8話 麻痺オタクと爆食いツインテール、冒険者になるってよ
俺に声をかけてくれたのは、宿屋たんぽぽ亭の女将さんだった。名前は〔ミレナ〕さん。
名前からして優しさが滲み出てる、絶対いい人じゃん……!
肩までの栗色の髪をきれいにまとめた、年齢不詳の女性。
……年齢不詳ってのはつまり、ナイスミドルってことだ。
エプロン姿が異様に似合っていて、親戚のおばちゃんみたいな安心感がある。
俺の惨状をすべて見透かしていたかのように、ミレナさんは「空いてる部屋を使いな」と言ってくれた。
本当に太っ腹だ。いや、別の意味じゃなくて。
たんぽぽ亭は、一階が酒場兼レストラン、二階が宿になっている。
部屋は簡素ながらも小綺麗で、木の温もりを感じる、いい雰囲気だった。
部屋の隅には、小さなシャワールームのような設備があった。
まあ、正確には「シャワー」じゃなくて──木桶+管+手押しポンプ。原始的かつ、超物理な代物だ。
さっそく汚れを洗い流そうと中に入ると、案の定、管から出てきたのは──
「うっひょおぉぉう!」
絶妙に冷たい水だった。
つい、変な声が漏れる。妙なテンションになりながら、滝行よろしく精神統一して汚れを流す。
部屋に置いてあった服は、ごわごわとした麻布の服だったけど、スウェットよりは断然マシだ。
世界観的にも、ね。
そして──。
階段を降りた俺は、衝撃的な光景に出会うことになる。
……ベル。
ツインテールはふわっと乾いていて、俺と同じ麻布の服に身を包み、机に向かって──
「もがもがもがもがっ……!」
スープをすすりながらパンを噛みちぎっていた。それはもう、獣のような速さで。
ドンッ、と音がしそうな勢いでスープ皿が揺れ、パンのカケラが飛び散る。
だがベルの目は、真剣そのものだった。命の食事。それはまるで──
「……お前、すごいな」
思わず、俺の口からそんな言葉がこぼれた。
ベルは、ぴたりと手を止め、俺を見た。
その顔は──ちょっとだけ、恥ずかしそうに赤くなっていた。
* * *
あったかいスープって、なんでこんなに心がほどけるんだろうな……。
「うっま……」
俺は今、スプーンを持つ手を止められずにいた。「あんたもお食べ」とミレナさんに促されて席についたけど、正直びっくりしてる。
口の中でとろける白身魚、旨味たっぷりのスープ、そしてカリッと焼かれたパン。
……あれ、もしかして俺、前世でもこんなメシ食ったことなかったかもしれん。
「気に入ったかい?」
カウンターの向こうから声をかけてくるのは、たんぽぽ亭の店主――ミレナさん。恰幅の良い体にドンと構えた雰囲気。そして何より、笑顔が……めっちゃ優しい。
あの時、急に呼び止められた時は一瞬ビビったけど、全然怖くなかった。むしろ女神。
「うますぎて、魂が昇天しかけました……!」
「大げさだよぉ、もう。ほら、もっと食べな」
ご厚意に甘えてパンをもう一枚。すると、斜め向かいでパンをかじってたベルが、ジロッとこちらを睨む。
「……気安く女神とか言わないでくださいまし。あなたの魂ごと引きずり散らしますわよ?」
こえーよ。
俺、悪いことなーんにもしてないはずなんだけどな……
……でも、口は悪いくせに、お行儀よく背筋を伸ばして、がっつりスープかきこんでるの、なんか可愛い。さっきまで「歩くんですの……?」とか文句言ってた奴とは思えない。
さて、腹も落ち着いたところで、話を切り出す。
「ところで、ミレナさん。俺、この世界のこと、右も左も分かんなくて……」
「あらまぁ、そうなのかい?」
「記憶がちょっと……曖昧でして……」
記憶喪失設定、ここで発動ッ!いや、ある意味ほんとにそうなんだけどな!
「で、今の俺の全財産なんですけど……この木の棒一本だけです」
「木の棒?」
俺が腰の“相棒”を示すと、ベルがクイッと首をかしげる。「その辺で拾っただけでは?」って顔やめろ。
「そりゃ大変だねぇ」とミレナさんは腕を組みながらしばらく考え、ポンと手を打った。
「じゃあ、冒険者になりなよ」
「冒険者?」
「うん。誰でも登録できるし、手っ取り早く金が稼げる。もちろん危ない依頼もあるけど、初心者向けもあるよ」
マジか。こっちの世界、ハローワークより敷居低いな!
「それに、私の紹介ってことにすれば斡旋料も入るし、しばらく宿代も食費もタダでいいよ」
え、女神じゃん???
「行きます!」
「即答!?」
ベルがスプーンを落としそうになるくらいの勢いで、俺は立ち上がる。いやもう、これしかないっしょ!
「ってことで、ベル。お前も一緒な?」
「はぁっ!? なぜワタクシまで!?」
「だってお前、他にやることないじゃん。ってことで……」
俺はベルの頭をがっしり掴んで、グイッとミレナさんに向け――深々と頭を下げさせた!
「こいつも一緒に冒険者やるんで!よろしくお願いしますッ!」
「こらあああっ!なに勝手に頭下げてますのよぉ!?」
「今さらだし、ノリと勢いでなんとかなるって!」
「なるかぁっ!ですわ!」
周囲の客がクスクス笑ってるのが聞こえる。うん、ごめんな、騒がしくて。
でもミレナさんはにっこり笑って――
「はいはい、二人ともよろしくねぇ」
神かよ。
「……よろしくお願いします、ですわ……」
最後には、ベルもポツリとそう言った。
こうして俺たちは、異世界での第一歩――冒険者生活をスタートさせることになったのだった。