46話 跳躍する影、白き闘士ハルヴァン
異様な気迫――まるで荒野を吹き抜ける熱風のような圧を、その男はまとっていた。
次の瞬間、「シッ」と息を吐く音が耳を打つ。
ほんの一瞬、まばたきをしたその隙に、男の影は俺の視界から消え――気づけばホブゴブリンの懐へ。
ドガッ。
拳が肉を叩く重い音と同時に、ホブゴブリンの巨体がくの字に折れ、後方へ吹っ飛んだ。
地面を転がりながら獣じみた「ギィッ」という声をあげる。
何が起こったか分からない。でも、あの構えからすると、恐らくジャブを打ったんだ。全く見えない、高速のジャブを。
残るもう一体は、一瞬の間を置いて反応した。振りかぶられた手斧が、唸りを上げて振り下ろされる。
――速い。
けれど、男はさらに速かった。わずか一歩、後ろに引く。その動作に無駄はなく、手斧は空を切る。
そのまま体を捻り込むように右拳がうなり、ホブゴブリンの顎を正確に撃ち抜いた。
バギン、と骨がきしむ音。
ツーダウン目。
「……強い」
思わず口をついて出た。
男はポーン、ポーンと軽くその場で跳んだ。いや、軽く――と言っても跳躍の高さは人間離れしている。
リング上のボクサーのリズムジャンプなんて比じゃない。軽く一メートルを越え、その空中姿勢は猛禽のように鋭い。
地面から起き上がった二体のホブゴブリンは、低く唸りながら左右に散り、同時に斬りかかってくる。息の合った挟み撃ちだ。
だが、男は再び跳んだ。
すれすれを通過する刃を空中でかわしながら、身体を捻り――ドゴォッ! 回し蹴りが一体の側頭部に炸裂した。
蹴られたホブゴブリンは、もう一体を巻き込みながらドザザァッ!と地面を削って吹っ飛び、枯れ枝を何本もへし折る。
派手に転倒した方は、すぐさま起き上がり、男を睨んで激昂。野太い叫びとともに力任せに手斧を投げた。
男の顔面めがけてまっすぐ飛ぶそれを――片手で難なくキャッチ。
そのまま握りを返し、肘を軽くしならせて投げ返す。
ゴシュッ。鈍い音とともに、手斧は投げた本人の頭に突き刺さった。巨体が膝から崩れ落ち、動かなくなる。
残る一体は、頭から滝のように血を流しつつも、ようやく起き上がる。そして仲間が倒されたのを見て、ギャアギャアと狂ったように喚き立てた。
男は首をコキっと鳴らすと、「来いよ」とでも言うように手で煽ってみせた。
その瞬間だった。
――ぬらり、と。
視界の端、大岩の上から何かが現れる。
それはホブゴブリンよりもさらに大きな影。全身は薄汚れた灰色で、皮膚の下を赤黒い血管が浮かび上がり、不気味に蠢いている。長剣を握るその手からは、腐臭と血の匂いが漂った。
ホブゴブリンが男へ突進すると同時に、その白い化け物は音もなく岩場から飛び降りる。
完全に死角に入っている――!
「危ない!」
俺は反射的に【パライズ】を放った。
ビビッと空気が震え、白いゴブリンの動きが途切れる。
「ギャギギギギギギ!」
耳障りな鳴き声のまま、奴は地面へ叩きつけられ、ゴロゴロと転がった。
視線を戻すと――男の右ストレートが、最後のホブゴブリンの顔面を撃ち抜いていた。
鈍い衝撃音、そして沈黙。決着は一瞬だ。
最後の一匹、白いゴブリンは、麻痺が解けるや否やゆっくりと立ち上がった。
一歩を踏み出す――その足が、ベルの魔力で作られた水の泡を踏みつける。
ドバァッ、ドバァンッ!
連鎖的に水の塊が破裂し。爆発的な衝撃が走り、ビリビリと地面が震えた。
水しぶきと血飛沫が空中に舞い、白いゴブリンは高く跳ね上げられる。受け身もままならず地面に叩きつけられ、ゴキィッと骨が折れる音が俺の耳にまで届いた。
それでも片膝をついて立ち上がろうとした、その瞬間――。
ラヴィの高速の一閃。瞬間移動とも思える驚異の踏み込みだ。
赤い線が空を走り、ゴロリと首が転がる。
水煙の向こうで、男が低く呟いた。
「ほぉ、ゴブリンロードまでいやがったとはな」
その目は一切の驚きも恐怖もなく、ただ事実を確認しているだけ。
俺は警戒を緩めぬまま問いかけた。
「……あなたは一体?」
男は視線をこちらに向け、口角をわずかに上げる。
「俺は《ハルヴァン》。商業ギルドに頼まれて護衛をやってたんだが……」
言葉を切り、少しうつむく。
一呼吸置いて、続けた。
「どうやら、寝ちまってたらしい」
……は? 俺は、思いもよらない答えに少し拍子抜けというか、肩の力が一気に抜けた気がする。
ゴブリンに囲まれたあの騒動の中寝てたの?ってか寝起きでこの動き?……だめだ、ツッコむ前に頭が追い付かない。
ただ分かることは、戦いが終わったこと。そして、この人がただ者ではない、ということだけだ。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
感想、ブクマ等いただけると励みになります。
次回もよろしくお願いしますm(_ _)m




