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荒波の上の王国―旅の終わりは王様の腕の中で―  作者: きりま


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第十二話●回遊

 私は、手入れの悪い安宿の一室に、呆然と倒れ込んでいた。

 執事に追い出されたのは、つい先刻のことだったのか、それとも昨夜の出来事だったのだろうか。

 たんに私は悪い夢を見て、疲れ果てているのかもしれない。


 外を見ると、相変わらず深い濃紺に覆われた夜空が広がっていた。まだ人々のざわめく声が聞こえている。

 重い身体をほぐすためにお湯を浴びたいと思ったが、こんな安宿に浴場などある筈も無い。


 だがもう何でもいいような気がした。

 この身を清めてくれるなら。

 小さな木の台に置かれた桶に手ぬぐいを浸し、冷たい水で体を清めると、次は酒場が恋しくなった。

 特に、体を芯から温めてくれる飲み物のために。


 ずいぶん長いこと、この街に住んでいたように道を覚えている。初めに訪れた安酒場へと足は向いていた。

 この街は、悪夢とは無関係に、陽気な賑わいに包まれている。

 街並の彩りの中に、時折現れる海蛇と隼の意匠が、背けたくともまとわりつくように視界を掠める。


「夢と、なんてそっくりなのかしら」


 早く、ここを離れたい。この夢から覚めたい。

 海を渡り、この国どころかこの大陸を離れる為の船は、明朝夜が明けてからの出立だ。

 幾ら恨めしく船体を窺い見ても、今は波間に黒い影となって佇み眠っている。


 ほどなく、旅人の仲間と一時過ごした懐かしさのする酒場へと辿り着いた。

 店の空気も何もかもが記憶と変わりない。ただし、今回は一人だ。

 やや湾曲したカウンターの片隅で頬杖を付き天井を見上げる格好で、分厚い脚付きグラスを口へ傾ける。周りに人は居ない。壁に掲げられた照明の、蝋燭が揺れる様をぼんやりと見やる。


 黄金色のお酒が喉を通る度に、胸の奥を掻きむしるような刺激を与えた。

 飲む度に心まで焼け爛れるように痛む。でも、それでいい。こんなにぽっかりと空いてしまったような恐ろしい空虚さなど、忘れてしまいたい。

 それが業火の中の苦しみだとしても。


「おや、あんたはこの前の娘さんじゃないのかい?」


 聞き覚えのある声だった。

 ぼんやりとその顔を見上げる。


「夢の中の、旅人のご婦人だわ……」


 彼女は困った顔をしながら、私の隣へと腰掛けた。


「ちょっとばかし、ご一緒させていただくよ」

「お久しぶりです……それとも初めましてかしら?」

「そんなに飲んじゃって。若さに自惚れるのは危険よ」


 私はぐるぐる回る頭の中から、彼女の顔へと意識を集中しようとした。


「でも私、とっても喉が渇いているみたいなの。いくら飲んでも、元気にならないけれど……」

「何があったかしらないけど、およしよ。自分を痛めつけても何もいいことはないわ」


 私を気遣うような暖かい手が背中を撫でてくれる。


「……これは、夢じゃないの? じゃああなたは、あのお節介なご婦人なのね?」


 涙が、一粒、こぼれて落ちた。


「変ね……なんだかあなたが、とても懐かしく思えるの」


 彼女はグラスを置いて私を抱きしめ、宥めるように背中を優しく叩いた。

 今は彼女のお節介がありがたかった。


「私、ちょっとこの街に深入りし過ぎたみたい。明日には旅立とうと思うの」


 自身に言い聞かせるつもりでそう告げた。

 この街に魅了されていると気付いた時に、そうすべきだったのだ。こんな振り切らねばならぬほど愛しく思う前に。

 それが正しいと言ってくれると思ったのに、彼女は眉を顰める。


「出て行く必要があるのかい。あんたは、もう旅人じゃないだろう?」


 背に触れたやさしい手とは裏腹に、彼女の声は厳しかった。

 その言葉は、私には意外に思える。


「どうして……そう思うの?」


 何も話していない筈なのに。それとも噂が広がっているのだろうか。


「典型的な恋煩いってやつに見えるよ。若い娘さんがそんな風に荒れるなんて、理由は幾つもないさね」


 ご婦人は大したことないという風に言ってのけた。私は驚きに目を見開く。

 彼女は生粋の旅人の末裔だ。

 土地に愛着が沸いて留まろうとすることなど、人生を諦める事に等しい。


 私が街人由来と知っているとはいえ、それでも早く街を出るよう促されてもいい筈だった。

 だけど彼女の口調は咎めるようであり、諭すようでもある。


「あんたがやろうとしているのは旅じゃない。それは放浪っていうのさ」


 何が違うと言うんだろう。


「分からない? ただ迷っているだけなのよ。何かを目指しているわけじゃないの。旅への目的も、意志も、希望も、楽しい気持ちさえ何もないじゃないのさ」


 私は思わず席を立っていた。


「逃げるのかい? 相手が何だろうと、どうして真っ正面から向かっていかないのさ」

「そんな事、できるわけ……」

「出来るわよ、私達は、いやあんたも旅人だったのだもの。目的が決まらなきゃ、そこを動けないのさ。ま、矛盾するようだけどね」


 ふん、と肩をすくめてご婦人は不満げに答える。

 彼女は占い師か何かだろうか。そんな技術を持っていても、まあ不思議はないのだけれど。

 淀みなく私に必要な事を伝えてくれる。それとも、私の欲しい言葉を言ってくれているだけなのだろうか。


「まあ旅はともかくね、あんたの場合、目的はもう決まっているんだろう? だったら、そこを目指さなきゃ」


 それでも、彼女の言葉は力強く、希望を感じさせてくれた。

 ようやく彼女達の言っていた、旅人の心は私達の魂にあると言った意味がわかるような気がした。


 酒場で私に忠告してくれた彼らの言葉によれば、街人は形から入って、本当に大事なことが何かを見落としがちなのだろう。

 初めから、彼らはそれを話してくれたのではなかったか。


『旅は、自分の中で終わったときが旅ではなくなる時なんだよ』


 それを覚えておいてと忠告してくれた筈だ。

 たとえ、そんな時が来たとして、別段特別でも深刻でもないといった風に彼らは話してくれた。

 まるで、私がこうなるのを知っていたかのように。


「結局、同じなのかしら。立場は違っても、生きるために必死になること……」

「そうそう、その通り!」


 彼女の笑顔に励まされる。

 なりふり構っていられない。いいえ、初めからなりふりなど関係なかったんだわ。


「……ありがとう。私、旅人の誇りを傷付けるところだったのね」


 それまで冷え切っていた体の芯が温まり、力が沸いてくるのを感じる。 


「行って来るわ」


 弱々しいでしょうけど、笑顔で言えた。もう、大丈夫よ。


「踏ん張っておいで」


 一度だけ彼女を抱きしめると、街へと飛び出した。

 後悔しないよう振り返らずに突き進むために。




 旅人の行動力を見縊ってもらっては困る。

 昨晩、酒場を出た後、私は全財産を、と言っても大して価値のない宝飾品だが、それらを換金し準備を始めた。身なりを整えるためのものと、貸し馬車の一日の賃料と、手紙を送る為の使者の代金に充てるためだ。


 今朝は大急ぎで街中を走り周り小物を買い揃えると、宿へと戻っていた。昼までには身支度を終え、陸側の領地まで出向かねばならない。 


 昼から始まる、屋敷の婚約披露会場へと乗り込むのだ。


 安宿に似合わない、そこそこ品のある衣装や道具をベッドに並べる。

 小さく曇った鏡に向き合うと、気合を入れなおして準備にとりかかった。

 旅人の衣類を脱ぎ捨てると、飾り気のない簡素だが優雅なカッティングのロングドレスに手を伸ばす。足元は僅かに踵の高い、艶を出した革製のショートブーツ。腰近くまで伸びていた真っ直ぐの髪は、昨晩の内に背の中ほどまで切りそろえていた。頭の後ろでやや高めに無造作に結い上げ、わざと幾筋かの髪を垂らすままにしている。


 化粧も派手にはせず、目元にだけ女性らしい華やかさを添えた。

 これなら会場に潜り込んでも、遠目に浮くことはないだろう。

 館に送った手紙には、隣国からお忍びで参った、田舎貴族といった風の手紙を出しておいた。


 乗り込むとは言ったが、場を荒らすつもりは更々ない。

 追い立てられるように出てきてしまったのだ。追い立てたのは執事だが、あのときの私は、迷う自分自身の心に挫けてしまったのだと思う。


 どの道、出て行くのだったとしても、堂々と表からにしたかった。どういった形でかはともかく、せめて区切りをつけるべきなのだ。

 あれこれと理由付けしようとしていると、ふいに気付いた。


 もう一度会いたい。

 単純にそれだけのことなのに。難しい状況になっていく。

 また弱気な心が顔を出し思い耽りそうになるのを、押し止め気合を入れなおす。

 今は思いつくまま行動してみる他ない。今日の行動について集中する。


 館の間取りは頭に入っている。

 いざとなれば、彼を探して回るかもしくは、寝室に潜り込む。

 それはあまりにも大胆すぎるかしら?


 書斎に、書類に混ぜて置き手紙をしておくだけでも、思いは果たせるかもしれない。

『私はまだ、街にいます。毎晩あなたを想って、暮らしています』

 これでは湿っぽいだろうか……。




 さて、あれこれ思い悩むも、時は待ってくれない。私は陸側の領地へ舗装されたゆるやかに上る坂道を進んでいる。

 ガラガラと言う音が耳に届く馬車の中。それ以上に自らの鼓動の音が強く響いているのを聞いていた。


 とりとめもなく、窓の外に流れていく岩壁や木々に目を向ける。

 意気込んで準備を整えると馬車に飛び乗ったわけだが、高揚して現実感が沸かない。旅人の中でも、私は特に目立つことを好んでいなかった。目立つ芸を持つわけでもないのだけど。

 こんな大胆なことをしでかすなんて、自分が信じられない。


 これが本当に私なのだろうかと戸惑う。

 でも、今は、自分らしいとからしくないなどと、気にしている場合ではない。決断すべきときがあると理解していた。今後もあるのだろうが、己の尺度では計り知れないことは突然起こるのだと。


 決して戻れない、分かれ道に差し掛かっているのだ。

 他にやり方もあるのかもしれない。悲しいことに何も浮かばないけれど。

 ただ、この行動の結果で生き方が決まるだろう。そんな重要な局面なのだ。先を気にしても仕方がない。


 そう、今日に賭けるしかない。

 彼に正面から向かい合う機会はもうあるとは思えなかった。

 なぜ直接咎められたわけでもないのに、執事の言うまま出てきてしまったのか。動転していた。自分に自信がなかったから。周りの尺度に己の感情までも押し込めようとしていたから。


 だからどうだというの。後からでなら何とでもいえる。

 周りの言葉と切り離して自分の心に問うべきだったのだ。


 それに、なぜ気が付かなかったのだろう?

 屋敷の主は王である彼だ。それなのに、私は何も言わず出てきてしまった。今まで知りえなかった気持ちや、多くのことを貰った彼に対して挨拶一つなく。


 きっと彼も悲しんだり、心配してくれたかもしれない。身分が違うのだからそんなわけないと思いこもうとしていたけれど、彼も一人の人間だ。

 話した事を思い出す。心を許した態度だったように思う。階級など考えなければ、友達になれたと思ってもいい。


 不思議だけれど、彼は自然に接してくれていたように思う。居心地が良かった。いや、彼のお膳立てに甘えていただけなのだ。

 私がギクシャクと余計な距離を作っていただけ。申し訳なくて情けない気持ちになっていた。


 今朝から張り切っていた内容を思い出し、再びため息を吐く。

 自分のことばかりね……。


 会ったらどうするか、もう一度よく考える。

 ただ謝りたい。

 お世話になったのに勝手に出て行ってごめんなさい。

 彼は腹を立てているかもしれないけれど、それでもいいと思えた。


 それ以上、言葉が交わせるかも分からないのだ。それで満足しましょう。

 彼に直接会える機会など……二度と無いかもしれないのだから。


 あれこれ悩んでいる内に、貸し馬車が屋敷の門を通り過ぎていた。

 もうすぐ到着する。

 彼のいる場所に。

 胸が高鳴り、幸せな彼との記憶が心を駆け抜けた。


 自然と目の前が霞んでくるが、はっとしてそれをとどめる。

 気を抜くと感傷に浸ってしまう。

 弱気になるのは後でいい。彼の前では笑顔でいなければ。

 とうとう玄関口に到着し、彼の地に降りた。




 あの執事が待ち受けていたらどうしようかと思案し、念のため扇で顔を隠して門口へ近づく。入り口には、きちんとした身なりだが出迎えのための使用人しかおらず、ほっと胸を撫で下ろした。


 例の広間へ入ると、赤いレースのかけられたテーブルには、濃い色を中心にとりどりの花が飾られ、部屋全体にも同じ花束がどっさりと飾り立てられていた。

 華やかではあるが、少し下品なのではないかと眉をしかめつつ辺りを見渡す。

 かなりの人が集められているようだ。


 婚約披露なら当たり前なのかしら……いいえ、執事の言った事なんて信じるものですか。

 彼の口からはっきりと事実を聞くまでは、誰の言葉も信じない。

 決まったことならば、この場でそう宣言するだろう。

 それでも……どうか、気をしっかり持てますように。

 私は片手を一瞬喉元に添えて祈りの言葉を呟いた。


 どのくらい待っただろうか。

 だが王の姿は、一向に現れる気配がない。

 不穏な空気が流れようとしたころ、執事が心なしか青い顔で開催の合図をする。

 それを聞くと、上座で準備していた楽団が、軽やかな調べを奏で出す。会場に居たものは皆各々好きなように、挨拶へ廻ったりと、忙しく動き始めた。


 私は、執事がそそくさと出ていった方を目で追っていた。

 何か非常事態があったに違いない。


「王はいずこへ!」

「それが、邸内も公館にもどこにも見あたらないのです」

「これはどういう事なの? 私の為の催しに王がいないなんて大事だわ!」

「ご辛抱下さいませ、姫様。王は仕事熱心な方故、朝の務めが滞っているに違いないのです」


 しばし遠目にやり取りを伺っていたが、どうやらあれが婚約者らしい。

 目も覚めるような黄色のやや裾の膨らんだドレスに、黄金色の巻き髪をぎっちりと頭上で固めている。首から胸には重そうな金の首飾りを吊るし、頭には会場と同様の鮮やかな花が刺してあった。財産はともかく、あまり品があるようには見えない。

 それでも……やっぱり姫君なのね。その事実だけで萎んでしまう心に喝を入れる。


 あの執事の狼狽ぶりったら、いい気味だわ。

 でも、それでは王はどこへ行ってしまったのかしら。

 あの様子だと、ただの軍務で遅れているとは思えない。

 大体、こんな日にそんな予定を入れるものだろうか?

 相手が待ってくれるような仕事内容ではないが、上官が一人席を外したからと滞る仕事でもないだろう。


 いやな想像をしてしまった……。

 彼は、危険な任務に携わっている。

 私をたまたま救ってくれた時のように、恐ろしい仕事をしているのかもしれない。


 何か事件に巻き込まれているのだとしたら、どうしたらいいのだろう。

 慌てて玄関へと引き返すと、彼を捜しに貸し馬車に飛び乗ることを考えていた。

 彼がどこにいるのかもわからないというのに。


 しかし、私は重要なことを忘れていた。

 執事が、とても目敏いということを。

 会場からそっと抜け出すと、聞き覚えのある声が投げかけられた。


「どこの御婦人かと思ったら、これはこれは見違えましたな」

「あ、あら、どこかでお会いになりまして? わたくしは、地方から出てきたばかりで、こちらに知り合いはいませんの」


 執事の顔は暗く影を落とすように歪んだ。


「見ておくがいい……この、あばずれめ……」


 執事が、姫君の周りにいた使用人に顎で合図を送ると、彼等は私をあっという間に取り囲む。


「むぐっ」


 取り巻きの一人が私の口を塞ぎ、裏口へ向けて押し進む。


「予定を少々変更せねばなりませんな。姫、私は少々席を外します。客は有力な方ばかりですので粗相のないようにお相手をお願いしますよ」


 どうやら、彼と姫君の間には、許嫁と嫁ぎ先の執事という以上の関係がありそうだ。


「嫌よ。面倒ね」


 にべもなく姫は言う。


「ですが、中心人物が誰も居ないのでは不信を買うことにもなりかねませんぞ」

「ワタクシの仕事ではないでしょ。そんなことは父様に任せておけばいいのよ」


 すると側近が、父君もまだ到着していないことを告げる。


「もう散々遅れるなと言っておいて、父様もだらしないわね!」


 そんな会話にもならない遣り取りを幾度かすると、執事は焦れたのか、結局姫も連れて行くことに決めて従者を急き立てる。


 隙を見て抗議の声でも上げれば良かったのかも知れないが、こんな時でさえ持ち前の好奇心が悪さしてしまっていた。

 私は、この暢気そうな姫君の態度に、愚かにも危機感を失ってしまっていた。



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