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処刑待ちの悪名令嬢ですが、冷酷皇帝に「ずっと探していた」と抱きしめられました  作者: 妙原奇天


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第8話 王国からの使者

 王国から使者が来ると知らされたのは、その日の朝だった。


「本日、王国より正式な使節団が到着されます」


 朝食の席で、側近のライナルトが淡々と告げる。


「名目は、帝国への友好訪問。

 実際には、先日の処刑中止の件に対する抗議と、今後の方針の確認というところでしょう」


 わたしは手にしていたフォークを、思わずきゅっと握りしめた。


「王国……」


 あの国。

 わたしを処刑台に送った場所。


「代表は、王太子セドリック殿下と、王妃殿下だ」


 レオンハルトの声は、いつも通り冷静だった。


 けれどグラスを持つ手が、ほんのわずかに止まったのに気づく。


「……私の、義母と」


 口に出すと、味気ないパンがさらに味を失った気がした。


 王妃は、わたしにとって義母という立場になる人だ。

 伯爵家に引き取られる前、わずかなあいだだけ、王宮の片隅で見かけたことがある。


 遠くからでも分かる、美しい人。

 冷たい琥珀色の瞳をした、完璧な王妃。


 わたしに視線を向けたことは、一度もなかった。


「顔を合わせるのは、嫌か」


 レオンハルトが、こちらを見ずに尋ねる。


 正直に言えば、嫌だった。

 できることなら、一生会いたくない。


 けれどわたしは首を横に振った。


「逃げるわけには、いきません。

 処刑台から連れ出していただいた以上、あの人たちが何を言うのか、自分の耳で聞きたいです」


 それは、怖いもの見たさかもしれない。

 でも、このまま背を向けてしまったら、一生、胸の中であの日の広場が続いてしまう気がした。


 レオンハルトは、少しだけ目を細めた。


「ならば、同席させる」


「よろしいのですか」


「あの王妃が何を言おうと、君はもう王国の所有物ではない。

 むしろ君の存在が、あいつらの本性を引きずり出してくれるだろう」


 淡々とした言葉。

 でも、底には鋭い怒りが静かに沈殿している。


 彼はパンをひとかけらちぎり、何気ない風を装って口に運んだ。


「ただし、何があっても、君は一人で返事をしなくていい。

 言い返したいことがあっても、まずは俺を見ること」


「……はい」


「君の家族とやらの相手は、皇帝の仕事だ」


 その一言が、胸の真ん中に静かに落ちる。


 王国の人たちから、そんなふうに言われたことは、一度もなかった。


 正午少し前、謁見の間に案内されると、すでに多くの重臣たちが並んでいた。


 高い天井には薄い布が渡され、窓からの光を柔らかく遮っている。

 赤い絨毯が、まっすぐ玉座へと伸びていた。


 レオンハルトはいつもの軍装ではなく、礼装用の黒いローブをまとっている。

 肩には金の刺繍が施され、胸元には帝家の紋章。


 隣に立つわたしのドレスも、いつもより少しだけ豪華だった。

 と言っても、派手すぎない柔らかなグレイッシュブルーで、レースの装飾も控えめだ。


 ミーナが最後の仕上げに、胸元のペンダントの位置を整えてくれる。


「アリア様。今日は、いつも通りでいらしてくださいね」


「いつも通り、なんて難しいこと」


「大丈夫です。さっきもおっしゃっていたでしょう。

 逃げないって」


 ミーナがそっと微笑む。


 わたしは小さく息を吸って、玉座の横に決められた位置へ立った。


 重い扉が開く音が響く。


 王国の使節団が入ってきたことを告げる号令が、謁見の間に満ちた。


「王国第一王太子、セドリック・レインハルト殿下。

 王妃殿下、ご入来」


 先頭を歩く青年の姿を見て、喉がひゅっと鳴った。


 金色の髪に、薄い青の瞳。

 整った顔立ちに刻まれた、どこか傲慢な線。


 王都の広場で、わたしを断罪したときの顔と、同じだった。


 その隣に並ぶのは、白いドレスをまとった王妃。

 年齢を重ねているはずなのに、少しも衰えを見せない華やかさ。


 二人はゆっくりと帝国式の礼を取り、それから顔を上げた。


 わたしの姿を見た瞬間、王太子の目が大きく見開かれる。

 王妃の唇も、わずかに震えた。


 ほんの一瞬。


 すぐに二人は表情を整えた。

 何事もなかったかのように。


「このたびは、突然の訪問をお許しいただき、光栄に存じます、レオンハルト陛下」


 王妃が、よく通る声で言う。


「こちらこそ、遠路はるばるよく来たな」


 レオンハルトの返事は、あくまで礼儀正しい。

 だがその青い瞳は、少しも笑っていなかった。


「まずは、先日の一件について謝罪を。

 余の不徳により、王都での処刑が、このような形で中断される事態となったことを」


 セドリック王太子が前に出る。

 彼はわたしにちらりと視線を寄越し、すぐに逸らした。


 まるで、見てはいけないものを見るように。


「謝罪する相手が違うのではないか」


 レオンハルトが、淡々と返す。


「処刑されかけていたのは、王家の民だろう。

 自国の民を冤罪で殺しかけたことを、まずは民に詫びることだ」


「冤罪かどうかは、まだ……」


 セドリックが言いよどむ。


「セドリック殿下」


 王妃が一歩前に出て、彼を制した。


「本日は、陛下に抗議をしに参ったのではございません。

 友好の確認と、今後の関係をより良きものとするための話し合いの場でございます」


 その声には、わずかな苛立ちが混ざっていた。


 わたしを一度だけ、じっと見る。


 琥珀色の瞳が、一瞬だけ胸元に落ちた。

 ペンダントの銀のきらめきに、ぴくりと眉が動く。


 気のせいではない。


 彼女は、この紋章を知っている。


「そちらにお立ちの方が、例の……伯爵令嬢でいらっしゃいますね」


「アリア・フォン・リースと申します」


 自分でも意外なほど、声は震えなかった。


 王妃は、薄く笑う。


「再会できて、うれしく存じますわ。

 王都では、ゆっくりお話しする時間もございませんでしたから」


 再会。


 その言葉に、胸の奥がざわつく。


 わたしは王宮で、王妃と言葉を交わした記憶がない。

 「会っていない」と言われれば、そうだとしか言えない程度の関わりしかなかったはずだ。


「帝国にご迷惑をおかけした件につきましては、王国としても重く受け止めております。

 反逆罪に問われた伯爵の娘君が、こうしてご健在であることは……そうですね。

 ある意味では、幸いと言えるかもしれません」


 幸い、という言葉が、薄い皮で覆われた刃物のように聞こえた。


「ですが」


 王妃は、わずかに首を傾げる。


「もしそちらで、彼女を引き取ってくださるのであれば。

 王国としては、特に異議を唱えるつもりはございません」


「引き取る」


 胸の中で、何かが軋む音がした。


 まるで傷んだ扉の蝶番が、限界まで捻られた時のように。


「はい。

 そもそも彼女は、我が国にとっては、すでに断罪された者でございますから。

政治的な立場も、家も、何も残されておりません」


 王妃の声は冷たい。

 春先の雨よりも、よほど冷たく感じられる。


「帝国陛下が、情け深くも彼女を保護なさるというのなら、むしろ感謝申し上げたいくらいですわ。

 厄介な案件を、一つ引き受けていただくことになりますもの」


 厄介な、案件。


 わたしは、人ではなく、物のように数えられている。


 予想していたはずの言葉だった。

 処刑台に送った時点で、彼らはそういう人たちだと分かっていた。


 それでも、耳にすると、体から力が抜けていく。


「……つまり」


 レオンハルトの声が、低く響いた。


「そちらとしては、彼女を国に戻すつもりはない、と」


「ええ。

 その方が、双方にとって、無用な波風を立てずに済むでしょう」


 王妃は、淡々と答える。


「反逆者の娘を再び受け入れれば、王都の民が納得いたしませんし。

 何より、彼女自身も肩身の狭い思いをすることになる」


 それは、わたしの気持ちを慮った言葉のふりをして、切り捨てる宣告だった。


「そちらの陛下の庇護のもとで暮らされるのが、彼女にとっても最善でしょう。

 ここなら、過去のことを知らない人も多いでしょうし」


 過去を知らない人ばかりの場所。

 それはたしかに、わたしにとって救いなのかもしれない。


 でも、その理由が「厄介者の押し付け先」だと言われてしまえば。


 胸の奥に、ぽっかりと穴が空いたような感覚が広がる。


「セドリック殿下のご意見は」


 レオンハルトが、わずかに視線を移す。


 突然話を振られた王太子は、一瞬目を泳がせた。


「余も……母上と同意見だ」


 ぎこちない声。

 わたしを正面から見ることができず、視線はわずかに逸れている。


 その袖口から、何かがちらりと覗いた。


 火傷の痕。


 赤黒く歪んだ皮膚が、手首のあたりまで薄く続いているのが見えた。


 十年前。


 あの日、王宮のどこかで火が上がったと、誰かが言っていた。

 詳しいことは教えてもらえなかったけれど。


 胸がざわつく。


「反逆者の娘を、再び王都に迎え入れれば、王家の威信にも関わる。

 ゆえに、帝国陛下が引き取るというのであれば、異議はない」


「……そうか」


 レオンハルトは、短く答えた。


 その横顔には、何の感情も浮かんでいない。


 けれど、長く一緒にいるほど、その無表情さの裏に潜むものが少しずつ見えてくる。


 今の彼の瞳の奥では、静かに何かが燃えている。

 冷たい炎のような怒りが。


「確認しておきたい」


 レオンハルトの声が、少し低くなる。


「君たちは、彼女を王国の民として守る責任を放棄する代わりに、二度と彼女に干渉しないと約束できるか」


「干渉、ですって」


 王妃の口元が、わずかに歪む。


「彼女がこれ以上、王国について何かを主張しないのであれば、こちらから彼女に手を伸ばす理由はございませんわ。

 十年前のことも、誰も覚えていませんし」


 十年前。


 さっきミーナが話していた、「あの火」の年。


 王妃は、さらりとその言葉を口にした。


「過去は過去です。

 十年前の出来事を、今さら蒸し返したところで、誰の得にもなりませんでしょう」


 誰の。


 少なくとも、わたしは得をしていない。

 十年前のあの日から、ずっと何かを失い続けている。


「そうだろうか」


 レオンハルトが、ゆっくりと立ち上がった。


 玉座の段差から一歩降りるだけで、彼の存在感が謁見の間を満たす。


「少なくとも俺は、十年前のことを忘れてはいない」


 その言葉に、王妃が一瞬だけ目を見開いた。


「……どういう意味でしょう」


「意味は、そのうち分かる」


 レオンハルトは、それ以上追及しなかった。


 今はまだ、その時ではないのだろう。


 彼はわたしの方へ一歩だけ近づき、皆に聞こえるように言った。


「帝国はここに、アリア・フォン・リースを保護下に置くことを正式に宣言する。

 彼女は王国の罪を背負うための生贄ではない。

 一人の人間として、俺の庇護を受ける者だ」


 庇護。


 その言葉が、温かく胸に広がる。


「彼女へのいかなる不当な干渉も、帝国への敵対行為と見なす。

 その点だけは、今日この場で明確にしておこう」


 これ以上ないはっきりとした宣言に、王国側の随員たちが一斉にざわめいた。


 セドリックは、唇をかみしめて俯く。

 王妃は、一瞬だけ険しい表情を見せ、それから薄く笑った。


「陛下のお心の広さに、感謝申し上げますわ」


 その笑顔の裏で、彼女が何を考えているのか。

 わたしには分からない。


 ただ、はっきりしていることが一つだけあった。


 この人たちは、わたしを家族とは思っていない。


 切り捨てる時も。

 帝国に押し付ける時も。


 どこか他人事のように、軽々しく決めてしまう。


 伯爵家でも、そうだった。


 わたしは、誰の家族にもなれなかった。


「アリア」


 ふいに名前を呼ばれ、はっと顔を上げる。


 レオンハルトが、わずかにこちらへ手を伸ばしていた。

 人前だからか、指先がほんの少しだけ開かれているだけ。


 それでも、その手が「こちら側へおいで」と言っているように感じられた。


「帝国を代表して、君に問う」


 謁見の間に、彼の声が響く。


「君は王国に戻りたいか」


 戻りたいか。


 一瞬、頭が真っ白になった。


 今ここで、わたしが「戻りたい」と言えば、どうなるのだろう。

 王妃はどんな顔をするのだろう。


 王都に帰っても、きっと待っているのは、冷たい視線と、囁き声と、あざけりだけだ。


 でも、それでも「家」に戻りたいと願うほど、わたしは強くない。


 伯爵家は、家ではなかった。

 王宮もまた、家ではなかった。


 ここは。


 帝都は。

 この城は。


 まだ「家」と呼べるほどの思い出はないけれど。


 あの日、処刑台の上から見上げた空より、ずっと高くて広い場所だ。


 わたしは、小さく息を吸った。


「……戻りたくは、ありません」


 はっきりと言った自分に、少し驚いた。


「王国でのわたしは、もう役目を終えた厄介者でしかありませんから。

 あちらに戻っても、居場所はないと思います」


 王妃の口元が、わずかに歪む。

 セドリックは、苦々しげに視線を伏せた。


「でも」


 わたしは続けた。


「帝国での居場所が、もうあるのかどうかも、まだ分かりません。

 だから、今はただ……」


 言葉を探して、レオンハルトの横顔を見る。


 彼は、静かにこちらを見返していた。


「今は、陛下の仰る通りに、ここにいさせていただきたいです」


 それが精一杯だった。


 甘えるでもなく、すがるでもなく。

 でも、確かに「ここにいたい」と言った。


 レオンハルトの瞳の奥で、何かが柔らかくほどける。


「分かった」


 彼は短くそう言って、玉座の方へ向き直った。


「今の言葉を、帝国の意思として受け取る。

 アリア・フォン・リースは、王国ではなく、帝国の庇護下にある」


 その宣言が、改めて響く。


 王妃は、最後まで涼しい顔を崩さなかった。


「では、彼女の今後については、陛下に一任するといたしましょう。

 十年前のことも、これ以上掘り返さないことを、お互いのためにお勧めいたしますわ」


 十年前。

 何度も繰り返されるその言葉だけが、逆に怪しく光る。


 何を、隠しているのか。


 何を、葬り去ろうとしているのか。


「覚えておこう」


 レオンハルトは、短くそう返しただけだった。


 使節団が下がっていき、重い扉が再び閉まる。


 謁見の間に残った空気は、どこか冷たく張り詰めていた。


「アリア様」


 ミーナが小声で呼ぶ。


「大丈夫ですか」


「……分かりません」


 立っているはずの足が、妙に頼りない。


 さっきまで、何とか自分を支えていた一本の糸が、ぷつんと切れてしまったような感覚。


 家族から、完全に切り捨てられたのだと、改めて突きつけられたからだろうか。


 それとも。


 ようやく、その事実を認めてしまったからだろうか。


「立っていられるか」


 すぐ近くで、レオンハルトの声がした。


 顔を上げると、彼がそれとなく手を差し出している。

 さっきより少しだけ、距離を詰めて。


「……少し、ふらつきます」


「ここで倒れると、また噂になる」


「それは、避けたいですね」


 わざと軽口を返すと、彼の口元がわずかに緩んだ。


「ならば、俺を利用しろ」


 そう言って、彼ははっきりとわたしの手を取った。


 温かさが、じんわりと指先から伝わってくる。


「家族とやらに切り捨てられたのなら、今の君は、帝国のものだ」


 言葉は乱暴なのに、不思議と乱暴に感じられなかった。


「嫌なら否定しろ。

 嫌でなければ、そのまま立っていろ」


 嫌ではない。

 少なくとも、今は。


 わたしは、握られた手を握り返すことはできなかったけれど、離すこともしなかった。


 もしかしたら。


 この国こそが、わたしの新しい居場所になっていくのかもしれない。


 切り捨てられたあとに残った空白を、ゆっくりと埋めてくれる場所に。

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