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第六話 ●懊悩

 懐かしい頃の夢を見たものだ。

 旅人になるために手を貸してくれた恩人との生活に、しばし思いを馳せる。

 宿に泊まるお金などない私のために、彼女は共に野宿をして過ごしてくれた。その時は、私のために付き合ってくれたなどとは知る由もなかった。


 今も着ている外套(ローブ)は、彼女が作れる旅人を掴まえて用意してくれたものだ。

 この生地が特殊で、数種類の薄布を多重に縫い合わせて作られている。内側は粗目の薄い生地、外に行くほど目が詰まり丈夫で硬めの生地。水を通しにくく、埃を払いやすい。外気温との差を保つのに適している。これ以上ないほど、旅人に合ったものだった。この風合いが独特で、一目で旅人と分かる所以でもある。

 やはりこういった技術は、生粋の旅人から出てきたものらしかった。

 こういった必要な物を、彼女は気が付いたら揃えてくれていた。


 その代金は内職でと、しばらくあれこれ作らされたが、それも私に生き方を教えてくれる為だった。

 そこまでしてくれたのには、彼女なりの理由があるようで、別れた日に聞かせてくれた。


「あなたの中に、生粋の旅人の魂にあるものが見えたの」


 生粋の旅人も、元を辿れば遊牧民的な文化を持つ部族の一つだったという。世界が固定化されていくに従い、逆に進んでいった結果が旅人だということだ。

 とはいえ、反発心からではなかった。彼らは、何か止むにやまれぬ気持ちに背を押されるように行動しているのだという。

 一族に、魂に刻まれた願いだと、彼らは捉えているようだった。


 その時はよく理解できないまでも、私は彼女の言葉を大切に生きてきた。


 だけど皮肉にも、彼女の夢を見た今、旅人とは逆の望みに囚われている。そこには後ろめたさだけがあり気落ちする。

 彼女に出会えなければ、あのまま野垂れ死にしていたのを救われたというのに……

これは無意識の戒めなのかもしれない。




 部屋で身支度を整え、少し翳った顔を鏡に映していると、朝食の用意が出来たと使用人から声がかかった。

 爽やかな風が通り、朝日が柔らかに拡散する明るいサンルームへと案内されると、彼は既に卓に着き、なにか書類を見ながらお茶を飲んでいた。

 私を見るや、澄んだ笑顔で話しかけてくれる。


「おはよう。昨日よりは顔色が良いようだね」


 彼の声も表情も、まるで昨晩の事など忘れてしまったかのようだ。


「お、おはようございます」


 私だけが動揺しているのだと思うと、少し悲しくさえある。

 もうあんな失敗をしてはならない。あんな、もの欲しそうな態度で彼を困らせてはならないのだ。あまり感情を表しては駄目よと自身に言い聞かせると、背筋を正して引かれた椅子へ座る。


 しかし漂う香ばしさにつられて、目の前に置かれた柔らかく温かなパンにバターがとろけているのを見ると、心が弾んで思い切り齧りついてしまうのだった。

 私の振る舞いに彼はまた笑っている。頬が熱くなるのを思わず手で押さえた。


 食事を終えて、お茶を飲んでいると、彼は街に出るかと聞いてきた。

 仕事のついでに送っていこうとのことだったが恐れ多いことだ。

 気になることもあったので断り、思い切って新たにお願いしてみる。


「できれば、書室をお借りできますか? この国の歴史を知りたいんです」


 今朝の夢で、価値観の根本を探るためにも歴史を学ぶのは良いことに思えた。


「ああ、もちろんだとも。好きに寛いでくれ」


 彼は相好を崩した。この国に関心を示したことを喜んでくれたらしい。

 最も真実に近い資料があるに違いないのだから、この機会を逃す手はない。


「しかし丁度良かった。言いづらいことだが、ここのところ盗難事件が相次いでいてね」


 だから出来れば人通りの多いところで過ごして欲しいとのことだった。

 また迷いでもされたら心配だからねと、冗談めかして釘を刺される。

 また頬が熱くなるのを感じつつ「もう迷いません」と約束する。


 彼はその盗難事件について掻い摘んで話してくれた。

 突発的なものやスリなどと違い、複数人での組織的な犯行らしい。盗まれる対象に場所や時間など共通項が多く、一つ一つ追っていたのだそうだ。あえて違うものを狙った部分もあり、計画的だという。

 そして、あらかた証拠が揃ったので現場を取り押さえた。

 それが昨日、私が巻き込まれた事件だった。


「捕らえたのに、なぜ心配してくださるの?」


 彼は少し困ったように、自身の前髪をかき上げる。


「まだ幾つか、不審な点があってね」


 きっと、まだ何か続いているのだ。もちろん捜査中の事は話せないだろう。ひとまず終わったことを話してくれたというわけだ。彼らがどうなっているか、私が気にしていると考えてくれたのかもしれない。


「分かったわ。教えてくれてどうもありがとう。街に出るなら、十分気をつけます」


 それを聞くと、彼は使用人の一人に私の世話を言いつけて出かけていった。

 彼の後姿を見送ると、私も使用人に付いて書斎の隣に続く書室へと向かった。




 書室につくと、別の使用人が用意したのだろうお茶が、既にソファのサイドテーブルへと置かれていた。

 早速、棚の端からさっと題名を辿る。この国に関するものなら全て揃っているのかもしれない。様々な厚さの本が並んでいる。

 大昔、この国が出来る前の事は省いていいだろう。興味はあるが、そこは追々知れればよいと思う。そもそも国の興隆期以前の大争乱時代の事ならば、ある程度各地で共通した文献に当ることが出来るはずだ。


 今後、訪れた先でも知る機会はあるといえる。ふと、また旅について思い至り、煮え切らない己の心を苦々しく思う。

 今は、目の前の宝物に集中しなければ。


 棚の端に、よく読んだであろう積まれた本の中で、特に傷みのひどい本が目に付き手に取る。

 それは子供用なのだろう、この国に伝わる伝説の書かれたものだった。彼も、幼い頃は読み聞かせてもらっていただろうことが伺え、自然と笑みがこぼれる。

 それを手にソファへと腰を下ろした。



 ***



 遠い遠い昔。はじまりの物語。

 人は大陸のあちらこちらに散らばっていき、それぞれが住み良い場所を見つけました。やがて幾つかのまとまりとなりなります。


 我ら陸の祖先は南の端、全体が高台でありながら海を見渡せるこの場所を、安住の地と定めることにしました。


 片や、波の求めるまま海上を漂う生活をしていた我ら海の祖先も、やがて自分達だけの還る場所が欲しくなり、この南の端へ辿り着きます。

 守られるように断崖に囲まれたこの地は、里にふさわしく思えました。


 二つの民の出会いです。

 あわや争いかというところでしたが、話してみると天の采配か、二つの民は互いに得意なことが違いました。

 こうして、海側の領地、陸側の領地とし、手を取り合ってこの地を守り立てていくことになったのです。



 遠い昔。国つくりの物語。

 二つの領地も落ち着き平和に暮らしており、信頼の証として、領地の境界にある森の一番高い場所へ神塔を建てました。

 そこからは領地の全てが見渡せるのです。


 そのころ大陸中で、平和による変化が始まっていました。

 あちらこちらのまとまりは、結束を固め、各地との交流をはじめることにしたのです。

 陸のことですので、我らの祖先は、その交流を陸の領主が受け持ちました。

 各地と交流をはじめてみると、『国』という、より明確な形へ取りまとめられていることを知りました。


 我らの祖先は、我らもそうすべきなのか悩みました。二つの全く違った性質の民である故、一つにまとめるなど不可能に思えたのです。

 確かに陸の事は陸側へ任せると取り決めましたが、対外的にとはいえ、陸側の領地の一つなどと思われることは海側には受け入れがたいことでした。


 二つの民は、徐々に不満を募らせていき、争うまでになってしまいました。

 違い故にうまくいき、違い故に違えたのです。


 しかし、我らは幸運でした。

 それぞれの素晴らしい領主に守られたのですから。


 そのとき、海の領主、陸の領主共に、若くして跡を継いだところでした。

 いきなり襲った大きすぎる試練でした。

 しかし二人の心は、街をより良くしたいとの想いに燃えていました。


 領主達は争うべきではないとそれぞれの民へと訴えかけました。

 ですが煽られてしまった民の荒ぶる心は簡単には静まりません。

 誰も彼もが自分勝手な不満を撒き散らします。


 賛同者は少なく、領主達は困り果ててしまいました。

 疲れ、悩んで、一時の安らぎを求め、境界の森へと体を運びます。

 そして神塔で、二人の領主は話し合いの末に、生涯を共にすることを誓います。

 ここで会わねば後世は違ったものであったでしょう。恐らく悪いほうに。


 女性ながら荒れ狂う波の如く力強き気性の海の領主。

 男性ながら柔らかな物腰の、それでいて大地の如く揺るぎない意志を持つ陸の領主。


 何もかも違う二人でしたが、彼らの想いは同じでした。

 二人は手を取り合い、改めて民へ切々と訴えかけました。

 大切なものを守りたい気持ち、愛する気持ちは皆おなじ筈であると。

 今まで二つの領地でつなぎ育ててきたもの、それらは準備を終えいよいよ束ねられる時が来たのだと。

 海の領主の慈愛の涙は、静かに皆の魂へと降り注ぎ、民の荒ぶる心を鎮めたのです。


 領主達の婚姻により、彼らの祈りは果たされました。

 我らが国は海の領主によって静まり、陸の領主によって導かれて行くことになります。

 婚礼の日、晴れやかな空の下、歓声が響き渡ります。

 『荒波の上に幸あれ!』

 誰ともなく言いはじめ、その言葉は街中を埋め尽くしました。

 この時から、お祝いの時にはこの言葉を捧げるようになったのです。


 二つの地が交わったこの日を祝福するように、神塔の上空には大きな虹の橋が架かったと伝えられています。



 ***



 そっと膝の上の本を閉じる。

 これは街で聞いたものに一番近いお話だった。

 他にも王様とお后の逸話が数編収められていた。

 微笑ましく思いながら読み進めたが、昔話にわくわくするのも不思議なことだと思う。心躍らせるのは、未知への期待故ではないのか。まだ起こっていない事象だけでなく、時に人の心は過去へも未来を見る。


 伸びをして、夢見心地の頭をすっきりさせた。


 次は何を読もうかと首を傾げ、棚を眺める。

 もう少し実際的な事も知るべきだろう。そこで一際分厚く立派な本を手に取った。

 それは実際にどうであったのか、どう進んでいったのか。編纂者が地道に聞き込み、文書化したことを軸に、当時の者らが残した文書も所々含まれているらしい。

 先ほどの伝説についての真偽を計るに相応しい内容だった。


 大雑把に要約すると以下のようである。


 領内に、交易での条件などで不満が高まり、やがて諍いへと発展する。

 先ほど読んだ伝記では、領地の境目で若い領主達は恋に落ちたということになっている。


 実際は元々互いに落とし所を探っていたのだが、盛り上がった気勢を削ぐのは容易でなく、無理にでも収める決意で領主同士の会談を申し込む。

 場所が神塔なのは領地の境目で中立勢力であるからに過ぎない。

 その場で協力体制を組織し反発する者らへの牽制に転ずる。


 主だった反勢力は、既得権益を手放したくない者達。陸海側共に商人だ。次に、それまでの関係から彼らに意見をし辛い前領主などとのことだった。


 民は各々の主に従ってはいたが、やがて平定の為に尽力する若き指導者達を応援し始める。

 厭戦の雰囲気が広がったところで、二人は互いの勢力を引き合わせ、説得のため新たな利益享受についての構想を提示する。

 それまで各地主や商隊長がばらばらに売買していたものを、販路を吟味し物流調整をし易くするなどだ。


 それに関する開発計画が、あの運河を含めたものだ。

 領地間の崖沿いを削り、運河を整え、物資の移動をし易くする。領地を隔てていた森を拓いて街道整備をし、乗合馬車運営や宿場町を設け他の国からの行き来をしやすくする計画等など。二人は創意を凝らした。


 手を取り合えば相乗効果で利益をもたらすのだと、すぐに実行できるよう細部まで計画して、若き領主達は会合に臨んだのだ。

 そうして、二人の熱意に押され皆が納得した。

 実際、その後は運搬流れが良くなり、それまでとは比較にならない発展を遂げたのだという。


 このように史実では、民の間にあるような一目で恋に落ちてめでたしめでたし、というわけではなかったようだ。

 けれど、かなりの苦労をしたのだろうことが読み取れる。共闘する内に信頼を育んでいったのは確かだろう。




 先日、酒場で出会った旅人達と話した運河の曰くを思い出していた。

 この国での争いは建国時以降は無いとのことなので、私が住人から聞いた戦いで命を落とした兵の話は史実ではなかったらしい。

 少し面白く、そして少し残念にも思う。


 歴史――その言葉が、今まで感じたことのない重みでのしかかる。

 想い人である王のことを考えずにはいられなかった。

 彼の歩みは、これらの一節となるのだ。


 深い溜息がこぼれた。

 私は彼のことを知りたかった。これら紡がれた歴史の後に彼は居るのだから。

 そして、決して私が彼の道を歩ける存在ではないということを、言い聞かせることにもなった。


 なのに苦しくとも、全てを覚えておきたいという気持ちが萎えることはなかった。

 こうして私は、懊悩を誤魔化すように、その日一杯を読書に没頭して過ごした。



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