プロローグ
春になったのでそろそろ。
雨が降っても桜は咲くのでしょうか。
「貴方の人生の主人公は?」
自分だ、と答えられるのならそれは素晴らしい事です。そうですね、自分の物語の主人公は自分ですから。父や母でも、友人でも先生でもないですね。では。
「世界の歴史の主人公は?」
「誰」でしょうか?
それとも、「どこ」でしょうか?
それとも、「何」でしょうか?
……え? 私、私はどう思うのか、って? そうですね、私ならば……
主役は……「剣」と、お答えしましょうか。
それは子供が振り回す木刀でも、主君に誓いをささげた剣でも、突撃の声とともに疾走する銃剣でも。
権力が銃身から生まれるものであるのならば、歴史は剣によって生まれるものでありましょう。
古今東西、剣に代表される戦闘用の道具……即ち「武器」が歴史を左右してきたのは明らかです。
鉄製武器の発明は古代オリエント最強の国家ヒッタイトを生み、
火薬武器の発明はヨーロッパを拡大させ、戦闘のアマチュアである市民がプロである王侯・貴族・騎士階級を打ちのめして勝利をもたらしました。
航空機の開発は悠久の天空までも人類の勢力争いの舞台と化させ、
原子爆弾の開発は遂に人類が自らを絞首刑に処すことをも可能にしました。
人類の歴史は常に、争いの歴史であったことは、悲しくも、哀れにも、愚かしくも、
否定できないことなのです。
……
…………
歴史とは、剣によって創られるものである。
剣によって産まれ、剣によって立ち、剣によって栄えれば、剣によって滅ぶ。
公明正大な君主より、権謀術数を用いる君主が偉大な歴史を作るとは、マキァヴェリの言葉であったか。
政治を行うにあたり、人は堕落するものであるそうだ。いかに高尚な理想を掲げて自らの夢を実現せんと邁進しようと、
権力を握れば堕落する。もはやその人にとって、当初の理想は紙切れ一枚よりも役に立たないものとなる。
歴史とは繁栄と衰退の輪舞曲である。
全ては諸行無常。盛者は必衰し、驕れるものは久しからず。時代に最適な制度を整えて覇権を握れば、次世代について行くことはできない。
ローマ帝国、大唐帝国、モンゴル帝国、大英帝国も、アメリカ合衆国でさえ皆悉く例外は無い。
歴史とは代替が成されるものである。IFは無い。例え結果に至る道は違えど、行きつくところは皆同じ。
抗う事は無意味な事である。抗う事は影を叩くことと等しく無価値なものだ。
多くの名君や英雄、偉人によって築かれる歴史があれば、暗君や奸物、愚衆によって築かれる歴史がある。
改革と進歩が照らす道があれば、保守と退歩が影を落とす道がある。個人が勝ち取った栄光の足元には、数多の犠牲が怨嗟の声を上げている。
歴史は常に英雄を求める。時代を次のステージへと導く、類い稀なる者を。英雄無き歴史は歴史に非ず。
その結果、歴史は古今東西に様々な英雄を産み落とした。
例えば、前代未聞の地の果てを夢見て、東へ大軍を駆った若き皇子。
例えば、何百年も生き長らえる古代帝国の基礎を築き、友に討たれた勇敢な将軍。
例えば、蒼き狼に導かれて民族を率い、空前絶後の大帝国を構築した王。
例えば、水平線の向こうに明日への希望と未来への意志を求めて大海を切り進んだ有象無象の冒険者たち。
例えば、四面楚歌に怯える国民を鼓舞して勝ち進み、栄光の時代を築き上げて現代に影響を及ぼす法典を完成させた傲慢な皇帝。
英雄たちが皆、高潔だったわけでは無い。皆それぞれに思惑があり、周囲に振り回され、それでもなお後の世に「英雄」と評される偉業を成し遂げたのだ。
英雄なくして歴史は無い。それに有名無名などは微塵も関係が無い。
女王の父が叶えることの出来なかった遺志を援け、衰退していく国家を再び蘇らせ、
権謀術数を張り巡らせて多くの人間を舞台から蹴落とし、制御の効かなくなった国民主義が生んだ、十重二十重の戦陣の果てに栄光を達成した狂人。
地位・名誉・財産の全てを手にして世界を掌握せんと欲し、敵を利益として味方を贄とし、
彼女の黄金の腕が飽くなき欲望のままに世界をかき乱した、国家に「日の沈まぬ帝国」を名実ともに実現させた絶対無比な愚か者。
人民を不幸に拘束する無知蒙昧な国に一本の「ペン」と一冊の「本」と一人の「教師」を携えて啓蒙を求めて奔走し、
古き因習をことごとく打ち破り、迷信の神々を一人残さず廃滅し、虚構の名誉を破壊しつくして未来を与えた、忌み嫌われた聖像。
彼らの物語は、どこまでも愚かしいと嘆くと同時に、果てしなく悲痛に笑えるのである。




