、不安だっただけなんだね。
高校を卒業して、俺は調理師の免許を取るために専門学校へ通い始めた。
そして5月。
バラ祭りの日。俺はやってきた。
前日に雨が降ったときは、ヒヤヒヤしたが、一夜明けて快晴になった。
バラ祭りは有名らしく、公園の周辺が人で溢れていた。
約束の10時。
俺は来てるはずないと思いながらも、キョロキョロと辺りを見回した。
あまりの人手に、男1人で恥ずかしくなった。
大抵は家族連れか、カップルだ。
公園は見渡す限り、バラで埋め尽くされていた。
こんなにたくさんの種類があるなんて、知らなかった。
皆、幸せそうだった。
色んな屋台が出て美味しそうな匂いがした。
生活雑貨も売っている。
突然に、幸せって哀しいなと思った。
幸せの中にいると、自分が1人なのだということを、痛いほど感じた。
帰ろう。
くるりと公園に背をむけて、出口に向かった。
来園してくる人ごみの中を「すみません」「すみません」と声をかけながらすり抜けていく。
「帰っちゃうの?」
後ろから、Tシャツの裾を掴まれた。
立ち止まる。
ゆっくりと振り向いた。
黄色いTシャツを着て、黒いキャップを目深に被った彼女がいた。
彼女の手が上がり、キャップのつばを上げた。
懐かしい顔が見えた。
「もう帰っちゃうの?」
もう一度、彼女は繰り返した。
「ここは、未成年でも怒られないよ」
にこっと笑う。
でも、俺には判る。
本当は緊張しているって。
「まだ未成年だけど、もう高校生じゃないよ」
喉が詰まって、うまく喋れなかった。
「もう、社会人同士?」
彼女の目が、すがるように俺を見つめる。
「あ、まだ学生だけど。でも、もう怒られないよ。
もう、誰にも怒られない」
彼女の目に、涙が盛り上がった。
彼女の唇が震える。
涙がこぼれ落ちた。
「来ないって思ってた。来てくれるなんて、思わなかった」
小さな手が、震える唇を押さえた。
俺は、手を伸ばして、指で彼女の涙を受け止めた。
「俺・・・、俺。逢いたかった」
素直に口から出た。
彼女が消えてから、俺はずっとそう思ってた。
5月。晴天のバラ祭り。
彼女とデート。
どこかで、祭りの合図の花火が打ち上がった。




