73話 暴走を終えて
「グルルルァァッ!!!」
咆哮と共に、ラヴィは四足の構えから地面を蹴った。獲物に飛びかかる姿は、まさに獣そのものだ。牙を剥き、爪を閃かせ、狙うはただ一人――ハルヴァン。
「おぉっと」
しかしハルヴァンは、ほんの数歩だけ後ろへ下がっただけで、その猛襲を紙一重でかわす。続けざまに繰り出される連撃の爪も、余裕の身さばきで受け流すと、逆に低く構えて足払いを一閃。ラヴィの体はあっさり宙を舞い、地面をゴロゴロと転がった。
「す、すげぇ……あんなに強いラヴィが、まるで子どもみたいに……」
「異次元、ですわ……」
俺とベルは同時に息を呑んだ。ポキポキと骨を鳴らしながら、ハルヴァンは余裕の笑みを浮かべる。……いや、この人なんで冒険者じゃないんだ?余裕でAランク級だろ。
「ガルラァッ……!」
ラヴィが唸り声を上げ、体勢を立て直す。だがその右手には、いつの間にか愛刀が握られていた。ギラギラと血走った目。普段の冷静沈着な剣士の面影はなく、ただ獣の本能に駆られた怪物だ。
「ラヴィ! やめろ!」
咄嗟に叫ぶが、俺の声は届かない。ブンッ、ブンッと刀が風を裂き、無軌道に振り回される。そこに洗練された剣筋は一片もなく、ただ殺意と衝動だけが剥き出しになっていた。
「ふむ……」
ハルヴァンは肩を軽く落とすと――次の瞬間、ラヴィとの数メートルの距離を一瞬で詰めた。まるで目の錯覚だ。刀を握る腕を左手で受け止め、そのまま彼女の腹部へ右の掌をピタリと押し当てる。そして――
ボッ、と乾いた破裂音。
衝撃と共に、ラヴィの体は数メートル後方へ吹っ飛ぶ。ハルヴァンはその場から一歩も動いていない。振りかぶる動作すらなく、ただ掌を当てただけ……なのに。
「な、なんだ今の……まさか掌底ってやつか……? いや、格闘漫画でしか見たことねぇぞ、あんなの……」
ラヴィは腹を押さえて小さく唸りながら、地面でうずくまる。だが、その視線だけはハルヴァンを捉えていた。
「……ほう、あれを喰らって意識があるとは。なかなかタフだな」
ハルヴァンは愉快そうに笑みを浮かべ、ゆっくりと両腕を構えた。戦いの最中とは思えない、のんびりとしたファイティングポーズ。まだ余力を残している――そう見せつけるかのように。
「ラヴィ! もういいだろ! これ以上はお前の体が……!」
「そうですわ! ラヴィさん! もう敵なんておりませんのに!!」
俺とベルの声に、ラヴィの赤く濁った瞳が一瞬だけこちらを捉える。だが理性の光は戻らない。彼女は刀を杖代わりにゆらりと立ち上がり、フラフラとしながらも再びハルヴァンへ歩を進める。
「ラヴィ……!」
心臓が締め付けられる。止めなきゃ。だけど――俺にできるのか? 暴走したラヴィを、俺が。
いや……どうしてやることも、できない――
「ガァ……ッ…………」
その瞬間、ラヴィは膝から崩れ落ち、そのまま前のめりに倒れ込んだ。手にした刀がするりと抜け落ち、ガランと音を立てる。
「ラヴィ!!」
俺は慌てて駆け寄り、彼女の体を抱き起こした。全身汗だくで、息は荒く、目は焦点を結んでいない。さっきまでの怪物じみた気迫が嘘のように、今はただ疲弊しきった少女がそこにいるだけだった。
「ふむ、限界か。……まぁ、よく耐えたほうだな」
ハルヴァンは腕を組み、興味深そうに見下ろす。その目は敵意も憐れみもなく、ただ「傍観者」のそれ。冷たいほどに静かな瞳だった。
ラヴィの体は熱い。まるで高熱にうかされているように。胸に不安が渦巻く。さっきの戦い――あの動き、あの様子は一体なんだったんだ?
彼女の中に潜む“何か”が、ついに牙を剥いた……そんな感覚が拭えない。
「なあ、おいハルヴァン! ラヴィは大丈夫なのか!?」
「まあ、しばらくすれば目を覚ますだろう」
ハルヴァンは、どこか興味なさげに呟いた。
「覚ますだろうって……さっきのアレは何なんだよ? 何か知ってるんだろ!?」
「まあまあ、落ち着けって」
「……落ち着いてなんかいられませんわ!」
ベルが声を荒げてハルヴァンに詰め寄る。
「暴走って? なぜラヴィさんはあんな辛そうな目に……!? 本当に、ああやって戦うしか方法はなかったんですの!?」
「おい、ベル!!」
俺の呼び掛けに、ベルはハッとする。
「……あっ、その……すみません」
「……ハルヴァンさん、すみません。俺もちょっと気が動転してました。ラヴィを止めてくれてありがとうございます」
「まあ、気にするな」
ハルヴァンは依然として感情の読めない表情を浮かべている。その顔には一切の揺らぎがない。
だが彼は、ゆっくりと口を開いた。
「……まあ、最初は驚くだろうな。あんな血に飢えた獣みたいな姿を見ちまったらな」
大事な仲間を「血に飢えた獣」と呼ばれても、不思議と納得してしまう自分がいる。それほどまでにラヴィの姿は鮮烈だった。
「……それでも、そんな姿を見てもお前たちはあいつの仲間でいたいのか?」
「もちろんです」
「当然ですわ」
俺もベルも即答した。どんな姿であってもラヴィはラヴィ、俺たちの仲間に変わりない。
ハルヴァンは品定めするように俺たちをじっと見つめると、フッと笑った。
「よし、それじゃあとりあえず、場所を移してから話をしようか」
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