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処刑待ちの悪名令嬢ですが、冷酷皇帝に「ずっと探していた」と抱きしめられました  作者: しげみちみり


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第10話 毒入りの微笑みと、体に刻まれた耐性

 宮廷の庭園は、見慣れてきたはずなのに、今日はいつもより少しだけ色が濃く見えた。


 噴水の水音。

 白い石畳に落ちる木陰。

 花壇のバラは、誰かの手で丁寧に整えられている。


「本日は、ささやかな歓迎の席をご用意しましたの」


 そう言って笑ったのは、侯爵令嬢カミラだった。


 淡い青のドレスに身を包み、髪には小さな宝石を散らしている。

 完璧に磨き上げられた笑顔は、どこから見ても上流貴族の令嬢そのものだった。


 なのに、その笑顔の奥にある温度だけが、どうしても読めない。


「陛下の婚約者様を、きちんとお迎えしませんとね。

 ねえ、皆さま」


 彼女の一言で、周囲の令嬢たちは一斉に微笑んだ。


「光栄ですわ、フォン・リース様」

「いつかお目にかかりたいと、ずっと思っていましたの」


 視線が集まる感覚には慣れている。


 王都でも、伯爵家でも。

 わたしを値踏みする目は、いつもどこかにあった。


 でも、今日は少し違う。

 好奇心と警戒心が、甘い香りで包まれている。


 今日のこれは「歓迎の茶会」らしい。


 名目上は。


「お招きありがとうございます」


 わたしは、教えられた通りの礼を返した。


「アリア・フォン・リースと申します。

 帝国の礼儀に不慣れなところがあるかもしれませんが、どうぞお手柔らかに」


「まあ」


 カミラが、品よく口元に手を添える。


「ご謙遜を。

 処刑台の上でも背筋を伸ばしていた方とは思えないほど、柔らかな物腰ですわ」


 さらりと口にされた「処刑台」の二文字に、庭の風が少し冷たくなった気がした。


 周囲の令嬢たちが、わずかに息を呑むのが分かる。


「王都での噂話は、遠く帝都にまで届いておりますのよ。

 『悪名令嬢』と呼ばれた方が、今は陛下の婚約者だなんて。

 誰もが、一度お目にかかりたいと思って当然ですわ」


 柔らかな微笑みのまま、矢を放ってくる人だ。


「噂は、いつも脚が早いのですね」


 わたしは、なるべく穏やかに答える。


「ですが、噂がどれほど広がっても、わたしの処刑台での立場は変わりませんでした。

 終わるはずだった命を拾ってくださったのは、陛下です」


「まあ。

 なんて、ロマンチック」


 カミラは、心底楽しそうに目を細めた。


「反逆罪で断罪された令嬢が、処刑台の上で皇帝に見初められるなんて。

 戯曲にしたら、一冊では収まりませんわ」


 令嬢たちから、作り物めいた笑い声が漏れる。


 笑っていいのかどうか、迷っている笑い方だ。


「さあ、お話も大切ですけれど、お茶が冷めてしまいますわ」


 カミラが合図を送ると、侍女たちが銀盆を運んできた。


 白磁のティーカップが並び、その一つ一つに琥珀色の液体が注がれる。


 甘い花の香りが風に乗った。


「本日は、特別なお茶をご用意しましたの」


 カミラは、自分の前ではなく、わたしの前にあるカップへ手を伸ばした。


 その表面には、小さな赤い花弁が浮かんでいる。


「王国から取り寄せた、希少な茶葉を使っておりますのよ。

 せっかくですから、まずはフォン・リース様に味わっていただきたいと思いまして」


「王国、から」


 その言葉に、胸の奥がかすかにざわつく。


「まあ、ずるいですわカミラ様。

 わたくしもそのお茶をいただきたいです」


「わたしも。

 一度でいいので、王国の茶葉を」


 令嬢たちが次々ねだるが、カミラは優雅に首を振った。


「申し訳ございませんわ。

 本当に少量しか手に入らなかったものですから。

 今日は、王国からお越しになった方をおもてなしするために、取っておいたのです」


「まあ、仕方ありませんわね」


 誰かの拗ねた声が聞こえる。


 その間にも、花弁はゆっくりと揺れていた。


 王国の茶。


 伯爵家の食卓には、そう贅沢なものは出されなかった。

 わたしが口にしたことのある茶のほとんどは、安価なものだ。


 だから、香りだけでは、特別な毒が入っているかどうかなんて分からない。


「お気に召さなければ、別のお茶をご用意させますわ。

 一口だけでも、お試しになって」


 カミラの視線は柔らかいのに、逃げ道だけは綺麗に塞がれている。


 ここで拒めば、別の噂が生まれるだろう。


 皇帝の婚約者でありながら、出されたお茶一つ飲めない、疑り深い女だと。


「……せっかくの好意ですから」


 わたしはカップの取っ手を持ち上げた。


 唇に触れる瞬間、かすかな違和感があった。


 香りの奥に、金属のような、土のような、説明できない匂いが混ざっている。


 けれど、それが何かを指摘できるほどの知識はない。


 一口、喉を通す。

 想像していたよりも甘く、舌の上に残る渋みは薄い。


「いかが、ですか」


「不思議な味ですね。

 少し、懐かしいような……」


 口にした瞬間、自分で自分の言葉に驚いた。


 懐かしい。


 そんな高価なお茶を、いつどこで。


 分からない。

 思い出そうとすると、頭の奥がきりっと痛んだ。


「気に入っていただけたようで、何よりですわ」


 カミラは満足そうに微笑み、他の令嬢たちにも合図する。


「さて。

 せっかくの機会ですもの。

 皆さまも、気になっていることがありましたら、この場でうかがってしまいましょう」


「気になっていること、ですか」


「ええ。

 例えば……そうですわね」


 彼女は扇子を口元に当てながら、わたしを見つめる。


「王国では、どのように断罪されたのか、とか」


 庭の空気が、一瞬で変わった。


「お聞きになりたくないと言われれば、これ以上は踏み込みませんわ。

 でも、人はつい、物語の続きを知りたくなるものですから」


 物語。


 伯爵家でのわたしの人生は、誰かの読み物としては、それなりに退屈しないものだったかもしれない。


 虐げられて、最後は処刑台。


 でも、わたしは物語の登場人物ではなく、自分の人生を生きていただけなのに。


「……父が反逆罪で捕らえられたとき、わたしも共犯として告発されました」


 静かに言葉を選ぶ。


「妾腹だったわたしは、証拠もないのに、都合よく罪を背負わされました。

 処刑の日取りが決まり、首を落とされるはずだったその時――」


 黒い軍馬。

 紅い軍装。

 冷たいはずの瞳に、燃えるような光。


「陛下が、処刑台に乱入されて。

 わたしを、ここへと連れてきてくださったのです」


「まあ」


 誰かが小さく息を呑む。


「やはり、ロマンチックですわ」


 カミラが、芝居がかったため息をついた。


「血も涙もない征服王と呼ばれた方が、処刑台の上の令嬢に膝をつくなんて。

 その場に居合わせた人たちは、一生自慢できますわね」


「自慢になるかどうかは、分かりませんけれど」


 自嘲気味に笑った瞬間、視界が少し滲んだ。


 庭のバラの輪郭が、柔らかく溶けていく。


「フォン・リース様?」


 誰かの声が遠くなる。


 耳鳴りがして、指先がじんと痺れた。


 体の奥から、熱がせり上がってくる。


「ごめんなさい、少し……」


 カップを置こうとしたけれど、指がうまく動かない。


 取っ手から手が滑りそうになり、慌てて持ち直した拍子に、椅子がきしむ。


「顔色が……」

「大丈夫ですの?」


 令嬢たちの声が重なる。


 息が、うまく吸えない。


 胸が焼けるように熱いのに、汗は出てこない。

 代わりに、背中を冷たい何かが伝っていく。


 これは、知っている感覚だ。


 どこかで、何度も。


「……毒」


 唇から漏れた言葉は、自分でも驚くほど小さかった。


 次の瞬間、足元から力が抜ける。


 椅子が倒れ、視界が横向きに傾いた。

 白いテーブルクロスと、青い空が交互に揺れる。


「きゃあっ」

「誰か、呼んで!」


 悲鳴と、椅子が引かれる音。

 誰かの「毒では!?」という叫びが、やけに鮮明に聞こえた。


 喉の奥が焼けるように痛くて、何かがこみ上げてくる。


 必死に飲み込もうとしても、体が言うことを聞かない。


「――っ」


 結局、わたしは抗えなかった。


 こみ上げたものが、一気にあふれ出す。


 さきほど飲んだ茶が、ほとんどそのままの熱さで逆流してくる感覚。


 こんな場所で吐くなんて、貴族令嬢としては最悪の醜態だ。


 それなのに、そんなことを気にする余裕もないほど、世界がぐらぐらと揺れていた。


「下がれ!」


 鋭い声が聞こえた。


 どこかで聞いたことのある声だ。


 倒れかかったわたしの体を、誰かがしっかりと支える。

 鎧の硬さと、革の匂いがした。


「アリア様!」


「ライナルト……様」


 かろうじて、名前だけが口をつく。


「すぐに医務室だ。

 茶器と茶葉はそのまま押収しろ。誰も触れるな!」


 近衛隊長の号令に、庭の空気が一変した。


 侍女たちが慌てて動き、令嬢たちは悲鳴とともに後ずさる。


「わ、わたくし、そんなつもりでは……!」


 カミラの震える声も聞こえた。


「言い訳は後で聞く。

 今は現場を保全しろ」


 ライナルトの声は冷たく、普段より低く響いていた。


 わたしは、その腕の中で、細く息を吐く。


「ごめんなさい……」


 かすれる声で謝ると、彼は驚いたようにわたしを見下ろした。


「何に対して謝るのです」


「また、陛下の評判を……汚してしまうから」


 皇帝の婚約者が、歓迎の茶会で毒を盛られた。


 その噂は、きっとあっという間に宮廷中を駆け巡るだろう。


 陛下の婚約者は、誰かに毒を盛られるほど恨まれているのだと。


「陛下は、あなたを守るためなら、評判など惜しまれません」


 はっきりとした口調だった。


「それに、守るべきは陛下の評判より、あなたの命です」


 そう言って、彼はわたしを抱き上げる腕に力を込めた。


 その安定した力強さに、少しだけ安心する。


 意識が、また遠のきかけていた。


 どれくらい時間が経ったのか分からない。


 気がつくと、白い天井が見えた。


 薬草の匂いと、消毒の匂い。

 ここが医務室だと、すぐに分かる。


「目が覚めましたか、フォン・リース様」


 年配の医師が、目の前に身体をかがめていた。


「ここは……」


「皇城の医務室です。

 ライナルト殿に担ぎ込まれてから、半刻ほど経ちました」


 喉が渇いていた。


 医師が差し出した水を少しだけ口に含むと、さっきの茶の味が、まだどこかに残っている気がした。


「わたしは……」


「命に別状はありません」


 医師は、淡々と告げる。


「茶から、微量の毒物が検出されました。

 しかし、致死量には達しておらず、あなたの体の反応も、非常に早かった」


「反応……」


「大量に取り込んでいれば危険な毒ですが、あなたはすぐに吐き出したでしょう。

 体が、異物を強く拒絶するようにできている」


 それは、さっきの苦しさを思い出せば、納得できる。


「回復も、不自然なほど早い。

 普通の令嬢なら、今も高熱でうなされているはずです」


 医師は、わたしの脈を取りながら呟いた。


「まるで、長年少しずつ毒に慣らされてきた人間のようだ」


「……長年」


 背筋に、冷たいものが走る。


 思い出す。


 王都で、時々飲まされた「体にいい薬」。


 義母が持ってきた、癖のある匂いの茶。

 飲まないと、体が弱くなると叱られた液体。


 あのときも、喉が焼けるような感覚は、たしかにあった。


「王国では、何か薬を継続的に飲まされていましたか」


 医師の問いに、声が出ない。


 今さら、全部を言葉にするのが怖かった。


「……よく分かりません」


 絞り出すように答えると、医師はそれ以上追及してこなかった。


「いずれにせよ、今日は安静に。

 詳しい検査結果は、後ほど陛下にご報告します」


 彼が立ち上がり、扉の方へ向かう。


 ふと、ベッドの脇の小さな机に目をやると、布に包まれた茶器の一部が置かれていた。


「それは……」


「問題の茶器です。

 ライナルト殿の指示で、ここに保管しています」


 医師が布をめくる。


 あの白磁のカップ。


 表から見れば、何の変哲もない、上等な器にしか見えない。


 けれど、医師は底を指さした。


「ご覧なさい」


 カップの裏には、小さな紋章が刻まれていた。


 王国の陶工が使う印。


 王都の街角で、何度か見たことのある模様だ。


「これは……王国の……」


「はい。

 帝国製のものではありません」


 医師は静かに言う。


「もちろん、偶然ということもあり得る。

 しかし、今日の茶会で、あなたにだけこのカップが使われていたというのは、あまりに出来すぎている」


 喉の奥が、きゅっと締めつけられた。


 これは、ただの嫉妬や意地悪ではないのかもしれない。


 王国から、ここまで手が伸びてきている。


 わたしの体に刻まれた耐性も。

 今日の毒入りの微笑みも。


 どちらも、偶然ではない気がしてならなかった。

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