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第八話 ●安寧

 午後は、庭園を散歩して過ごすことに決めた。

 この屋敷内ならば好きに見学していいと言われたからと、勝手に回るのはやはり気が引ける。

 それは半分言い訳だった。

 どうせなら、彼に案内して欲しかったのだ。

 午前中に、彼が時間を割いてくれたことで、またしても心が私の思惑を裏切ったのだから。


 馬の上で、彼に支えられていた温かさを思い返すと頬が緩む。

 それに、こんな考えは余計なお世話だと思うけれど……ご両親は亡くしたけれど、彼を温かく見守ってくれる人が存在することを知れたのも嬉しいことだった。


 彼が外へと連れ出してくれたお陰で、私も自分から外に出る勇気を持てたのかもしれない。


 この国のことを深く知るなら歴史にあたれば早いと、そう思ったから書室にこもっていたのも確かだった。だけど、やはり彼の立場をありありと思い起こさせる環境から、目を逸らしたかったのだと思う。


 涼やかな風を受けて、のんびりと緑の間を進む。

 この夢のような彼の暮らす環境も、目に焼き付けておこうと思えた。

 心を騙さないように、これが現実なのだと覚えておくためだ。


 歩きながら考え事をするには、ちょうど良い広さだった。ぼんやりと歩いていても高価な壷にぶつかって割ってしまうなんてこともないだろう。

 周囲を見回すが、人の気配は無い。

 側にいた使用人に庭園を歩きたいと伝えたら、ここまで案内はしてくれたものの仕事があるようだ。夕食の時間を告げると屋敷の奥へと去っていった。日が沈むまでには戻るようにとのことだろう。


 場違いな私には、人の目がないだけでもほっと息がつける。

 どこまでも、むせ返るような緑。森とはまた違う手入れされた、青々とした木々の芳醇な香りだけがあり、ささくれ立った神経をなだめてくれた。


 考え事といっても、心に起きた変化を繰り返し見つめ直して選別し、気持ちを整理するだけだ。できるならば、旅人の生活に戻るために。


「私って今まで、どうしていたのかしら……」


 この国へ来ることになり、到着してからの数日を、私はどう楽しめたというのか。ぼんやりと思い返していた。



 ***



 この国を訪れる準備ができた時、足を踏み入れたら、さぞ感慨深いことだろうと思っていた。

 なんせこの大陸で訪れる、最後の国だったのだから。

 何年もかけて、ようやくここまで辿りついたのだ。

 私が慎重すぎたためもあるけれど、本当にゆっくりと時間をかけて、街だけでなく大地の隅々を巡ってきた。


 少しずつの距離とはいえ、幾度も街と街、山と山を行き来し、それなりに旅にも慣れていた。すでに気負いもなかった。

 いつも通り、どの地でも感じるように自然体で、好奇心を武器に楽しみながら仕事をすればいい。

 一つ前の集落で、いよいよ最後の行き先へ向けた乗合馬車が走り始めたとき、私の胸にあるのは溌剌とした喜びだけだった。


 街道沿いに立てられた、国境線を示した標を越えると鼓動は高まった。

 王国領土内へ進み入る乗合馬車から身を乗り出し、外を眺めると、人家がぽつぽつと見える。早くも、近付くなだらかな丘陵へと思いを馳せていた。

 私の技術は街人の生活に密接する小道具作りだから、まずは陸側へ向かってみようかしらと考えていたのだ。


 大きな国ではないとのことなので、さして仕事はないかもしれないが、農具の修繕のほかに、畜舎での作業やただの雑用でも、何か手伝えることはあると考えていた。

 立派な技術はないけれど、体力にだけは自信がある。


 外から続いていた街道は、陸側の街と海側の街の境目を抜けている。市街地を囲むように造られた城壁に一旦遮られるが、開いた門の向こうには同じ道が続いていた。

 門を通り過ぎると一旦停止すると思ったのだが、そのまま海側へ下る道を進み始めて慌ててしまう。

 そんな私を、笑いながら同乗の商人が教えてくれたのは、訪問者の窓口を港町へ置いてあるということだった。


 街の中央だろう、海を見渡せる円形の大広場に乗り入れると馬車は停止した。

 乗合馬車の乗車手続き窓口と待合所のある、木造の建物。そこで旅行者と積荷は降ろされる。窮屈な長旅から開放されて、各々体を伸ばす客の横で、係員は床に置かれた、両腕で囲める程度の小さな木箱が積まれた山と、手にした書束とを見比べている。ここから目的地へと配達されて行くのだろう。

 私は同乗者たちに手を振って別れ、建物の中に入った。


 窓口は、街の案内所を兼ねていた。

 室内の最も広い壁の一面は、国土を単純に図案化した地図の描かれた大きな布飾りで埋まっていた。

 それを横目に狭い室内を、窓口へと近付く。

 窓口の側には、壁の布飾り同様の簡易地図と簡単な説明を添えられた、二つ折りにしただけの紙きれが、細い木箱に立てて売られている。


 それなりに手間のかけられた内容だと思ったが、その割に、最低価値の小銭で買える程度だったので一つ買い求めた。

 国策の観光支援事業なのかもしれない。無料の取引は推奨されないことなので、体裁で価値を乗せただけ、といった風に感じたのだ。


 それを手に広場へ出ると、ようやく落ち着いて辺りを見回す事ができた。

 最も華やかな国の中心部なのだろうと思う。けれど、それらをより魅力的に感じたのは、空気の違いだった。


 どの街にも特有の空気はあるけれど、それが突出しているように感じていた。

 明らかにこの町特有だろう、海から吹き上げてくる暖かな潮の香を含んだ風が頬を撫でると、新たな街へ足を下ろしている実感が湧いてくる。

 喜びを噛み締めるのもそこそこに、旅人らしく、さっそく街並みを堪能しようと歩き出した。


 確かにこちらの街並みは、観光に向いた分かり易い作りとなっていた。乗合所の他に、宿、食事処、酒場、茶屋、道具屋など、必要な施設が大広場を囲むように配置されているのだ。

 丸い大広場は南北と西へ向かう広めの道で切り分けられている。生活路なのか、狭い路地も幾つか繋がっているのが建物の隙間から見えた。


 西側には、一面に銀緑に煌く海が広がっている。下ると港へ続いているのだろう、遠く小さく見える帆船が幾隻か並んでいた。


 東は背を崖にしており行き止まりとなるが、その壁面の真ん中には、最も大きく歴史を感じる宿屋が鎮座している。この広場で唯一の三階建ての建物だ。恐らく高階級者向けなのだろう。二階のバルコニーに並ぶ幾つかのテーブルにはクロスがかけられ、高価そうな柄入りの布を使用した衣装の客が、食事や会話を楽しんでいるらしいのが見える。


 泊り客どころか、食事をしに入ることすら叶わないだろうが、その佇まいには興味が湧いた。

 覗いてみたいと思わなくもないけれど、恐らく皿洗いなどの仕事ですら、身元のはっきりした者で固められているだろう雰囲気だ。私には、全てが場違いな場所だった。

 外観だけでもと、しっかり堪能すると満足し知らず笑顔が浮かぶとまた歩き出した。


 南北を突っ切る道の南を見やると、そちらも開けており青空市場となっているようだった。乗合所で購入した簡易地図には、海の幸山の幸が揃えられていると説明書きがある。

 市場を横切り海沿いへ向かうと、観光船の乗り場があるらしい。


 反対に北側では、住民向けの雑多な店がならんでいる。その向こうは漁民の町へと抜けているようだ。この国の一般的な暮らしを見たいなら、こちら側だろうと目星をつけた。


 そして、最も大きな目玉は運河だろう。

 この街は二つの運河で区切られている。

 現在、この大陸に残る最古の運河ということだ。

 大広場の南側に一つ、北側に一つ。それらが海から、陸側を隔てる崖下まで延び、間にそれぞれ橋梁がある。


 崖は段々に削られ、その各段に滑車装置が設置されていた。あれで陸側との物資のやりとりをしているのだろう。

 古いが丈夫そうな石造りの橋や幾つかの建物を見れば、造られた当時からなかなかの石工技術を持っていたように見受けられた。


 橋の上から運河を眺めると、積荷を載せた小舟が幾つも行き来していた。

 少ないが人を乗せている姿もある。移動するのに必要な時があれば、乗ってみようかしらと、予定ともいえない予定を頭の片隅に書き込んだ。


 ひとまず大広場から見える範囲をざっと周り終えると、宿を取るために北通りへと踵を返す。

 雑多な商店街側に安宿を見つけていたのだ。




 翌日から、市街地を散策しがてら仕事の種を探して歩いた。

 地元向け商店街の雑貨屋に、自前の細工品を買ってもらえるかもと寄ってみたのだが、何か仕事がないか尋ねると、店主は飛びつかんばかりに喜んで店の掃除を提案してくれた。幸先がいいと喜んだものだ。


 長く経営しているのだろう。狭い店の棚にはみっちりと物が詰まり、さらに新しい物品で後から後から覆っていったのが伺えた。あろうことか棚の手前の床にもに、箱に詰めたままの商品が溢れ、近付くこともできないでいる。

 道具作りの合間に掃除するには遅すぎた状態だと、途方に暮れていたようだ。


 商品を一時避難させる場所もないため、一部分ずつ掃除して戻してと、繰り返さなければならない。短期間でこなすには難しいと思ったが、私も新たな街に着いたばかりで意欲に溢れていた。

 これは、一日では無理だというわけで、ひとまず三日の予定を店主と取り決めた。

 宿の名を伝えると契約完了だ。


 これこそ、私のような人間のためにある仕事だと喜んで取り掛かった。

 掃除しながらではあるが、この街特有の品を知ることの出来る良い機会なのだ。


 壊さないよう、丁寧に商品を移動し、柔らかな布で少しずつ埃を払っていく。

 市街地とはいえ商船のある影響だろうか、変わった風合いの物も見受けられた。

 掃除をしながらも、作れるものはないかと、様々な物の形や用途を記憶していく、充実した一時だった。


 結局、三日間のすべてを雑貨屋で過ごすことになってしまったが、おかげで手持ち分の小金を使わずに済んだことに加えて、食事まで頂いてしまったのは本当にありがたいことだった。


 その後も、気のいい店主はちょっとした配達や、雑貨作成の手伝いなどの仕事を斡旋してくれた。その合間にを少しずつ街を見物していたのだが、遅まきながら一日中時間を空けることができ、本格的に探索へと乗り出したというわけだ。


 それが、森に迷うことになり、人生を変えてしまった日だった。



 ***



 そんな風に過ごしていた自分自身を、まるで別人のように感じた。

 思えば、街の景色や空気に胸が掴まれるように感じていたのは、あの時からそうだったのに……どうして気が付かないでいられたのだろう。


 思い返しても、何か答えが出るわけでないのは分かっていた。気持ちを落ち着かせるにしろ切り替えるにしろ、そうした時間が必要だっただけだ。


 すがすがしい、植木や下草の芳香が気持ちを宥めてくれるけれど。

 そうして自然の音を聞きながら、彼の戻りが待ち遠しくてしかたがなかった。



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