79話 深淵から蠢く沼地の主
薄汚れた沼地――アルクーンの街が管理するダンジョンの内一つで、初心者向けのダンジョンと言われる。
最も、どろどろぬかるみだらけの汚い水辺っていう、ストレスフルな環境に加え、出現モンスターも魚人や蛙等々、充分に玄人向けと思える程だ。
さて、そんなダンジョンの主。薄汚れた沼地の王とでも呼べるのが、今からおれたちが相手しようとする、触手である。泥沼から不気味に揺れる"それ"は、底知れぬ不気味さと計り知れない実力を兼ねている。
「マヒルさん、本当にあんなニョロニョロがボスモンスターなんですの?」
「ああ。図鑑によれば、あいつの名前は《テンタクトゥル》。れっきとしたボスだ」
「……気持ち、悪い」
「……それは、そうだな」
触手までの距離、およそ十メートル程となった。触手についた目玉がきょろりとこちらを向く。それでも意に介さない様子で、触手はゆらゆら揺れる。
いや、そもそも意思とか知識とかあるのか?なんかもう、植物のようにも思えてきた。
「よし、とりあえず麻痺らせるから、ラヴィは斬りかかってくれ」
「了解」
「ワタクシのセバスチャンは?」
「そうだな、あの見た目に打撃は効かなそうだし、当てるのも難しいだろう。 今は温存しててくれ」
「了解ですわ!」
簡単な打ち合わせを済ますと、俺はスタンブレイカーを展開させ、狙いを定める。
「いくぜ!【パライズ】!!」
バシイッと稲妻エフェクトが走り、触手に直撃!一瞬の硬直の後――
ビチ、ビチビチビチチチチチ――!!
触手は激しく痺れだした――と同時にラヴィが駆け出し、一瞬の内に間合いを詰める。
「いけぇぇ!ラヴィ!――――あれ?」
触手までもう一踏み込みというところで、ラヴィは刀に手をかけたままピタリと止まってしまった。
「おい、ラヴィ!どうした!?」
「あ、足……」
「足……? うわ、なんだそれ!」
ラヴィの足元を見ると、キョロキョロと目を回すテンタクトゥルの触手がグルグルと巻き付いている。それとは別に、視界の先では麻痺ったままの触手が小刻みに揺れている。え、なんで?ボスって二体いるの?
「ラヴィ、どうした!そんなもん、斬っちまえ!」
「う……動け、ない。力が、入らない……」
「なにっ!?」
あのテンタクトゥル、やはりただの触手じゃない――恐らく、俺の麻痺に似たような状態異常スキル持ちだ。あいつに捕まるまで、ラヴィは普通に動けていた。ということは、触れられたらアウトってワケか――!
「ベル!触手に気を付け――」
「キャアァァーーーッ!!」
「ベルぅ!?」
声をかけた時にはもう遅く、ベルは足元から這い出た触手に足首を絡め取られ、地面から数メートル離れた所でブラブラと揺れている。
「おい、ベル、大丈夫か!?」
「ぐっ……このっ!離しなさい、ですわ!」
「ベル、振り子みたいになってるぞ! 今、麻痺らせるからな!」
「誰がっ、振り子ですか!!」
ベルはそう叫ぶと、空中に吊り下げられたまま青く光る魔法陣を展開させる。
「フフッ……動けなくても、魔法は使えるんですわよ!弾けなさい、【暴波砲】」
魔法陣から、バスケットボールサイズの青い泡がボヨン、ボヨンと放たれる。ゆっくりと降下したそれは、触手の根本に触れた瞬間――ボォンッ!!と泥沼と触手の破片をびちゃびちゃと巻き上げながら破裂した。
「ふげっ!」
ドチャッという湿った音を立てて、ベルが顔面着地!これは、芸術点高いぞぉ~!
「おい、大丈夫か?ベル」
「ぶぇっ、ペッ、泥が……うぅ~、全然大丈夫じゃありませんわ……」
「でもすごいな。お前が自力で脱出できるとは思わなかったぞ」
「……そりゃあ、魔法使いですからね! 動けなくとも、詠唱さえできればこっちのもんですわ! ……って、ああ!?ラヴィさんっ!?」
「ん……ってえぇ!?」
少し目を離した瞬間に、ラヴィは四肢を触手に絡め取られ、逆さ吊りの状態で空中に静止していた。とても、恨めしそうな目を俺たちに向けて。
「……早く、助けて」
「よし、任せろ。いけぇ!ベル、"バブル攻撃"!」
「なんですのそのダサイ名前は!?」
「……早く」
* * *
静かな沼地に、ボォン、ボォンという破裂音が幾度となく響く。地形を幾らか変えながらも、無事にラヴィの救出に成功した。
「ふう、危ないところだったな、ラヴィ」
「…………うん、本当に」
「……いや、悪かったって。すまん。いつもの調子なら、ベルの方が大ピンチになるから、ついそっちの方ばっか気にしてたわ。すまん」
「まったく、ワタクシがいなかったらどうなっていたことやら……!」
「いやはや、全く……」
思わぬ所で大活躍を見せたベルは、ふんぞり返りすぎて組体操のブリッジの体勢になりそうな程だ。
まあ、今回ばかりはベルのおかげで無事にモンスター撃破――あれ?
「なあ、そういえばボスモンスターを倒した時のボスドロップって、宝箱が"ボンっ"て出てくるんだよな?」
「?えぇ、ワタクシはそう認識してますわ」
「なら、どこに出たんだろう」
「えぇと、それは……確かにそうですわね」
戦闘中のバタバタで見落としてないか、地面に埋まってしまっていないか、辺りを急いで探し回る。――が、それらしいものは見つからない。
「え、出ないことなんてあるのか?」
「……もしかして」
ラヴィが小さく口を開いた。
「……まだ"倒せていない"、ってこと?」
「それって――」
次の瞬間、俺たちの背後でドバァァァンという轟音と共に泥の柱が上がった。
「うわぁっ!」
「な、なんですの!?」
ビタン、ビタン、と降り注ぐ泥を避けながら、音のしたほうを確認する――そこにはぬらぬらと怪しくヌメる、巨大なイカの姿があった。生きてるイカ、久し振りに見たなー。よく親戚のおっちゃんが釣って来てたっけ。
しかしここは異世界。全てが常識はずれなスケールオーバーの巨大イカは、不気味な眼球がギラリと光らせ、俺たちを見下ろしている。
やつの足元、普通のイカなら十本あるはずのゲソは数本欠け、ボロボロの状態――つまり、俺たちがボスだと思って戦っていた触手が、単なるこいつのゲソだったってわけだ。
「あいつが、本当のボス……テンタクトゥル――!」
その圧倒的な存在感に思わずツバをごくりと呑む。
遂に姿を現した沼地の主は、体表を紅紫に激しく明滅させながら、巨大な二本の触手を振り上げた――!
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