44話 静寂を破る角笛
翌朝。
俺たちはまだ眠気の残る体を引きずりながら、林の中を徒歩で進んでいた。目的地は、例の採石場跡地。噂に聞いた「不穏な影」を確かめるためだ。
朝日が木々の間から斜めに差し込み、湿った土の匂いが鼻にまとわりつく。風が吹くたび、枝葉が擦れ合ってザワザワとささやき合う。鳥のさえずりはかすかに聞こえるが、どこか落ち着きがなく、まるで何かを警戒しているようだった。
ラヴィの腰に下げた刀が、歩くたびにカチャリと鳴る。その音だけがやけに耳に残る。ベルは口を結び、視線を左右に巡らせていた。
俺も例外じゃない。胃の奥がじわじわと重く、吐き気とまではいかないまでも、得体の知れない不安が腹の底に溜まっていく。
三十分ほど歩いたころ、林が途切れ、視界がひらけた。そこに広がっていたのは――静まり返った採石場跡地。
山肌を抉った広場は、今や人の気配もなく、むき出しの岩と瓦礫が無造作に転がっている。あちこちに影ができ、陽は届くのに妙に薄暗い。風が吹き抜けるたび、岩肌から砂ぼこりが舞い上がり、乾いた土の匂いが鼻を刺した。
「着いた……」
思わず呟き、仲間を振り返る。
「みんな、慎重にいくぞ」
二人は無言で頷く。
採石場の端には、布をかけた荷車が三台放置されていた。木材はひび割れ、荷台の刻印は商業ギルドのものだ。だが、積み荷は中身を奪われたのか、無惨に乱れている。
「あれ」
ラヴィが前方を指差す。視線の先で、小さく動く影があった。
最初は子どもかと思った。背格好が似ていたからだ。だが、数歩近づくごとに違和感が膨らんでいく。
全身が錆びた銅のような赤茶けた色。額から突き出た小さな角。細く尖った耳と、黄色く濁った眼。
「まさか、あいつは……!」
「……ゴブリン、ですわね」
ベルが即答する。
ゴブリン――ファンタジーものでは雑魚扱いされがちな種族。だが現実で遭遇すると、その意味は違う。小さくても、人間並みの知性を持ち、武器を扱い、群れで行動する。つまり、普通の獣より何倍も危険だ。
俺は腰のスタンブレイカーを静かに展開した。
「ベル、攻撃魔法の準備をしとけ。それから……万一のときは逃げろ」
「なっ、ワタクシの魔法で全滅させてやりますわ」
いつもの調子で返すベル。その肩にラヴィがそっと手を置き、首を横に振った。
「……分かりましたわ。今回はあくまで調査ですからね」
唇を尖らせつつも、ベルは頷く。
「だが、もしもの時はお前の一撃が必要になる。頼んだぞ」
「ふふ、もちろんですわ」
俺たちは岩陰を移動しながら様子をうかがった。数分の観察で、ゴブリンが六、七体いると判明する。少数だが、ここで戦うか、報告に戻るか……判断に迷う。
その時――ゴブリンたちが急に騒ぎ始めた。
一瞬「バレたか!?」と息をのむが、どうやら違う。奴らは別の場所へ集まりだし、岩の間を抜けるように走っていく。そして――円を描くように並んだ。
その中心に、何かが倒れている。
近くまで目を凝らすと、それは人型の影だった。うずくまったまはまピクリとも動かず、息も絶え絶えの様子。ゴブリンたちはそれを殴り、蹴り、獣のような叫び声を上げている。
「マヒルさん、あれ!」
ベルの声がわずかに上ずる。
「分かってる。でも……」
助けるべきか、見捨てるべきか。一瞬の迷いが喉に詰まる。
ラヴィは刀を抜き、短く言った。
「いつでも、いける」
その声に背を押されるように、俺は息を吸い込み、決心した。やるしか、ないな。
「……みんな、いくぞ。うおぉぉぉぉ――【パライズ】! 【パライズ】!」
茂みから飛び出し、次々と麻痺をかける。青白い光が走り、数体のゴブリンが痙攣し、その場に崩れ落ちた。
ラヴィは麻痺していない敵に一瞬で迫り、首筋や胸を正確に切り裂く。彼女の動きはまるで獣。力ではなく、速さと精密さで敵を圧倒していく。
ベルは後方で魔導書を構え、詠唱の寸前まで魔力を高めて待機している。その目には、油断の色は一切ない。
俺もスタンブレイカーを振り下ろし、残りの敵を叩き伏せた。
やがて、採石場は静まり返った――かに見えた。
ブオォォォン! ブオォォォン!
地の底から響くような低い音が、岩場全体を震わせる。角笛だ。
岩陰から、新たな影が次々と姿を現す。その数は倍以上。手に刃物や棍棒を持ち、黄色い目が一斉にこちらを射抜く。
さらに、その後方から二つの巨体が歩み出た。筋肉質の体躯に粗削りの大剣。皮の鎧をまとい、赤く光る瞳が俺たちを見下ろす。
「……ボス級、か」
背筋を冷たい汗が伝う。
戦いは、まだ始まったばかりだ。
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