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こぼれ話●王様の視線

王様視点ダイジェスト

 物心ついた頃より旅人に憧れてきた。

 旅人の存在を知ったとき、その全く違う生き方に唖然としたことを覚えている。


 家を持たずに世界をさ迷い歩くこと。

 それが、個人個人の生き方というのではなく、彼ら全体の価値観だと聞いたからだ。

 そして私は正反対の存在であり、立場にあった。


 手が届かない存在だからこそだろう。そのような暮らしに憧れを抱いた。

 一度だけ父にその気持ちを話したら、困り顔であやされたことがある。

 その後は口にしなかったが、密かに、ずっと旅に出てみたいと思い続けていた。


 父の治めるこの国が好きだ。だからこそ、どう違いや同じ部分があるのかと、余計に他の国々を見て回りたいと考えた。

 他の場所で、人々はどのように暮らしているのか、興味は尽きなかった。


 やや成長し、私は国や人々に意識が向いていたのだということに気が付いた。

 旅人のように、世界を巡ること自体に興味があったのではないのだ。


 それは、少しの間でもいい、単にこの場所から逃れてみたい。

 そう思っていただけだった。

 王となるべく育てられてきたのだ。

 誰よりもこの国に縛られる――いや、そのような考え自体が幼く不遜であった。


 この国が嫌いなのではない。

 父を尊敬し、幼い頃に亡くした母のことも愛していた。


 とりまく人々も温厚である。

 他の大国と比べれば、一つの町と大差のない小さな国だという。

 格式ばってはいないし、特に自由を制限されているわけでもない。

 食べるのに困るということもなく、周囲に戦の兆しもない。

 大きな不安や、不満は何もない。


 恐らく、全てがあるからこその、贅沢な望みなのだろう。


 そう結論に至ると、何かを追い求めるような憧憬を、胸の内にしまって生きることにした。

 自由に旅をしたいといった、情熱をだ。

 特に何かに縛られているというわけでもないというのに抱いてしまった全てを、その後はうまく忘れ去っていたと思っていた。

 実際、夢想することもやめ、現実の問題に取り組んできた。


 ただ、考えまいとしていたからといって、旅人自体の存在を蔑ろにするつもりはない。

 優先順位は低くなるが何か国策に絡められないかと、そんな風に頭の隅に留めている程度だった。




 だが、出会ってしまった。


 旅人という種族のような人々と直に会い、話を聞く、初めて訪れた絶好の機会が。

 そして、あまりにも恩着せがましいやり方で引き止めた。

 断られる隙を与えまいと強引に馬車へと乗せ、攫うような真似までして屋敷へと連れ帰ったことは、本当に自分のしたことだろうかと未だに信じられない。

 その時はまだ、旅人と話す最初で最後の機会かもしれないからだと、己に言い訳していた。


 しかし、根本的なことが抜け落ちていた。

 彼らも同じ人間。

 そして、こんなにも魅力的に映るのだということに。


 彼女の丸い目は、光をよく取り込み、黒い瞳が水滴のような反射をする。

 長く伸びた黒い髪は、外を歩き回っているというのに艶やかなままだ。

 実際に種族などではないから、旅人特有の色ではない。


 ただ肌だけが、日を浴びて鼻を中心に顔を染めている。

 それが、幼い頃に抱いた旅人像の全てが詰まっているように見せ、輝いて見えた。


 彼女の受け答えや振る舞いの端々にも、これが旅人なのだろうといった自由さが感じられた。

 かなり長い間、心の奥底に押しやっていたせいで、己の理想を見出してしまっているのだと思えたほどだ。


 あまりに素晴らしい彼女の姿、そのすべてが本物なのかと疑わしく、気が付けば触れてしまっていた。

 掻き立てられた情熱は止め難く、熱に浮かされたようだった。

 彼女は、無礼な振る舞いを止めるどころか、逆に与えてくれた。

 乾いた砂地のような心を、潤すほどの味わいだった。


 もはや、旅人に興味があるのではなかった。

 彼女個人に惹かれている。

 そう気が付いたときには既に、どうあっても手放さないと決めていた。


 愚かにも、根気強く説得すれば、彼女は留まってくれるのではと悠長に考えていたのだ。

 思い上がっていた。いつもそうだ。




 彼女を、失うかもしれなかった。

 何も言わず出て行った彼女を、どう探せばよいというのか。


 生まれて初めて、正気を失った。

 そのときに自覚はなかったが、後で思い返せばそうだった。

 そうでなければ直感で動くなど、不確実な行動はしなかっただろう。


 しかし、それが何よりも正しいこともあると知った。

 その直感は、彼女と過ごしたことから示されたものだ。彼女が塔を見たいと言ってくれたからこその――。

 心の声に従っていなければ、今頃どうなっていたか分からない。


 煙の上がる塔の前に、力が抜けるようだった。

 目の前で、彼女を失うかもしれなかった。

 ただ立ち去るのではなく、永遠に。

 しかも、私のせいでだ。


 彼女は私の心だけでなく、国や先祖の想いをも、守ってくれたのだ。


 煤にまみれた彼女を取り落とさないようにと、気を抜けば震えそうになる体を戒めた。

 この腕の中にある宝物が、しっかりと息をしていることに、心の底から安堵していた。それだけで十分じゃないか、そう思えた。

 もう、この国に留まって欲しいなどとは言えなかった。


 彼女が旅に出るなら、喜んで送り出さなければならない。

 しかし、そう考えるだけで身を切られるようで、腕には逆に力がこもった。


 私が己の浅ましさと胸の内で抗っているというのに、目を覚ました彼女は私のことばかり心配していた。

 ひどい目に遭ったのだ。そして、命を失っていたかもしれないというのに。


 二度と手放さない。再びそんな想いが湧き上がっていた。

 傲慢だろうか。

 それでも、彼女がどこかで人知れず朽ち果てているのではと、頭を掠めるだけで息苦しくてはどうしようもない。

 そして、取り繕うのはやめた。




 結局のところ、私は彼女から与えらてばかりだ。

 しかし今は、そんな自分さえも誇らしく思える。

 彼女は私と過ごしたいと思い、この国に、私の傍らに留まると決めてくれたのだから。


 それから彼女は、私が幼い心に描いていた旅を、別の形で実現する機会を与えてくれた。

 外交という形でだ。

 それまでの貿易関係は、代々の流れで商工議会や執政官らに任せていた。


 単に物品の取引ならばそれでもよかったが、新たな試みを始めたのだ。

 ただの挨拶ではなく、私自身が取引をする機会だった。

 交流のなかった国々へも出向くことになり、この国にとってはかなりの冒険だった。




 与えられてばかりの私だが、彼女のためにできることはないかとたずねた。

 彼女はただ私に、彼女自身が帰る場所であってほしいと言ってくれた。

 私も願いは同じだった。


 命在る限り、彼女の居場所であり続けたいと願う。

 彼女と共に、二人の、そしてこの国の未来という旅は続いていくのだ。



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