第十五話●エピローグ
伝説の国作り物語があってこそ、私達二人の物語は起こり得たといえる。
初代国王方が、道を作ったからこそ旅人も行き来し始めた。
向こう大陸へ繋ぐ海路と陸路の交差する特徴的な場所だからこそ、滞在する旅人も増えた。
やや歴史が下ると、旅人は新たな権益である。
流通の要となったこの国だが、時代の流れにより、目に見えない物の取り扱い――人材派遣や情報収集などの環境を整える必要に迫られる事になる。
この国は、中央大陸へと渡ることのできる、二箇所しかない国の内の一つだ。
しかも幸か不幸か、ここから内陸の他の国へは、山脈や樹海等の広大な自然に遮られ距離がかなりある。整備してある街道も、それらを迂回した海沿いに作られたものなので、どこへ行き来するにも時間がかかる。
この国ならば、船舶技術の向上に力を入れた方が良い。しかし、船を活かすには他国への開港の協力が必要だった。今まではこんな小国との取引の為にわざわざ協議する理由もなかったろう。
各地を移動し続ける旅人にとっても、商人ら民間移動者にとっても重要な場所なのだが、もう少し便利になっても良いような気がしていた。
それが、新たな発展の手掛かりを探していた、王の求めに合致することとなる。
「旅人との新たな形を結べたら私も嬉しいと考えている。彼らの迷惑にならなければだが」
「彼らの動きを制限するのではなく、でも役立てることを、提案という形で選択できるような制度なら、受け入れてくれるのではないかしら。矛盾しているみたいで、難しいとは思うのだけど」
初めは単純なことだった。
現在も、乗合馬車乗り場と併設した簡易の観光案内窓口がある。観光誘致の一環として、そこで出来ることを、もう少し増やしてみてはどうかと、私はその程度の考えで提案したのだ。
私の頭には、昔あったという旅人の支援機関が思い出されていた。
それは生粋の旅人達のご先祖方が用意した、世界に旅人たちが受け入れられるよう、各国との橋渡しなどが上手くいくまでの間を尽力したというものだ。
それを、今の時代に沿った形で復活してみてはどうかという私の希望だった。
こういった旅人の歴史も、私が独り立ちするまでお世話になった旅人の女性から習ったことである。
「素晴らしい人だね」
彼の言葉に私は目を伏せ、呟いた。
「彼らの邪魔にならないことで、なにかお礼をしたいの」
旅人でなくなったことで心残りがあるとしたら、彼女に不義理をしてしまったことだけだ。
「君と巡り会うよう尽力してくれたことに、私も感謝しなければいけないな」
こうして私達は、旅人支援組合の設立を試みた。
国内の案内だけではない。外へ向かう者達のためにも、もっと多くの場所を案内しようと、各地の特徴をまとめた資料館を併設したことから始まった。
まずは乗合馬車の駅兼観光案内所を改築しただけだ。
以前より広くなった壁に、移動先である各地の情報を貼り出していった。
そして、それらの場所から来てくれたり移動後の旅人たちから、流行や特色など最新情報を送ってもらうなどの取引を始めたのだ。
各町で、その時々に需要の高い技術等の知らせを受け、資料館に掲示し、該当の技能を持つ旅人が訪れやすいように援助する。
彼らの行動を妨げないよう、直接的には何も手助けできない。国としてできるのは、船や馬車を増便し、安定した移動を維持できるよう試みることだった。
「利用したい人は利用するでしょう。旅人限定と言ってしまうと気にするでしょうけど、全ての移動者に便利なことですもの。限定することはないと思うの」
「しばらくは、乗合馬車の観光案内所に、試験的に導入して様子を見ようか」
初めは赤字で苦労したけれど、各地が理解し、旨みがあると考えてくれれば話は早かった。遠くとも移動手段がしっかりあり、行き来し易いとなれば自然と人は集ったのだ。その恩恵は、予想通り旅人だけに留まらなかった。
これらを、取引のある町々に持ちかけ、相互支援の協定を結んでいった。
その後も徐々に行き来できる国を増やしていったのだが、それらの実績が国交への良い土産となったと、外交から戻った彼は喜んで話してくれた。
「君は私なんかより、よっぽど経済政策を理解しているよ」
彼はそう言いながら私を甘やかす。
心から喜んでいるのが、抱き上げてくれる腕からも伝わってきた。
「私の提案なんて、真面目に聞いてくれてありがとう」
経済政策なんて大仰な言葉に恥ずかしさを覚え、照れながらそう答える。
今までの旅で、こんなものがあったら良いなと思った程度のことをまとめて、彼と話してみただけだ。
彼がうまく現実的な形になるように変えてくれた。
私は彼に、生粋の旅人と街人出身の旅人の性質の違いも伝えておいたので、その調整点などを洗い出すためにも制度の試験導入を勧めてくれたのだ。
そのお陰で、よりしっかりと形が定まったのだから、とうてい私自身の手柄とは思えない。
試験導入時に、私がしたことを思い返した。
街人出身の旅人だった私の企画など、生粋の旅人には受け入れがたいのではないかと不安があった。
そもそも、旅人からまたもや街人に戻ったことになるのだし、不興を買うのも覚悟していた。
そこで、乗合馬車停留所にはりつき、旅人や旅行者、行商人とあらゆる人を捕まえては感想を聞いてまとめていった。
反応は是も否もないといったところだったが、どういうものかと想像しづらいらしかった。
それでも物珍しさにだろうか、多くの外来者が設備を利用してくれた。
着々と準備を進め、いよいよ他国へも公表し正式に新制度を導入したのだが、思った以上にすんなりと受け入れられて胸をなで下ろしたのだ。
小さい国故、小回りが利くことも良かったのだろう。だけど国の関係者は、自身や国の助けになるならばと出来ることをやってみただけだ。
一生懸命取り組みはしたけれど、市場の催し物企画程度の気持ちだ。
関わった全員の努力で形になったのは間違いない。
「特に、始まりの彼女のお陰なのよね」
変わらず頬を撫でる、温かく湿り気のある風を受けて、空を見上げる。
ある日も、そうして観光案内所の様子を見に来ていた。
そして何気なく、受付窓口の側に置かれた紙束を手に取った。
来訪者に意見を求めて記帳をお願いしているものだ。
実際に書かれていることは、観光の記念にといった風に書かれたものばかりだった。
残されたそれらの、誰に対してでもない短い書置きに、つい笑みが浮かんでしまう。
だけど、この日は違っていた。
私は青褪め、ひどい形相だったのだろう。窓口に飛びつくようにして問いかけると、受付嬢は仰け反った。
「これは……これは誰が、いえ、いつ頃残されたものか分かりますか!」
「え、ええ、頁を変えたばかりですので、ここ一週間ほどのものだと思われますよ。しかしどなたかは……」
「いえ、いいんです。どうもありがとう!」
一週間……それならば旅人の行動内。まだ町に居るかもしれない。
そう思った途端、私は走り出していた。
残されていた文章を、口の中で繰り返しながら、走り続けた。
『あなたは、私の、そして生粋の旅人の想いを正しく受け取ってくれていた。その内、新しい人だらけになるでしょう。でも、街人の中に私達の想いは生き続ける。そのことを示してくれた。私があなたの中に見たものは、正しかったのだと、証明してくれて嬉しいの。本当にありがとう』
王妃となった身分など忘れて、ただの少女だった頃へと戻っていた。
全てを失った村で朽ちるよりは、旅人として生きたいと出向いた町で、私を導いてくれた人。
互いに名など知らない。
だから、彼女はどこかで私を見かけたのだ。
馬車からだろうか。
それとも案内所でだろう。
私に任された仕事だからと、案内所には度々出向いていた。
そこで見かけて……これは希望だけれど、もしかしたら懐かしくなって残してくれたのかもしれない。
頬が冷たくて、乱暴に払った手は濡れていた。
知らず、涙がこぼれていた。
私は彼女の信頼を失っただろうと思っていた。
彼女が、私の中に旅人の魂があると思ったからこその厚意を、無駄にしただろうかと。
外見だけを真似ても仕方がない。それは、人の好いご婦人たちも教えてくれたことだ。随分と勇気付けられた。
けれど私にとっての旅の始まり、そこにいた彼女に、そう言ってもらえたのなら、初めて許されたような気がした。
彼女の言葉は、何にも代えがたい宝物だ。
宿屋を巡ったけれど、どこにもそれらしい泊り客はいない。
最後に以前私が泊まっていた安宿を訪れたけれど、気落ちする結果だった。
この国からの去り際に残されたものなら、もういるはずはないだろう。
埠頭へと足を向けると、汽笛が鳴った。
一隻の帆船が出航するところだった。
そして、手を振る観光客の間に垣間見えた、静かに佇む旅人の外套。
止まりそうな心臓を叱って、埠頭の端まで走り、叫んだ。
「ありがとう! 貴女の親切は、忘れません!」
それが彼女かといえば、自信はなかった。
でも、小さくなっていくその姿は、手を振り返してくれた。
彼女ではないとしても、それは生粋の旅人の行動だと思う。
「そうね、もう泣かない。彼女や、今まで出会い、真実の言葉で語ってくれた生粋の旅人たちのためにも。私は、私の魂にあるという旅人の心を信じて、生きていきます」
帆船の残した引き波に、私は密かな誓いを立てていた。
その後は一層、旅人支援組合を浸透させるにために心血を注いだ。
もう小さな街の催しなんてつもりはなく、誇りを持って取り組んだつもりだ。
そのせいなのか、予想外の方向へ事は大きくなっていった。
後々になって大陸中に採用される、移動者に関する法の礎となるなどとは思ってもいなかった。
どうやら、元旅人だった后の案ということで、必要以上に信頼を寄せられたこともあるようだ。
隣に座る王は鼻高々だったが、私は面映い気持ちで成り行きを見守るしかなかった。
とまあこれは、私達が収まるべき場所に収まった後のお話。
今は婚礼の儀に集中したいと思う。
***
根を大地に下ろした人々にとって、余所者が妃など不安な要素となりそうなものだが、脈々と受け継がれる旅人の血は思ったよりは浸透していたらしい。
たんに海を渡り歩いていた先祖の血故かもしれないが、反対する者は現れなかった。
それよりも、この旅人の女は我らが王と国を守った。
酒場など街の端々で、そう熱く語られていた。
大広場にある三階建ての宿屋、その食堂として使われる二階、迫り出したバルコニーが伝統的なお披露目に使われる。
そこから、大広間を埋め尽くす民衆の前に、二人は肩を並べて立った。
よく晴れた陽射しが、その光景を鮮やかに浮かび上がらせる。
王は神塔に受け継がれる緋色のマントを、王妃は神塔の柱の如く輝く白いマントを、それぞれ風に任せるままに、たなびかせている。二人が互いに取った手を掲げ、空いた方の手を民へ振ると、胸元の金糸の飾り紐が一際輝く。
「荒波の上に、幸あれ――――!」
広場からの祝福は、いつ途切れるともなく響き渡った。
街人はみんな似たようなことを思っていた。
統一戦争の英雄の婚儀を目にしているようだと。
大海をさすらう国の女と、大地を支える国の男が、強い絆で結ばれ合う誓いの場が再現されているようだと感極まっていた。
今、世界をさすらう旅人の女と我らの王が、新たな国を築こうとしているのだ。
旅人と街人を繋ぐ、新たな形の強力な国になる――結果的に皆はそう考えた。
それに、我らの王が簡単に女房を手放すはずがない。旅人の女も、逃げようったって不可能だろうさ! という風に。
私も、そう思う。
彼を愛する自分の心から逃げたりすることなど、決して、二度とはないだろうと。
私達は熱く見つめ合うと、皆の祝福へと答えるように手を振り続けた。
しかし、互いの目には、お互いの未来だけが映っていた。
私は気付いた。旅人の身分を失くしても旅は終わらないのだと。
その旅は、ただ形を変えただけ。私のものだけでは無くなっただけだ。これからは私達二人の旅となるのだと。
彼も、もう旅人に憧れることはない。彼自身の自由を手にしたのだから。私は、この先の道を彼と共に歩んでいく、彼だけの旅人だ。
そしていずれは、私達の子孫にその道は続いていく。
旅は、続くのだ。これからもずっと。
(終)
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