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「女は家にいろ」と言っていた財務長官の夫が過労で倒れたので、元部下の私が国を救ってみました

作者: エフピロ
掲載日:2026/06/20

「リア、お前は家にいればよい」


 結婚初日。

 夫、カーネル・ベラスケス侯爵が思い出したかのように伝えてきた。


「えっ、それはどういう……」


「外の仕事は私に任せておけばすべて上手くいく。何も心配はいらない」


 困惑する私をよそに、夫は事務連絡のような淡々とした口調で続けた。


 ――あれから一年。私、リア・ベラスケスはその通りに家にいた。


 夫は学園を首席で卒業し、若くして王国の財務長官にまで昇りつめた、優秀な人。

 真面目で、いつも遅くまで働いていて、夕食をともにできる日が珍しいくらいだった。実際に、今日も私は独り寂しくディナーを済ませた。


 一方の私も、彼の数年後に同じ学園で首席となり、財務省に抜擢された身だった。

 もっとも、結婚したら一度は家に入るという貴族の慣例のため、私の仕事人生は三年ほどで幕を閉じた。


 夫は、尊敬できる上司だった。

 「見そめられた」というよりは「認められた」という求婚だったが、同じ職場の者同士で結ばれるというのは貴族のなかではかなり珍しい部類だった。


「夫婦で国の財務に携わるのは不正を疑われるからできないとしても、他ならば何か私がお役に立てる仕事もあるのではありませんか」


 結婚からしばらくし、幾度かこのようなことを夫に相談した。

 しかし、彼が取り合うことはなかった。


 私はせっかく得たこの能力と経験で、もっと世の中に貢献したかった。しかし、今では屋敷内のちょっとした雑事を行うのみ。


 いや、許す、許さないというよりも、彼の中には妻が外で働くという「概念」が存在しないようだった。人が空を飛べないことが当たり前であるのと同じように。


 それはこの国の貴族における古くからの考え方。最近はその限りではないはずだが、彼はとても伝統的な価値観の持ち主だった。


「女は家にいるものだ。それでこそ家はうまく回る。確かに歴史の中には傑出した女性というものはいる。リア、お前は優秀ではあったが、自分がそういった女傑だと思うのかね」


 自分を女傑などと言う気はない。

 しかし、これではまるで置き物だ。


 ベラスケス家は代々宰相や高級官僚を務め、頭脳の明晰さを重視するお家柄。そのため子爵家の出にも関わらず、私に婚姻のお申し出があったのだ。

 実家は良縁に喜び、快く私を送り出した。私もこれほど優秀で真面目な方と一緒になれるのは光栄だと思った。なにより、仕事人としての私を知り、評価してくれていた。


 だから、結婚後にここまで籠の鳥にされるとは、夢にも思っていなかった。


 彼のことは嫌いではない。むしろ、好意的に思っている。理知的で、家柄に驕らない真摯さを持ち、その素晴らしい仕事ぶりも知っている。嫁げて幸せだと思っている。

 家の都合で知りもしない遠くの家に嫁がされることが常の世の中なのだ。知性のかけらもないような人に嫁がされていたら、我慢できなかったかもしれない。


 しかし、それで何も成さない日々を送れば、無能にも見えてくるのだろう。


「奥様には難しかろうと思いますので」


 何を勘違いしたのか、少し席を外した間に侍女頭のアニーに開いていた帳簿を片付けられた。

 私の勉学や仕事の履歴は家中で顧みられることがなかった。だから、こんな使用人にも軽く見られる。


 耐え難い有閑の日々だった。


 あえて屋敷の中で過去を自慢して回れば、些かの溜飲を下げるくらいにはなったかもしれない。しかしそれは所詮は籠の中で鳴く鳥のさえずりでしかない。敵を増やすだけで、本質的に無為であることくらいは理解していた。

 だからある時、代わりに事業の企画を立て、夫に相談してみた。


「せめて、お家のためにささやかな事業でもできればと思いまして」


 良かれと思って立てた企画だったが、夫からは「余計なこと」の一言でおしまいだった。


「そのようなことを考える暇があるのなら、舞踊をもう少し練習してみてはどうか」


 確かに私の社交の場での振る舞いは抜群とは言い難い。けれど、これは得手不得手というもの。

 私の輝ける場所は、明らかにそこではなかった。

 だが、夫にとってはそれこそが貴族の女の役割。計算ができ、実務を進められる賢さを目当てに求婚してきたにも関わらず、それを「侯爵夫人」の価値としては認めてくれなかった。


 この国の、この世の理に従えば仕方のないこと。そう自分に言い聞かせ、私は窓に向かって軽いため息をついた。


   *


「隣国で銀山が新たに見つかったとか」


 来訪されたラフォード侯爵が言った。

 夫は大抵不在なので、お屋敷への来客の応対は私がしている。そういったことが許されていることからも、信頼はされていると言えるのかもしれない。


「まあ、うらやましいお話ですわね」


 私は笑顔で返す。

 しかし内心は、穏やかではなかった。


 隣国に銀山。つまり、市場に今よりも銀が溢れるということ。銀貨が溢れれば商人は物の値段を上げる。つまりは相場が崩れ、物価が上がる。

 国庫の銀や税収の価値が下がるのだ。


 加えて隣国がその銀の力を持つということは、軍備の増強も必要だ。今ある銀の価値が下がる中でその支出を賄うのは、簡単な話ではない。


 今ごろ王宮は大騒ぎだろう。その中にはもちろん夫の財務省も含まれる。

 また一段と夫の帰りは遅くなってしまうだろう。


「ははは、うらやましいですか。そうですな。我が国もあやかりたいものです」


 鋭いことを言う女をよく思わない殿方は多い。だからお客様には道化を演じる。

 私の友人はともかく、侯爵家のお客様には気分よくお帰りいただく。これが最も円滑に物事を運ぶ方法だった。


 夫と久々に夕食を共にできた夜に、銀山の話題を向けてみる。


「ああ。銀の価格が落ちるかもしれん。財務省もこれからしばらく忙しくなる」


 多くは語らなかったが、苦虫を噛み潰すようなお顔から裏側を察せられる。


「ご無理はなさらないでくださいませ。私にできることがあればなんなりとお申し付けください」


「ああ。帰れぬ日もあるかもしれないから、よく家の者と屋敷を切り盛りしてくれ。まったくラフォード卿も余計なことを言ったものだ。公然の秘密とはいえ、まだ他所へは言わぬように」


 猫の手も借りたいだろうに。


「かしこまりました」


 本当に――仕方のない方。


   *


 それから数日後。


「お久しぶり!」


「ほんとうに。四年ぶりね」


 学友のカミラ・モンテッラ辺境伯夫人が遊びに来た。

 学園では私が首席、カミラが次席。彼女も働き出して三年ほどで結婚し、貴族の流儀に従い家に入った。


「王宮、大変そうね」


 カミラは夫の王宮招集に同行してきたのだ。銀山の件も知っていた。

 ただ、彼女が嫁いだのは東の辺境伯で、銀山の件の西の隣国とは逆側。直接の影響は薄そうだった。


「そうなの。私の旦那様もなかなか家に帰れないみたいで」


「あら、お手伝いしないの? 同じ職場だったでしょう」


 意外そうな顔で言われ、私の方が驚いた顔を向けてしまう。


「……私が働くのは許していただけないの。あなたのところは違うの?」


「私は前より今の方が働いてるわよ! 忙しくていやになっちゃう。辺境は人材不足なの。領主の妻だからって遊んでいられないわ」


 お互いにうらやましい、とため息。なかなか思い通りにはいかないらしい。


 そのとき、ドアがノックされた。


「はい? どうぞ」


「ご歓談中に失礼いたします、奥様。……火急のご報告がありまして」


 執事が入ってくる。カミラを見てそこで口をつぐむ。


「あら、私は外しましょうか」


「いえ、それは結構よ。ちょっとこちらでお待ちになって」


 執事と廊下に出る。


「実は……旦那様が王宮で倒れられたと早馬が」


「えっ! 王宮のどちらです。すぐ向かいます。馬車を用意して」


 中に戻り、カミラにも事情を話す。


「ごめんなさい、カミラ。そういうことなのでまたの機会に」


「王宮に行くのなら私もご一緒しましょう。私の夫もそこにおりますし、なにか力になれるかもしれないわ」


 正直なところ心細かったので、嬉しい申し出だった。


「では、お願いしますわ」


 二人で馬車に乗り込み、王宮へ向かう。


 働く、働かないということでいくばくかのわだかまりがあるとはいえ、カーネルは大切な旦那様だ。不幸な目に遭ってほしいなんて思ったこともない。

 どういった容態だろうか。不安で胸が締め付けられる。


 無理をしないでと言っても無理をする人。仕事に、決まりに、責任に真面目すぎるのだ。


「あなた!」


 私は王宮の救護室に飛び込む。

 ベッドに横になっているカーネル。寝ているようだ。脇には二人の男性が立っていた。

 そのうちの一人はよく存じている方。


「これは王太子殿下、失礼いたしました」


 カルロス王太子殿下。財務省の担当王族。カーネルの上司であり、つまりは私の上司でもあった人。


「リアか。安心しろ、この医師によれば過労で倒れただけで命に別状はないそうだ」


 ほっ、と胸を撫で下ろす。

 隣の方はお医者様でしたか。


「しばらくは安静が必要です。動けるようになるまではこちらで、その後はご自宅でしばらく静養していただくことになるでしょう」


「ありがとうございます。ただ財務長官の職務の方は……そちらが落ち着かねばじっとしていられる夫ではないもので」


「もう部外者であるお前には詳しくは言えぬが……まあ、噂は聞いておろう。しばらく大変なのは確かだ。カーネル一人に任せすぎた余の責任でもある。当面は副官のロベルトを中心に進めさせるとしよう」


 ロベルトさんはカーネルの右腕。とはいえ実際には自分の職務は自分でこなさねば気の済まない夫のもとで雑務全般の露払いを担ってきた方。大局を任せるには心もとないはず。王太子殿下もそれをご存じでないとは思えない。


 ――これは、私の出番だ。


 勇気を出して口を開く。


「……これは代々官僚の長を務めてきたベラスケス家の沽券にも関わる問題――」


 いま前に出なければ一生後悔する。

 その確信めいた想いが、私に言葉を紡がせる。


「殿下。僭越ながら、夫の代わりにこのリア・ベラスケスに事の始末をお任せいただけませんか。ご期待は裏切らないとお約束します」


 王太子殿下は私のこともよくご存知だ。私が決して大言壮語を言うほら吹きではないことも。


「……事は相場の崩壊だ。その中で軍事的にも危機を迎えることになる。対策をしようにも、予算の総額が足らぬのだぞ。わかっているのか」


「はい。存じております」


「帳面の上での努力をこの優秀なカーネルが行っても賄えずにいる。それも承知して言っているのだな?」


 とても難しい局面に、一度現場から離れた女の提案。王太子殿下は頭からの否定はしないが決めかねているようだった。それならばご安心いただくのが早い。


「はい、大方の目星はついております。まずは現状を確認し、想定とのズレを調整した対策案を披露いたしましょう」


 策はある。銀山の話を聞いたその時から、おぼろげには考えていた。


「……お前はまた勝手なことを。ならぬ。私が出向く」


 いつの間にか目を覚ましたのか、カーネルが弱々しい声で会話に入ってくる。体を起こそうとするのを医師に止められる。


「まだ安静になさっていてください。夫の不在を埋めるのは、妻の務めではありませんか」


「それは家の話だ。国の大事と一緒にするな」


 この期に及んでも、曲げない人。


「あなたに安心していただきたいのです。ロベルトさんだけなのと私がつくのと、どちらが安心してお休みになれますか?」


「それは……そうだが」


 仕事のための理屈がわからぬ夫ではない。悪気があるわけでもない。

 良くも悪くも、自らの常識に従って、真面目なだけなのだ。


「わかった」


 王太子殿下が割って入る。


「リアよ、お前の能力は余もよくわかっている。財務省への立ち入り、ならびに諸表の閲覧を許す。まずはその案とやらの骨子を固め、報告せよ。いまはそこまでだ。よいな」


 私を試すだけならば損失はない。とても現実的なご裁断だった。この方もまた、ひとかどの人物であられる。


「ありがとうございます」


 淑女の礼を取り、深く頭を下げる。

 王太子殿下のご判断には何も言えない夫が、そんな私を不安げに見つめていた。


   *


「お話、聞こえてしまったわ。リア、あなたはやっぱり自分から動いている方が似合っているわね」


 廊下で待っていたカミラと合流する。


「さあ、頑張らないと。カミラ、あなたがいてくれて助かったわ。協力してもらうわよ?」


「私にも? まあ、できることがあるならそれはもちろん。でも財務には立ち入れないわよ? そんなの専門外だもの」


「私の計画にはあなたと、あなたの旦那様の協力が必要なの。あとで口説かせていただくわ」


 カミラもある程度察したようだ。


「なるほどね。じゃあ、旦那にはお友達から素敵なお話があると伝えておくわ。いい? たとえあなたからのお願いでも、素敵なお話じゃないと動かないからね、私たち」


 情ではなく利によって動く。領地と領民を預かる貴族として当然のこと。私は笑顔で頷いた。


「ありがとう、もちろんよ。じゃあ、また後で」


 カミラと別れ、財務省の扉を開ける。

 およそ一年ぶりの省内。


「おお、リアじゃないか。ベラスケス様……今は君もベラスケス様か。旦那さんはどうだった」


 奥の机から、ロベルトさんが書類に埋もれながら声をかけてくる。


「ご心配をおかけしてすみません。命に別状はないようですが、しばらく静養が必要ということですわ」


 言いながら、机の書類を一枚手に取ってみる。


「お、おい。いくら君でも勝手に見るな、機密漏洩で捕まるぞ」


「大丈夫ですわ。先ほど王太子殿下に協力するご許可をいただきましたの」


「なんと、本当かい。正直僕だけでは荷が重くてね。一応殿下に確認は取らせてもらうが、本当なら助かるよ。そこの机、使ってくれ。状況は知っているのか?」


「大枠では。今動いている計画とその課題も聞かせてくださいな。それと今年これまでの予算計画と実績、この騒動を踏まえての修正計画案を見せてくださる?」


 私はロベルトさんの協力を得て、現状の把握を進めた。


 数刻が経った。


 なるほど、確かに夫、カーネルは立場の中でやれることをほぼ全てやりつくしていた。他省との取り組み、前例の中で削れる部分の圧縮。この難局を越えるには足りはしないが、優れた、洗練された内容だった。


 しかし、裏を返せば立場を超えたことはしていない。それは平時での彼の良さでもあり、緊急時の彼の悪さでもあった。


 ――まさに、思った通り。

 これなら。


「ロベルトさん、二つ、お願いできますか。ひとつは、貴族諸家ごとに組んでいる輸送を地域ごとにまとめる再編の検討。もうひとつは、銀相場の低下の影響を強く受ける周辺国の洗い出し」


「わかった。が、前例がないから少し時間はかかるぞ。輸送は家ごとにまとめるのが慣わしだからな」


「今は効率が最優先ですから。私は次の段取りに参ります」


   *


 私はカミラのところに向かう。


 現状の効率化は、どれだけ絞り出したところでほどほどの効果しか得られない。そもそも国庫をひっくり返しても賄えない話。これを逆転させるには、彼女の、辺境伯領の協力を得ることが最も近道――いや、不可欠なのだ。


「初めまして、リア・ベラスケスですわ」


 カミラと、横の大柄な男性、モンテッラ辺境伯にご挨拶をする。


「これはこれは、侯爵夫人。妻から話は聞いております。急なことで大変ですな」


「いえ、古巣ですから勝手はわかっておりますので」


「リアは優秀なの。私と同じと考えない方がいいわよ?」


 カミラが本気とも冗談ともつかない紹介をしてくれる。


「カミラより優秀とは恐れ入るな。私も今回は例の西の銀山の件で王宮に招集された。しかし我が領地は逆の東の果てなのでな。いくばくかの兵を送るくらいが関の山よ」


「はい、そう思われるとは思いますが、実はこの危機から国を救えるのは辺境伯しかおりません」


「なんと?」


 蚊帳の外だと言ったそばから真逆のことを言われ、辺境伯は少々面食らったようだ。

 私は説明を続ける。


「西への備えと経済的危機への対策。この二つを早急に、かつ同時に行わなければならない。しかもそれを賄えるだけの現金が国庫にはない。これが今回の難しさです」


「うむ。王もできる手段を取るという話をされていたが、苦しそうではあった」


「そこでご提案です。辺境伯領から、鉄、馬、武具などを四割、国のために貸していただきたいのです」


 辺境伯は東の守りを司る方で、この国で随一の兵力を持っている。その力を借りるのだ。

 しかし、妻の友人向けの温和な顔をしていた辺境伯の眉間に皺がよる。


「リア殿。それは無茶だ。西はそれでだいぶマシになるだろうが、東の守りを捨てられぬだろう」


 当然の疑問。だが、私はそこに仕掛けをしようとしている。


「はい、そこで、これは王太子殿下へ依頼することになりますが、東の諸国連合と通商同盟を結びます。その拠点としてもぜひ辺境伯の土地を貸していただきたく」


「……ほう?」


「まだ正式な調査結果は待たねばなりませんが、銀の価格が崩れれば、小国の集まりである諸国連合は内部の取引にすら難が出ます。我が国よりも苦しい立場となるでしょう。そこに我が国との物やお金の流通が整えば、不安定になる経済をそれなりに支えられます。そして我が国としては経済圏が広がり、新たな収益基盤が作れる」


 国の集まりである諸国連合では、どうしても銀貨を中心とした安定した経済の循環が必要になる。


 辺境伯は私の言葉の意味をしばし黙って考える。

 眉間の皺は消えたが、真剣な顔になっている。


「その均衡を取るための通商相手と戦争をする馬鹿はいない、とおっしゃりたいのか。不干渉条約や軍事同盟でないのは経済のためと」


「はい。軍事同盟は西の隣国を刺激しますので、もう少し整ってからが得策かと。この通商同盟は成立さえすれば少なくとも三年は保たれるでしょう。長ければ何十年と。その間、東の防備は薄くなっても構わなくなります。辺境伯には初めの二年だけ軍備を国に貸し出していただきたい。もちろん、これも利子をつけます。通商経路、保管のための倉庫、これも物と人の流動を高めます。辺境伯領も活性化するでしょう」


 通商のための馬車は、ロベルトさんが進めてくれている物流再編で賄えるはずだ。


 急場をしのぐとともに防備を固め、かつ経済的な回復を見込む。そのために必要な資源がないなら、いまある資源を使える状態を作る。それが私の狙いだった。利子は通商で稼げればいくらでも返せる。


「あなたがいつも言ってる、中央に恩を売る機会ですわね」


「カミラ、余計なことを申すな。だが、そうだな、聞いている限りは我々にとっても悪くない話だ。しかしそれはこれが実現するならば、だ。今は何の根拠もない。大切な軍備を差し出すには弱いとは思わんかね」


「どの道、経済的に困窮した諸国連合に攻められたら西からも隣国が呼応しますから。万一が起きたらそれはこの国の最後です。それを起こさないため、もっと言うと西がたとえ攻めてきても東を抑えておくための施策です。もっとも、力に劣る諸国連合が先に動く可能性は低いですが」


「諸国連合が乗ってこない可能性もあるのでは?」


「あり得ないとは申しませんが、お互い苦しい中ですから勝算は大きいです。西の隣国が万全になる前に今後の展望を添えて動くことが肝要です。もちろん、本格的にご協力いただくのは交渉の成立後で構いません」


 辺境伯は立派な顎髭を撫でながら、しばし考える。


「ふむ……そうだな、外交の成果が実ったのであれば、その話に乗ろう。先に動くことはできぬがな」


 西と諸国連合に組まれる展開が最も厄介だと踏んでいる。そのためにも早く動く必要がある。この点での利害は一致したようだ。


「はい、それで充分でございます。ありがとうございます。速やかに動けるよう準備だけは進めていただければ幸いです」


   *


 もとより、私は時間をかけるつもりはなかった。すぐに王太子殿下のもとへ出向き、まとまった策を披露する。


「……軍事、経済、外交をひとまとめにして動かそうというのか。リアよ、お前はこの半日でこれを描いたというのか?」


「いえ、銀山の噂を初めて聞いたときから考えておりました。王宮でもどなたかは同じような考えに至るのではないかと思っておりましたが」


 王太子殿下はフッ、と自嘲気味に笑う。


「我々は考えが凝り固まっていたようだ。初めからそのようなことはできないと決めつけていた。何より諸国連合は交渉相手ではなく格下の存在と見ていた。可能性に至ったとしても対等な同盟を持ちかけようなどと本気で考える者はいなかっただろう。考えてみればつまらぬ見栄だ」


「いえ、国政ですから見栄が大事な場合もありますわ。ただ今はそれよりも大事なものがあったというだけで」


「そのような切り替えこそが難しいのだよ。背負うものがあればあるほどな。よろしい、仔細の検討に入ろう。物量と金の勘定は任せる。外交と実務の段取りはこちらに任せよ」


「はい、かしこまりました」


 私は笑顔で答える。

 王太子殿下は私のような下の者の意見であっても分け隔てなく取り入れ、過ちを認められる。この方がいれば王国も安泰だろう。


   *


 その晩、帰りがけに救護室へ寄った。

 カーネルはまだ起きていた。

 寝台から半身を起こし、険しい顔で私を見る。


「ロベルトから聞いた。輸送網を再編しているそうだな」


「具合はいかがですか? 今はそのようなことは考えず、ゆっくりなさっていてください」


「そうはいかん。考えない方がより不安になる」


「ご安心ください。もう計画は王太子殿下にも報告し、許可をいただいております」


 カーネルは、ハァとひとつため息を吐く。


「前例もないことを。……リア、宰相殿には気をつけよ。現在の輸送の利権を握っている」


 もはや戻れぬところにいると、感じ取ったのだろう。

 心配をかけてしまったようだ。


「ご心配いただきありがとうございます。ご忠告、助かりますわ」


 ……通商同盟の件は耳に入っていないようなので、黙っておこう。

 カーネルの具合がいまよりも悪くならないように。


「リア」


 部屋を出ようとする私をカーネルが呼び止める。


「はい?」


「……無理はするなよ」


 カーネルは、上司の頃とも違う、優しい目をしていた。


「ええ、ありがとうございます。でも今のあなたには言われたくありませんよ?」


 私は笑顔で冗談を返す。


「それもそうだ」


 苦笑いするカーネル。


 ああ、久しぶりに素直に夫婦の会話ができた気がする。


   *


 二日後。

 ロベルトさんとの試算を終えた私は、王太子殿下とともに国王陛下の御前に立った。

 計画を発表するためだ。

 周りには重臣たち。


「――この計画により、予算増額は最低限に抑えられ、経済を安定させられ、西への備えは増強できます。いかがでしょうか」


 私は一通りの説明を終える。国王陛下の表情は変わらない。しかし、周りには明らかに訝しんでいる者がいる。


「このような小娘の考えた案、果たして国事を任せるに値するのか」


 誰かが口を開く。


「いたずらに防備を動かすなど戦を知らぬ女のやりそうなこと」


「東方の諸国連合と組む? 格下に頼みごととは政治を知らぬ」


「だいたい話がうますぎる。こんなに上手く話が進むものか」


 口々に馬鹿にするようなヤジが飛ぶ。

 見かねた王太子殿下が一歩前に出る。


「諸兄は『余が考えた』といえば納得されるのか!」


 沈黙が訪れる。

 しかし、しばらくの間をおいて、一人の老人が静寂を破った。


「王太子殿下、決してそのような意味ではございません。ベラスケス侯爵夫人は夫の財務長官にも劣らぬ優秀な方であったことは知られた話。しかし侯爵夫人はいささか実務から離れすぎていたように見受けられますな。机上の論でしかないように思えます」


 ――きた。


 口を開いた男は、長年この国を動かしてきた宰相、ガーラント公爵であった。カーネルから気をつけるようにと言われた相手だ。


 しかしその反論が具体的なわけではない。要は「気に食わない」。それだけだ。


「計算の結果、以前の案では予算の確保に三年かかります。それを一ヶ月で成せる計画です。より良い案があるならそちらを優先して構いませんわ」


 私はあくまで穏やかに、事実のみを述べた。

 言外に、他に良案などないとにじませながら。


「いけませんなあ……」


 宰相閣下は大袈裟に首を横に振る。


「この案は我が国が積み上げた伝統と格式を傷つけるもの。諸国連合にへつらい辺境の垢抜けない具足で王都を守ろうなど、王国の輝かしい歴史を学んでいれば出てこない発想ではありませんか」


 伝統、格式、そして前例主義。

 誰も彼もが同じ過ちのるつぼに飲み込まれている。


「新しい試みに前例があるはずがありませんわ。おっしゃるようなことを守りながら輝かしい歴史が幕を下ろすよりはよほど良いのではありませんか」


 私もつい口調が冷たくなる。


「な、何だと……!?」


「それに、宰相閣下。閣下は国内物流の総元締めと伺っております。その辣腕をぜひ新たな通商にも活かしていただけませんでしょうか。この計画の成功は閣下なくしては語れません」


 私はにこり、と微笑む。

 カーネルの話を聞いて、私は宰相閣下の「席」を用意することに決めていた。

 ろくな対案もないなかで感情論を押し通すか、特に新しい努力も必要とせずに役得を得られる立場に身を置くか。答えは自明である。


「……何も、新しい事柄がすべていかんというわけではありませんぞ。ただ格を軽んじてはならぬという話であってですな」


 もごもごと振り上げた拳の下ろしどころを探る宰相閣下。

 誰の目にもみっともなく見えている状態だろう。


「ガーラント、我が国の格式を重んじるその姿勢は誠に結構。だが、お前は他に効果的で、実行できる策を持っているのか」


 静観をしていた国王陛下が口を開いた。


「は、いえ……」


「面子の他に、この案の不利益が思いつくか」


「……いえ、次善の策がない一点を除けば」


「ではそれはお前が考えておけ」


「御意にございます」


 平伏する宰相閣下。

 さすがは国王陛下、迫力が違う。

 宰相閣下は下げた頭を上げられずにいる。


「リア・ベラスケスよ」


 国王陛下は私の方に目線を移す。


「はい、国王陛下」


「予算はそもそも足りぬという話であったはずだ。しかしこうしてお前は組み立てた。我々の何が問題だったと考えるか」


 根本的な問いだった。

 そして、私にとっては最も簡単な問いだった。


「僭越ながら、『予算が足りぬと考えたため』でございます。お聞きいただいた通り、実際には国は遥かに豊かで強固でありました。ただ、国庫に金がなければ用意はできぬと信じてしまっていただけのことでございます」


「なるほどのう。学園の歴史上でも屈指と言われる才女には敵わぬな……よかろう。実行に移したまえ」


「ご理解いただき、恐悦至極に存じます」


「ご苦労であった。あとの交渉事は任せておけ、リア」


 王太子殿下が差し出した手を、私は固く握り返した。


「はい、外交の方、よろしくお願いいたします、王太子殿下」


   *


 数日後。私は、自宅の夫のベッドの横でリンゴの皮をむいていた。


「リア」


 夫、カーネルは今しばらく休養が必要だ。


「はい、何でしょう」


「すまなかった」


 カーネルが頭を下げる。


「何をおっしゃいますか。まあ、これからは倒れるまで働くのはよしてくださいませ」


「そうではなく……お前を押し込めていた私の愚かさがだな……いや、お前は確かに女傑であったのだな。見誤った」


 諸国連合との交渉は見事に成立し、私の考えた案が実行に移されはじめたのだ。カーネルの耳にもその話は届いている。


「王太子殿下の外交手腕のおかげですわ。ああ、その件に関連するお話なのですが……」


 私は、夫に一通の手紙を渡す。

 王宮から私への親書。


「王太子殿下から、リアにか。どれ……こ、これは!?」


 中を見たカーネルは目を見開く。


「はい。政務参謀長に任命されまして」


 少し意地悪く、何事でもないように伝える。


 政務参謀長は王や王太子へ直接政策や戦略を進言する立場で、直接的な軍事以外のすべての実務的な省庁に影響を及ぼすことになる。

 この国で女性が選ばれたことは、ない。


「リア様と……呼ばねばならぬな」


「よしてくださいな。夫婦ですのよ」


「夫より高位の妻など聞いたことが……いや、いかんな。こうして私はリアの力を燻らせていたのだから。しかし政務参謀長とは。……私の行いは国の損失であったのだな」


 凝り固まった常識は一朝一夕では改まらないけれど、この分なら変わっていけるのかもしれない。


「あなたの方でお断りされますか? 妻は家にいるものだ、と」


 意地悪く聞いてみる。


「まさか! ……いや、本当に、すまなかった」


 一、二ヶ月くらいは、この話をして差し上げましょう。


「これは、忙しくなるな」


「ええ、本当に。でも家は使用人たちに任せておけば安泰ですわ。みなさん優秀ですもの。ねえ、アニーさん?」


「は、はい! 奥様!」


 侍女頭のアニーが声を上ずらせながら返事をする。

 使用人たちともすっかり仲良く……という感じとは少し違うかもしれないけれど、少なくとも私の開いた帳簿を勝手に閉じる者はいなくなった。


「では、私は王宮に行って参ります。政務参謀長としての初出勤ですわ」


「あ、ああ。いってらっしゃい」


 あっ、そうだ。

 部屋から出る前に、一度振り返る。


「私は遅くなりませんからね。ディナーはちゃんとご一緒しましょう」


 あっけにとられるカーネルに笑顔を向け、私は新しい生活の一歩目を踏み出したのだった。

お読みいただきありがとうございました。

久々に政治・政略ものです!

お気に召しましたら評価や反応をいただけると嬉しいです。

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― 新着の感想 ―
夫は婚約時代に彼女の何を見ていたのか・・・
どっちかというと主が女主人に求める資質を理解せず侮りが見え隠れする行為をした侍女頭達が無能では。最終的にリアはそんなスケール軽々こえましたが。
感想一覧
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