15 知識と経験
死の樹海へ行く。
そう決めたからといって、翌朝からさらに森の奥へ向かったわけではない。
オルガにこっぴどく叱られたあと、私はまず、自分に足りないものを数え始めた。
知識。
体力。
危険への対処法。
薬の調合技術。
そして何より、植物以外のことを知る必要があった。
毒耐性があるからといって、何をしても死なないわけではない。毒のない獣に噛まれることもあるし、崖から落ちれば普通に痛い。食べ物がなければ飢えるし、寒ければ凍える。
植物が好きだからこそ、植物を見る前に死ぬような真似は避けたかった。
そこで私は、オルガの店で働く時間を増やした。
薬草の採集だけではなく、乾燥、粉砕、煎じ、浸出、保存。
薬草を扱うには、それぞれ適した方法がある。
同じ葉でも、生のまま使うものと、乾燥させた方が薬効の安定するものがある。根は煮出す時間によって成分の出方が変わり、花は熱湯を注いだだけで十分なものもあれば、長く煮ると薬効を失うものもある。
植物は、採って終わりではない。
むしろ、採ってからが本番だった。
「火を強くしすぎだよ」
オルガが鍋を覗き込みながら言った。
「この根は、急激に煮ると苦味成分が出すぎます」
「わかってるなら、なぜ火を強くした」
「沸騰までの時間を短縮した方が、成分の抽出効率が上がるかと」
「薬は効率だけで作るもんじゃないんだよ」
オルガは火を弱め、木べらで鍋の中をゆっくりとかき混ぜた。
「苦味が強すぎれば、患者は飲めない。効き目が強すぎれば、別の場所に負担がかかる。薬ってのは、効けばいいってもんじゃない」
「飲める味にする必要がある、と」
「そうだよ」
「では、甘味のある薬草を少量加えて――」
「勝手に混ぜるんじゃないよ!」
怒られた。
しかし、混ぜてはいけない理由を尋ねると、オルガはきちんと説明してくれた。
薬草の中には、別の成分と合わさることで効果が強くなりすぎるものがある。反対に、互いの薬効を打ち消す組み合わせもある。
植物鑑定では、それぞれの薬効はわかる。
けれど、組み合わせたときに何が起きるかまでは、まだ完全にはわからない。
私はその事実に、久しぶりの興奮を覚えた。
未知がある。
まだ鑑定だけでは届かない領域がある。
植物と植物を組み合わせたとき、そこにどんな変化が生まれるのか。
それを調べるのは、前世で新種の植物を見つけたときとはまた違う楽しさがあった。
「オルガさん。この二つを同じ鍋で煎じた場合は?」
「駄目だ」
「理由は?」
「昔、同じことをやって腹を下した奴がいた」
「どの程度の量で?」
「そこまで記録してない」
「では、少量から試験を――」
「人間で試すんじゃないよ!」
「自分でなら」
「意味ないだろ!」
結局、私は薬草同士の組み合わせを調べるため、店の裏に小さな実験用の区画を作った。
もちろん、勝手にではない。
オルガの許可を取り、毒性のあるものは完全に分け、危険な組み合わせには赤い札をつけた。
赤い札が日に日に増えていくのを見て、オルガは何度もため息をついた。
「はぁ…まるで危険物置き場だ」
「まだ安全なものしか置いていません」
「その言葉を信じていいのかい」
「……少なくとも、私には安全です」
「だから問題なんだよ」
そんな生活を続けているうちに、私は少しずつ成長していった。
森へ行ける範囲も広がった。
(採取に夢中になって、気づけば森の奥まで足を延ばしてしまうこともあったけれど。かなり。)
森の植物は、場所によって明確に違っていた。
日当たりのいい場所には、葉に厚みのある薬草が多い。
湿地には水分を蓄える根や、菌類と共生する植物が多い。
倒木の周囲には、腐葉土を好む茸や、朽ちた木から栄養を得る蔓植物が集まる。
植物は、そこにある環境を映している。
だから植物を調べれば、その土地のこともわかる。
土が酸性なのか。
地下に水が流れているのか。
魔力が濃いのか。
何かの毒が蓄積しているのか。
『死の樹海』のような変異した環境では、土壌の毒や魔力によって、安全なはずの草が猛毒に化けることもあるだろう。土地そのものの性質を見抜けなければ、足を踏み入れることすらできないはずだ。
その考えに気づいてから、私は植物だけでなく、土や水、石まで観察するようになった。
「最近、お前は草だけじゃなく地面まで睨んでいるね」
オルガに言われた。
「植物が育つ環境を調べています」
「薬草を採るだけなら、そこまで必要ないだろう」
「死の樹海へ行くなら必要です」
「まだ諦めてなかったのかい」
「諦める理由がありません」
オルガは何も言わなかった。
ただ、以前よりも森へ出る私に対して、細かい注意をするようになった。
天気が崩れる前の雲の形。
獣の足跡の見分け方。
水の流れが変わった場所。
森の中で音が消える場所には近づかないこと。
そして、何よりも大切なこと。
「森で怖いと思ったら、すぐに戻りな」
ある日、オルガはそう言った。
「怖いと思わなかったら?」
「戻るんだよ」
「ですが、危険だと判断できる情報が――」
「頭で判断できないときのために、怖がる本能があるんだ」
私は返事をしなかった。
オルガは、薬草を乾燥棚へ並べながら続けた。
「知識がある奴ほど、自分は大丈夫だと思い込みやすい。毒を知っているから毒に勝てる。森を知っているから森で迷わない。そんなことはない」
「……はい」
「戻ることも、採集のうちだよ」
その言葉は、私の中に残った。




