真のこどもたちの国。part2
「こ、ここはどこだ!? 桜、俺から絶対離れるなよ!」
「それはこっちのセリフ。ここは『真国』で、今とおったのは『真国』への入り口、そう言ったでしょう?」
思わず桜を抱き寄せながら身構える悟を、桜は鬱陶しそうに軽く突き放す。
「『真国』、正しくは、『真のこどもたちの国』。お兄も――お兄様も、昔はよくここへ来ていたのよ」
「……『来ていたのよ』?」
ようやく桜の言葉遣い、否、言葉遣いだけでなく、その表情はおろか服装まで先程とは打って変わっている桜を見て、悟は呆然とする。
ダイヤのような輝かしい石を散りばめた金色のカチューシャ、ゆるりと身体を覆う純白のローブ。
いつの間にか、まるで天月梅のような変人的格好をしている桜は、ついとこちらへ背を向けてどこかへと歩き出し、しかしすぐ足を止めてこちらを振り向き、
「お兄様、これを持ちなさい」
と、その手に持っていた、包丁よりも少し長いかというくらいの一本の短剣を、横にしながらこちらへ向ける。
「な、なんだそれ? なんでそんなの持ってるんだ」
まさか自分も急に変な服装になっているんじゃ? と身体を見下ろして、変わらずブレザーの制服姿のままであることに安堵したのも束の間、桜が差し出してきたそれを見て、悟はビクリと後ずさる。
RPGゲームでよく見るような、重々しい銀の光沢を放つ両刃の短剣。
いくらなんでも、そんな物々しものを桜が握っているはずがないから幻覚だろうと信じようとしていたのだが、やはり幻覚などではなかったらしい。
「さっき、桜が木の枝を持ってここへ入ったでしょう? あれがこの剣になったのよ。さあ、早くこれを持って、桜についてきなさい」
何がどうなっているんだ。俺は夢でも見ているのか。ものも言えなくなりながら、悟は桜が突きつけてくる一本の剣へと呆然と手を伸ばす。が、
「…………」
どういうわけか、その手が剣の柄に触れる直前で停止した。別に、自分で手を止めようと思ったわけではない。なのに、手が急に石のように動かなくなり、かと思うと、まるで冗談のようにブルブルとその手が震え出し、ついでに膝まで震え出す。
息ができない。額には脂汗が滲み、歯は凍えるようにカチカチと鳴り始める。
「お兄様……?」
桜は目を丸くしてこちらを見上げ、それからハッとしたように剣を崖のほうへと投げ捨てた。それからその右手で悟の震える手を強く握り、
「ごめんなさい、やはり剣はいいわ。行きましょう」
と、白い岩で作られたモニュメント――『真国』への入口を離れ始める。
自分は一体どうしてしまったのか。つくづく夢を見ているような気分になりながら、悟は子供のように桜に手を引かれて歩く。
傍の小さな崖の下に流れている暗い小川に沿って、その下流へと向かう。立派なソファくらいの高さと奥行きがある木の根を乗り越え、はたまた木の根が食い込んでひび割れている巨岩を乗り越え、ひたすらどこかへと向かって歩く。
そんな森歩き、あるいは岩上りに没頭するうち、先程の奇妙な緊張も解けてきて、悟はようやく今の状況の不気味さに気づき始めた。
――おかしい……。ここは一体どこなんだ?
ここは街の外れにある、子供たちの遊び場のはずだ。確かに自分たちは林の中へ入ったが、山奥まで分け入るほど歩きはしなかった。振り返れば路地が見えるような、そんな場所をとぼとぼと歩いていただけのはずだ。なのに、このまるで原始時代のような森はなんだ?
何もかも解らないことだらけで、何を口にすればいいかさえ解らない。
だが、そんな悟とは違って、桜はまるで行きなれた路を進むように、苔むした岩の上を跳び、巨大なシダ植物の下をくぐり抜け、ひょいひょいと身軽に先を進んでいく。
と、やがて森の先に、白く眩い光が見えた。
分厚く頭上を覆う木々の葉、幹と幹とを電線のように行き交うツタのトンネルの中をそのほうへと歩き、その光の下へと出る。
長く薄暗い場所にいたせいで、光に痛む目を眇めながらあたりを見渡す。すると、
「は……」
思わず、声にならない声が出た。
そこにあるのは、まるで写真で見た、アルプスの麓のような光景である。
煌びやかに輝く緑の草原と、その左手に広がる青い鏡のような湖。広い草原の向こう、少しの森を挟んで厳然と立ちはだかる、頂あたりに雪化粧をした鋭い高峰。その空を突く槍のような頂点の向く先には、吸い込まれてしまいそうなほど濃い青を溜めた空が、ほとんど雲一つなく広がっている。
さらによく見ると、空には何やら白い点が渡り鳥のように群れをなして飛んでいて、目を凝らしてみると、それは鳥ではない。白い翼の生えた蛇のような生き物が、整然と列を作りながら高峰の向こうへ飛んで行っているのだった。
と思うと、高峰の影からその群れの隊列ひとつ分はあるような巨大な白い蛇がぬっと現れ、群れを導くようにして、垂直に上空へと舞い上がっていく。
「な……なんだよ、あの化け物!? おい、桜! なんなんだ、ここは! 俺たちはどこに来ちまったんだ!」
「だから、『真国』に来たのだと言っているでしょう? 何度訊かれても答えは同じよ」
こともなげに先を歩いて行った桜に悟は動転しながら尋ねるが、桜はこちらを一瞥もせずにスタスタと平原を横切っていく。
その向かう先、かなり離れた前方には、森へと入っていく道らしきものが見えた。その奥には、石造りの邸宅らしきものも微かに見える。
ようやく人の気配を見つけて、悟はほっと胸を撫で下ろす。ひょっとして自分は人の存在しないような異世界に迷い込んでしまったのではないかと思ったのだが、どうやらそういうわけではないらしい。しかし、
「いやいや、おかしいだろ。こっちって確か、レストハウスがあった方角だよな? レストハウスはどこに行った? っていうか、こんな絶景が俺の街にあるなんて聞いたことないぞ」
「だから、ここは『真国』。現実とは違うのよ」
何を尋ねても、桜は退屈そうに繰り返すだけである。と、自分たちが向かっている森の割れ目の奥のほうで、数人の人影が動いたのが見えた。続けて、怒鳴り合うような声が微かにここまで聞こえてくる。
「あれは……?」
「王兵たちと、それから『クーロン』――過激派と呼ばれる人たちよ」
桜は心なしその歩を早めながら、その眼差しを厳しくする。
「過激派? なんだよ、過激派って?」
「能力をケンカだとか危険な遊びに使うから、そう呼ばれているのよ」
風に揺れて輝きの波を作る草原を横切り続けると、森の割れ目がやはり道であることが段々と解ってくる。
と、突然、空全体にこだますようにして、どこか聞き覚えのあるメロディーが響き始めた。サイレンから鳴り響いているようなその音に、悟は思わず足を止めて空を仰ぎ見る。がしかし、
「大丈夫、許可は取ってあるから」
桜は足を止めずに歩き続け、悟は慌ててそれを追う。
「許可? 許可って、なんの?」
桜に並んで尋ねるが、答えは返ってこない。それに確かに、もう鳴り止んだ謎のメロディーに注意を払っている場合ではない。
王兵と過激派たち――しかしその背の高さを見るに、どうやら子供と子供らしい両者は、怒鳴るというよりも叫んでいるというような声を上げて、槍のような何かを振りかざして暴れ回っている。
「お、おい、桜。あれ、止めないとマズいんじゃないのか?」
「お兄様が止めたいと思うのなら、止めたほうがいいんじゃないかしら」
「いいんじゃないかしらって……」
冷たい言葉に驚いて桜を見ると、桜は悔しさを秘めたような瞳で悟を見上げ、
「だって、しょうがないでしょう? 桜がやるように言われているのはここまでだし、それに桜には何もできないもの。でも、お兄様にならできるわ」
「できるって、何が」
「そんなことを考えている暇はあるの? うさ――じゃなくて、うかうかしていたら、『王』がやられちゃうわよ」
「『王』?『王』があそこにいるのか? っていうか、『王』って何? なんの『王』?」
疑問は尽きないが、確かに桜の言うとおり、このままうかうかしていられる状況ではない。子供同士が武器を振り回し、ケンカの域を超えたケンカをしている。ならば、彼らよりは幾分オトナである自分には、それを止める義務がある。
全く気が乗らないが、悟は仕方なくそのほうへと駆け出す。空気が澄んでいるせいか、いつもより軽快に草原を駆け抜け、小川に駆けられている橋を飛ぶように渡り、全高二十メートルはあろうかというような木々の並木道へと入る。




