再会
紫の瞳が、ゆっくりと開いた。
目だけで、マリスは辺りを見回す。
そこは、暗い洞穴の中であった。
頭はぼうっとしていて、肩の傷は、ずきんずきん痛む。
気分は、よくはなかった。
横向きになっていた重い身体を、やっとのことで起こす。
怪我をした左肩は、ケインがいつも巻いていた赤い布が、包帯のように、肩から
腰にかけて巻かれ、縛ってあった。
「……ケイン……? 」
洞穴の中で、小さく呼びかけてみるが、返事はない。
彼どころか、生き物の気配すらしない。火をたいた跡も、なにもない。
(……そうだわ、ケインが……、毒と熱に浮かされていたあたしの処置をしてくれて、
ずっと寄り添ってくれていた……あれは、夢じゃなかった)
マリスは、眠っていた彼の顔と、腕の感触を思い出す。
ふと、冷たいものが、彼女の足に触れた。
マスター・ソードであった。
その時、マリスの脳裏に、ある一場面が浮かんだ。
ケインと蒼い大魔道士の部下との、戦っている場面が。
(そうだった。あたしは、サンダガーに連れられて、そのバトル・シーンを見ていた
んだったわ! )
彼らの戦闘場面が、次々甦る。
(……行かなくちゃ! )
洞穴には、微かに光が差し込んでいる。マリスは、その光の方向へ、岩壁を伝い
ながら、よろよろと進む。
ケインの処置と、カイルの薬が効いたおかげで、毒が回るのと、傷が化膿するのは
防げた。
頭が重く感じるのと、熱はまだ完全に下がらないまでも、彼女の身体は、よろめき
ながらも、歩けるまでには回復していた。
万全の体調ではなかったが、マリスは行かずにはいられなかった。
(あたしが行っても、一緒に戦ってあげられない。でも、せめて、マスター・ソード
を届けるくらいは……! )
洞穴を出ると、昨日の嵐とは打って変わった明るい日差しが、樹々の間から差し
込んでいた。
眩しさに目が慣れず、てのひらでよける。
(ケインと魔道士は、どこかしら? )
マリスは、マスター・ソードを両手に構え、そっと目を閉じる。
(あなたのご主人様は、どこにいるの? )
精神を集中させ、心の中で、そう呼びかけていた。
もちろん、剣が答えるわけはなかったが、魔力を感知することの出来る彼女は、
どこかで激しく魔力が放たれるのを捉えた。
(あっちだわ! )
彼女は、重い身体を引き摺るようにして、向かった。
「なかなかしぶといヤツめ」
魔道士の青白い顔の額には、汗が浮かんでいた。
彼の計算よりも時間がかかっているようで、思った以上に、魔力を消耗していたと
見える。
緑色の頭ばかりの大きい『ひとつ目』と、大剣を構えた、皮のチュニックの青年が、
向かい合う。
マリスは、近くの大木に手をつき、身体を支え、じっと戦況を見守っていた。
『ひとつ目』は、獣神の結界からマリスが見た通り、神出鬼没であったが、青年に
は、もう予測が出来るようになっていた。炎の攻撃も浴びずに済み、大剣を振り回す。
だが、彼の一瞬の隙をついて、魔族が、ひとつしかない目から、炎を吹き出させる
と、青年の身体は、一気に炎に包まれた。
(ケイン! )
駆け出そうとしたマリスの足が、止まる。
炎に包まれたケインは倒れずに、いきなり魔道士へと踏み込んだ。
「なっ……! 」
魔道士が慌てて、杖で防御する。
真っ赤な炎に包まれたケインの振り翳す大剣と、青い宝玉の杖で受け止めた魔道士
とは、まさに、赤と青の炎が、それぞれを包み、ぶつかっているように見える。
そしてーー
バキッ!
杖が折れたと同時に、ケインが、そのまま魔道士に斬りつけた。
「おわあああああ……! 」
魔道士の口から、悲痛な叫び声が飛び出した。
同時に、『ひとつ目』魔族の姿も消えた。
炎が引いて行くとともに、ケインが不敵に笑うのが、マリスには見えた。
「……な、なぜだ……? 貴様……! 」
肩から斜めに大きく斬り込まれた魔道士は、理解できず、困惑した表情で、ケイン
を見上げていた。
「お前ら魔道士は、魔力に頼り過ぎだ。自分の魔法に自信があるほど、遠隔操作の
ように魔法を操るやり方で、楽に戦おうとするんだ」
呼吸を整えながら、彼は続けた。
「俺は、幼い頃から戦場を生きてきた。気配だけでなく、殺気で見分ける術が
身に付いてる。さっきの魔族には、気配はなかったが、戦っているうちに、下等魔族
に有りがちな、一定のタイミングと法則も、掴めてきた。それと、お前の目の動きだ」
「……私の……目……の動き……だと? 」
喘ぎながら、魔道士の目は見開かれた。
「そうだ。魔族の現れる方向を意識していたようだな。それもヒントになった。
お前を倒せば、召喚された魔族も消えることはわかっていたから、魔族に気を取られ
ている振りをしながら、お前の隙も狙っていたんだ。残念だったな」
「私の……隙をつくために……、わざと、炎に巻かれた……のか……! 」
「ああ、今のはな」
ケインの目は、そこで真面目になると、大剣が、魔道士の身体を、最後まで切り
裂いた。
断末魔の叫びと供に、そこには魔道士だった黒いマントを着たものが、真っ二つの
肉塊となり、どしゃりと地面に崩れ落ちたのだった。
それを、黙って見つめるケインの横顔は、どこか憐れむようでもあった。
マリスは、身動きできずに、その場に立ち尽くしていた。
その彼が、彼女に気が付いた。
「……マリス! 」
それまでの、戦闘中の引き締まった表情から一変して、いつもの笑顔になり、駆け
出す。
「マリス、もう大丈夫なのか!? 」
ケインは、ガシッと、彼女の両腕を掴んだ。
「痛いわ」
「あっ、ご、ごめん! 」
苦笑するマリスから、ケインは慌てて手を引いた。
「おかげさまで、大分良くなったわ。まだ熱はあるみたいだけど」
「そっか」
心の底から安心して微笑むケインに、マリスは、マスター・ソードを返した。
「どうして、剣を両方とも持っていかなかったの? しかも、バスター・ブレード
じゃ重いから、長期戦になった場合は不利でしょう? マスター・ソードのダーク・
ドラゴンの技なら、あんな魔道士も、魔族も、すぐにやっつけられたのに」
「そういやあ、そうだよな」
マリスは目を丸くしてから、睨むように、ケインを見上げた。
「ちょっとー、あの魔道士の結界を破ったのも、今バスター・ブレードで戦ってたの
も、みーんな思い付きだったの!? 」
「えっ? 」
「勝てたからいいようなものの、偶然じゃ、意味ないでしょう? 伝説の剣を持つ
戦士のくせに、まったく、危なっかしいったら、ありゃしないんだから! もうっ、
心配したんだからねっ! 」
「し、心配……してくれたのか? 」
「当たり前じゃない! 」
目を吊り上げたマリスに責め立てられたケインは、顔を赤らめ、頭をかいた。
「俺は、ただ……マリスにも何かあった時のために、護身用に、剣置いといた方が
いいと思って。そうなると、怪我してるんだから、バスター・ブレードじゃ重い
だろうから、単純にマスター・ソードの方を置いていっただけなんだけど……」
マリスは、あんぐりと口を開けた。
「……それだけ? たったそれだけの理由で、あなた、バスター・ブレードで戦って
たの? 」
「マスター・ソードの魔石が散って旅に出てからは、俺、ほとんどバスター・
ブレード一本で戦ってきたから、疑問にも思わなかったし」
「……まったく、なんていうか……人が好すぎるっていうか……」
開いた口がふさがらないマリスを見るケインは、微笑んだ。
「それよりもさ、俺、町へ行って、ウマでも買ってこようと思うんだ。その服は肩の
ところが破れて、血まみれだから、ついでに町娘の服も買って来るよ」
マリスは、肩に巻かれた赤い布を、改めて見た。
「あんな芝居のマントでも、いろんな使い方があったりして、結構役に立つものなの
ね。ちょっとした防寒にも使えたり、包帯みたいにも出来たり」
「ああ、俺のようなカネのない傭兵からしたら、いちいち防寒着買うと高いし、荷物
にもなるもんだから、ただの布で何とかしのげないかな、って考えたこともあってさ。
今回は、たまたま貧乏が役に立ったかな? 」
あはは、と彼は笑った。
「とりあえず、マリスは、さっきの洞穴で、待っててくれ。俺が町へ下りていって、
必要なものを揃えてくるよ。ついでに、ここがどこなのかも調べてくるから」
「わかったわ」
洞穴へと歩き出したマリスは、足元がおぼつかない。ここへ来る時は夢中であった
ので、気にならなかったが、ホッとして緊張の糸が切れたこともあり、岩や石が
ごろごろしていて、雨露に濡れた草や苔で、すべりそうになる。
突然、マリスの身体が、ふわりと浮いた。
「……! 」
ケインが抱き上げたのだった。
彼は、すまなそうに言った。
「ごめん、洞穴まで、そんなに遠くはないから、つい戻ってろって言ったけど、まだ
熱もあるんだし、ちゃんと治ってないんだから、付き添うもんだよな」
「だ、大丈夫よ。そんなことしてくれなくたって、ひとりで歩けるってば……! 」
マリスがジタバタ暴れる。
「無理すんな。こんなところに人はいそうもないから、誰かに見られてるわけでも
ないんだし、遠慮するなよ。マリスは、女の子なんだから、少しは甘えろ」
マリスはバタつくのをやめた。カーッと、顔が上気していく。
ケインは微笑んでから、視線を前方へ移し、洞穴へと歩き始めた。
うっかり、お礼を言うタイミングを逃してしまった、とマリスは思ったが、ケイン
の方は、そんなことは気にしてはいないようであった。
無駄のない筋肉の腕が、彼女を抱えている。
その柔らかく、心地の良い感覚には、覚えがあった。
夕べ見たものは夢ではなく、確かに、この腕の中にいたんだと、彼女は実感した。
少しだけ、彼を頼もしく思ったことを、彼女は認めた。
ケインのことは、底知れない強さを秘めた戦士だと認めながらも、まだまだ危なっ
かしいような気がしないでもなかったが、魔法治療の代わりに、薬草や経験で、
マリスやクレアの手当をしてくれたことは、魔法に頼っていた彼女には思い付かない
ことばかりであった。
旅をしてから、自分以外の人間を頼もしく思ったことは、ヴァルドリューズ以外は
初めてであった。
彼女は、それを、嬉しく受け止めていた。
本当は、マリスの肩の傷ーー布に覆われてはいたがーーに、ケインの腕が当たって
いて、少々痛むのだったが、せっかくの厚意を無にしてはいけない気がした彼女は、
黙っていることにした。
そして、洞穴の入り口が見えてきたところであった。
「ねえ、もういい加減に戻りましょうよ」
「えぇ~? もぉ~? 」
二人がどこかで聞いたことのある声がする。
ケインが足を止め、声のする方を見る。
二人連れ男女の影が、はっきりと現れた。
顔を合わせた四人の間には、緊張感のある空気が流れた。
「あぁ~!? マリスにケインさん~! 」
間の抜けた、少女の声であった。
そう、それは、またしても、マリリンとクリスであった。
「あっ、あんたたち! 」
「お前たち……! 」
マリスとケインは同時に叫ぶが、
「はー、今度は、お姫様抱っこで、お姫様ごっこですか? 相変わらずの騎士
(ナイト)ぶりですね、ケインさん」
まったく悪びれる様子もないクリスが、目を丸くしている。
マリリンが、赤紫色の瞳を大きく見開き、お口も大きく縦に開くと、
二人を指さした。
「うわぁ~! お姫様ごっこだって~! スーちゃんに言いつけちゃおーっと」
「バッ、バカッ! やめてよっ! 」
マリスは慌ててケインの腕から飛び降りたが、考えてみれば、スーに言いつけられ
たからといって、どうということはないのだった。
「ところで、お前ら、今度こそ、逃がさないからな! 」
ケインが、マリリンの腕をむんずと掴んだ。
「何すんのよぉ、痛いじゃないのよぉ! 」
「デートすれば、クレアの治療をしてくれる話だっただろ? よくも、俺たちを担い
でくれたな。約束は約束だ。絶対に守ってもらうぜ」
「うわ~ん、クリス、助けてぇ~! 」
マリリンが泣きわめくが、クリスは肩を竦めた。
「だから言ったじゃないですか、マリリンさん。意地悪はもうやめて、彼らは本当に
困ってるんですから、今度こそ、助けて差し上げたらどうです? 」
「ふん、わかったよぉーだ」
頬を膨らませたマリリンは、ぷいっと横を向いた。
ケインが、マリリンの視界に立ち入った。
「ペナルティーとして、もうひとり、治してもらうぜ。マリスの怪我も治せ。毒の
治療もできるだろ? 」
「ええーっ! マリスさん、お怪我なさったんですか!? 」
反応したのは、クリスであった。
「マリリンさん、早いとこ治療しておあげなさい。毒が少しでも残っていたら、大変
ですよ! 」
ケインとクリスに詰め寄られた彼女は、渋々、マリスの左肩の後ろに回り、赤い布
を解いたマリスの傷口に、触れない辺りで、手をかざす。
紫に腫れた傷跡が、急速に消えていく。と同時に、マリスの気分も良くなって
いったのだった。
マリスが、痛みのなくなった左腕をぐるぐる回すと、なんの支障もない。
「治ったわ! 熱も下がったみたい! 」
マリスは嬉しそうにケインを向いてから、マリリンに向き直った。
「マリリン! 」
ボカッ!
「びえーっ! 」
マリスがマリリンの頭を殴ると、マリリンは火がついたように泣き出した。
両手を腰に当てたマリスが、追い打ちをかける。
「あたしたちを担いだバツよ。こんな辺鄙なところにまで来ていたなんて、
いったいどーゆーつもり? あんた、本当に、クレアのこと治す気なかったっての?
ちゃんと責任取ってもらうわよ。さあ、早くあたしたちを、昨日会った町へ運んでよ。
そして、今度こそ、クレアの治療をしてもらうからね。当然のことながら、タダで
お願いするわ! 」
「ええ~ん! 」
マリリンの悲鳴に誓い泣き声が、洞穴に充満した。
「やれやれ。治った途端に、これか」
唖然としているクリスの横では、ケインが肩を竦め、だが、大いに安心したように
マリスを見つめたのだった。




