兄とはかくも神々しい
私の兄はかっこいい。つまり、イケメンだ。
イケメンなどと言う平々凡々な言葉ではもはや言い表しようのない程にイケメンだ。
私の語彙には兄を表す言葉としてイケメンしか持ち合わせていないため、致し方なくイケメンと称している。
心の雨にずぶ濡れながらトボトボと帰宅した私は、あまりの事に平伏しそうになった。
玄関を開けた先に、
スーツの兄がいた。
ス ー ツ の 兄 が い た 。
「おかえり」
全てを抱擁するかのような温かい、おかえり。
シワになることなど気にしないと言わんばかりに広げられた両腕。
「ただいま」
「あれ?ぎゅってしてくれても良いんだよ?」
「…もう大学生なんだからしないよ、そんなの」
「えぇー、寂しいなあ……」
優しい笑みを浮かべたまま嘯く兄も、素晴らしくイケメンだった。あと5歳は若返って抱きついて一生離れたくない。素晴らしい。
だが、こんなものは序の口だと、すぐに思い知らされる事となる。
夕飯に呼ばれてリビングに行くと、エプロンの兄がいた。
エ プ ロ ン の 兄 が い た 。
「疲れてたみたいだから、今日は僕が作ったよ」
やはりできる兄は違う。妹の疲れの癒し方を熟知している。
母が作るよりも少し甘めのカレーは、兄のように滑らかなジャガイモと、兄のように柔らかなニンジンと、兄のように甘いタマネギと、兄のように存在感のある牛肉が、これ以上ない程のハーモニーを生み出していて、まるで兄そのものの様なカレーだった。
心のオアシスは我が家にあり。是、即ち、真理。