アジトにて。part2
「いや、まあ、うちの勘違いかもしれないんだけどさ、最近、仲間が妙に早く減ってるんだよね。急に力を失って、うちに挨拶もなしで『真国』に来るのをやめたりするのがちょくちょくいんの」
「急に力を……? その理由は調べたのか?」
「いや、別に全員が同じ学校ってわけでもないからさ、うちはてっきり、そいつらはきっと『王』か事務長に何か弱みを握られて、それで無理やりここを追い出されたと思ってて……」
「なるほどな。それであんなに『王』に対して攻撃的だったわけだ」
まあね。と、火恋はやや決まり悪そうに苦笑して、
「でもさ、しょーがないじゃん。だって先週、ダイチが――『クーロン』の副リーダーが急に『真国』に来なくなって、学校でその理由を訊いたら、事務長がどうのことかブツブツ言ってさ。もう力が弱くなったから、『役職』も他の人に譲る、なんて言うんだもん」
「え……?」
話に聞き入ってしまっていたが、自分の仕事を思い出したのだろう。桶を持って部屋を出て行こうとしていたひかりが、愕然としたような表情でこちらを振り向く。
「ダイチくん、出て行くんですか……?」
「うん、たぶん近いうちにね。うちもさ、アイツに何回も訊いたんだよ。『本気なの』とか、『大人に何かされたの』とか。でも、アイツは妙に複雑な顔するだけで……」
と、火恋は思わず手が動いたといった様子で、悟の右腕にぎゅっと抱きついてくる。
「お、おい! イッ――たくない? あれ? 痛くない」
火恋の動きがあまりに自然だったせいか、こちらも思わず右肩のケガのことを忘れていた。が、肩に寄りかかられた瞬間にそれを思い出して、火恋もハッとしたように離れるが、思いがけないほど、なんの痛みもないのだった。
悟がキョトンと驚いていると、ひかりが慌てた様子でこちらへ来て、
「あ、ごめんなさい。たぶん、もう大丈夫です」
そう言って、先程巻いたばかりの包帯を取り始める。
「え……」
テキパキと包帯と薬草の取り去られてしまった自らの肩や膝を恐る恐る見ると、確かに傷が全くなくなっている。全て夢だったかのように、切り傷の跡さえもない。
「言ったじゃん。カエルソウはメチャクチャ傷に効くって」
「だから、なんでお前が偉そうなんだ」
「じゃあ、わたしは洗った服を……」
と、ひかりは悟から取った包帯と薬草を桶に入れながら、やけに青い顔でそう言って部屋を出ていく。
それから少しして、まるで空全体に響き渡るようなサイレンの音が、どこかノスタルジックなメロディを奏で始めた。昨日も耳にした懐かしい音楽……これは、『こどもたちの国』の閉園を告げるサイレンの音ではなかったか。そう思っていると、
「やばっ! 閉園時間だ! 早く帰んないと婆ちゃんに怒られる!」
案の定、そうだったらしい。火恋は弾かれたような勢いで立ち上がり、律儀にミルティを全て口を流し込んでから悟を引っ張って階下へ降りる。
別に閉園時間と共に現実への帰り道が閉じるわけでもないのだから、そんなに急がなくてもいいだろう。そう思うのだが、小学生にとってはちゃんと時間どおりに帰ることは、とても大切なことらしい。
なんだか懐かしいことを思い出したような気分で、ひかりがオニカイコの糸で縫い合わせ、血を綺麗に洗い流し、火恋の炎で乾かしておいてくれた制服に悟は火恋と共に大慌てで着替え、二人と共に『クーロン』のアジトを後にした。
走れば走るほど、むしろ空は明るく青くなっていく。しかし携帯電話の示す時刻は刻一刻と午後五時半へと迫りつつある。これまで味わったことのない不思議な感覚に困惑しつつも、どうにか現実への入り口であるモニュメントまで戻ると、
「あれ、桜? お前、まだいたのか」
そこに、どうやら自分たちを待っていたらしい桜の姿を見つけた。
「ええ、まだいたのよ」
桜はどこかムスッとしながらそう言い、悟の後ろにいた火恋とひかりに目を向ける。
「火恋ちゃん、それにこばちん……お兄様と一緒にいたの?」
「うん。あ、そうだ、桜。桜に言っておくことがあるんだけど、今日からうち、桜の兄ちゃんとつき合うことになっ――」
「い、いや、なんでもない、桜」
と、悟は火恋の口を無理やり閉じさせ、
「それより早く帰ろう。こっちはまだ明るいけど、もうあっちは結構暗くなってるだろうし、早く帰らないと」
「え、ええ、そうね……」
桜は頭上にハテナマークを浮かべたような目をひかりへと向け、苦笑するひかりを見るとさらに不思議そうに小首を傾げる。
自分が誰よりも好きなのは桜で、桜にだけは妙な誤解をしてほしくなかった。だから、悟は桜とひかりを先に現実へと戻ると、火恋に言う。
「火恋。桜に『自分たちはつき合ってる』なんて言ったら、絶対に許さないからな」
「え? なんでさ? つき合うんだからやっぱり、ちゃんと家族には知っててもらわないと……」
「知っててもらわなくていい。っていうか、俺は別にお前とつき合うなんて言ってない。いいか、火恋。まず第一、大人はそういうことを簡単には人には言わないものなんだ。自分が誰とつき合ってるとか、そういうことはなるべく秘密にするのが大人なんだよ」
「ひ、秘密……。なるほど……秘密の肉体関係、ってやつだね」
全然違う。しかし、どうにか火恋に口を閉じさせることはできたようだから今はよしとして、現実へと戻り、皆で『こどもたちの国』を後にする。
だが、まだ窓に明かりが残っているレストハウスの脇を通り過ぎようという時、ひかりが急に足を止めた。
「あ……。わ、わたし、忘れ物しちゃった……」
「え? どこに? アジトなら、うちも一緒に行くよ」
「ううん、一人で大丈夫……。みんなは先に帰ってて」
じゃあ。とひかりは慌てた様子で踵を返し、一人だけで真国へと戻っていく。一人で大丈夫と言われては、ついていくことができないのだろう。火恋は心配そうな顔をしながらも、再び帰路へ足を向け直す。
秋の陽は落ちるのが日々早くなっていて、午後五時半を少し過ぎただけの時間なのに、もう太陽はすっかり姿を消し、早くも気温は骨身に染みるほど下がり始めている。
そんな中を、悟は右手を桜と、左手を火恋と繋ぎながら歩いていたが、
「あ」
と足を止める。二人の温かい手を放して踵を返し、先程通り過ぎた公園へと戻りながら、
「ちょっとトイレに行ってくる。桜はそこで待っててくれ」
「大丈夫。カノ――じゃなかった。優しい大人のうちがちゃんと桜のこと見ててあげるから任せてよ。二人で石集めしてるから」
「石集め?」
「そう。『真国』で使えそうな石探しとくの」
どういう意味だ? と悟は首を捻るが、すぐにその意味を理解した。
火恋は戦いで魔法を使う時、宝石らしき石を次々とポケットから出していた。あれは、桜が単なる木の枝を、『真国』へ入ったと同時に剣に変えたのと同じ要領で手に入れた物だったのだろう。
全くもって、『真国』とは不可思議な世界だ。つくづくそう思いながら、公園の片隅にある臭く汚い公衆トイレで用を足して、桜を待たせるわけにはいかないので再び足早にトイレを出る。と、
「待ちなさい」
突然、背後から呼び止められた。振り返ると、既に真っ暗な東の空を背に、誰かが公衆トイレの屋根の上に立っている。




