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自己ベスト、タイ

「だからぁ・・・もうそんな入んないって言ってんじゃん! 小さなおにぎりだけで十分だって言ってるのに・・・」


そう言いながらも、彼女の両眼に険はない。部活後に彼女は僕の家に寄り、一時間ほどグダグダしながら、俺の作った夕食を食べる。彼女も共働き家庭で両親の帰りが遅いことと、俺の方が料理は上手かったことから、こんな日常がすっかり定着した。


半年前と同じテーブルの脇には、半年前と同じ扇風機が回っていて、半年前と同じ少女がテーブルの上の皿を見つめている。半年前と違うのは、皿の上にあるのが味気ない白米の山ではなく、ご飯に味噌汁・野菜炒めと焼き魚といった一般的な献立であることと、女性側の盛りつけがやけに小ぶりなこと、そのそばに転がっている体重計が新しくなっていること、くらいだろうか。前の体重計にはメモリー機能すらなかったが、こちらは日付や時刻、身長・体重などを記録し、パソコンに自動転送してくれる優れものだ。5月にあった真理子の誕生日に合わせ、達也がなけなしの小遣いをはたいて購入した高級品で、液晶画面には昨日の日付のほか、20:18 / 139.3 / 40.17 という数字が表示されている。そうそう、半年前からの変化と言えば、大きくなった彼女も、この半年間で変わったこと、と言えるだろうか。相変わらず小柄だが、背は5 cm伸びて、体操着のTシャツも、今はそれほどブカブカではない。腹部の布地に関してだけ言及するなら、高さも幅も厚みも一回り大きくなれるようになった胃袋に圧迫され、むしろ2サイズは小さいのではないかと思えるほどだ。そう、彼女はつい数十分前に、厳しい大食い部の練習を終えたばかり。俺がいつも、小盛りとはいえ、一人前の夕食を模した献立で準備するから「そんなに食べられない」という冒頭の抗議に至る訳である。


それでもなんだかんだ言いながら、たいていは俺の作った夕食を全て食べきってくれるのだった。というより、食べきれなかったのはたった一度、まだ付き合いはじめて1月も立たないころ、俺が調子に乗って料理を作りすぎ、彼女が気を失うまで食べ続けてしまったときで、以降俺も反省し、彼女がギリギリ食べきれる量を、いつも計算して食卓に上げるようにしている。今日の夕食も600グラム程度。おそらく一時間ほどもあれば、彼女の中に収まるはずだ。


ストイックな彼女は、俺との夕食のために部活の練習で手を抜くことなどしない。以前こっそり他クラスの大食い部員に確認したところ、彼女はいつも部室で人一倍がんばり、限界一杯まで詰め込んでいる、らしい。体格に恵まれず、大食い推薦でなかった彼女は、本入部時の計測で部内最下位となってしまい、それがよほど悔しかったようだ。


「部室は部室、達也ん家は達也ん家! 大食いってね、気持ちの持ち方とか、精神的な要素にすごく作用されるの。ほら、緊張するとさ、全然ご飯食べられなくなるじゃん? そういうときって、胃が全然伸びてくれないの。反対にさ、リラックスできれば、緊張してたときの限界なんて簡単に超えられるわけ。私は、この達也の隣が、一番限界を超えられる場所みたいなんだー」


俺のせいで、練習の手を抜いていたりはしまいかと、以前気を遣って問いかけた達也に、彼女はこうのろけて見せたものだ。要するに、部室で限界になっても、ここではもう少し食べれるような気がするらしい。事実、競技会や記録会、練習試合の記録より、ここ、達也の家で量る記録の方が、いつも先を行っているようだった。その割に二人の関係の方は、一緒にご飯を食べて、おなかをさわる、というところから先に進めておらず、告白してOKをもらったのに、なんだかなあ、と思うことも少なくない。


「達也のおかげで、記録が更新できて、嬉しい!」


というのが彼女の口癖で――事実、達也が放課後の練習後にこうして手伝うようになってから、彼女の記録は目に見えて伸びているのだけれど、ときどき不安にはなる。彼女は俺が好きで、一緒に大食いをしてくれているのだろうか。それとも、彼女は大食いが好きで、だから俺を使って、大食いの記録を伸ばしているのだろうか。相変わらずチキンな俺は、面と向かって聞けたことなどないけれど。


性格といえば、本入部をして大食い部の朝練が始まってから、小山さんは今までとは人が変わったように教室内でも明るくなって、いつの間にかクラスの中心的存在になっていた。そんな子と、曲がりなりにも付き合って、こうして毎日一緒に夕食を食べられているのだから、それだけで良しとした方がいいのかもしれない。


「さんまだねー、いいにおいー!」


彼女はいつも通り荷物を置いて、体重計を手に、脱衣所へ向かう。俺は最後の仕上げに、大根おろしをすり始める。ついさっき「もうそんな入んない」と言ったくせに、もう食べ物の話をしているのだから、「もうそんな入んない」というのはやはり、いつものお遊び。もはや定型文化してきたやりとりなのだろう。まだ息も上がっていないし、汗もかいていない。もっとも、半年前の限界値はとうに超えているわけだから、これもこの半年間の変化ということだ。


俺のスマートフォンがピッという音を立て、情報の更新を知らせる。


6:58 / 33.64

8:13 / 37.06

12:20 / 35.13

12:53 / 36.82

15:47 / 34.95

18:18 / 39.84

18:52 / 39.42


彼女を今日一日で通過した食べ物たちの記録だ。はじめは数字の増減に驚いたものだが、今は何となく数字から状況を想像できる程度にはなった。12時代の記録は、昼休み、服を着たまま測定しているはずだから、実際より1kgほど重く出ているはずだ。ジュニアまでは食べた量で競われる大会が、中学の部から体重増減に変更となるのもうなずける。彼女らは、その気にさえなれば、数時間で食物を通過させることができるのだ。朝の一升飯と昼食三人前は、どの一年生にも共通で課せられるノルマらしい。放課後はゆっくり時間があるから各自のトレーニングメニューに合わせて、限界に挑んでいくことになる。二年生は朝のノルマが二升、三年生は三升になり、それについていけないと強制退部だ。大食い推薦の者でも、二年の終わりで脱落するものすら出ると聞く。半年前 4.5kgだった彼女の容量は、この半年で2kgほど増加したから、このペースで自己ベストを更新し続けられれば、無事に卒部まで居られそうだ。彼女の伸び率は、毎月部内トップらしい。


「達也のおかげだな。ありがとー」


いつだったか、彼女は俺に言ってくれたけど、頑張っているのは彼女で、俺はそれを勝手に応援しているだけだ。いつも記録を更新すると、彼女は嬉しそうに報告してきて、そのたびに記念日が増える。5 kg 記念、6 kg 記念、部内ビリ脱出記念・・・体重40 kg記念はつい最近やったばかりで、もうすぐ二升記念もできそうだ。かつて限界だった量が、いつの間にか朝飯前、というよりも、朝飯になっている。この日も彼女は俺の夕飯を一粒残さず食べきって、10分ほど他愛ない会話をした後、慈しむようにお腹をさすりながら、脱衣所に計測をしにいった。彼女が綺麗に残した焼き魚の骨を三角コーナーに放り込んでいると、再びピッという音がして、「20:03 / 40.15」という数字が表示される。そのまましばらく皿を洗っていると、もう一度音がし、「20:06 / 40.17」という数字が追加になった。真理子は前日の自分に負けるのが嫌らしく、いつも記録が足りないと、きっかり同じ値まで脱衣所で水を飲むらしい。20 gとはいえ、あれほどギリギリになった身体のどこに入っていくのかはよく分からない。


「よーし、今日も、自己ベスト、タイ!」


着替を終え、陽気に出てくる彼女の息は、いつものごとく上がっている。そんな彼女を送り出して、俺は玄関の鍵を閉める。鞄を手にしたシルエットが小さく街灯に照らされながら遠ざかっていく。その腹部は、後ろからでもはっきりと分かる程度には十分膨らんでいた。

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