森の腹ペコ熊さん
気が付くと村の外れまで来ていた。村人達の姿はもうない。
「おええええええ!!」
俺は物陰で溜まっていたものを吐きだす。村人達はあんな光景を見てよく無事でいられるものだ。あんなふうに人間の腹部、胸部が食い裂かれ、中から臓器が……
「うげええええ!!」
思い出したところでまた嘔吐した。マチルダが追いついてきて
「この村の者が働いて得た食糧、金品の一部を魔王様に回すということで話は付きました。また、土地の開発から城の修復まで魔王様が招集をかければ働いてくれるそうです。」
いつの間にそのような話を付けてきたのだろう。抜け目がないな。
「それは良かった。しかし、村人達はあのような凄惨な光景をどうして平気で見ていられる。」
「慣れでしょうな。そう不思議な光景ではありますまい。」
ということは、俺があのような現場を見慣れていないだけで、この世界は俺が思っていた以上に殺伐としていたのか。人を食う魔物が、当たり前のように村の近くを歩いたりしてるのかもしれない。
「それとですな、一つ困ったことがありまして。」
マチルダが珍しくばつが悪そうな顔をする。
「何だ?」
「実は、先程村人達が、魔王様に無礼を働いた詫びとして……」
マチルダがそこまで話したところで、背後から足音が聞こえる。それも一人や二人ではなく、五、六人はいる。振り向くと村人達が複数人で、来ていた。
「魔王様、先程はあのような御無礼、申し訳ありませんでした。」
来ていた男達全員が頭を下げる。
「心にもないことを言うな。いったい何の用だ?」
「はい、実は先程魔王様に無礼を働いたお詫びとしまして、この者達を魔王様に差し上げたく存じます。」
何のことかと思うと、逃げたと思っていたシエル、パティ、リッツが全員縄で互いに手を縛られた状態で前に出される。
「何の真似だ?」
「魔王様は人肉がお好きであるとのこと。村の者達で話し合い、この者達と引き換えにどうか村を滅ぼさないでいただきたいのです。この通りです。」
村人達に促されて三人が俺の前に出る。俺は三人の様子を見る。全員青ざめており、さっきの威勢の良さはすっかり消え失せていた。
「お願い、許して……」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
シエルとパティが呻くように声を出す。リッツは泣きじゃくって声も出せない。
冷静に考えてみるとちょっと哀れだ。考えてみれば自業自得とはいえ、恋人が死んだ上、村人からは生贄にされる等、散々な目に遭っている。
仮にこの場は助かっても、自分達を人身御供にする村人達とはもう暮らせないだろうから、村を出ていかざるを得ないかもしれない。俺が手を下さずとも、勝手に不幸になったのだ。
(かつて俺を苛めた奴らとは言え、これは友達を作るチャンスには違いない。よし、ここで優しくすれば、コロリといくぞ。いや、でもしかし、さっき人肉が好物だと言ってしまったっけ?くそ、できることなら過去の発言を取り消したい!)
村人達は俺と三人の様子をおどおどと伺っている。三人も、俺がずっと黙っているので尚も不安そうな顔をしている。
俺は内心冷や汗を掻き始める。いつまでもこうして黙っているわけにはいかない。逃げ出したい、だが逃げ場はない。
(このままでは友達を作るどころか大恥をかく!何と言う!?)
すると、そんな俺の焦りに答えるかのように、メキメキと木が折れる音が聞こえる。その音に俺も村人達も気が付いて振り向くと、そこには2メートルは超えると思われる大きな熊がいた。その目は赤く血走り、大きく裂けた口元からは刃物のような牙が覗いている。毛皮の色は黒く、おとぎ話のような可愛さ等全くない。
「ひ、人食い熊!」
村人達は熊から視線を逸らさずに後ずさる。
「きゃああああ!!」
三人の少女は焦ったのか、熊に背を向けて逃げだすが、縛られているために思うように動けず、すぐに三人折り重なるように転んでしまう。そのすぐ後を熊が追いついてきた。三人を獲物だと認識しているのだ。熊が倒れている三人にすぐ近くまで近付いてくる。三人はもはや、声も出ないようだ。
(仕方がないな。)
熊が出ている中、魔王が何もしないわけにはいかない。俺は石を拾い上げると、熊の背に思いっきり投げつける。見事にヒットする。
「そいつらは、一応私の獲物ということになっているからな。とりあえず邪魔させてもらうぞ。」
俺が言うと、熊はこちらをゆっくりと振り返る。流石に村人とは違い、石だけではあまりダメージを与えられないようだ。熊がこちらに俊敏な動作で走ってくる。それに合わせるように腕を構える。殴り飛ばすつもりだ。なのだが、その動きは十分見切れる程度の速さだった。いける、心の中で確信した。
俺は突き出された拳をそのまま掌で受け止める。掌に衝撃が走るが、痛いほどではない。そのまま熊の腕を掴み、巴投げの要領で人食い熊を投げ飛ばす。人食い熊は何メートルか飛ばされた。
と思いきや、空中で半回転して体勢を立て直すと地面で滑って勢いを殺しながら着地した。そんな馬鹿な。
こちらを振り返る熊に対して、俺は身構える。が、熊は俺の方を見るや否や、鼻を動かし、まるで嫌なものでも見るかのように顔を歪める。そして、急に背を向けると、その場を去っていった。
熊の様子から俺は察した。熊の嗅覚は、実に人間の2100倍、犬の21倍もある。だからこそ、さっき俺が吐いた下呂の匂いを敏感に察知してしまったのだろう。更に、投げ飛ばしたせいで、熊が俺の風下に立ってしまい、耐えきれなくなったのだ。熊を撃退することには成功したが、野生動物にさえ避けられる自分が急に汚く思えて意気消沈する。一方で、どことなく人間味のあるあの熊にちょっと好感をもった。
俺は少女達の方を振り返る。近くで見ると、三人とも恐怖のあまりに意識を失っていた。
(さっき俺が助けたところは見ていないか。これじゃ、友達に誘うのは無理だな。ん?この三人に付いているねばねばした液体は……?)
それは熊の唾液だった。これは丁度良い。俺は村人達に向き直る。
「こんな熊のよだれでべたべたの奴らが食えるか。」
俺が言うと、
「はっ、申し訳ありません!」
村人達が深々と頭を下げる。
「人肉等もう良い。その分誠心誠意、私のために働くが良い。」
「勿論でございます。」
村人達が声をそろえて言う。それより、俺はもう一つ気になったことがあった。
「さっきの熊はどこに行った?」
「はあ、あの森の奥へ。」
「なんだと!?」
俺はその場から背を向け、熊を追い出す。
「魔王様!?一体何を!?」
村人達も俺が急に走り出したために驚く。
「お前達には関係ない!早く村へ戻れ!」
叫びながら森へ入った。
「窮地を救ってくれたことに加え、あの腕力は頼りになる。苛めっ子よりも気が合いそうだし、どう考えても熊を仲間にした方が良いに決まっているだろう!」
俺が森で熊の探索を諦めて帰る頃には夕方になっていた。