Wデート
「だぁって、マリリンの好みなんだも~ん! あの金髪のお兄さんもカッコ良かった
けど、今はいないしぃ」
彼女の頬からは、涙の跡は、まったくなく、ケラケラと笑い出し、ぼう然として
いるケインの腕に絡み付き始めた。
(腹切って詫びろって言われるかと思ったわよ……)
マリスは、ホッとした。
「なーんだ、そんなことで良かったの? それなら、ケイン、デートしてあげたら? 」
ケインは困った顔になって、マリスを見た。
「『そんなこと』って、気軽に言うけど、……なんか、気が進まないなぁ」
「それでクレアが治るんなら、お安いもんじゃないの」
「それは、そうだけど……」
あっけらかんとしているマリスの顔を見てから、ケインは、諦めのような小さい
溜め息を吐いた。
「どうしても気になるんなら、後で、好きな人とデートし直せば? クレアが全快
したら、彼女とデート出来るじゃない? 」
「あのなあ、そうじゃなくて、俺が好きなのは……! 」
ケインは言い留まった。
きょとんとしているマリスを、しばらく見つめてから、
「うわーっ、やっぱり言えない! 言ったら、ぶん殴られる! 」
頭を抱え込んだ。
「えっ、何でよ? あたしに関わる人が好きだったの? それって、もしかして……」
マリスと目の合ったケインの顔は、カーッと赤くなった。
「……ケインたら、……セルフィスのことが好きだったの? 」
ケイン、がっくりと地面に手をつく。
「会ったこともないのに、あたしの話聞いてるだけで、彼のこと好きになっちゃった
の? 別に、そのくらいじゃ怒らないわよー。そういうこともあるのねー」
マリスはコロコロと笑い出した。
「なんで、そうなるんだ……。からかわれてんだか、ホントに誤解されてんだか……」
ケインは呟きながら、泣きたくなった。
「なんだか、お二人見てる方が、面白いですね」と、クリスがにこにこ。
「え~っ、マリリンは、つまんないよ~。早く、デートしよっ! 」
マリリン、ケインの腕を引っ張り上げると、彼は仕方がなさそうに立ち上がった。
「その代わり、クレアのこと、ちゃんと治してくれよな。絶対だぞ」
「わかってるってばぁ~」
「ホントにわかってる? 」
「わかってるよ~」
彼は、何度もマリリンに念を押した。
「ああ、これで、一安心だわー。じゃ、ケイン、頑張ってねー! 」
恨めしそうな目を向けているケインを尻目に、マリスは、にこやかに手を振って、
その場から去ろうとするが、クリスが、マリスの手を包み込んだ。
「せっかくですから、僕たちもデートしませんか? 」
「えっ? 」
マリスも、そして、ケインも、顔をしかめた。
「そんな嫌そうな顔しないで下さいよ。どうせ、マリリンさんとケインさんのデート
が終わるまで、おヒマなんでしょう? 」
「それは、そうだけど……」
「僕もヒマなんで。デートしてくれたら、マリリンさん説得に協力しますよ」
「う~ん……」
マリスは、ちらっとケインを見た。
彼が、「ほら、自分だって気が進まないじゃないか」と言う顔で、彼女を見ている。
気が進まないケインに、デートを押し付けた身である彼女が、断れるはずはなかっ
た。
「では、さっそく、デートに出かけましょうか、姫君」
クリスは片膝をつくと、マリスの手の甲に、口づけた。
貴族が令嬢をもてなす際にする行為だった。
「こら、いきなり何すんだ! 」
ケインが血相を抱えて、ずかずか進み出る。
「何って……、貴族は、これが当たり前ですよ? 」
「あ、当たり前……? ……てか、お前って、貴族だったのか!? 」
「ええ。男爵家だったんで、貴族の中でも、位は低いですけどね」
ケインは呆気に取られ、突っ立っていた。
マリスも、ちょっと困った顔になる。
「わ~、いいなぁ! ケインさんも、マリリンにやって、やって~! 」
腕に絡み付くマリリンを、ケインが見下ろす。
「こらこら、お子ちゃまはいいの。それに、俺、貴族じゃないから、そんな礼儀、
知らないし」
「え~っ」
「そっちもデートなら、ダブルデートにしようぜ。大勢の方が楽しいよなー、
マリリンちゃん? 」
ケインが有無を言わさない、吊り上がった瞳で、『クリスに』言う。
下の方で「マリリンはこっちだよ~」という声がするが、ケインには聞こえていな
かった。
「仕方がないですね。ケインさんがコワいから、それでもいいですよ」
クリスが苦笑いした。
少し、マリスがホッとしたような顔になった。
「クリスがヘンなことしないよう、俺が見張るから」
ケインが、マリスに小声で言う。
「心配には及ばないわ。いざとなったら、ぶん殴って……」
「それじゃ逆効果で、クレアを治すのに協力してくれなくなるかも知れないだろ? 」
「……あ、そっか」
「俺が、きみを護るから……」
言ってしまってから、ケインの顔が赤らみ、口を真一文字に結ぶ。
そんな彼を、しばらく見つめていたマリスは、
「……うん」
微笑してから、こくんと頷いた。
「病人を待たせてるんだから、せいぜい三〇分だからな」
「え~っ、短い~っ! 」
「飲み食いするには充分だ」
ケインとマリリンがわいわいやっている後ろから、クリスとマリスが続く。
「なんだか慌ただしいデートになってしまいましたね」
「でも、本当に、クレアの容態が気になるんだもの」
「そうでしたね。どんな感じなんです? 」
「モンスターみたいなのにやられた爪痕から、細菌が入って、高熱が出てるの。
魔道士の医者がいたら早いんだけど、この周辺にはいなくて」
マリスが、少し沈んだ顔になると、クリスが微笑んだ。
「安心してください。三〇分後には、マリリンさんと一緒に、すぐにクレアさんの
もとへ向かいますから。そうすれば、彼女もすぐに治りますよ」
「……そうよね」
少し希望が持てた表情のマリスに、にっこり笑ったクリスは、声の調子を変えた。
「それにしても、マリスさんて、そのような服も似合うんですね。僕が今まで見た
マリスさんの中でも、一番綺麗だと思いますよ」
「ふ~ん、お上手ね」
マリスはあまり取り合わなかったが、クリスは続けた。
「お世辞なんかでは、ありませんよ。町娘の格好なんて、あまり洗練されているとは
思わなかったのですが、あなたが着ると、なかなかいいもんだなって思えます。服と
いうものは、着る女によるものだったんですね」
あまりに自然なクリスの口調に、マリスは、少しだけ微笑む。
背後で行われているやり取りに、聞き耳を立てているマリリンとケイン。
マリリンが指をくわえ、隣にいるケインに、じーっと、目で催促する。
その視線に耐えかねた彼は、笑顔を作った。
「いつも思うんだけど、そのくりくりしたブロンド、……ニジイロカイコの繭みたい
で、……か、かわいいね」
それで褒めたつもりであったのか、ケインの『お世辞』が聞こえたマリスもクリス
も、つんのめりかけた。
だが、マリリンは、嬉しそうに、きゃっきゃ喜んでいた。
「ねえねえ、ケインさん、マリリン、おなか空いちゃったぁ~。あそこのミートパイ
が、食べたいナ♥」
マリリンが、子ネコのように小首を傾げ、思いっきり甘えた声を出した。
ケインは、それを、引きつった顔で見ていたが、すぐに出店へと向かう。
戻って来た彼が、食べ易く縦長に作られたミートパイを、包んであった大きな葉を
開き、マリリンに差し出すが、すぐには受け取らない。
「熱いから、フーフーしてぇ」
両手を組み合わせ、またしても、かわいらしく小首を傾げてお願いするマリリン。
またまた引きつっていたケインであったが、クレアのためと思い直し、パイを割り、
フーフーと冷ましてから、マリリンに差し出す。
だが、まだ彼女は受け取ろうとしなかった。
「あ~ん」
マリリンは、口を開けた体勢で、待っていた。
目を見開いていたケインだったが、やむを得ず、マリリンの大きなお口に、半分に
割ったミートパイを突っ込んだ。
「んんー、おいひ♥」
「おいしい」と言ったつもりらしい。
ミートパイを頬に詰めたまま、にっこり笑う彼女は、もはや美少女でも、かわいい
子ぶっている娘でもなく、単なる奇妙な少女であった。
ふと、仲むつまじい若い男女が、焼き菓子をつまみ、男が女の口に運んでやる。
代わりに、今度は、女が男に運んでやるのが、マリリンの目に留まる。
二人は、互いの目を見つめ合い、幸せそうに微笑んでいる。
ケインから、残りのパイを奪ったマリリンは、パイを見つめてから、顔を上げた。
「ケインはんも、はい」
口をもごもと言わせながら、彼女は、親切な笑顔で、それを彼の口元へと突き出し
た。
一層引きつったケインであったが、観念して、残りのパイを頬張った。
「おいひ? 」
「うん」
ほっぺたを膨らませた変なカップルは、妙な空気に包まれていた。
クリスとマリスまでが引きつり、恐ろしいものでも見てしまった時のように、
そこから目を反らすことが出来ないでいた。
その後も、ケインは、マリリンの欲しがる焼き菓子や、果物のジュースを買わされ
ていた。
同じワガママな子供相手でも、ミュミュの方が断然かわいかったと、ケインは思い
知り、早くこの魔の時間が過ぎてくれることを願った。
「あなた、実は貴族なんじゃありませんか? 」
ふいに、クリスが、マリスに尋ねた。
「あなたのその白い肌に、美しい髪の艶には、貴族的な雰囲気が感じられます」
マリスは素っ気なくあしらうが、
「僕の目はごまかせませんよ。あらゆる女性を見て来た僕には、わかるんです。
キメ細いお肌や、その美貌は、貴族的な美しさがあります。あなたは、貴族でも、
高位の貴族なのではありませんか? それなら、ケインさんの騎士振りにも
頷けます。どうです? 当たりでしょう? 」
クリスが覗き込み、マリスの視界に入ってきた。
「……まあ、言い訳してもバレるから、ご想像にお任せするわ。でも、そんなこと
知って、どうするの? 」
「もちろん、お近付きになって、マリスさんがダメなら、他のお姫様のお友達を紹介
していただけたらなぁ~、なんて」
「調子良いわね! 」
にこにこ笑うクリスに、マリスが吹き出した。
二人のやり取りを見ていたマリリンが、ケインの腕に絡み付きながら、上目遣いで
彼を見る。
「ねえねえ、ケインさんは、王子様の友達はいないの~? 」
「いるわけがない」
「ケインさんは、王子様になれないの~? 」
「なっ、なれるわけないだろ? そんなの、生まれた時から決まってるんだから」
「ええ~、王子様と出会って、マリリン、お姫様になる予定なのに~! 」
「へ? なにそれ? 占い? 」
「そうだよー。マリリンとスーちゃんは、いつかお姫様になって、イケメンの王子様
と結婚するんだから! 」
「………………………………………………………………えっ?? どうやって? 」
「賞金稼ぎの仕事でぇ、貯まったおカネでドレス買ってぇ、用心棒してあげた貴族ん
とこの舞踏会に参加してぇ、ダンスも場数踏んでるしぃ~、いつ見初められて
もいいように、頑張ってるんだから~」
「……えーっと…………………………………………………………………えっ?? 」
噛み合っていない二人を尻目に、クリスとマリスの方は、次第に会話が増えて
いった。
「貴族なのに、なんであなたは騎士にならずに、傭兵なんてやっているの? 」
「僕、練習嫌いなんです。騎士になると、毎日規則正しい生活をして、決まった時間
に訓練をして……となるでしょう? それが、嫌だったんです。ただそれだけです」
「その気持ち、ちょっとわかるわ」
「そうですか? ありがとう」
「変な人ね」
「よく言われます」
マリスは、しばらく、くすくす笑っていた。クリスも、笑顔を絶やさず、歩き続け
る。
「クリスなら貴族なんだから、いいじゃないか。イケメンだし、同じ黒い騎士団同士
なんだし、クリスにすれば? 」
ケインが適当な言い方をすると、マリリンが、珍しく眉を吊り上げた。
「やだっ。マリリン、逞しい人が好きなんだもん。クリスじゃ痩せ過ぎ」
「だけどさぁ、逞しい王子様なんて、滅多にいないぜ? デロスの第一王子くらいで。
大抵は、鍛えてないから痩せ型だよ? 」
「ええっ? やだー、やだー! 逞しい王子様、探して来てー! 」
「は? 俺が? 」
そうこうしているうちに、やっと三〇分が経ったのだった。
「さあ、約束通り、クレアを治しに一緒に来てもらうぞ」
ケインが腕を腰に当て、横目でマリリンとクリスに言った。
「うう~ん、そうねぇ……」
マリリンがキョロキョロしている。
クリスは、マリスに微笑んだ。
「今日は楽しかったです。では、また」
彼はマリスの手の甲に口づけた。
マリスも、スカートをつまみ、貴族の女性の挨拶で返す。
貴族同士のやり取りを、ケインが面白くなさそうに見てから、マリリンを振り返る
と、彼女の姿は消えていた。
同時に、クリスの身体が宙に浮かぶ。
「うわー」
動揺し、手足を振り回す彼の姿も、空中で、パッと消えてしまった。
後に残されたケインもマリスも、宙を見上げたまま、次第に事態が飲み込めた。
「……謀られたか! 」
二人は、愕然とした。
「ちょっとー! 『現実主義の黒騎士団は、情では動かない』……そういうことなの
ーっ!? 」
マリスが空に向かって叫んだ。
怒りも覚めやらない二人であったが、どこに行ってしまったかわからないマリリン
たちのことは諦め、とりあえず、診療所に向かい、カイルとだけ話をした。
「そうか……。あいつら、許せんなー」
魔道士の医者は見つからないことと、マリリンたちとの屈辱デートの話の後で、
カイルが顔をしかめた。
「あんな奴等は、もうアテにせずに、俺たちだけで、なんとかしようぜ。悪いけど、
ケイン、マリス、なんとかして、魔道士の医者を探してくれないか? クレアの熱が
下がらず、薬草とバヤジッドの栄養の飴で凌いではいるんだが、彼女、俺たちみたい
に鍛えられてないし、怪我に慣れてもいないから、ショックの方が大きいみたいで、
心配なんだ。なるべく急いでくれないか? 少しくらい遠出してくれても構わない。
こっちは、俺がなんとかする」
カイルの深刻な表情に、ケインもマリスも頷いた。
「そうだ。これ、お前たちにも預けておくぜ」
カイルが、いくつかの小瓶の入った黒い袋を、ごそごそ取り出した。
「これからは、魔法で治療は出来ないと思って、ここの診療所の先生から買っておい
たんだ。薬の種類は、瓶に書いてある」
「カイル、お前って、ホント気が利くなー! 」
ケインが感心して小袋を受け取ろうと手を伸ばすと、袋は、さっと引っ込められた。
「全部で、金貨五枚だ」
人差し指を振り、ちっちっちっと舌を鳴らしながら、カイルが抜け目のない笑顔に
なる。
ケインが溜め息を吐くが、仕方なく、金貨を払った。
「仲間相手に、なんというセコさなの! 」
マリスが思わず呆れた。
二人が隣町へと出発し、カイルはクレアのいる特別室へ、すぐに戻った。
熱は下がらなかったが、煎じた薬草を飲んだり、バヤジッドの飴を食べるなどは、
自分で出来るようにはなってきていた。
ベッドの上でなら、時々起き上がることも出来るが、時々腹部が痛むように、手を
当てている。傷にも、医者の薬を塗り、薬草を当て、包帯で固定している。
「クレア、起きてたのか? 」
「マリスたちは? 」
カイルを見ると、彼女は、か細い声で尋ねた。
「ああ。魔道士の医者がこの辺にはいないみたいだから、少し遠出してもらうことに
なったぜ」
カイルは、クレアの側の椅子に座り、微笑んだ。
「もう少しの辛抱だ、クレア。ケインたちが、必ず探してきてくれる。ゆっくり休め
よ」
「ええ……」
クレアが横になるのを、カイルが手伝う。
すぐに彼女は眠りに落ちた。
心配そうに、それを見つめるカイルだったが、ふいに、腰に差してある魔法剣に、
鞘の上から手を当てた。
彼の青い目の横を、一筋の汗が流れた。
「魔道士のお医者かい? それがね、つい最近、姿をくらましちまったんだよ。
私もね、治療してもらいたくて、何度も来てみてるんだけどねえ」
隣町で診療所を見つけたケインとマリスであったが、閉鎖されていて、通りすがり
の女性に聞くと、そのような返答であった。
妙な胸騒ぎを覚えたケインとマリスは、最も人の出入りのある、賑わっていた酒場
兼食堂へと、足を速めた。
「噂では、この隣の町も、そのまた向こうにもいた魔道士の医者が、次々と姿を消し
ているそうだ。それも、つい最近。旅人たちが、みんなボヤいていたよ」
カウンターの中から、気のいい太った男が、そう答えた。
「ただの魔道士の失踪とは、思えなくない? 」
「ああ。デモン教の奴等が、俺たちを足止めしようと、魔道士の医者たちを誘拐、
または……消してしまったのかも知れない。なんて奴等だ! 」
マリスとケインは、小声で話す。
その食堂を見渡していたケインの視線が、店の隅方で止まった。
「あいつ、またいるぜ」
マリスも同じ方を見てみると、あの三角帽子の吟遊詩人が、朝と同じように、
小さい竪琴のリュラをポロロ~ンと奏でて、なにやらとんちんかんな唄を唄っている
のだった。
つかつかつかつか……
「ちょっと、あなた」
「うわー」
マリスが、後ろから、首根っこを鷲掴みにすると、詩人は驚いて、情け
ない声を上げ、手足をバタバタさせた。
「いきなり、なにするんですかー、もう、唄の途中だったのに」
「どーもこーもないわよ。このインチキ吟遊詩人! 」
「なんで僕がインチキなんです? 」
「お前にちょっと聞きたいことがある。こっちへ来てもらおうか」
「うわー、なにするんですかー。暴力はやめて下さいよー! 」
マリスとケインに両脇を抱えられ、足を宙に浮かせたまま、吟遊詩人は外に連れ
出された。
人気のない丘まで行くと、逃げられないよう、ケインとマリスに片腕ずつ掴まれた
ままで、睨まれる。
詩人は、三角帽子を目深に被ったまま、おろおろと、二人を見る。
「あなた、いったい何者なのよ? 」
「ですから、見ての通り、ただの吟遊詩人です」
「とぼけんじゃないわよ」
マリスは、彼の鼻先に、しゅっと拳を突き付けて、脅してみせた。
「ひっ! なっ、なんなんですか、あなたたちは!? 僕が、いったい何をしたって
言うんです? 」
マリスは、じろじろ、彼を帽子の上から見つめる。
「どうも、あなたって、胡散臭いのよねぇ」
「そんなぁ! なにを根拠に、そんなこと言うんです? 」
「お前の情報は、どこか引っかかるんだよなぁ」
ケインも睨む。呆れているようにも見えるが。
「昨日のクラーケンのことですか? そ、そりゃあ、多少は脚色してしまいましたが、
そんなの、どこの吟遊詩人だって、やってることじゃないですかぁ」
男は必死に言い訳を試みる。
「それだけじゃないわ。あなたは、なーんか普通の人間と違うような……、魔力は
感じられないから、魔道士とも違うし、何か特別な存在のように、思えるのよねぇ」
「そっ、そんなぁ! 僕は、ホントに、ただの吟遊詩人ですってば」
「とにかく、顔くらい見せてみなさいよ」
「うわー、乱暴しないで! 」
マリスは、男の手を押さえたまま、三角帽子を取り上げる。
白い顔が現れると同時に、ふわっと、肩にはつかないくらいの薄茶色(ライト・
ブラウン)の柔らかい髪が、肩に降りた。
髪と同じ薄い茶色をした大きな瞳が、怯えたように、マリスとケインとを見つめて
いる。
男の割りに、肌は透けるように白く、バラ色の頬に、唇はサクラ色で、かわいら
しい形をしていた。
それは、一見、少女かと思えるほどの、女性的な雰囲気の、世にも稀な美少年で
あった。
「……お前は……! 」
ケインも驚き、それ以上、言葉が出て来ない。
二〇歳ほどかと思っていたのが、もう少し若く、もしかすると、マリスと同じ一六
歳ほどではないかと思えるほどであった。
クラーケンの奇妙な唄などを、このかわいらしい顔で唄っていたとは、二人には、
まったく想像ができなかった。
この顔を見せながら唄われなかったことだけは、良かったと思えた。
「……なんだ。意外とマトモじゃないの。あなたみたいなかわいい美少年が、なんで
吟遊詩人なんてやってるのよ」
「ま、まあ、いろいろと事情がありまして……」
彼は、ごにょごにょと言葉を濁した。
「お前、どこかで会わなかったか? 」
ケインにじっと見下ろされて、少年はうつむき加減に、首を横に振った。
「そうか。……なーんか見たような気がするんだが……」
「ひ、人違いだと思いますけど……」
詩人は苦笑いをした。
「なんて名前なんだ? 」
少年は、それには答えずに、思い出したように言った。
「そうだ、ケインさん。この先の、西の方向にある、ヨルムの山の、そのまた向こう
に、伝説のドラゴンが住んでいるという谷があるんですって。そこに行くと、なにか
いいことがあるかも知れませんよ」
にっこり笑う詩人の腕を、ぐいっと、ケインが真面目な表情で、引っ張る。
詩人は悲鳴を上げた。
「いい加減を言うな。ドラゴンが人間界なんかに住んでるもんか。お前、何かごまか
そうとしてるだろ? 」
「痛いですよぉ。そんなに掴まないでください! リュラが弾けなくなってしまう
よぉ! 」
ケインが、手の力を緩める。
「あなた、昨日も、ドラゴンの谷がどうのこうのって、言ってたわね。その話、本当
なの? 」
美少年は、サクラ色の唇を引き結び、こくんと頷いた。
「あそこには、伝説の勇者を待っている者たちがいるんです。そう聞いてます。早く
行ってあげた方がいいですよ。『ドラゴン・マスター』」
「なっ……! 」
ケインが目を見開いた、その途端だった。
ひゅん……!
それまで詩人の腕を掴んでいた感触が、一気になくなったと思うと、目の前にいた
吟遊詩人の姿が、またしても消えたのだった!
「……なんなの!? 」
マリスも、そして、ケインも、信じられないように、自分たちのてのひらを見つめ
た。
「あいつ、また消えたわ。でも、魔力は、やっぱり感じられなかった。……いったい、
何者なの……? 」
当たりを見渡すが、一面、野原である。人の影など、ありはしない。
腑に落ちない思いで、二人は、しばらく、その場に立ち尽くしていた。
「……どうする? あいつの言う通り、ドラゴンの谷に行ってみる? だけど、もし、
あいつが、あたしたちの敵だったら……それこそ、デモン教と、なにか関係があった
りしたら……」
「いや、多分、あいつは敵じゃない。前に、どこかで会ったような気がするんだ」
ケインが首をひねる。
「確かに、あの吟遊詩人、なぜか、ケインの名前は知ってたわね。あたし、あいつの
前では、あなたの名前は呼んでなかったのに。それに、『ドラゴン・マスター』って、
なんのことかしら? 」
ケインが、ハッと面を上げた。
「……思い出した……! 誰かに似てると思ったら……! 」
ケインの右手が、腰に差した剣に触れる。
「あいつだ……! あいつは、ドラゴン・マスター・ソードのマスター、ジャスティ
ニアスに似てるんだ! 」
「ええっ? 」
その時、ケインは、何かに気付き、ふいに空中を見上げた。
マリスも、思わず同じ方向を見る。
「あっ……! 」
そこには、吟遊詩人が半透明になって、浮かんでいた。
彼は、先程までの怯えようとはまったく別人のように、二人を見下ろし、フッと
ニヒルに笑いかけると、そのまま透明になり、あたりの景色の中に溶け込んで
しまった。
二人が、そこから動くことは、しばらくは出来ないでいた。
彼は、やはり人間ではないのか?
二人の頭の中には、いくつもの疑問が駆け巡っていた。
口を開いたのは、ケインが先であった。
「マスターが言ってたんだ。いずれ、彼の部下と会えるかも知れないって。マスター
自らが、わざわざこんなところに現れるわけはないし。あの吟遊詩人は、きっと、
マスターがよこした部下ってヤツに違いない……! 『ドラゴン・マスター』の
呼び名を知っていたのが証拠だ」
吟遊詩人だったものが消えた空を、キッと見上げたまま、そう呟くケインの横顔を、
マリスは見上げた。
「今すぐ、ドラゴンの谷を目指す? 」
「魔道士の医者を見つけて、クレアの怪我を治してからだ」
「ヴァルのことは、待たないの? 」
「ああ。もし、あれが、俺のカン通り、マスターの使者だったなら、ドラゴンの谷へ
行くのは、きみたちではなく、『俺の』使命なんだからな」
ケインは、マリスを改めて見直した。
「この間、洞窟の中で、マスター・ソードの魔石の話をしたのを覚えてるか? 」
マリスが、こくんと頷く。
三つの魔石に、本来の魔力を分散させているドラゴン・マスター・ソード。
そのうちのひとつしか、まだ能力は注がれていない。
「マスターが、夢の中で、魔石のある場所に連れていってくれた。自然の森の中に、
ぽっかりできた綺麗な泉のあるところだった。あれは、人間界ではなかった」
「覚えているわ。そう言ってたわね」
「夢の中で、マスターは魔石を見つける手助けとして、部下を人間界に送り込んだと
も言っていたのを、今思い出した。あの吟遊詩人が彼の部下なら、ドラゴンの谷が、
もしかしたら、二つ目の魔石と関係あるのかも知れない。二つ目の魔石の力を手に
入れれば、マスター・ソードは、今よりもっと強化できる」
ケインは、真面目な表情で続けた。
「ただし、そこで、どのくらいの時間がかかるのかはわからないし、あまりに長期間、
クレアやカイルのことを放っておくのは心配だ。なにがあるかわからないから、四人
で一緒に行こう。四人でいるのが、一番安全な気がする」
「……もし、本当にドラゴンの棲む谷があるんだとしたら、次元の通路とは無関係
でも、あたしも見てみたい。ひとつ目の魔石は、見損なっちゃったんだもの。どんな
ものなのか、どんな能力なのか、二つ目こそは、見てみたいわ」
ケインの、彼女を見つめる青い瞳がほころび、そこには、強い意志が表す光が浮か
ぶ。
それを、マリスは、勇者らしい目だな、と思った。




