表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

迷宮配達人ですが、十年前に死んだ勇者宛ての手紙を預かりました

作者: あうまる
掲載日:2026/05/18

 迷宮都市ラグナには、地上の郵便屋が入らない場所がある。

 第一層の酒場。第七層の仮眠所。第十二層の採掘小屋。

 そして、帰ってくる保証のない下層。

 そういう場所へ手紙や荷物を届けるのが、俺たち迷宮配達人の仕事だった。


「リオ、これ行ける?」

 受付のマリーが、封筒を一枚、指先でつまんで見せた。古い封蝋。赤ではなく、もう茶色に近い。宛名の文字は震えていた。

 俺は受け取る前に、差出人の欄を見た。

「……勇者アルト・レイン?」

「宛先ね」

「知ってるよ。十年前に死んだ勇者だ」

 マリーは口を閉じた。彼女が黙る時は、だいたい面倒な仕事だ。

 俺は封筒を裏返した。宛先はこう書かれていた。


 第十八層、灰の礼拝堂。

 勇者アルト・レイン様。


「誰が出した」

「老人。名前はロウって言ってた。杖ついて、咳して、でも代金は前払い」

「断れよ」

「断ったわよ。でもね」

 マリーは机の下から、小さな革袋を出した。中には古い金貨が六枚。十年前の王都造幣。今ではほとんど流通していない。

「……高すぎる」

「だから困ってるの」

 俺は封筒を見た。封蝋には剣と月の紋章。勇者一行の印だった。

「死者宛ての手紙は届けられない」

「普通はね」

「普通じゃないのか」

 マリーは目を逸らした。

「その老人、言ったのよ。『あいつは死んでない。ただ帰ってこないだけだ』って」


 酒場の奥で誰かが笑った。皿が鳴る。外では朝市の呼び声。

 迷宮の入口は、今日も口を開けている。


 俺は革袋から金貨を一枚だけ抜き、残りをマリーに返した。

「一枚でいい。帰ってこなかったら、犬にでもやってくれ」

「犬、飼ってないけど」

「じゃあ買え」

 マリーは少し笑った。それから、封筒を両手で差し出した。

「リオ」

「ん」

「開けないでね」

「配達人だぞ」

「知ってる」


 封筒は、思ったより軽かった。



     *



 第十八層まで行く者は少ない。

 十年前、勇者アルトが魔王を追って降りたのが、そこだったと言われている。戻ったのは、聖女の杖だけ。魔法使いの指輪だけ。剣士の右腕だけ。

 勇者本人は見つからなかった。

 王国は三日喪に服し、広場に石像を建て、吟遊詩人たちは泣ける歌を作った。それで終わり。


 迷宮だけが、終わらなかった。


 第十二層を過ぎると、壁の色が変わる。

 赤茶けた岩肌に、灰が薄く積もっている。踏むたびに靴跡が残った。

 第十五層で、俺は小鬼の群れをやり過ごした。第十六層で、折れた剣を拾った。柄に月の傷。勇者のものではなさそうだったが、古いものだ。

 第十七層では、白い花が咲いていた。日も差さない迷宮の底で、花だけがやけにきれいだった。


 俺は少し離れて歩いた。

 触るな、と昔の師匠に言われたことがある。きれいすぎるものは、だいたい腹が減っている。


 第十八層に着いた時、携帯灯の油は半分を切っていた。

 灰の礼拝堂は、地図より奥にあった。石の扉は壊れていて、柱は傾き、祭壇には灰が積もっている。風もないのに、細かい灰が時々浮いた。


 誰もいない。

 そう思って、一歩踏み込んだ。

「配達か」

 声がした。

 若くも、年寄りでもない声。俺は腰の短剣に手をかけた。


 祭壇の奥。崩れた壁にもたれて、男が座っていた。

 鎧は錆びている。髪は肩まで伸び、顔の半分に黒い紋様が這っていた。右手は人間のものだったが、左腕は石のように固まっている。

 生きているというより、迷宮に生かされているように見えた。けれど、その目だけは妙に澄んでいた。

「……アルト・レイン?」

「まだ、そう呼ぶやつがいるのか」

 男は笑いかけて、うまくいかなかったように口元を歪めた。

「手紙だ」

 俺は封筒を出した。男はしばらく見ていた。

 受け取ろうとして、石の左腕が動かないことに気づいたらしい。右手を上げるのにも、ずいぶん時間がかかった。

 俺は近づき、封筒を渡した。


 配達完了。

 それで帰るはずだった。


 だが男は封蝋に指をかけたまま、止まった。

「読んでくれ」

「自分で読め」

「目が、もう半分きかない」

 嘘ではなさそうだった。

 俺は少し迷った。配達人は手紙を読まない。だが受取人が頼んだ場合は、別だ。規則の五番。たぶん。細かい文言までは覚えていない。

「いいのか」

「ああ」


 俺は封を切った。中には紙が一枚だけ。字は震えていた。ところどころ、インクが滲んでいる。

 俺は読み始めた。


『アルトへ。


 お前がこれを読むことはないと思っていた。そう思いながら、十年書けなかった。

 俺はあの日、道を教えた。お前たちが通る道を、王宮の連中に売った。

 魔王を討てば、お前は英雄になり、俺はただの荷物持ちのままだった。それが嫌だった。


 俺は、お前が少し失敗すればいいと思った。少しだけだ。

 でも、王宮は最初からお前を帰す気がなかった。魔王と一緒に、勇者も迷宮に封じるつもりだった。

 知らなかった、とは書けない。知ろうとしなかった。


 聖女の杖を拾った。魔法使いの指輪も、剣士の腕も見た。お前だけが見つからなかった。

 だから生きていると、勝手に思った。


 許してほしいとは言わない。

 ただ、あの日の俺が、お前の後ろで笑っていたことを、ここに置いていく。


 ロウ』


 読み終えても、男は動かなかった。

 灰が一つ、彼の膝に落ちた。俺は紙を畳もうとして、裏にも文字があることに気づいた。

「続きがある」

「読め」


『追伸。


 お前の剣は、まだ俺が持っている。

 重い。馬鹿みたいに重い。俺には抜けない。

 だから、これは俺が地獄まで持っていく。


 先に行く。

 お前は、できればまだ来るな。』


 礼拝堂のどこかで、石が落ちた。

 それだけだった。


 男は、長いこと黙っていた。

 怒るでもなく、笑うでもなく、ただ右手で紙の端を撫でた。指がうまく曲がらないのか、爪だけが紙に当たって、かすかな音を立てた。

「ロウは」

「たぶん、もう長くない」

「そうか」

「死んだかもしれない」

「そうか」


 同じ返事だった。

 俺は立ち上がろうとした。

「配達は終わった。受領印は要らない。ここまで来て印鑑探す気はない」

「配達人」

「リオだ」

「リオ。返事を頼めるか」

 俺は振り向いた。

「紙は?」

「ない」

「インクは?」

「ない」

「じゃあ無理だな」


 男は少し考えた。それから、右手を胸元に持っていった。

 鎧の下から、小さな金属片を外す。古い認識票だった。名前の部分は擦れていたが、月の紋章だけは残っている。

「これを」

「誰に」

「ロウに。生きていたら」

「死んでたら?」

 男は、その時だけこちらを見た。

「墓に」


 俺は認識票を受け取った。

 冷たくはなかった。

「何て伝える」

 男は口を開きかけた。閉じた。また開いた。

「……重かったか、と」

「剣が?」

「いや」

 男は紙を見た。

「十年が」


 それ以上は言わなかった。

 俺も聞かなかった。



     *



 地上に戻ると、雨が降っていた。

 マリーは酒場の入口に立っていた。俺の顔を見て、何か言いかけ、やめた。

「犬、買ったか」

「買ってない」

「そうか」

 俺はカウンターに認識票を置いた。

「ロウって老人は?」

 マリーは奥の椅子を見た。そこには誰もいない。

「昨日の夜、宿で亡くなったって」

「墓は」

「北門の共同墓地。名札だけ」


 俺は認識票をまた拾った。

 雨は細かく、しつこかった。


 共同墓地には、真新しい土の山があった。

 ロウ、とだけ書かれた木札。姓はない。俺はその前にしゃがみ、認識票を置いた。

「重かったか、だとさ」


 返事はない。

 当たり前だ。死者宛ての配達は、いつもこうだ。

 でも、土の上に落ちた雨が、認識票の月の紋章を少し洗った。


 俺はしばらくそれを見ていた。

 それから立ち上がった。

 明日も配達がある。第五層の薬草小屋へ薬。第九層の採掘班へ請求書。

 そして、誰かがまた言うのだろう。


 そこに届けても意味がない、と。


 俺はたぶん、また受け取る。

 意味があるかどうかは、届けた後で決めればいい。

 北門の鐘が、雨の向こうで三つ鳴った。


 迷宮の入口は、まだ開いている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ