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デモンズ・ストーム。

「どうぞー。ウェルカム、ウェルカム」

 

 ほどよいランニングを終えた直後のように爽快な表情で車から降りたセレスタは、足取り軽く玄関の前に立ち、ドアを開けて悟たちを家の中へと招き入れる。

 

 郊外に広がる田んぼの真っ直中にある、小さな北欧風家屋である。どうやら建てられてからそう長い時間は経っていないらしく、黒い屋根や真っ赤な壁の塗装は、センサー式の玄関前の明かりに照らされて、ツヤツヤ滑らかに光っている。


「ここが別荘ですか……?」

 

 足元をふらつかせながら玄関をくぐり、特に何も飾られていない簡素な玄関を眺め回しながら悟は尋ねる。

 

 そうだゼ。と、セレスタは、ふらつく天月の背中を押しながら最後に玄関をくぐり、


「ここ、すごく不便そうな場所に見えて、実は凄く電波がいいんだよ。しかも窓からの景色が凄くいいし、静かで落ち着けるし、気に入ってすぐに家建てちゃった」

 

 電波がいい? 気に入ってすぐに家建てちゃった? セレスタの言葉の所々がいまいち理解できなかったが、ともかくセレスタに導かれて玄関左手のドアをくぐり、


「な、なんですか、これ……?」


 悟は思わず足を止めた。

 

 そこにあったのは、壁を埋め尽くすように立ち並ぶ、大量のコンピューターである。誰も部屋にいないうちからそれらは起動されていたらしく、そのどれもが青や緑のランプを点しながら静かに怪しく唸っていた。

 

 ――ニュースかなんかで見た、スーパーコンピューターみたいだ……。

 

 その圧倒的な重量感とハイテク感に圧倒されて、悟は思わずゾクゾクしたものを感じながら部屋に踏み入る。


「す、すげー。何これ?『真国』並みに凄いじゃん……」

「ボク、着替えてくるから、みんなはそこら辺にテキトーに座っててね」


 ポカンと口を開ける火恋の頭を撫でつつセレスタは部屋の明かりを点し、それから机の上にあったキーボードにカチャリと触れる。と、机の前に縦二つ、横三つ並んでいたディスプレイが一斉に起動した。

 

 そこに映し出されたのは二次元画像、詳しく言うと筋骨隆々な二人の男である。六枚のディスプレイ全体で、その二人が吠えて向かい合う一枚の画像が映し出されているのだった。


「タイガーボールだ」

 

 自分が幼稚園児だった頃から知っているアニメを前にして、悟は半ば反射的に呟いた。すると、セレスタがその青い目を夏の青空のように輝かせてこちらを見る。


「えっ? もしかして、お兄さん、知ってるの!?」

「それはもちろん。男なら、大抵みんな見てますよ」

「そうだよね。ボクも、タイガーボールが昔から大好きなんだゼ。特に――」

「セレスタ」

 

 と、腕組みした天月が、じろりと横目にセレスタを睥睨する。


「そ、そうだね。今はそれどころじゃないんだった」

 

 セレスタは肩を窄めながら苦笑して、黒い革ジャンを机の前の椅子にかけると、急ぎ足に部屋を出て行った。

 

 机のすぐ左上にあるエアコンが、パソコンよりもさらに大きな唸りを上げながら、部屋に冷風を供給し続けている。火恋はその風に身震いするように自分で自分の身体を抱き締めながら、


「マジ、何さこれ……? セレ姉って、もしかしてなんか悪い人だったの……?」

 

 決めつけもいいところなことを言いながらフラフラとあたりを見回して、メタルラックに積み上げられたコンピューターの一つに手を伸ばす。と、


「触ってはいけないわ! 触ったら電気が流れて死ぬわよっ!」

 

 天月が烈火のごとく叫んだ。ひっ! と火恋は悲鳴を上げて手を引くが、悟は火恋のために一応言ってやる。


「そんなわけないだろ。マジならどんだけ危険な部屋なんだ、ここは」

 

 え? と、火恋だけでなく天月までキョトンとこちらを見て、


「私はセレスタにそう言われたのだけど」


 憐れなほどの真顔で言う。


 妹がいる前で馬鹿呼ばわりするのは可哀想だ。悟は出かかった言葉を呑み込み、板張りの床に腰を下ろす。


「え? で、どっちなの? 触ったら死ぬの? 死なないの? ねえ、ダーリン、どっち?」

 

 と、必死なほど不安げに尋ねてくる火恋を宥めていると、


「お待たせ。みんな、これどうぞ」

 

 セレスタが部屋に戻ってきて、三人によく冷えた缶ジュースを配った。濃い緑色のタンクトップと白のホットパンツに着替えてきたセレスタは、自らも缶ジュースを空けながら机の椅子にどっかと腰かける。

 

 その不自然なくらいにたぷんたぷん揺れる大きな胸――間違いなくノーブラの胸を悟が思わず凝視していると、セレスタがジュースを一口飲んでから口を開いた。


「さて、じゃあみんなでアニソンのカラオケ大会……って言いたいトコだけど、今日はそういうのじゃないんだよね。マイ・ハニー、もう二人には何か話したの?」

「いいえ、何も。あなたが来るのを待っていたから。これからよ」


 天月はそう言うと、目つきを鋭くしてこちらを見下ろし、


「悟。あなたは『デモンズ・ストーム』という言葉を全く知らないでしょうね」

「デモンズ・ストーム……?」

 

 なんだろう? ゲームか何かのタイトルだろうか。そう悟が訝ると、天月は青い炎のように静かで深い怒りを目に湛え、


「デモンズ・ストーム。それは『真国』にある、言わば裏アリーナ――賭博場(とばくじよう)の名前よ」

「と、賭博場……?」

「ええ。暗間たち大人は、『役職』を持っている子供をそこへ勧誘して、その子供同士を戦わせることで賭け事をしているの。『デモンズ・ストーム』と名づけたサイトを開いて、全世界から掛け金を集めながら、ね」

「掛け金……賭け事……?」

 

 何を言っているのか解らない。悟は呆然と天月を見返し、


「な、何言ってるんだよ、お前? いくらなんでも、そんな馬鹿な……」

「そうだよ! そんなの、うちも聞いたことないよ!」

「信じられないのも無理はないわ。――セレスタ」

 

 天月はセレスタへと視線を流す。はいはい、とセレスタはパソコンのマウスとキーボードを軽快に操作する。

 

 と、机上に並ぶディスプレイの真ん中、下の一つにパッと映像が映し出された。


「ライブじゃなくて録画だけど、本物だよ。映画なんかじゃないゼ」

 

 セレスタがいつになく真剣な面持ちで見つめるその画面の中では、二人の少年が互いを睨み合いながら対峙している。

 

 夜の、場所は川の浅瀬だろうか。

 

 少年たちが立っているのは大きな石が無数に転がっている広い場所で、画面の奥には鬱蒼とした木々が、手前にはどうやら川らしき漆黒の闇がある。


 少年たちの四方には大きなかがり火が焚かれ、その炎に照らし出される少年たちの緊迫した表情を、おそらく三台のカメラが代わる代わる映し出している。

 

 と、一方の少年が動いた。その両手には、いつの間にか、強く白い輝きを放つ短刀が握られている。突進を仕掛けたその少年が、その短刀を相手の少年に突き出すと、相手の少年が左手を前へ出し、何か呟く。


 すると、その左手の周囲に緑色がかった輝きが灯り、カメラがグッとその少年へとズームする。直後、おそらくは突風が巻き起こり、短刀の少年はぶわりと後ろへと吹き飛ばされた……。

 

 え? と、それを見つめていた火恋が声を上げる。


「これって『風神』の……って、やっぱダイチじゃん! アイツ、こんなことしてたの!?」

「ダイチって……『クーロン』の副リーダーだったけど、最近『真国』を出て行ったって言ってたヤツか?」

 

 尋ねると、火恋は画面を食い入るように見つめながら頷く。


「ボクはストームの……『デモンズ・ストーム』の存在を、大体五年前から知ってたんだ」

 

 セレスタが、甘いジュースを苦そうに飲んでから口を開く。


「ボクのパパは、フィンランドでソフトウェアの会社をやってるんだけど、その会社の中に、ストームの運営に深く関わっている人間がいるらしいことが解ってさ。

 でも、パパはそれに気づいても、何もすることができなかった。何せ、こんなものが公になって、これに携わっている人間が社内にいるって解ったら、もう会社は終わりだから……。

 だから、パパは自分の代わりにボクをこの調査に向かわせたんだ」

「調査? 調査って……」

 

 と、火恋。セレスタはどこか悲しげな微笑を浮かべ、


「ボクが『こどもたちの国』で働いてるのは、『真国』をその一番近くから調査するためなんだよ。でも、だからって、みんなのことをただ冷たく観察してたわけじゃないゼ? マイ・リトルハニーのことも、桜のことも、ボクは心の底から愛してる。愛してるからこそ……そろそろどうにかしないとね」

 

 と、尚も戦いを繰り広げているへと画面へと、陰のある眼差しを向ける。悟は尋ねる。


「これって……『真国』のどこでやってるんだ?」

「どこか、としか言いようがないわね。ある程度フィールドを設定しながらカメラマンを用意して、それでネット中継をしているのよ」

「マジ……? まさか姉ちゃん、うちをからかってるわけじゃないよね」

 

 普段よほど嘘をつかれたり騙されたりしているのか、火恋が天月を疑わしげに見やる。


「からかってなどいないわ。というか、あなたたち二人は『真国』に入れるのだから、私たちが信じられないというなら、自分の目で確かめに行けばいい」

 

 天月の表情は真剣そのものである。しかしどうしても、まだ心が納得できない。


「待てよ。これが本当に本当だったとしてもだ。暗間さんは俺に何をさせようとしてるんだ? あの人が、桜を使って俺を真国に呼び戻した理由はなんなんだ?」

「その最たる理由はもう解っているでしょう? 力尽くでもストームを潰そうとしている私から身を守るためよ」

「なんでわざわざ俺がお前を止めるために使われるんだ」

「それは、かつて私とあなたが尊い絆で結ばれていたからよ」

「でも、俺はそんなこと何も憶えてないんだぞ」

「あなたが憶えていなくても、私は憶えている」


 天月は厳然と悟を見据えて言い、


「現に、あの夜、あなたに止められて、私は暗間を力尽くで排除することができなくなってしまった。『こどもたちの国』内部でストームに関わっている大人は、後は暗間を残してただ一人、そんなところまで連中を追い詰めているというのに……」

「まあ、流石というか、ジムチョーもよく考えたゼ」

 

 と苦笑するセレスタに、悟はやや驚きながら尋ねる。


「セレスタさんは、天月が暗間さんを……いや、ストームに関わっていた大人たちを襲うことを知ってたんですか?」

「もちろん。っていうか、マイ・ハニーをたまにその場所の近くまで送り迎えしたりもしていたしね」

「送り迎え……」


 送り迎えをして、子供に犯罪をやらせていたのか。そうモヤモヤとしたものを感じると、天月がそれを察したように言う。


「実際に手を汚す役割は子供にやらせて、自分はそれでいいのか――なんていうのは愚問よ。私とセレスタは親と子供じゃない、役割を分担する仲間なの」

「ボクはパパから、『絶対に調査以上のことはするな、そんなことをしたら問答無用でこっちに連れ戻す』って言われてるんだよ。でも……そうだよね。ボクも近頃、ボクはこのままでいいのかなって考えることはよくあるんだ……」

「いいのよ、セレスタはそのままで」


 と、天月はセレスタの肩にそっと手を置く。


「というか、セレスタが私に協力していると暗間に知られるのはとてもよくないことなの。あの男や『こどもたちの国』に出入りする子供たちを、そのすぐ傍で見ている大人がいるということは、こちらにとってはとても強みになっているよ」

「姉ちゃんが……」

 

 画面に映し出されていた戦いが、『風神』――『クーロン』の副リーダーであったダイチの勝利で終わり、そこで動画が自動停止すると、これまで黙り込んでいた火恋が重く口を開いた。


「姉ちゃんが事務長を襲ったって……それ、ホントなの? ホントなら……なんでうちを連れて行ってくれなかったのさ」

 

 噛み締めるように言い、小さな手を握り締める火恋を、天月は冷然とした瞳で見下ろす。


「言うまでもないわ、あなたがまだ子供だからよ」

「姉ちゃんだって、まだ子供じゃん!」

「ええ、確かに私はまだ子供よ。でも、私はもう子供であって子供ではないの。その意味は、もう今のあなたなら少しは理解できるはずよ」

 

 その言葉に、火恋は何かを言い返したそうに口を開いたが、その口からはなんの言葉も出て来ない。悔しげに、その唇は引き結ばれる。


「待ってくれ」

 

 話が収束へ向かい始めた空気を感じて、悟は慌てて言う。


「確かに、暗間さんが俺を利用した――いや、利用したと天月が考える理屈は解った。俺は昔、『真国』で『騎士』の『役職』を持っていて、その……天月と恋人だったっていう事情も理解した。でも、頭では解っても、俺はまだ何も納得できてない。

 なんでかって言うと、俺はその時のことを何ひとつ思い出していないからだ。つまり、記憶がない、物事を判断するために必要な材料が何一つないからだ」

「まずは昔の自分を詳しく知りたい。話はそれから……そういうことね?」


 天月は西洋人形のように大きな瞳でこちらをじっと見つめてくる。その視線の圧力に気圧されてしまいそうになりながらも、どうにか悟は強く頷く。と、


「いいわ、教えてあげる。初めからそのつもりだったのだしね」

 

 セレスタ、と天月がセレスタを一瞥すると、セレスタは再びパソコンを操作する。すると、これまで動画が映し出されていた画面が一旦真っ暗になり、それからそこに、英語の筆記体のような字体をした白文字が現れ、


「堕天した女神・天月ブリタニカの物語……」

 

 と、天月が悲しげにその文字を読み上げる。


「何これ?」

「なんだこれ」

 

 火恋と悟の声が重なる。そして、軽やかなクラシック音楽と共に『何か』が始まった。

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