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序章 始まりに至る物語、或いは凡夫の誤算 Ⅰ



 僕が物心ついたころには、全ての人間は平等ではないのだと幼心に気付いていた。


 かっこつけたような言い方をするが、それはつまり僕自身が差別される側の立場を強いられた経験に基づいて言ったものである。

そんな考えを、まだ十に手が届かぬ少年が持たなければならない程、僕の心の傷は相当に深く、決して癒せぬものとして――癒えたとて、

それは歪んだ形で再生することを余儀なくされる――グロテスクな痕跡を残していった。


 父の転勤によって地方の田舎から都会に引っ越してきた自分は、喋り方にその地方独特の訛りがあった。

故に、周りの同級生たちは寄ってたかって僕を虐めの標的にし、何か発言する度に嘲り笑った。


 元々病気がちで気が弱かった僕は、それらに対して何も手を講じることなく、そしてただ、耐えていた。


 耐えていた。


 不条理な暴力に。


 理不尽な悪口に。


 無慈悲な隔離に。


 今思えば、よく自殺しなかったな、とさえ思うほどの。


 言葉にするのは容易いが、実際のところ、発言の度に逐一笑われるというのは相当精神的に辛く、傷つくものだ。


 そうしていつしか、僕は言葉を話すことを嫌い、喋らなくなっていた。それはつまり、他人とのコミュニケーションの一切を断ったことを意味する。


 喋るから笑われるのだと。なれば、喋らなければ笑われないのだろうか、と。その思考に行きつくのに、そう時間はかからなかった。


 何故、僕だけがいじめの標的になる? どうして、あの子ではなく、僕が、こんなにも虐げられなければならないんだ? と。理由は分かっている。だが、納得できない。


 小さい頃、よく「なんで?」をことあるごとに口にし、大人たちを閉口させていたことからもわかるように、

僕は幼い頃から理屈に合わなければ事態を、事象を看過できないような面倒くさい性格だった。


 良く言えば好奇心旺盛だが、悪く言えば面倒くさい存在だった。


 だからこそ、そんな性格だったからこそ、ある事に気が付いてしまった。


 気が付かなければよかったものを。


 気付いていなければ、幸せに暮らしていけていたものを。


 それは良くある小学校の一風景。教師が生徒に道徳を説く時間。


 教師は生徒を前に人間は生まれながらにして平等だと唱えた。


「皆さんは、誰一人、何の区別も無く、上も下も、肌の色も、足の速さも関係なく、平等な存在なんですよ」


 さも、何もかもを知り尽くしたような口調で、「権利が」なんて言葉も使わず、ただ、そう言ってのけている。


 僕には、それが何処までも許せなかった。


 あの、赤子をあやすような口調で語る教師。それに、言葉の意味すら分からないのに、

あたかも理解して納得したかのように首を縦に振って同調して見せる周囲の人間。全てが憎悪の対象だった。


 そうか。人間は、生まれながらにして皆平等だ、と?


 なれば今、問おう!


 なれば。


 なれば。


 なれば!


 どうして僕は、皆と違う!




 背も、容姿も、得意教科も、性別も、親も、好きな者も嫌いな者も、皆「等しく」違っている中で、

どうして僕だけが、こんなにも不条理な目に遭わされ、教師が言うところの、「平等」に安住することができない!

僕はその問いかけに対する答えを求めていた。この窮地から救済してくれるような、光に満ちた希望の答えを。


 言うなれば、このままの自分では「未来」は望めないのだと。このままでは、

いずれは全てに絶望して一切合財、何もかもを、そう、未来につながる一切を自ら破棄してしまう事になると。


 だが。答えに対する希望というものは望めば片っ端から叩き落され、暗く、望んでもいない絶望の淵へと追い立てられてしまう。


 少し経てば、それは皆が僕を「等しく虐げる」ことに於いて「平等」だった、と知った。


 これは後の理屈付けになるが、これはかのヒトラー・ナチスがドイツ国民に対してユダヤ人排斥を宣伝したのと同じ心理状況だった。

多数派とは異なる、異質な少数派を虐げ、差別の対象とすることで多数派の絶対的有利、そして何よりも心の平穏を「等しく」得るための簡単手軽、身近な手段。


 されども。知ってもなお、怯えるだけの僕には、どうすることもできなかった。


 毎朝嫌々学校に向かっては、いじめに遭い、そして夕方に家に帰って母親の胸で泣く。


 いつか、見返してやりたい、と思った。この、いじめられっ子として生きていくのは嫌だと、子供の心ながらに強く、強く誓った。


 今思えば、こそ、か。


 その誓いこそが僕を正しくあるべき運命に導いたのだろう。いや、未来を勝ち取った、と形容すべきだろうか。


 最初の反撃はいつも通り校庭の端っこに追い詰められた時だ。足元に転がっていた、手の拳ほどの石をリーダー格の少年に投げつけたことから始まった。


 石は彼の額に命中し、尖った部位が額から真っ赤な血液を滲ませる。いじめっ子たちは驚いて少年を見ると同時に、まだ石を手に握りしめている僕に気が付いた。


 最初の反撃を成功させ、突然の出来事に呆然とする僕から、蜘蛛の子を散らすように逃げていくいじめっ子たち。怪我をした少年も、いつの間にか逃げ出していた。


 この時初めて、僕は、運命は、自分の力で、いかようにも良い方向へと変えられるのだと知った。知って、理解した。


 そこから、僕は自分の未来が最良のものとなるように出来る限りのことをし尽くした。


 虐められていたことを親に、そして教師に、学校に打ち明けた。

いじめっ子たちは散々叱られ、皆頭を垂れて僕に謝罪を申し入れてきた時の快感は、何とも言えない愉悦感があった。


 地元の中学校に進学してからも、自分の為、そして自分の手でなんでもしてやる、という傲慢な熱意から生徒会に入り、

不良中学と言われていた中学校を見事改善させて見せた。警察に連れられて行く不良たちの背中、両親を交えての三者面談に持ち込まれた輩の青ざめた顔を見るのは、どんな娯楽よりも愉しかった。


 高校は県内でもトップクラスの進学校に入学し、そこで勉学に励むうちに政治を志すようになっていた。


 この、先の見えない不況と不満、不安に沈むこの国を、自分が救って見せる、と。


 臆病ないじめられっ子は、いつしかリスクなどものともしない、傲慢な青年に変わってしまっていた。


Rien.

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