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VS神谷。part2

「おい、立てよ。急所は外してやってるんだ、まだやれるだろ?」

「くっ……」

 

 後頭部を打ったせいで、目眩がいっそう酷くなった。今頭を打った、円形に並ぶゲートの中央にある柱に寄りかかるようにしながらどうにか立ち上がり、狂気を湛えて光る神谷の目を睨み返す。


 しかし、それ以上は何もできない。ただ睨み返すことしかできない自分が憐れで、おかしくさえあった。

 

 なぜかは解らない。力が以前よりも明らかに落ちていた。以前よりも格段に身体が動かないし、何より戦いに関する閃きが浅くなった。自分はどう戦えばいいのか、身の回りにある何を利用すれば戦いを有利にできるのかが咄嗟に解らず、逃げることさえままならない。


『お兄なんて大っ嫌い!』 


 桜の言葉が耳に蘇る。自分が弱くなったのは、あの言葉のせいなのだろうか。自分は桜に嫌われた。その思いが、自分の桜への想いを、意志を、いっそう手ひどく挫いているのだろうか。

 

 だが、そう解っていても、どうすることもできない。嫌われてしまったのだから新たな恋に切り替える、などというシンプルなことができていれば、そもそも悩んでなどいない。

 

 自分は本当に桜のことを愛している、世界の誰よりも大切に思っている。この変わることない想いは、もはや悟の肉体の一部なのだった。心臓なのだった。取り外したいからと言って、取り外せるものではなかった。


「ダーリン、もういいよ! 降参してっ!」

 

 火恋の悲痛な叫び声が、ぼんやりと靄がかった悟の頭に遠く響く。しかし、


「そういうわけには……いかない。俺は、例え死んででも、神谷、お前を倒す……!」

「先輩、オレは悲しいぜ。アンタがそんな口だけのヤツになっちまうなんて思いもしなかった。いいぜ、ほら。オレは逃げも隠れもしないから、やってみろよ。ほら。アンタの死ぬ気を見せてくれよ」

 

 神谷がその手から『黒剣(ノエル・アンジユ)』を消し、両手を広げて見せる。

 

 その侮辱に悟は拳を握り締め、神谷へと突っ込む。しかし、その意志に足がついていかず、よろけて地面に倒れ伏す。


 ――惨めだ……。

 

 枯れ草を握り締め、額を地面に擦りつけ、悟は神谷の乾いた笑いに打ちのめされる。


「お兄っ!」

「……?」

 

 頭を打ったせいで幻聴を聞き始めたのだろうか、どこからか桜の声が聞こえたような気がした。しかし、


「『女神』……?」


 神谷までもがギョッとしたような声を漏らす。神谷を見上げると、その目はこちらではなく火恋のいる方向を向いている。痛む首をどうにか捻ってその視線を追うと、霞んで見にくいが、何やら火恋が誰かと揉み合っているらしいのが見えた。

 

 だが、火恋と怒鳴り合っていたその小さな人影は、やがて火恋の手を引いてこちらへと走ってくる。


「お兄ーーーっ!」

「桜……?」

 

 悟は目を疑いながら、どうにか腕を踏ん張って起き上がる。が、立ち上がることまではできず地面に立ち膝をつくと、それと同時、桜が悟の胸へ飛び込んできた。


「お兄、ごめんなん! お兄が嫌いなんてウソなんよ。桜はお兄が大好きなん!」

「あ、ああ……いや、っていうか、なんでこんな所に……」

 

 空き地を囲う暗い森の中へ、白い輝きを放つダチョウのような生き物――カバチリが姿を消していくのを見つつ、桜の小さな両肩に手を置く。が、その白いローブが土と血で汚れてしまったことに気づいて慌てて手を放す。


「ウメちゃんに連れてきてもらったん。それと、これをお兄に渡してって」

 

 桜はそう言って、手に握り締めていた一枚のメモを悟に手渡す。グシャグシャになっているその数枚のレシートの裏には、ミミズのような字でこう書かれてあった。


『桜を愛しているという気持ちを恐れる必要はない。

 

 あなたはきっと、自分が幼い少女を、しかもよりにもよって自分の妹を愛してしまっているということを恐れ、恥じているのでしょう。けれど、それはきっと恋愛感情という意味での愛ではないと私は思う。あなたのその感情の正体は、おそらく桜への深い感謝。』

 

 感謝……? 思わず言葉を漏らしながら、読み続ける。神谷が何か喚いているが、それは耳に入らない。


『あなたが私を斬り、私から女神の役職を奪った時、それを受け取ったのが桜だったということは、もうあなたは知っているはず。でも桜が受け止めたのは、単に女神の役職だけではななかった。いやむしろ、桜にとってそんなものはどうでもよかった。

 その時、桜が真に受け止めたのは、あなたの傷ついた心だった。

 今のあなたはそれを忘れてしまっても、当時のあなたはそれを理解していた。それゆえに、あなたは桜をただの妹以上の存在、自分の恩人として見ている。例えその記憶は消えたとしても、あなたの中にその感情だけは深く残っている。

あなたの桜に対する強い思い入れの正体は、おそらくその感情。だから、あなたはその感情を隠す必要も、恥じる必要もない。全てさらけ出せばいい。誰もあなたを笑う者などいないのだから。』

 

 梅は、どうして自分が桜を本気で愛していることに気がついたのだろう。

 

 悟を捕らえた第一の驚きは、まずそれであった。しかし、そんなことは最早どうでもよいのだった。

 

 ――そうか。そうだったのか……。

 

 確かに言われてみると、自分の桜に対する想いの正体は、『感謝』、これかもしれない。


『実の妹、それも十歳の妹を、妹という存在以上のものとして愛している』

 

 この感情を自分は隠し続けていた。何もかも正しくない、あってはならない想いだと自分で否定をし続けてきた。

 

 でも、それは自分自身に対する誤解だったのだ。拍子抜けするような部分もあるが、この想いの正体が『感謝』だと梅に指摘されて、その言葉が妙に胸に収まったのを悟は感じていた。

 

 あの、自分がよく見る夢……暗く寒い雨の夜、梅を斬る夢の終わりには、必ず桜の声が聞こえていた。桜はあの時、自分の悲しみまでも一緒に受け止めてくれていたのだ。

 

 ――そうか。俺は桜に感謝していたのか。桜は可愛い妹で、恩人で……だから俺は、桜が愛おしくて仕方なかったのか。

 

 全身に力が漲ってくるのを感じた。傷の痛みなど感じない。心なしか視界が明るくなったような気さえしながら、悟は目の前にいる愛しい妹を胸に抱え込む。


「桜、俺はお前が大好きだ。お前が可愛くて可愛くて、しょうがないんだ。お前より大切なものなんて世界にはない。俺はお前の兄として、世界の誰よりも、一生、お前を愛し続けるからな。ずっと守ってやるからな。この先何があろうと、このことは絶対に忘れないでくれ」

「お、お兄、苦しいんよ……」

「あ、ああ、悪い」

 

 と、慌てて桜の身体を放して、ふと気づく。


「そういえば、お前、『女神』キャラはいいのか?」

「いいんよ。今は『女神』じゃなくて、お兄の妹としてここに来てるから」

「はは。それもそう――」

「……どけよ、『女神』」

 

 今にも決壊しそうな怒りをどうにか堪えているというような声で、神谷が口を開いた。神谷は『黒剣(ノエル・アンジユ)』を握り締める手を微かに震わせながら、


「オレたちは今、戦いの最中なんだ。何もできないテメエはスッ込んでろ。今ここで斬られたいのか? このウスノロが……!」

「火恋、桜を頼む」

 

 と、ポカンとしたように立っていた火恋を見やると、火恋は慌てたように桜の手を握り、来た道を駆け足で引き返していく。その背中を見送っていると、


「いつまでふざけてんだよ、テメエは!」

 

 と、神谷がこちらの首めがけて大振りに斬りかかってくる。が、まるで輝く線で描かれたようにその剣筋が見え、悟は軽く後ろへ飛んでそれを躱す。

 

 神谷は犬歯を剥き出しにしてこちらを睨み、


「テメエ……バカみたいに弱くて相手にならないだけじゃなくて、ストームの最中に妹を愛してるだなんだのほざいて……! オレをバカにしてんのか、ああ!?」

「でも、そのおかげで、お前が待ちに待っていた戦いができるかもしれないぜ。さあ来いよ、後輩。先輩が相手になってやる」

「うるせえ! この変態が!」

 

 神谷は完全に冷静さを失いながら、無闇矢鱈の刺突を放ってくる。その攻撃にはなんの工夫もない、こちらの動きをほとんど見てさえいない。確かにその剣速は、剣を振った後の空間が歪んで見えるほどに速い。

 

 しかし、迷いなき意志を得た悟にとって、それを躱すのは容易かった。あたかも五歳児の相手をするかのように、悠々とそれを躱していく。


「こんなチンケな場所で戦うのはやめよう、神谷。俺が、もっと面白い場所に連れて行ってやるよ」

 

 と、悟は翼が生えたように上空へと跳び、石のゲートが作るサークルの中央に立つ柱の上に立つと、裂帛の声と共にそこへ右の拳を打ち込む。

 

 拳には確かな手応え。巨大なハンマーが地面に打ちつけられたかのような低い音が周囲に響き渡り、直後、サークル内の地面全体がズンと沈み込む。


「な……!」

 

 こちらを追ってきていた神谷は狼狽した様子で地面に手をつくが、その地面自体が下へと落ちているのだから、そのようなことをしても無意味である。

 

 なぜかは解らない。しかし、この下に空間があることを知っていた悟は、地面と共に沈みゆく石柱の上に立ちながら、神谷の姿が土と、その下を支えていた石の基礎もろとも地下の闇へ吸い込まれていくのを眺める。

 

 が、神谷は腐っても『騎士』である。これしきでどうにかなるヤツではない。悟はポケットから出したハンカチを左手に巻き、そこに浮かぶ薄青い光――『真国民』の証を隠してから、神谷を追って自らも闇の中へと飛び降りる。


 地下空間は広大である。

 

 そこには遥か古代に作られたような石造りの街が広がっており、天井に空いた小さな穴から差す月光だけでは全く照らしきれていない。

 

 よって、少しでもその中へと入れば、まるで月のように浮かぶその天井の穴以外、周囲は全てが闇となる。だが、悟は自らの感覚を信じて、落ちゆく柱を空中で蹴り、闇のとある方向へと飛んで、その先にある石畳の上に着地する。

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