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私の生きがい(侍女長)

侍女長視点

出産前、飛んで子どもたちを産んだ後

 若輩の頃より皇族方に仕え、隣国に嫁がれた先帝の妹姫様をはじめ、先帝の皇后様、そして今や現帝の皇后様に仕えている。私にとって皇族方は人生そのものであった。


 先代の皇后様はご側室の身分からお世継ぎである現帝をお産みになり皇后へ立后されていたので忘れていたが皇族の女性にとって大きな重圧であるお世継ぎ問題が、ここ最近の現帝の悩みでもあった。


 由緒ある公爵家のご令嬢を見初め、短くない婚約期間をおいた後、正式にご成婚、そして皇后への立后をすまされたが、お2人はゆっくりと歩むことを約束され皇城にて穏やかな日々を過ごされていた。


 成婚時は昼も夜も皇后様を離さず、政務さえもおざなりになりそうだった皇帝を諌めたのは意外にも妻である皇后様であった。



「リカルド様は私を傾国の女と呼ばさせるおつもりですか?」



 その言葉に固まった皇帝は翌日から真面目に政務を行うようになった。大人しそうで従順、一般的な貴族のご令嬢然りと思っていた女性が意外にもしっかりとした方のようで安心したのを覚えている。


 幸せそうなお2人を見ようと侍従・侍女・下働きの者たち一同が仕事のふりをして室へ近付くのを一喝した事さえある。しかしそんなお2人が目に見えて、ちぐはぐになり始めた。


 貴族たちから側室を娶るよう進言されている事は表から漏れ聞こえてきた。しかしそれは皇帝が独身の頃からあったことなのでさして気に留めた様子もなく皇帝は新婚の身に何を言うと一蹴した。


 それがある頃から一言、二言と文面が増えていく。



「皇后様にご懐妊の兆しがないのであれば万一の為にもご側室を後宮へお入れください」


「皇后様が嫁がれて1年が経ちました。一度、御典医に診てもらってはいかがでしょうか」


「お身体の小さい方は懐妊しずらいと言いましょう。趣向を変えた女子おなごを召し上げてはどうですか?」


「ご成婚から視察などで皇城におられない時を除き、毎夜閨を共にされているというのに未だご懐妊されておられないではありませんか」


「そういえばご成婚のとき飾り花のイチジクが萎れたと侍女たちが騒いでおりましたな。子宝を願い献上されたイチジクが萎れたとなれば何と縁起の悪い」


「なんでも皇后様が10歳のとき落馬され1日寝込まれていたらしい。その時にどこか悪くされたのでは?」



 口がさない者たちが根も葉もないことを。根拠のない事を並びたてお2人を追い詰めていき、ついには皇后様に直接、それを伝える者たちが出てきた。


 皇帝陛下が聞く耳を持たない為、皇后様から皇帝陛下へ側室を進めるよう進言してほしいとデリカシーのない依頼もあった。


 皇后様は何とかそれを諌めておられたが日に日に表情は陰っていき、取る食事の量も激減された。元より細っそりとした皇后様は目に見えて衰弱されていった。


 皇帝陛下の前では何とか平常を装い笑顔で色々と気遣いを見せるが、ふとした時、例えば立ち上がった一瞬などにふらつかれる事もあり皇帝陛下はそのかんばせを歪ませる事もあった。


 以前に比べ会話も少なくなり、皇后様が陛下を気遣われると、陛下は皇后様を心配し距離を取る。互いを想い合うお2人だからこその負の輪廻のようであった。


 皇帝陛下は皇后様に何と声をかければいいか分からなかったのだろが何も手をこまねていていたわけではない。悪意から言葉を発した者には相応の制裁を加え出来うる限りで皇后様を守っていた。しかし、それを皇后様はお気づきにならず、いつのまにか心を閉ざしてしまわれた。


 皇帝陛下のご両親が他界した今、その名を呼ぶ唯一の方であった皇后様が呼ばなくなられた。それは他人行儀にさえ感じられた。


 でも私たち側仕えの者たちは知っている。

 視察で皇帝陛下が城にいない夜は涙ながらに、その名を呼んでいることを。何度も、何度も、声を枯らしながら。それはあまりにも悲痛で寝ずの番をしている侍女や護衛たちさえ胸を痛めた。


 昼間は決して涙を見せない方が。皇帝という絶対的な泣き場所のある方が。薄暗く冷たい夜にひとり涙を流されている。その様子に皇后様が生家から連れてきた侍女は抑えきれない嗚咽を漏らしながらむせび泣いてた。


 頬に涙の跡を残し、シーツを強く握られたまま眠られていた皇后様を何度も起こす事があった。その時は決まって悪夢にうなされのだろう、と笑われていた。


 そしてあの夜も皇帝陛下は視察へ行かれ皇后様がひとりで寝台に上がられた。眠るのを恐れる赤子のような皇后様の様子をただ静かに見守る。皇后様は私の視線を気にせず、落とすように呟かれた。



「陛下に…ご側室を娶るように進言した方が良いのかもしれない。私は子が産めぬ女、今は無理でもご側室にお世継ぎが産まれれば皇后位も譲位することが出来ましょう。私など…不要になる」



 どんな返答を求められていたかは分からない。それでも私は幼い頃から見守ってきた皇帝陛下の御心を代弁しなければ、と柄にもなく焦った。



「失礼ながら子を産む為だけに存在する皇后であれば皇帝陛下は貴方様を皇后へ立后させる事はしなかったでしょう。ただ同じ景色を見て可能なかぎり多くの事を共有する事を望み、貴方様を皇后へ立后されたので御座います。間違えないで下さいませ。子を為す事が女の全てでは御座いません。」


「……」



 皇后様は少し目を開かれ、私の言った言葉を所々反復し呟いた。そして何かに気付いたように、はらはらと涙を流した。



「あの方はただの1度も私を責めていない。あの方はただの1度も世継ぎの事は口にされていない。私にあれだけ貴族たちが奏上しているというのに…陛下にいっていないはずはないわよね。それなのにあの方は…私を決して責めていない」



 優しい方…、そう呟かれた皇后様は赤くなった目で私を見た。



「まだ間に合うかしら」



 何が、と問う事をせず勿論です、と頷く。



―――――――――――――――



 あの夜から何か劇的に変わったか、といわれれば否と答える。それでも微かな違いが少しずつ増えていった。以前のようにとはいかないまでも皇后様が笑顔を零される事が増え、陛下へ触れる事も増えていった。


 もちろん陛下はその違いに気付き、最初は驚いていたが全てを受け止めるよう一層、皇后様を慈しんだ。少しずつ前向きになられた皇后様は貴族たちの言葉に傷つきながらも、全ての面会者と会い続け静かに諌める日々を続けられた。



「…っ……」


「皇后様!?」


「だ、いじょぶ…すこしきもちわる、くて……」


「医者を!御典医を呼べ!!」



 皇帝を朝議へと見送りご自身の準備が整った皇后様が鏡台から立ち上がられると、ふい身体が傾かれた。傍にいた侍従が何とか抱きとめ、侍女たちは医者を呼ぶために走り出した。


 よく見れば顔色が悪い。何故、気付かなかった、と己を責めつつぐったりとされている皇后様の着衣を脱がせた。



「すぐに新しい夜着を。あと寝台を整える侍女を呼びなさい」


「かしこまりました!」



 指示をしながら皇后様を着替えさせていると息を乱した御典医が到着する。寝台整え終えました、と報告がきたのですぐに寝室に入り皇后様を横にした。


 御典医は緊張した面持ちで診断を行い、幾つかの質問を皇后様へ問いかけた。皇后様は目を瞑られたまま答えられ、時折、侍女が付け足すように答えた。


 随分、楽になられたのか皇后様は背を起こされた。侍女たちは負担にならぬよう柔らかなクッションを背に敷き詰めた。



「また寝不足か何かかしら。おかしいわね、最近は眠っているつもりだったけれど」


「皇后陛下」



 御典医は寝台横に跪き床に頭を擦り付けた。それをみた私たちは何事か、と一様に肝が冷えた。代々、城の御殿医を務め国内外でも、その名を轟かせている医者ははっきりと告げる。



「ご懐妊、心よりお慶び申し上げます」


「え……?」




 常ならありえない事だが皇后様の寝室で奇声が響いた。驚きに飛び上がる侍女や唸るように悦ぶ護衛兵。みな皇后様の苦しみを知っているからこそご懐妊を喜んだ。



「かい、にん…?あ、かちゃんが…わたし…あかちゃんができたのね……」



 ゆっくりと確かめるような皇后様の様子と、その頬を流れる涙を見た瞬間。私の胸を万感の想いが駆け抜けた。気付けば私も涙を流してしまったが、この部屋にいる者ののほとんどが泣いていた為、さして騒がれる事はなかった。


 しかしいつまでも泣いてはいられない。



「侍従長をお呼びなさい。それから料理長にいって滋養によく喉越しのいい朝食を作るよう指示してちょうだい。皇后様おひとりのお身体ではなくなったのです。護衛の兵を増やすよう申請を。ほら、何を惚けているの。みな仕事なさい!」



 そう一喝し、みながバタバタ、と動き出しても皇后様は呆然とされていた。確かめるように、そして恐る恐る膨らみのない腹をなでる。



「失礼致しますっ」



 常では想像も出来ないほどに焦った侍従長が入室すると皇后様は破顔された。先代の皇帝から仕え絶対的な信頼を得ている侍従長は決して取り乱さない。その彼が形振り構わず走ってきたのが分かったのだろう。それでも侍従長は興奮を抑えきれず、すぐさま行動に出た。



「皇帝陛下へお伝えしてまいります」


「朝議の邪魔はしたくないの。その後で良いわ」


「いいえ、行ってまいります」


「え、ちょっと…」



 皇后様は身を乗り出し侍従長を止めようとされたが生家より付き従う侍女がそれをやんわりと抑え寝台の上でしっかり座らせた。


 それを見ながら室内の温度の調整や香木や香水など匂いのきついものを仕舞うように命じる。



「皇后様、寒くはございませんか?」


「大丈夫よ」


「陛下もお慶びになります」


「そうね、きっと慶んでくださるわ」



 穏やかな空気が流れ気心の知れた侍女たちが祝いの言葉を述べたり、雑談していると荒々しく皇后様の寝室の扉が音をたて開かれた。



「まぁ…陛下、ご朝議のほうは宜しいのですか?」



 皇后様ののんびりとした声が響く。

 皇帝はその様子をじっと見つめ、恐る恐る言葉を紡ぐ。



「…体調はいいのか」


「はい、御殿医の見立てでは健やかであると、言われております」


「侍従長が朝議の場に入ってきて言いおった。…驚いた」


「はい。私も、驚きました。もう…子は望めぬのでは、と憂いておりましたので」


「…嬉しいか」


「はい、とても。私が陛下にして差し上げられる事と言えば家族を作る事のみでしたのに。申し訳ありません、こんなにも遅くなってしまって」


「お前が嫁いで、まだ2年だ。遅くはない」


「…はい」



 そこに流れる空気に私たちはお2人の絆を感じ、これ以上ここにいる事はするべきではないと判断し目配せしながら部屋を出て行った。


 中から微かに漏れ聞こえる皇帝の声から無限の愛を感じる。側仕えの者たち一同が小声で懐妊を喜んでいるのも今だけは、今日だけは許そうとさえ思えた。



***


「マーサ」


「殿下、ご講義はどうされました?」


「マーシャル卿が体調を崩して今日の講義はなしになったよ」


「そうでございましたか」


「うん、妹たちは?」


「今日は国史のお勉強で玉蓮の間においでです」



 あれから短くはない日々が過ぎた。

 大きな大きな産声をあげて生まれてきた第一子である皇太子殿下は10歳となり幼いながらも興味深げに皇帝である父の執務室に入り浸っている。


 全ての教育を好成績でおさめる姿からは子どもらしからぬと心配もしたがお母上様である皇后様に甘えるのを見た時は安堵したものだ。


 妹姫様が2人、末に弟殿下が1人いるせいか普段は年長者として振舞っておられる姿は私たち大人からしてみれば、とてもいじらしく心配になってしまう。子どもなのだから年齢や生まれた順番など気にせず甘えても良いというのに。



「リヴィオ」



 突然、響いた己を呼ぶ声に殿下の表情がいっきに子どもらしいものへ変わる。

 年長者といっても10歳。

 親に甘える年頃なのだ。

 しかし皇太子としての責務や兄妹たちへの庇護が殿下を頑なにしている。そしてそれを和らげ、慈しむ唯一の人が殿下の事を理解していると分かっているからこそ私は余計な事は言わず、ただただ忠義を持って仕えるだけなのだ。



「母上!」



 廊下の奥からゆったりと歩いてこられる皇后陛下は4人の御子様を産んだとは思えないほど美しい。ご成婚前と変わらぬ体型を保ち、穏やかな気性で今や建国以来の最良の皇后とも言われている。どこか無垢で純真な印象を持たれる皇后様だが長い間、おそばで仕えてきた者は知っている。


 皇后様が携える微笑みに艶が出ただけでなく、高潔さが出てきたことを。皇帝より深く愛され、両陛下で肩を並べ多くの政敵から家族を守ってきた女性が浮かべる事が出来る微笑みだ。



「マーシャル卿がお休みでしょう?だから午後の講義の時間までリヴィオを独り占めしようと思って」



 そう言うと皇后様は殿下をぎゅ、と抱きしめ頬ずりする。御子様が産まれてから化粧時には一切の粉類を使用しなくなった素肌。ただマナーとして目元に化粧を施すだけとなっている。



「では妹たちを迎えに行きますか?」


「あの子たちは国史のお勉強中だもの、邪魔は出来ないわ。久しぶりにリヴィオと2人で過ごしたいのよ」


「…っ」



 パッと子どもらしい笑みで皇后様を抱き返す仕草に私と同じく周りにいる側仕えの者たちが目を細める。甘えた事を言えなくなってしまうのは仕方ないことなのかもしれない、それでもこうしてそれを汲み取り掬い上げてくれる母が居るからこそ子は正しく育つのかもしれない。



「少し足を伸ばして西の庭園に行きましょう。ゆっくり散歩していればお昼頃、庭園につくわ」


「天気もよろしい事ですしご昼食はテラス席にご用意させて頂きましょうか?」


「ええ、お願いね」


「かしこまりました」



 深くお辞儀をし厨房の者へ指示を出すべく、その場を辞す許可を頂いた。そっとお2人に背を向け歩き出すと先程よりも幼げな殿下の声が聞こえる。



「今はどんな花が咲いてるかな?」


「きっとリヴィオの好きな花も咲いているわ。一緒に探してお父様に差し上げましょうね」


「うん!」





 これからもまだ多くの問題が皇族の方々に降りかかるかもしれない。それでも私はそばで仕え越権ながらご助言し、健やかなお姿を見ていきたい。


 私にとって皇族の方々は生きがいである。



「マーサ」


「はい」


「いつもありがとう」



 そのお言葉を聞けただけで私の人生は正しかった思える。

 そのお言葉を聞けただけで私の人生は価値あるものだと思える。



 皇族の方々は間違いなく私の生きがいです。



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