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クーロン。part2

 本気でこちらを踏み潰すつもりだったのか、それともその苦無で刺し殺すつもりだったのかは解らないが、その思い切った攻撃に反して、『こばちん』と呼ばれていたその少女は、どこかオドオドとした気の弱そうな目でこちらを見てくる。


 小さな耳がちらりと見えるボブカット。小動物的な円らな目。りんごのように赤い頬。そのとても女の子らしい容貌とは不釣り合いな、首から下の全身を覆う忍者のような紺色の服。


 そんなこばちんの全身を舐めるように見つめて、悟は気づく。


「あれ? 君って……桜の友達? うちに遊びに来たことないか?」

 

 どこか見覚えがあるような気がする。悟が尋ねると、こばちんは肩をビクリとさせてあたふたと顔を真っ赤にしたが、思い出したように腰を落として身構える。


「や、やめてくれ。俺は桜の友達と戦いたくなんてない」

「リーダーの命令ですから……だから、ごめんなさい、お兄さん」

 

 ギュッと口元を引き絞りながら、より重心を落とし、じりっと地面を踏みしめる。

 

 フッ、という小さな声と共に、こばちんは両手に持っていた苦無を連続でこちらへ投射する。が、それは特に驚くほどの速さがあるわけではなく、しかもほとんど明後日の方角へ飛んでいってしまっている。

 

 躱すどころか、身を隠す必要もない。一応こちらへ向かってきてはいた一本を、紙ヒコーキを見送るようにのんびりやり過ごしてから、少し離れた右手のほうにあった木の向こうへ飛んでいってしまったもう一本を眺める。と、


「なっ!?」

 

 その一本は、木の後ろを通り過ぎた直後、急激に加速しながらこちらへカーブしてきた。

 

 これまでとは違って、何も『予感』がなかった。つまり、悟はその苦無の挙動を全く予想していなかった。

 

 だから、もしそれから一瞬でも目を放していたなら、ここで命を落としていたかもしれない。背を弓なりにしてすんでのところでそれを躱すと、とうに躱していた最初の苦無のありかを確認し、悟の左膝めがけて飛んできていたそれを躱す。

 

 そして躱しざま、その苦無を左手で捕まえる。再び急激に方向を転じながらこちらへ飛んできていたもう一本もまた、ジャンプし身体を横に回転させながら右手で捕まえる。


「そんな……!? と――わ、わわっ」


 少女は目をまん丸くしながら後退し、後ろにあった木の根にかかとを引っ掛けてよろめく。それを見て、すぐさま悟は苦無を捨ててこばちんへ駆け寄り、その細い腕を掴んで引き起こす。


「気をつけて。石とか木の枝とかが落ちてるから、転んだらケガするよ」

「あ、は、はい……ありがとう、ございます」


 あとほんの少し力を込めただけで折れてしまいそうなその細腕から手を放し、おそらく恥ずかしがり屋なのだろう、目を見ているだけで見る見る顔を朱くしていくこばちんに悟は言う。


「今のでもう勝負は充分だろ? 俺は絶対に君のことを傷つけたくなんかないんだ。だから、頼むからここから先、俺を追って来ないでくれ。君は本当に俺にとって大切な人なんだ。お願いだから、この気持ちを解ってほしい」


 桜の友人は、自分にとっても大切な人だ。悟がその思いを伝えようとこばちんを一心に見つめると、


「え……は、はい……」

 

 と、こばちんはそのくりくりした目をいっぱいに開きながら、小さく頷いてくれる。


 うん、と頷き返して、悟は再び森を奥へと走る。足元をびっしりと埋め尽くしているコケに足を滑らせつつ、木の根に足を取られつつ、先に見えている光目指して突き進む。

 

 前方からは少年と少女の怒鳴り合うような声が聞こえてくる。声の聞こえ方からして、その二人はおそらく、この森を抜けてすぐの場所で足を止めている。


 佐良を守るため、『クーロン』のリーダーと話すため、そして結果的には桜を守るため。悟は息が上がるのも無視して疾走し、やがて木々の下を出る。

 

 と、そこは森の中に丸くぽっかりと空いた、中庭のような空間であった。

 

 足元にはびっしりと短い雑草が生え、真ん中には澄んだ水が溜まった泉があり、その泉は右手の方角へと向かって小川を作って流れていっている。

 

 そんな、まるでキャンプ地にうってつけのような場所に、今は怒号が飛び交っている。佐良が泉の周りを喚きながら逃げ、その後を『クーロン』のユニフォームらしい黒いハチマキを巻いた少女――桜が火恋と読んでいた少女もまたギャーギャーと喚き散らしながら追いかけていた。

 

 が、佐良が何かに躓いたらしく、大きく前に転倒した。その丸々とした身体が弾むほどの勢いで転んで、その直後には火恋に背中を踏みつけられていた。


「や、やめてくれ、お願いだっ!」

「あぁ?『やめてくれ』だって?」 

 

 頭の左右に小さなピンクのリボンを結んだ、ショートツインテールの髪型。魔女が着るような真っ黒なワンピースに、ショッキングピンクのベスト。そんな、目立ちたがり屋の魔女みたいな格好をしたその少女は、まるでヤンキーのように荒々しい口調で言う。


「自分は好き勝手なことうちらにやっておいて、それは都合がよすぎるだろーが! そもそもは全部、アンタが悪いのにさぁ!」

「待て!」

 

 と、緊張感があるようでなかった追いかけっこを前にして唖然としていた悟だったが、その刺々しい言葉にハッとして、ようやく火恋を止めに入る。

 

 すると、今までこちらに気づいていなかったらしい佐良が、甲羅を押さえつけられたカメのように足をジタバタさせながらこちらへ手を伸ばす。


「お、お兄さぁん! 助けてください、お願いしますぅ!」

「……アンタ、誰さ?」

 

 女番長のような鋭い目つきで、火恋がこちらを睨む。


「俺は士条悟。女神の……桜の兄だ」

「はぁ? 桜の……? フッ、よくそんなウソがパッとつけるもんだね。ある意味感心するけど、でも残念だけどそれはありえないよ。だってうち、桜本人が、兄ちゃんはもうここを卒業したって言ってたのをちゃんと聞いたしね」

「信じるも信じないも、お前次第だ。でも、どちらにせよ佐良くんは解放してもらう」

「ありがとう、お兄さん! ぼく、お兄さんは約束を守ってくれるって信じてました!」


 ごめん。君を守るということの優先度は実はかなり低いんだ。涙と鼻水と唾を撒き散らしてこちらに感謝する佐良を見てわずかに心が痛んだが、それよりも悟は『クーロン』のリーダー――火恋とのやり取りに集中する。


「……なるほどね」

 

 と、火恋は白い犬歯をちらと見せて笑う。


「アンタは『王』と事務長に雇われて、それでここにいるってわけ。でも、アンタはなんの『役職』も持ってないんでしょ? なら、うちには絶対勝てないよ」

「そんなこと、やってみなくちゃ解らない」

 

 言うが、悟は妙な寒気を感じるほどの緊張を感じていた。火恋の左手甲にある紋章――真円の中にある、右上の角か塗り潰されたように輝いている五芒星を見ていると、どういうわけか無性にこの場から逃げたくなる。


「なら、ちょっとだけつき合ってあげるよ。うち、優しいからさっ!」

 

 と、火恋は王の肩をスターターのように踏みつけ、こちらへ向かってくる。その速さはまるで弾丸のようで、勢いそのまま放たれた拳はほとんど見えなかった。視覚では捉えきれなかったその拳を躱せたのは、自分に眠っているらしい『騎士』だった頃の感覚のおかげに違いない。


 火恋はそのスカートから真っ白なパンツが見えるのにも構わず、こちらのみぞおちや股間を狙った蹴りを容赦なく放ってくる。


 とにかく急所を狙って滅茶苦茶に攻撃を仕掛けているように見えるが、そうではない。火恋は明らかに、泉から流れ出す小川のぬかるみのほうへと、狡猾にこちらを追い込もうとしている。

 

 それを察知して、悟がぬかるみに足を取られる前に大きく後ろへ跳んで小川を跳び越えると、


「へえ、動きもいいし、ちゃんと周りも見てるじゃん。確かに、ちょっとナマイキ言えるくらいは戦い慣れしてるかもね。でも、これはどう?」

 

 ニッと笑い、火恋はその左手を、甲を上にしながらこちらへ伸ばす。すると、その刹那、明らかに周囲の空気が変わった。周囲の木々が不安げにざわりと揺れ、心なしか周囲の気温が下がる。


「うち、卑怯なのは嫌いだからさ、教えといてあげるよ。うちの役職は『火の精霊使い』、つまり火を自由に操れんの。だから、ボーッとしてたらヤケドしちゃうよ!」


 火恋はワンピースのポケットから赤い小石を取り出した。それを左手の甲に載せ、長い睫毛を静かに下ろす。


「ガーネットに宿りしエプリク・シュンクの神々よ、聖なる火の精霊たちよ。契約を結びし我の願いに応えよ。――火球(イグナスフィア)!」


 瞬間、目の前が白光に包まれるほどの明るさを発しながら、火恋の顔と同じくらいはあろうかというような火球がこちらへ飛び出してきた。が、悟は頭のどこかで、その『魔法』が襲い来ることを予感していた。

 

 そのおかげでどうにか躱せたが、全く何も反応できていなければ、燃え上がっていたのは背後にあった木々ではなく自分だっただろう。そうゾッとしていると、


「ふ、ふぅん……これも躱すんだ。ま、まあ、こんなのはまだまだ優しいやつだけどね。じゃあ、これならどうさ! ガーネットに――」

「ま、待てっ! ちょっと待った!」


 再び赤い小石を取り出して呪文らしき言葉を詠唱し始めた火恋を、悟は慌てて止める。これ以上、あのような魔法を続けられたら躱し続ける自信はないし、それにこれ以上、戦いを続けると、『真国』全体が焼け野原になってしまいかねない。


「俺は別に、君を倒しにきたわけじゃない! だから、落ち着いて話を聞いてくれ! 何かが……何かがおかしいんだ!」

「何か? 何かって……何さ?」

 

 火恋は疑るように眉を顰めるが、悟の背後で燃え盛っていた炎が、すぅっと蝋が切れた蝋燭のように消えていく。


「『何か』がなんなのか……それは俺にも解らない。でも、おかしいんだ。歯車がどこかで噛み合っていないんだ」

「歯車……? よく解んないよ。なんの話してんのさ。うちにも解るように言ってよ!」

「つまり、俺は君とちゃんと話がしたい。そういうことだ。俺は何も、君たちをここから追い出すためにここへ来たわけじゃない」

「ウソつくなよ! アンタは事務長と一緒になって、うちらをここから追い出そうとしてる! そんなことはもう解ってるんだから!」

「違うよ、リーダー」

 

 と、女の子のか細い声が不意に割り入る。

 

 声のしたほうを見ると、そこにはこばちんがいる。こばちんはこの場の視線を集めてしまって慌てたように顔を朱くして目を伏せ、小川のせせらぎの音に呑まれてしまうような小さな声で続ける。


「お兄さんは、ウソはついてません。だって、お兄さんはさっき、わたしを守ってくれたから……。わたしはお兄さんを倒そうとしてたのに、お兄さんは、わたしを……」

「こばちん……」

 

 余程こばちんのことを信頼しているのだろうか、火恋はあっさりとその目から険呑な色を解き、肩から力を抜いて頭を掻く。


「いや、まあ、こばちんがそう言うなら、しょーがないけど――」

「ふっ、ふはははははっ!」

 

 今まで弾幕を躱す兵隊のように地面に寝そべり続けていた佐良が、唐突に笑い声を爆発させた。大きな腹を揺らしてこちらへ走ってきて、悟の背後に隠れて火恋を指差す。


「お前の負けだ、バーカ! もう二度と僕に近づくんじゃないぞ! 今度またなんかやってきたら、『女神』に言うからな!」

「はぁ!? 誰がバカだって!? 人にバカって言う奴がバカなんだぞ!」

 

 と、負けじと応酬する火恋は放っておいて、悟は佐良に尋ねる。


「佐良くん、さっき俺たちが渡ってきた橋が落とされたんだけど、帰り道はどうすればいいか知ってるか?」

「あ、はい、大丈夫ですよ。北に少し行った所に、もう一本、別の橋がありますから」

「そうか。それなら、そこを渡って先に帰っていてくれ。で、そのついでなんだけど、切り落とされた橋の向こう側に桜がいるから、安全な場所まで連れて行っておいてもらってもいいかな」

「はあ、お兄さんがそう言うなら」

 

 そう言って、佐良は「じゃあ」と愛想のいい笑みをこちらへ向けてから火恋にニヤリとイヤミ臭く笑い、スタコラとどうやら橋のあるらしいほうへと去っていった。


「何かがおかしい……実は、思い当たる部分がある」


 佐良が去って訪れた静寂の中で、火恋が呟くように言う。


「『王』は、うちらが『真国』の外で暴れてるとか言って、それで大人たちとつるんでうちらのことを追い出そうとし始めたんだけど……そのことはアンタも――そっちも知ってるんでしょ?」

「ああ、暗間さんからはそう聞いた」

「うん。……でもさ、うちらはマジでそんなことなんてしてないんだよ。そりゃ確かに、ちょっとくらい危ない遊びはしたかもしれないけどさ、小さいガキだとかを怖がらせるようなことは絶対にしてないんだ。

 だって、うちらは無意味なケンカとか、弱い者イジメとか、そんなことは絶対にしないからさ。そんなことしてる奴がいたら、アタシがぶっ飛ばすし」

 

 ――佐良くんを二人で寄ってたかってイジメてたメンバーがいたような……。

 

 火恋の言葉を聞いて咄嗟にそう思ったが、確かに佐良は単純に弱者というわけでもないかと思い直していると、火恋は幅跳びをするように小川を跳び越えてこちらの傍へ来て、


「なのに、なんで『王』は急にうちらに言いがかりをつけ始めたんだろうって、不思議に思ってた。見て解るでしょ?『王』って、笑っちゃうくらい臆病じゃん。あんな臆病なヤツが、わざわざうちらに喧嘩を売ってくるなんて、おかしくない?」

「ああ、俺もそう思う。もしかして佐良くんは、暗間さんに不安を煽られてるのかも……」

「え? 事務長……?」

「ああ、いや、これはまだ単なる憶測で……!」

 

 なんの根拠もないのに、つい口にしてしまった。悟は慌てて首を振る。すると、


「おいおい、お前ら、何仲良くなってるんだよ」

 

 どこからともなく、聞き覚えのある少年の声が周囲に響いた。

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