『騎士』の役割。part2
「『騎士』……? 俺が、『真国』で?」
「そう。能力を後の世代に継ぎたがらず、いつまでも『真国』に残ろうとする人、あるいはその『役職』に不適当な人から『役職』を奪う。そんな『騎士』の役割を、君はかつて果たしていたんだ。
だが、何も憶えていないだろうね。『真国』へ入っていた子たちは、そこへ入ることができなくなると、普通の人よりも早く子供時代のことを……中でも真国内でのことを忘れてしまうというから」
はあ。と胡乱に頷いて、しかし悟はふと気づく。
「でも……確かに、そうなのかもしれません。実はさっき、『クーロン』の連中に俺も襲われたんですが、まるで相手のことだとかを全て知り尽くしているみたいに身体が動いたんです。それも、まるで、なんていうか、体操の選手みたいにビュンビュンと……」
「そうか……うん、君は本当に強い『騎士』だった。いや、私はただ子供たちから噂で聞いただけだったが、誰も君に敵う者はいなかったと聞いているよ。実際、君は『真国』を救った英雄なのだから、私も君の名をしっかりと憶えていた」
「英雄? 俺がですか?」
「ああ、そうだよ。君は、『女神』の『役職』を譲ろうとしなかった前の『女神』からその『役職』を奪い、桜ちゃんにそれを譲渡したんだ。その働きがなければ、今頃『真国』はなくなっていただろうね」
「俺が、英雄……」
「何も大げさなことは言っていないよ」
呆然とする悟を見て、暗間はおかしそうに笑う。
「何せ、『女神』が持つ能力は、言わば橋渡しの能力だ。子供たちは誰しも、その能力を持ち続けることはできない。その意志の力が現実――一般常識やモラル、あるいは他者の目といったものに負け始めた時、能力は否応なしに衰えを見せ始める。
よって『役職者』は、その能力が完全に失われてしまう前に、誰か後継者を選んでそれを継がせなければならない。しかし、それは自分自身の力では行えない。譲渡の仲立ちをする『女神』がいなければできないんだ」
「その『女神』が、今は桜……? で、その力を桜に与えたのが俺……なんですか?」
「そう聞いているよ」
「……全く憶えていません」
なぜ俺が桜にそんな危険な役目を? ただ単に憶えていないだけでなく、自分がそんな選択をするなど全く信じられない。
「大抵の人は大人になると、子供の時のことなんてすっかり忘れてしまうものだよ。本当に、驚くほど早くね」
「はあ……。で、つまりですけど、あなたは俺に『真国』へ戻って、『クーロン』を懲らしめてほしい。そう思ってるわけですか?」
「それだけではないよ。彼らは既に現実で行動に出ているのだから、君には現実でも動いてもらいたいんだ。つまり、夜に私の家の周りをパトロールしてほしい」
「よ、夜にパトロール、ですか?」
「ああ、無茶なことを頼んでいるとは解っているよ。でも、どうか力を貸してほしい。このまま彼らを放置すれば、今日、『王』を襲撃したのと同じように、彼らは体制側の人間全員……私だけでなく、いつかは桜ちゃんにまで手を出しかねないんだ。君だって、そうはなってほしくないだろう?」
それは当然だ。正直、『大人が子供に手を出すわけにはいかないから、だから子供を使って子供を守ろう』というその考え自体には納得がいかない。がしかし、桜にまで危険が及ぶ可能性があるとなれば黙ってはいられない。
「解りました。じゃあ、まあ、できる限りで……頑張ってみます」
「そうか、ありがとう。やはり君に頼んで正解だったよ」
暗間は子供のように明るい笑みを浮かべて背を伸ばし、ズボンのポケットからサッと一枚のメモを取り出し、
「じゃあ、早速だが、今晩から十二時くらいにパトロールを頼むよ。これは私の住所を書いたメモだ。ああ、それと――」
と、暗間はポケットから今度は財布を取り出すと、その中から五枚の万札を取り出し、メモと一緒にこちらへ手渡した。手渡したというより、無理やり悟の手を取って握らせた。
「え? お、お金なんて……しかも、こんなに」
「準備やら何やらに色々とお金がかかるだろう? それに、君は働いてくれるわけだから、そのために報酬を払うというのは当然のことだ。遠慮することはないよ」
「いや……でも、いいんでしょうか? 第一、ここに勤めているのは暗間さんだけじゃないのに、暗間さんの家だけをパトロールするだけで……」
「それはきっと問題ないよ。なぜなら、さっきも言ったように私がここで一番立場が上の人間なのだからね。これまで彼らは、私の部下を狙っていた。しかし、それでは何も変わらないとそろそろ学んだはずだ。となると、次に彼らが狙うのは十中八九、私だろう」
「はあ……」
なんとなく腑に落ちない部分はあったが、確かに暗間が狙われることは間違いなさそうだし、大人に対してズケズケ反論ばかりするのもなんなので、黙っておくことにする。
それから、軽く暗間と別れの挨拶をして外へと出ると、レストハウスの玄関前にある階段に小さく膝を抱えて座っていた桜が嬉しそうに笑いながら駆け寄ってきて、
「お兄、これ」
と、その手に持っていたブラック缶コーヒーをこちらへ差し出す。
「なんだ、桜。そんなもん持って。間違えて買っちゃったのか」
ううん。と、桜はセミロングよりも少し長めの髪をさやさやと振って、
「これは、桜と一緒にここに来てくれたお礼なん」
「え? ああ……そうか、ありがとう」
我が妹ながら、なんてできた子なんだ。ブラックコーヒーは飲めないのだが、桜の優しさに思わず目に熱いものを感じてしまう。
ちらほらと星が瞬き始めた空の下、白く息を吐きながら手を繋いで帰路へと就く。『こどもたちの国』を出て、車どおりもない十字路で律儀に信号が青になるのを待ちながら、悟はふと尋ねる。
「そういえば、お前、『真国』にいる時、物凄い性格変わってたよな。なんで?」
「『女神』はああいうふうにするものって言われたことがあったから、しょうがなくああしてるんよ」
「言われたって、誰に?」
「ウメちゃんに」
「ウメちゃん?」
ああ、きのう言ってた、小学生時代の俺の彼女とかいうヤツか。そう思い出して、ふと悟は、その『ウメ』という名に心当たりがあることに気がついた。自らを『天月ブリタニカ』と名乗る、あのおかしなクラスメイトの名も、『ウメ』ではなかったか。
――だとしても、アレが俺の彼女だったなんて……そんなまさか。第一、俺はアイツとまともに話した記憶もないんだぞ。
そう悟が悶々としていると、黒いオープンカーが大音量のロック音楽を鳴らしながら傍を走り過ぎて行った。
と思うと、それは数メートル先で停車し、運転席に乗っていた金髪の女性――黒い革ジャンを着込んだセレスタが、闇の中でも光るような白い歯を見せながらこちらを振り向く。
「二人とも、寄り道しないで帰るんだゼ! 夜になったら、悪い大人たちが元気になるからね! バーイ!」
セレスタはこちらへと左手をブンブン振りつつ、ブォンとエンジンを唸らせてオープンカーは走り去っていく。そのテールランプを遠い目で眺めながら、桜が言った。
「セレ姉、きっとお金があんまりないんよ……」
「え? そうなのか?」
「だって、寒くても暑くても、ずっとあの屋根がない車に乗ってるんよ。車に屋根がつけられないくらい、生活が大変なん……」
「いやいや、あれはむしろ、うちのよりずっといい車だと思うぞ」
そうなん? とこちらを見上げてくる桜に頷いていると、不意にズボンのポケットで携帯電話が震動した。
見ると、知らないアドレスからのメールが届いている。迷惑メールだろうと思ったが、『堕天した女神からの警告』というそのタイトルに引かれ、それを開いてみると、
『これ以上関わるな。』
と、簡潔な一文が眩しい白い画面に映し出されている。
どうやら、やはり自分はそうとう面倒なことに足を突っ込んでしまったらしい。しかし、その面倒なことの渦中に桜がいるかもしれない以上、退き下がるわけにはいかないのだった。




