暗黒魔道師マチルダ現る
俺の体の下を見ると、そこには顔面を血まみれにして動かなくなったカトルが。振り向くと、そこには老婆が一人。黒いローブを着こみ、鼻は長く、頭は白髪、手には大きな杖を持ち、いかにも魔女といった雰囲気だ。
(友達には……流石に無理だな。年が離れすぎている。)
相手の様子を一通り見てから、
「お前は誰だ?」
息を整え、尋ねてみる。
「マチルダ = デスモンドでございます。魔王様の下で暗黒魔道師として仕えておる者です。」
マチルダと名乗った老婆は恭しく頭を下げる。暗黒魔道師といえば、その昔魔王の側近としてその補佐をする役割だと聞いたことがあった。
「この状況、説明してはもらえるだろうか?」
相手の素性はさておき、今は状況理解が先だ。
「あなた様は転生し、そして魔王となったのですじゃ。」
「魔王!?」
生前魔王と周囲から呼ばれ、苛めのターゲットにされたことならあった。だが、この老婆が言う「魔王」とは正真正銘、強大な力をもった「魔王」の意味に聞こえる。
「私が魔王?そんな馬鹿な。」
「かしこまりました。順を追って説明致しましょう。」
マチルダは話し始める。
「もう百年ぐらい昔になりますが、この世界には強大な魔王がおりました。世界を征服して人々を奴隷のように扱い、宝物を奪い、邪魔になる人間は悉く殺してきました。しかし、そんな魔王も各国の勇者達が協力し合って倒し、世界に平和が訪れたのですじゃ。
しかし、平和だったのは一時期の間のみ。しばらくすると、協力し合っていた国同士で権力、領土、資源を巡って争いが起き、戦争が起こるのも時間の問題となりました。もし各国同士で戦争になれば、魔王が世を支配していた時期より酷いものになるでしょう。」
俺の住んでいた町は平和だと思っていたが、それは俺が壮絶な苛めに遭って情報を集める暇がなかっただけで、実際は各国で冷戦同然になっていたようだ。
「このままではこの世界は駄目になると考えた私は、再び魔王を復活させようとしました。そうすれば、国同士の争いはなくなり、またひとつにまとまることができるだろうと。
魔王様の体を再生させることはできましたが、魂は既に転生して戻すことができませんでした。そこで急遽、最近死んだ者の中から、魔王に適性がある人物を探したのですじゃ。」
事情は分かった。しかし。
「その魔王が、何故私なんだ?」
マチルダは俺の顔をじっと見て言った。
「魔王様、あなた様は前世で味方がおらず、苛められた末に殺された、等ということはありませんでしたか?」
全部図星だった。
「それで人を恨み、世を恨み、鬱屈した思いを残したまま彷徨っていたはずですじゃ。魔王となるには、そういった思いが何よりの原動力になるのですじゃ。」
「良いだろう。状況は理解できた。」
まとめると、戦争し合っている国々を一つにまとめるため、自分は魔王として転生させられた、ということか。魔王を倒すため、国々がまた一致団結するだろうと。
「魔王の力は確かなんだろうな?全国の冒険者が私に挑んでくるということだからな。」
「身体能力に関しては常人の何倍もあるはずです。まだ未習得の能力もありますが、それがなくとも人間よりかは耐久力はあるじゃろうて。」
「そ、そうか。何だか不安だな。」
能力の件は、まあ良い。
「どうですかな、魔王様。魔王の役目、引き受けてはもらえますかな?」
マチルダの問いに俺は、
「よし、引き受けよう。」
即答すると、当のマチルダさえも目を丸くして、
「このようなことを言うのもあれですが、本当に良いのですか?人間という者は、こういう場では急な決心ができないと聞きますが。」
「構わんさ。強い力を手に入れるということは、人間を容易く屈服させられるということ。友達だって簡単に作れるだろう。」
「失礼、今何を作ると?」
「友達を作ることができると言ったのだ。
吊り橋効果というものを知っているか?人間誰しも危険な状況に陥った時に優しくされると好感をもちやすい。私が世界を支配し、その上で厚遇してやれば、私のことを憎からず想うことだろう。」
「ちょっと違うような気もしますが……まあ、良いでしょう。」
マチルダにしてみれば、俺が魔王としての役目を引き受けるのであれば、何でも良いようであった。それから、今思い出したというかのように手を打ち
「そうでした。重要なことを忘れていました。アビリティというものを聞いたことがありますかな?言ってみればこの世界の住人達がもつ魔法のようなものですじゃ。地味なものから派手なものまでいろいろあります。また、先天的にもっている者から後天的に身に付く者もいます。まあ、先程の三人の冒険者達のようにアビリティをもっていない者が大半じゃが。」
アビリティという名は、聞いたことはあった。無論、生前の俺はそのようなものはもっておらず、密かに憧れていた。
「私にはどんなアビリティがある?魔王であるからには強力なものがあるのだろう?」
そう言うと、マチルダは首を振って。
「分かりませぬ。」
「な、何故だ!?」
魔王と長年行動を共にしてきたはずの者が知らない等ということがあり得るのか?
「今の魔王様は転生されたばかり。何らかのアビリティはもっていますでしょうが、それがどのようなものかは実際に覚醒するまでは私にも判断はつきませぬ。」
覚醒するまで、ということは今はまだ何のアビリティも持っていないということか。
「どうやったらアビリティは覚醒する?」
「それは何とも。厳しい修行の末に覚醒させる者もいれば、ある日突然感覚を掴んで覚醒する者まで様々ですじゃ。」
「そ、そうか。」
とにかく、今はアビリティなしで己の体だけで何とかしろということか。まあ、今後修行を積めばアビリティとやらも身に付けられるだろう。何はともあれ
「これから何をすれば良いか?」
俺が尋ねると、マチルダはどこからか地図を取り出し
「さっき魔王様の寝首をかこうとした冒険者達の村ですじゃ。まずは報復として、この村を占拠してやりましょうぞ。」
村を占領する、か。魔王として初めてやる悪行に心が躍る。
「その前に。」
マチルダが俺に念を押してくる。
「魔王様が本当に友達を作りたいと言うなら一つ忠告じゃ。さっきの戦いを見る限り、魔王様は何かのきっかけで暴走する傾向があります。あの者達が魔王様を苛めていたとか?いずれにしろ、その点は注意された方が良い。」
「ああ、分かった。」
実際、俺はあの三人に苛められていたし、そういう奴らの言動に過剰に反応してしまうのは確かだ。自分でも気付かないうちにトラウマになっているのかもしれない。言われた通り、気を付けることにする。
「して、その村までどうやって行くか?」
「ああ、魔王様は飛べますのじゃ。」
「本当か!?ならば、話は早い。」
俺は部屋の隅の窓までダッシュすると、窓から全力で飛び出した。と、ほぼ同時に大音響と共に地面に叩きつけられる。土煙が立つ中ら、俺はゆっくりと立ち上がる。体が痛いが、筋肉痛程度の痛みであり、普通に動く。普通の人間なら、全身を強く打って、運良く命が助かっても骨が粉々だろう。それがその程度の痛みで済むとは、マチルダが言った通り、魔王の体の耐久力が半端ではないことが証明された。現に、さっきの三人組に一方的に攻撃されても平気だったのだし。
だが、今気にするべきはそこではない。
「どういうことだ!?飛べないではないか!?」
上を見上げて窓から顔を出しているマチルダを見やる。
「おかしいですな。先代の魔王様の体と同じ作りにしてあるから飛べると思ったのですが。
さては、運動神経に難ありですかな?」
「いくら運動神経が良くても、飛び方が分かる人間がいるかっ!」
運動神経が格別良かったとは決して言わないが、人並みぐらいにはあったはずだ。空の飛び方など、知っている人間がいる方が怖い。飛び方が分からないのに飛びだした俺も俺だが。
「まあ、体は魔王なのですし、練習すれば飛べるようになるじゃろうて。」
「私は雛鳥ではない!」
これじゃ却って手間がかかるので、歩いていくことにした。その村が歩いてさほどの距離がなかったのがせめてもの救いだ。飛ぶための練習はまた後日やるとしよう。