子供のお遊びで生活に必要な水を失うことになろうが知りません
保養地の別荘から出てきた娘を夫婦で見送る。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
「遅くならないように」
「はい」
十年と少し過ぎた年齢の娘を送り出す。ミールミネはイタズラ顔でニッコリ笑って慣れた道を早足に向ける。きっと今から友達と会うのが待ち遠しいのだろう。
過去のことを思い出した時、二十年ほど前に使うからと整備してきた井戸が、そろそろ期限が近づいているのではないかと思い出す。
ここに一時的に滞在するためとはいえ、長く居続けるので家に居るのと変わらない水を得るために特別に、掘って用意させたもの。水の魔石という、凄く高い物も水脈などに設置してあるので掃除しなくてもいつでも良質な水が、直ぐに飲める。
あれもそろそろ一度全て交換しないと。魔石はよくても外側と内側も古くなってきているらしい。生活用水の方に流れてもいて、街の方にも繋がっている。娘の口に入るので、綺麗な水を向こうでも飲めるようになっていた。
点検は絶対に欠かさない。万が一があるので交換しないと。来年までに変わればいいかと花壇を見た。
昨日到着したばかりであるが、管理人が依頼通りに花を植えていてくれるのでまるで受け入れてくれているように好きな花が庭先で揺れている。
この街、風、空気が好きで他の場所もあるのについついここを選んでしまう。街の人たちも良い人たちで、こちらのことをなにも知らないというのはわかっていても受け入れてくれている。
娘はここにくるたびに短期で塾に通っている。夏期休暇や冬季と一年で二度行くこともあるこの場の塾は子供たちの遊び場であり社交場であり、集会だ。子供だけの。
学園も休みなので大人たちも子供が一カ所にいるのは、安心なのだ。イハリスすらとてもよいものとわかっていた。だから、応援している。毎年少なくない寄付金も別名義で送っていたり。
娘がそこで子供達と毎年会いに塾に向かう。そこに少しお金を塾代として払うと通える。様々な子供たちがいるが、塾にいる顔ぶれはあまり変化しない。
そこに通うのも十年ほどになるので、娘にとっても遠いのでたまにしか会えないものの、毎年会える場所まで行く前から、そわそわと楽しみにしている。きっと仲の良い子がいるのだろう。
しかし、それも今年で終わりかもしれない。塾に来ている子たちが次の年から学校に通うので娘が通う塾に来なくなるかもしれないのだ。
集まる場所は同学年のいる学校。娘は彼らより少しだけ年下だったりするので、年下の子たちと来年、話したりできる子たちでもいなければ別案の、違う保養地を提案しよう。
なんなら、無理だと思った日から移動してもいいかもしれない。ここだけに絞る理由もないし。夫と昼は何にしようかと思って二人で話し合っていると、娘が向こうに行っている間の護衛の一人がこちらに来た。
「奥様、旦那様、お話があります」
神妙な顔で報告してきた。
「なにかあったのか」
イハリスは夫と共に首を傾げる。護衛の女が困ったように、娘の成長記録のために撮影していた映像を見せてくれる。いくら通い慣れた場所でも自分たちの身の安全の確保は絶対。
それも含めて守るために護衛を何人もつけていた。娘も存在は薄っすら知っていると思う。彼女が見せてくれたのは娘の塾での風景。
男の子や女の子、年齢に差はない。その中でも活発そうな男の子とボーイッシュな髪型の女の子の会話が入ってくる。
『ミールミネちゃんってなんだかお高く止まってない?』
女の子の口調なのだが、どこか男の子っぽい。ヤヤラ、と呼ばれているのを知った。この女の子はどうやら、周りから畏怖と尊敬を集めているようだ。
『そうか?』
男の子が娘を見ながら首を傾げる。女の子の目についた程度では男の子を説得しきれないらしい。それからも見ているとヤヤラがゲームをしようと言い出して、ミールミネが塾から出て行く時に呼び止めて全員の前で嘘の告白をするというものを提案した。
「私の娘に……」
思わず口に手をやる。なんていう残酷な遊びを、平民は息をするようにやるのだろう。平民と思わず口にしてしまいそうになった。実は貴族という身分であるのだが、それを隠して毎年ここで娘のために休暇を過ごしている。
ここのブランコもよいものだし、なにより塾の友達と話すのが楽しいと言っていたから敬遠されたり、怖がらせるまでもないと隠し通していた。
「今直ぐ行かないと」
「大丈夫です。ミールミネ様の身は我々がお守りしております」
「この子たちはやったのか?」
夫が難しい顔をしていて、護衛は頷く。娘が休憩時間に部屋から出ようとした時、男の子が立ち上がってズカズカミールミネの前に来ると「好きです」と勢いよく言う。
ミールミネは驚いた顔をしながら、きょろりと周りを見渡してから困ったように男の子を見て「ごめんなさい」と謝る。そもそも貴族なので平民と付き合うにはなにもかも遠い。距離もさながら、身分も違いすぎる。
男の子は顔を赤くさせて、娘を見ると近くにいた先ほどの発破をかけた女の子が「酷くない?」と騒ぐ。周りも驚いている。
告白を断っただけにしては騒ぎ方が演劇というか劇場型だから、激しいという気持ちが合致しているのかもしれない。確かに節々にわざとらしさがあり、大人みたいに嘘を言うには下手だ。
「何この、躾のなってない、失礼な」
娘に突っかかる姿はまさに躾のなってない獣のようだ。ヤヤラが楽しげに人を傷付けることに喜びを隠しきれていない。ふるりと怒りで震えた。
「イハリス、まだ終わってない」
夫に落ち着くように言われたが、今直ぐ娘のところに飛び出して迎えに行きたい。貴族であるかないかという話ではない。有象無象の者に娘が何かされている。
それだけで警戒して攻撃したくなる気持ちが湧く。しかし、落ちつかなければならないと深く深呼吸。続きを見ると男の子は女の子のいきなりの暴走に気を取られて赤くなっていた興奮度合いが解かれている。
「ベキャオくんがせっかく告白してくれたのに断るなんて何様なの?お高く止まり過ぎなのよね!皆もそう思わない?」
ヤヤラが大きな声で言うと周りの子たちは何を言ってるんだこいつはという顔をしたが、何か言うこともなく年下の女の子が年上から言われているというのに、庇うことも意見を言うこともない。
この女の子はどこかの子供なのだろうか。言いたくても怯えが周りの子たちから見て取れる。
「この女の子はなんなの?周りの子たちが怖がってるけど」
「その子供は絹染の服を卸しているところですね。高級と謳う店の孫娘です」
今は次代が継いでいるというので、さらに勢いが増しているとのこと。祖父より父が長になったので、ここ何年かでボス的な立ち位置になっているのだと、説明を受ける。
「娘が気に入らないみたい」
「お嬢様からの貴族オーラに女の勘が働いたのか、告白した男の子が好きで、ミールミネ様が好きと知ってライバル心を燃やしているのかもしれません」
染め物屋と聞いて、うちの井戸を一番必要としている人間たちなのではないかとピンと来た。ここに来る前から設置していた、うちの井戸の所有者はイハリスたちである。
彼らは私有物を無断で使い、無断で商売にしていた。それは全員がしていることなので、敢えて見逃していた。今の今までは困ったこともなく、汚す真似もしなかったから。
平民に井戸は作れど、超高級な魔石は買えない。魔石一つで食中毒は防げて、料理に使えば美味しくなる。染め物でも色の出方が違うとの、研究結果があるらしい。
そんな水を勝手に使っていても目こぼししていたのは、単に娘の立場を悪くしないためだ。
彼らが貴族であることを知らないのも、貴族の持ち物かもしれないと思いながら使っているのも。全て、娘が楽しくしているから、些細な心付けのようなものなのだ。
平民だからと見下したことはないし、話しかけられればちょっと裕福な家族という風に思われているから丁寧に接してくれる。しかし、今回の件で全てが吹き飛んだ。
「出立の準備をして」
イハリスが使用人たちに指示する。画面の中で娘は女の子がどれほど言おうと、そよ風が当たったかのように対応している。流石は貴族の対応だ。というより、自己肯定感が高過ぎて効いていないと言った方が正解かもしれない。
貴族の家にしては褒めて伸ばすを家訓にしている我が家。娘のメンタルは最強かもしれない。言い分を聞き終えた娘は一番仲の良い友達の方を向く。この子のために特に楽しみにしていた。
友達は目を向けられて、フイッと目をそらして目を合わせないようにした。それだけでミールミネは何か感じ取ったのか、もう向けようとはしない。興味を失った顔で、無言で塾を出た。
その後、猿のような女の子が後を追いかけようとしたら護衛に囲まれているミールミネを見て、顔を青ざめさせた。娘がもしかしたらとんでもない子かもしれないと、薄く感じたのかもしれない。物々しい中で闊歩する人数での移動。
街中で目立つだろうが、もう厭わない。周りが何事かと見るがミールミネは笑顔も声もかけずにひたすら歩いていく。
映像を見終わると護衛たちと娘のミールミネがこちらへ来るのが見えた。手にはアイスクリームがある。途中で買ったのだろう。
友達と食べる予定だったのかもしれないが、もう食べるつもりがないから一人だけで購入したのか。イハリスは娘にいつものように声をかけて、夫もいつものようにお帰りを伝えた。
「楽しかった?」
「んー、もういいかも」
「いいって?」
目の前に来るといつも楽しかったと始まる唇は、いつもと違う選択肢を取り出す。
「アンツァくんが、自領に来ないかって誘ってくれてたから、そっちに行きたい」
「アンツァくんが?そうなのね」
なんとなくそんな会話をここに来る前にしたが、関心は塾にあったものだから具体的なことは聞いてなかった。
「来年からここはもう来なくていい?」
「うん。来年から仲がいい子は皆、塾に来なくなるって言ってたから。もういく意味があんまりない」
もともとそんな話をしていた。来年も来るつもりだったのは話していて気付いたが、今はもうそんな気力や熱意は感じられない。
友達が庇ってくれなかったことで友人と二度と話せる関係に戻れないことを幼いながらに、理解したのだろう。代わりに、幼馴染のアンツァの話をし始める。
「アンツァくん、食べて欲しいものがたくさんあるって。お父様とお母様にも」
「私達にも……なら、先ぶれの手紙を出してゆっくり行きましょうか」
なにがあったのかは知っていたものの、なにがあったのか聞くことはない。ひとつ成長できた高い勉強代になったと思って見守る。護衛らに魔石だけは回収するように伝えた。
アンツァの領地のところに井戸を作り滞在場所の許可を貰ったら、そこに設置するために。あの井戸はもう替え時だったのだけれど、更新しないまま三人は別荘を空にして戻ることのない街をゆったりと後にした。
誰も何も伝えないし、さよならも言わない。自分たちは街の人間ではなく一時的な滞在者であり、旅行者に過ぎない。特別なことをされたわけでも助けられたこともないので、これといってお別れを言う者もいないのだ。
「バイバイ」
娘だけは長年通った塾に手を振ってあげていた。優しい子だ。悪いとも悪くないとも言うこともなく、貴族の当然の特権を振るうことなくただ帰るだけなのだから。
その後、アンツァは直ぐに娘へ来てくれて大丈夫だと大喜びして、向こうの貴族当主と夫人とで和気藹々なお茶会をした。その合間に井戸の魔石が抜かれて普通の井戸になったと報告が書かれたものが、手に渡る。
街は魔石の存在には気付かなかったが、暫くして魔石の効果がなくなり、それぞれの家庭で料理など何か違うという違和感があったが、特に強く感じたのは染め物屋の者たちだ。
ミールミネを目の敵にしていた女の子の家業。良い染め物と高く売れていたのに魔石付きの井戸が使えなくなったので、作れなくなり普通のどこにでもある店に戻った。
子供たちも水の味が変わったと思ったが、原因なんて誰にもわからない。平民が逆立ちしても買えない値段なので、魔石について詳しい者もいないのだ。
やがて街の中で高い評価を受けていた店が軒並み平凡となり、名物として語られることはなくなった。染め物屋の娘は何かに怯えているらしい。バレることか、それとも娘が去った日に見たことでいずれ類似点などで理解してしまう日が来るときか。
どちらにせよ、己が弓を引いた自覚があるので未来は明るくはなさそうだ。アンツァがミールミネに何やら教えていて、子供特有の甲高い笑い声が聞こえてくる。
「お母様、アンツァくんが水遊びの場所があるからどうかって」
娘は特に心にダメージが残っている気配のなさそうな、次の遊びだけで頭がいっぱいな子供らしい瞳をキラキラさせて、許可をもらってきた。もちろん、構わないと言えばぴょんと喜ぶ。
「アンツァくん、いいって」
男の子の方へ戻っていく姿を見送って、報告書の端を持ち上げた。夫にスライドさせると彼は、イハリスよりも乱雑に端と端を折り曲げる。サラッと見たのは知っているから、もう見る価値がないと畳んだ仕草が目についた。
井戸を引いたのはイハリスたちだが、井戸を使っても咎める理由を消したのは娘の存在。彼らが全員、誰のおかげで懐が潤って余裕ができていたのか、最後まで調べようともしなかった。
調べても出てこないとは思うが、あんなに綺麗で美味しい井戸水をずっと使えていたことを誰かしら変に思わないのも、流石は逞しい彼らなりの生き方。
しかし、身内贔屓が強くなり過ぎていつの間にか、命綱になっていた子を追い出す形で関与した。それはいけない。危機感と本能は別にしなければ生きていけない。今日みたいに生活の一部になっていて、なくなると困ることになる。
あの平民たちは別の方法も得るべきだった。彼らなりの逞しさで。誰かがあの水は誰のものかを、誰かに聞けばよかった。
あの水の中に魔石があると調べればよかった。二十年以上あったものがなくなるのだ。今の世代は当たり前に使っている。
娘のことや子供たちのことは人生からすると、大したことがないのかもしれない。それは彼らが決めることではなく、こちらがどう感じたかが一番大切。
井戸は使えなくなるが、あそこには二度と行かなくなるので使えるようにし続ける意味はない。義理もない。こちらに移動したから魔石も移して井戸を新たに作るだけ。自分たちの私物を移動することに誰かの許可なんて、いらない。
例え、生活が変化して困っても関与することではない。許可もしてないものを自分たちのもののように使っていた、彼らのせいだ。井戸がなくなっても、井戸ができる前に使っていた生活用水が彼らのところにちゃんとある。全然使っていなくて整備されていなくても、知ったことでもない。
娘たちの楽しげな声を聞きながら、別の別荘地のリストをテーブルに広げてどこがいいだろうかと夫婦で顔を突き合わせた。
最後まで読んでくださり感謝です⭐︎の評価をしていただければ幸いです。本当に怖いのは抗議より無言の移動ですよね




