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第一話 ●プロローグ

初投稿です。よろしくお願いします。

 この街を訪れて、幾日が経つのだろう。

 暮れかけの街の安酒場で、心地よいざわめきの中、脚付きグラスを満たした黄金の液体を揺らす。 

 思いがけずゆったりとした時間だった。

 そう、それは思いがけないこと。

 私は『旅人』になったのだから。

 流されるままに、もしくは何かを求めて――。


 ***


 言い知れぬ高揚を感じながら、右手のグラスをゆっくり口へと傾ける。

 たまに訪れる気の緩むこんなひとときには、酔いに任せて旅人となった頃の開放感や充実した気持ちを思い出し、この幸運を噛み締めるのだ。


 よく磨かれたグラスには、私の黒い瞳や髪が映る。

 人通りの多い良い立地にあるのだろう。客も多く賑やかで、安酒場とはいえ、手入れまで行き届く余裕があるのかもしれない。


 同じ大きなテーブルを囲むのは、先程この酒場で知り合ったばかりの私と同じ旅人達だ。お互いの道中体験談をしきりに交換している。

 それはやや珍しい光景だった。

 旅人は、ほとんどが一人で気ままに旅をする。

 道中に見掛けはするし、存在自体が珍しいものではない。しかし、すれ違うことはあっても、同じ街の酒場で同じ時間を席まで同じにして酒を酌み交わす――それは些か不思議な偶然である。

 たんに今まで私が機会に恵まれなかっただけかもしれないが、初めての経験だ。


 彼らにも少々興奮の色が見える。

 大仰な身振りで説明をし、笑い、時に驚きながら、会話を重ねる者達。

 そんな仲間に囲まれての遅い夕食会は、これまでにない騒がしさだ。陽気な喧噪だった。


 方々に視線を彷徨わせながら、私は彼らを改めて観察した。

 皆、特有の外套(ローブ)で全身を覆っており、一目で旅人と分かる。濃い灰色で、生地に滑らかさはなく分厚い。一見粗末な風体だ。しかし裏地は粗めで通気性が良く、表は埃を払いやすい、なかなか優れた生地でできているのだ。


 同じテーブルを囲む旅人たちを見て、今さらながら意外に個性が出ていることを発見して微笑んだ。

 私は膝丈の外套は、頭の覆いを縫い付けてあものだ。人によっては丈も腰下から膝下までと違いもあるし、覆いは別の布で代用している人もいる。袖の長さもまちまちだ。

 そして全員が何かしらの道具袋を体に巻き付けているのだが、その形状も巻き方もそれぞれだ。

 そんな事は、ただの街人(まちびと)だった頃には考えもしない事だった。


 さして広くはない店内に目を向ける。

 軽快なリズムを奏でる楽団や、忙しく働く給仕、仕事仲間と騒いでいる船乗り達は停泊中の貨物船の者だろうか。そんな姿を次々と追って店内を見やる。

 そのとき船乗り達の間から乾杯の音頭が店内に響き渡った。


「この荒波の上にある王に栄光あれ!」

「王国に!」


 次々と歓声が上がる。

 互いに打ち付けられた、木製の大きなカップから麦酒がこぼれている。

 大きな取引が成功したのかもしれない。肩を組んで笑い合っているのを眺めた。

 掛け声の内容から、彼らはこの国の人間なのだろう。


 荒波の上の王国――。


 そう呼ばれているこの国を訪れたのは先週だったろうか。私は、ここ数日に歩いた賑やかな街並みに想いを馳せた。


 この国は、海沿いにある港町と小高い丘の向こうにある農耕地との二つの領地で構成されている、小さな王国だ。

 交易と大海の恵みから生まれた荒々しく力強い街は、かつて船で暮らす海の民の隠れ里であった。後に陸の民と争った後に統一されて出来た国だという。


 昨日まで、華やかなりし観光客のための大広場を中心に、地元住民向けの市場を散策した。港沿いには、争いの痕か砲弾で抉られた石造りの建物の基礎や、柱に幾重も残された剣痕。そこかしこに残る荒々しい歴史の傷が、好奇心を掻き立てる街並み。


 とても浪漫の香る場所だ。

 今までいくつも通り過ぎた街に対する気持ちと同じ、満足な気持ちでいた。


 それなのに……と、私は僅かに眉を顰める。

 何かが心の奥に引っかかっていた。

 いつもの満足感とは別に、私の心を照らす感情が芽生えつつあるのを感じるのだ。


 あまりにも私は、この街に満足している。それは愛着という程に。

 旅人らしからぬ感情だ。

 一つ所に思い入れるなんて、間違っているのだから。

 私はそう自分に言い聞かせるように内心で呟き、おまじないでもするように、再び舌を刺激する芳香に集中した。


「あなたは旅人になって、あまり長くないのよね?」


 不意にテーブルの隣から、恰幅の良い中年のご婦人が、朗らかな笑顔で語りかけてきた。

 反射的に振り向きはしたが、口に含んだ液体を飲み下しながらコクリと頷く。

 タイミングとしては気まずい問いかけだった。

 だけどここは楽しい宴席だ。微笑みを作ると相手の言葉に応える。


「ええ、ようやくこの大陸を回りきったところなの。きっとここにいる皆さんに比べたら、ひよっこですね」

「そうでしょうとも、私もこんなに太ってしまったんだもの!」


 彼女の朗らかな笑い声に、皆の笑いが重なった。


「なになに、わしら旅人にそんな事が関係あるもんかい」


 向かいの席に座る、痩せてはいるが長旅で鍛えられた日焼けして健康そうな体躯の老人が、瞳に知的な光を浮かべて反論した。

 そのイタズラっぽい合いの手に、皆が口々に何十年旅をしただの昔話に花が咲き、再びその場は陽気な喧噪に包まれる。

 人生の先輩達の笑顔は、私の心も温かくしてくれる。


 騒がしい皆の会話を横切るように、先程の婦人とは反対側の隣に座る、中年の男性が語りかけてきた。


「真面目な話なんだけどね」


 人の良さそうな丸っこい体型の男はそう言うと、ときに刻まれた額の皺を手のひらで撫でながらそう切り出した。


「僕はね、ある意味あの老人が言うのと同じように、旅人には歳なんて関係ないと思うんだがね」


 彼はまたそこで、一呼吸置く。


「あっちのおばさんはね、さっき君がなんとなく思い詰めている風だったから、声をかけたんだと思うよ」


 そんなに表に出ていたのかと、私は目を丸くした。

 横から飛んできた「誰がおばさんですって?」という声を、男は無造作に手で払うと話を続けた。


「きっと、旅人という枠に囚われているんだろうね。君は新しい人だから……いや、こういうのもいけないな」


 彼は額をしきりに撫でながら、一人問答していた。


『新しい人』


 大体古い旅人は、私のような人間をそう呼ぶ。

 まだ現在のように、旅人が人々に受け入れられなかった時代には、親子代々がその終わらぬ旅を続けていたという。

 彼らは生まれた時から旅人だった。

 故に生粋の旅人と呼ばれている。


 しかし時を経て世に受け入れられるようになった頃から、私のように街人ながら旅人になる人間が増えてきたのだ。

 彼らには、どういう訳か街人由来の者の見分けが付くらしい。

 そして今や、生粋の旅人の方が少ないという。


「まあなんというか旅はね、自分の中で終わったときが旅ではなくなる時なんだよ」

「自分の中で」


 彼はうんうんと頷くと、口の端だけを上げてにっこりと笑った。


「生まれた時から旅人でない君は、やっぱり旅人の印象に自分を当てはめようとしているんじゃないかと、そう思う。だから……」

「まったくお節介な男だね! 大体、何よその歯切れの悪い口ぶりは」


 何気なく聞き耳を立てていたご婦人は、話に入りたくてウズウズしていたようで割り込んできた。


「ああ、もう、さっきから一生懸命言葉を探しているのに、横から邪魔をしないでくれよ! このおしゃべり好きの豆鉄砲め!」

「その言いぐさったら、湿地帯の泥土の上を歩くみたいに感じが悪いわね」


 男は混乱したように目を回しながら悪態をつき、ご婦人も負けじと返す。

 二人の良からぬ方向へのやりとりに仲裁に入ろうかと思ったのだが。

 私を挟んだ目の前で言い争いだした恰幅の良い二人に挟まれ、押し潰されそうになるばかりだ。


「おいおいあんたらは、ここへガミガミと言い合うために来たのかね!」


 向かいに座る、やはり生粋の旅人であろう老人が一言で止めた。

 二人は渋々口を閉じると、顔を見合わせ謝罪の言葉を投げ合う。


「まあその、あなたのお節介なところも、素敵だと思うわ」

「うむむ、お節介は余計だけど……君もころころとよく喋るところは、魅力的だと思うよ」


 彼らは仲直りの印に、お互いの肩を軽く抱き寄せた。これは生粋の旅人達の風習だ。すぐに自分の席に座ると、おもむろにご婦人は切り出した。


「ところで何の話だったかしら?」

「まあ、なんというか旅人の秘密、みたいなものを話していたんだがね」

「そうそう、そうだったわね」


 彼らはうんうんと頷くと、私の方へ向き直った。


「別にね、私たちは『旅人』なんていう種族ってわけでもないわ。旅人はずっと進み続けるっていうのは本当だけど」

「そうそう。でもそれって僕たちの魂にあるものなんだよ」


 私は呆気にとられていた。

 夕食というわずかな時間を共にしただけで、私の心に不意に訪れていた不安を指摘されたようだった。

 そして、こんな和やかな場所でさえ発揮する、彼らの洞察力には面食らうほかない。

 生粋な旅人である筈の彼らと、私たち街人由来の旅人と、何が違うのだろうか。

 彼らは続けた。


「だって私たちはみんなと同じただの人間なのよ! 美味しい物も大好きだし、家族だって愛すべきものだと思っているわ」

「そうじゃなけりゃ、僕らはどうやって生まれたんだい?」


 ね、と彼らは顔を見合わせた。

 もしかしたら、私のような人間を見ると必ず助言をしているのかもしれない。


 私は不意にうたた寝から起こされたような気分で、彼らを見上げるとお礼を言った。彼らは微笑んで礼に答えた。


「まあそのうち、何かあった時に、僕らの言葉を思い出してくれると嬉しいんだけど」

「ええ、必ず。心に留めておきます」


 私が手を差し出すと、彼が私の手をぶんぶんと振り回すように握り返した。

 その彼を押しのけると、隣のご婦人も私の手を両手で握り返したが、そのまま立ち上がった。


「さて、まだまだ私達の旅人らしい行動は終わらないわよ」


 彼女は意味ありげに微笑むと、私の腕を取り他の旅人達にも声をかけた。

 食事を終えた後、ほろ酔い気分の私達は、まだ宵の口の街を散策に出かけたのだった。




 連れて行かれたのは、この街一番の観光名所でもある海から街へと続く運河だ。


「この街では、当時統一戦争があった事はみんなも知っているわね?」


 そのうっとりするような、装飾の施された白い石造りの橋のたもとを、みなでそぞろ歩く。


「陸の領主は、海の民との戦いを有利にする、機動性を上げるために、この川を掘らせたのよ」

「誰もが知っている話だぞー!」

「あれ? 交易のためって聞いたんだがね」

「海の領主の慈愛の涙が川となった、なんて御伽噺もあったわよ」


 各々が街を訪れてから聞いた話を続けた。


「もうっ、これからよ。あんたの情報とどっちが詳しいかしら」


 それぞれが、やいのやいのと言葉を交わす。


「この街にいたことがあるの?」


 私はふと疑問に思い問いかけた。

 彼らは首を振り、いいえと答える。


「私達はね、始めに情報収集を怠らないの。効率よく街を知るためにね!」


 その朗らかな声が微笑ましくて笑みがもれる。効率よくと言う割りに正確なものがない。


「じゃあ運河の両岸に並ぶ篝火は、なんのためだか知ってる?」


 私も聞いた事を答えた。


「運河での戦闘で、命を落とした戦死者の魂を慰める為にはじめられた慣習?」


 ご婦人はもったいぶって頷くと、辺りを見回した。


「それは観光用の表向きの話ね。実はあれって警備団の管轄らしいのよ。話を聞いたんだけど、要するに犯罪、事故防止といったところかしら。地元民の知恵ね」


 そうした彼女の案内は続いた。

 私はその声を心地よく思いながらも、景色に気を取られていた。


 夜で川は艶やかな闇色だ。静かで、厳かな場所。

 私はまた、心に一筋の風が通り抜けるのを感じていた。

 そんな気持ちを誤魔化すように辺りを見回して、橋の装飾の中に、ある意匠を発見した。


「蛇と鳥……」


 呟いた私に、語り手となったご婦人が答えてくれた。


「それはね、王家の紋章よ」

「蛇と鳥って、妙な感じね。そういえば、よく町中で見かけたわ」

「それは水流を表す海蛇と、崖上から街を見下ろす権威の象徴である隼で、国が統一された事の証ね」


 私はなるほどと頷いていた。この街では至る所で、蛇と鳥――本当は海蛇と隼を用いた装飾品が散見されたのだ。

 川の流れを見つめながら、この街へ来てからの自分の気持ちを不思議に思った。

 人口の川。

 そうでなかったものが、ある日突然それになる。

 私と同じように、不自然なもの。

 そんな違和感なのかもしれない。


 夜更けの散策もお開きとなり、みなは散り散りに自分の宿へと戻っていった。




 旅人とは、こういうものだ。

 一つ所に定住しない、大地をただ風のように滑るだけの存在。

 世界を通り過ぎ、移動することが目的の人々。


 何しろ彼らには、定住する人々とは大きく異なる価値観があった。

 彼らは土地に属さない、故に土地の恩恵を受けることが無い。


 かわりにある欲望は、好奇心だ。真新しいもの古きもの、良きも悪しきも、期待に膨らむ胸を満たす糧となる。

 彼らは大地を海を渡り、山や森を眺める雲のようになる事を望んだ。


 旅人が欲しいものは、住むための地などではない事は、とうの昔に理解されていた。

 彼らは常に商人であり観光客でもある。小さな町村にとっては、もたらされる情報も馬鹿にならないし、良い臨時収入となる。そう考えれば、主に喜ばれるのは辺境の土地においてではある。


 そして旅人が道中の糧を得るための収入源となるのは、彼らが道中に磨いた何かしらの技術によるもので、それが、ならず者と旅人を隔てる証だ。


 彼らはその旅の中、出会った物や者から様々な事を学ぶし、生涯に渡って技術を学び続けなければならない。

 第一に生活の為であるが、これこそが彼らを特別足らしめる事だ。

 細工、鍛冶、調理、大道芸、代書等々。己の為だけでなく、他者へと恵みをもたらすことを求められる。


 だからこそ、ある程度のことは免除されたのだから。

 様々な場所を徘徊し訪れる事は本来ならば不安を生むものだが、はたして街の人々は、無害で有益な彼らを受け入れた。

 各国が正式に認めたこともあるが、彼らの技術の提供を当てにして、街人にとっての理解しがたい行動を『特別』という枠に加えることで納得することにしたのだ。


 良い意味での『特別』だった。

 お互いが歩み寄ったのである。



 ***



 虫の鳴き声が、夜のしじまを漂い耳を掠める。

 心地よい疲れの中で、寝付けない自分がいた。


 二階建ての、民家とさして変わらぬ粗末な造りの宿。私はその二階の一室をこの街での拠点としていた。

 壁の上部にある、開け放した小さな窓から差し込む淡い月明かり。それに浮かび上がる木の影が、ざらついた土壁に揺らめくのを眺める。


 ベッドは黒ずんだ木枠に竹を裂いて平らに並べたすのこ状の台に、黄ばみも斑な麻布を敷いただけの寝床と、同様の生地の上掛け。

 厚い外套や、体を縛る小道具袋などから解放され、薄い木綿の肌着だけで横たわっている。

 硬い枕に長い髪を広げ、仰向けに夜空を見上げた。

 温暖な地域ではあるが海沿いのせいか、腕に当たる柔らかな風はやや湿り気を帯びてひんやりとする。


 深呼吸すると、懐かしくさえあるこの街の空気を胸一杯に感じ取る事ができる。

 この街に来てからというもの、毎晩過ごした寝苦しい日々。

 嫌な気持ちだったなら、まだどんなにいいか。

 その戸惑いが、眠りを遠ざけるのだ。


 私は何かに焦がれていた。

 カーテンが風に翻る度に、その向こうがチラリと垣間見えては消えていく。

 すぐそこにあるのに、実体の無い不安や焦燥は掴むことが出来ず、私の周りを踊っている。

 この、辛いほどに魅力的な空気が、私を惑わせる。

 ここはそれほどに私を魅了したのだろうか。

 この街にいると、次に進むべき前が見えなくなってしまう。


 深く考える事はせず、眠ってしまうのがいい。

 目を閉じたまま、頭の中で明日の構想を練る。

 明日は埠頭の方へ行ってみよう。今日までは市街地を回っていたのだから。

 そうしたら、この国の港町の生活ぶりを垣間見る事が出来る。


 私は横を向いて枕に顔を埋めると、上掛けを深く被った。



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