『マドンナの恋』
ウエイターの気持ちが知りたい?
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このカフェ、いいわ。
まず、スタッフが感じ良かった。
それから、おしぼりがちゃんとタオルで熱かったこと。
きっと夏になったら冷たいタオルなんだろう。
今はどこも厳しくて、お手拭きを出すお店が少ない。
出しても大抵は袋詰めのウェットティッシュだ。
タオルは有難い。
店内は、すっきりと落ち着いたウッド調のアメリカンな感じが漂う。
アンティークなコーラの時計や、ポスター、看板、ジュークボックス。
料理も美味しかった。
あのボリュームで千円以内で食べられるのは嬉しい。
しかも、客層も落ち着いているし、混雑していない。
時間の限られたランチに出てきて、並ぶのは避けたい。
最後にトイレに寄って、男女別の、街のカフェにしては比較的広い室内と大きな洗面台を見て
密かにガッツポーズを取った。
ここは当たりだ。
そうして、翌日からランチはこのカフェへと必ず足を運んだ。
「ようよう、マドンナ。ご機嫌いかが?」
『また出た』 そういう顔をしないように、笑顔の仮面を張り付かせた。
人のことを今時「マドンナ」と呼ぶこの彼は、週に何度か訪れるエリアマネージャーの長島だ。
お腹は出てるけど、お金をかけた良いスーツを着て、立ち居振る舞いにも自信が見える。
まぁ、うちは外国産自動車のショールームだから、皆良いスーツを着ているけど。
確か彼は結婚しているはずだが、薬指にリングはない。
笑顔だし、悪い人じゃないんだけど苦手だ。
話すときに、近すぎるし、セクハラといかないまでもやけにボディタッチが多い。
「クッキーの差し入れだよ。マドンナもこっちに来て食べなよ」と腕を掴む。
「レディーファースト」と言って、腰に手を添える。
「今日もご苦労さま」と肩を叩く。
いや、セクハラかな?ギリギリかな・・・という線をついてくるのが上手いなと思う。
スッと触れて、サッと離れていくんだよね。
これを男性にもやってるなら、別に文句はないけどね。
まぁ、男にちょくちょく触れる男なんて、そうそういないか。
大好きなばあちゃんも言ってた。
『妻を大事にする男が、一番のいい男だ』って。
長島が顔を出したら、忙しくないときなら郵便局などにお使いがあれば、早々に脱出してしまう。
この日も脱出し、お客さんに出すお茶やコーヒーの類を買いにスーパーへ出た。
いつもランチを食べるカフェの、裏道を通っていく。
すると、スタッフの1人がカフェの従業員通用口の前で、休憩を取っているのが見えた。
こちらは背後から歩いていくので、背中を向けている彼は気づいてなかった。
木のスツールに腰かけ、どうやら本を読んでいるようだ。
ちょっと驚いた。
男が休憩時間にしてることは、スマホ弄りか、タバコ吸うかだと思ってた。
ま、エロ小説かもしれないしね。と、意地悪なことを思う。
でも、立ち上がってすっと伸びた背中を見たら、ちょっと違うかな、という気もした。
右手に持っていた文庫に、左手でハガキ大の紙を挟み込んだ。
ハガキ大っていうか、あれはハガキだ。
へえ、ハガキを栞替わりにしてる人なんて、わたしだけかと思ってた。
ハガキが、一番栞に使ってて楽なんだよね。うんうん。
わかるわかる、と心の中で同意した。
首を回して、メガネを外してエプロンで拭くと、また装着してスツールを持って
ドアを開け、入っていった。
ドアをくぐる瞬間、彼がこちらを向いて、目があったような気がした。
気のせいだったかもしれない。
わたしは 文庫本を、必ず一冊は持ち歩いている。
待ち時間や、休憩時間にちょうどいいのだ。
カフェでも、ランチが出てくるまでの間、本を読んでいる。振りをして
人間観察をしていることもある。
あれから、何となく彼が気になる。
オーダーを取りに来たときの、声が良い。
少し鼻にかかった、柔らかいのに色気のある声。
多少店内が混んできても、いつも変わらずに落ち着いたトーンで話す。
それはスタッフに対しても同じで、イライラして声を荒げたりしない。
視野が広くて、お年寄りや子連れ、荷物で手がふさがっている客には
スムーズにドアをあけてやる。
オーダーの帰りには、他のテーブルの空いた食器を回収していく。
オーダー、追加オーダー、どんな小さな客のサインも見逃さず、呼ぶ前に目が合った時点で頷き来てくれる。
姿勢がいつもとびきり良くて、見ていて気持ちよかった。
いい仕事するなぁ。
ばあちゃんが言ってた。
『いい気配りってのは、常にいい仕事に繋がる』って。
ああ、なんだか気になる。
なんだか、すごく、気になる。
「あ」
あのカフェ、雑誌に載ってる。
同僚のカヨちゃんが持ってくる雑誌は、休憩時間に回し読みしていいことになってる。
「今、人気の隠れ家的カフェ特集」に紹介されてる。
『オーナーの坂崎健吾氏(22)』と、小さいけれど写真付きで載ってた。
彼、オーナーなんだ。
健吾っていうんだ。なんかピッタリ。
っていうか、22歳。
22でもうカフェを経営?
えー、凄腕!やり手!
しかし、若そうだと思ってたけど、22か・・・。
5つも年下か。
まぁ、別にちょっと気になってただけだし、話したことないし
彼女だっているだろうし、別に・・・。
だから、こんなに切なくなったりしなくて、いいはず。
その日からのカフェの混雑ぶりは、見事としかいいようがなかった。
恐るべし、広告の威力。
とてもじゃないけど、わたしは入る気にならなかった。
仕方なく、カフェを覗く→諦める→コンビニでお弁当を買う、を日々繰り返した。
ああ、早くあの店のランチが食べたい。
コンビニは、最初の数日間は目新しくても、すぐに飽きてしまう。
ばあちゃんが言ってた。
『料理だけは、人の手で作られたものほどいいものはないよ』って。
午前中、スーパーに出かけたときにカフェを覗いたら、客足が落ち着いたように見えた。
今日のランチは、入れるかも!
そう思ったら、ウキウキした。
もう数週間ぶりだ。
これは、健吾くんに逢えるからとかじゃなくて、あそこのランチが食べられる嬉しさなんだからね!
べ、別に健吾くんなんか逢えなくたって、ちっとも淋しくなんかないんだからね!と
1人ツンデレごっこを脳内で開催しつつ、お昼を待った。
別に、落ち込んでなんかない。
彼がバイトの子の誘いに乗ってたからって、わたしには関係ない。
第一、わたしにとってはお気に入りのカフェのお気に入りのスタッフだけど
彼にとっては、大勢のお客さんのうちの1人なのだ。
わたしの顔を覚えてるのかさえ、定かじゃない。
どうにも本に集中もできず、ひどく惨めな気持ちでいっぱいだった。
どうしてわたしは、こんな風に裏切られたような気持ちになっているんだろう。
こんな風に、ちょっと気になる男の子に対してでさえ、こんな気持ちになるなら
恋なんて怖くて出来ないな。
ホンの少し前は、恋愛がダメになったって、それでどんなに哀しくたって
心のどこかで「次がある」って思ってた。
けれど、ホンの少し恋愛から離れたら・・・。
年々、人を好きになるのが怖くなってしまった。
まだ学生だろう、ぴちぴちな女の子から離れ、いつものように彼がすっとテーブルにつくと、お冷とおしぼりを置いて
定食の説明をした。
久しぶりに聞く彼の声は、やっぱり心地よかった。
大好きなおにぎり定食を食べて、元気を出そう。
ここはおにぎりの具が日替わりで、あとは豚汁がセットになる。
大ぶりの木の器に盛られた豚汁は、里芋じゃなくてじゃがいもが入ってる。
小口切りのネギがたっぷり乗って、具だくさん。
ころんとした三角のおにぎりは、塩加減がちょうどいいし、巻いてある海苔は
真っ黒で艶があり、香り高い。
浅漬けと、ちょっとした煮物がつく。
ひじきとか、切り干し大根とか、大根の味噌煮とか。
美味しいのに、とってもとっても美味しいのに。
ううん、あんまり美味しくて、泣きそうになった。
会計を済ませて、外へ出る。
良い天気だった。
風が吹いて、首筋をやさしく撫でていった。
深呼吸して、彼の姿勢の良さを思い出して、背筋を伸ばして歩き出した。
とにかく、彼のようにわたしもいい仕事をしよう。
エリアマネージャーにも、少しは心から笑顔を向けよう。
ばあちゃんも言ってた。
『元気は、美味しい食事と、人に向けるいい笑顔から生まれる』って。
「あの!あの、すいません」
優しい声が、わたしを呼んだ気がした。




