第65話『パンより柔らかい湯けむりの午後』
「――でさ、リュミエルがアヒル追いかけて水没した瞬間、俺は見たね。あれ、完全に飛沫で虹が出てた」
「だから言ってるでしょう!私は事故だったんですっ!」
拠点の応急修理もひと段落し、俺たちは近くの町にある小さなカフェでまったりと過ごしていた。温泉のあとのパンケーキと紅茶。これに勝る幸せなど、そうそうあるまい。
「パンケーキもっと頼んでいいかな?」
ミナがキラキラした目でメニューを眺めながら尋ねる。
「いいけど、四人分ってさっき言ってたろ?食べきれるのか?」
「問題ないよ!胃袋にセカンドポケットあるから!」
「やめろ、それもうギャグじゃなくてホラーの領域に片足突っ込んでるから」
「……ちなみにそのセカンドポケットは魔法で拡張されてるんですか?」
リュミエルが純粋な目で質問する。
「いや、これ生まれつきなんだよね。母曰く“赤ちゃんの頃からミルク10リットルいけた”って」
「それ絶対お母さんの記憶が盛られてると思う」
「うちのママは記憶改ざん系魔法使えるから、ワンチャン本当」
「なんか家系図が怖くなってきたぞ、おい」
みんなで笑い合う中、シエルはテーブルの端で何かをじっと見ていた。
「……ねぇ、なんでこのカフェ、メニューに“幻のバター”ってあるの?」
「幻?」
「本当に幻だったらメニューに載せないでしょ!」
「いや、むしろ“幻”だから載せてるんじゃない?ロマンじゃん、幻バター」
「ロマンで胃袋は満たされないよ!」
そんなこんなでギャグを飛ばしつつも、穏やかな時間が流れる。
と、店の扉がカランコロンと開いて、新しい客が入ってきた。
「ふぅ、ここにいたのか」
「あ、リュミエル!」
「えっ、私ここに――って、あれ? もう一人の私!?えっ!?ドッペルゲンガー!?」
「違う違う! そのリュミエルじゃない!」
慌てて俺が割って入る。
「彼女も“リュミエル”って名前なんだよ!えーと、たしか……聖歌隊の出身だったよな?」
「ええ、そうです。旅の途中であなたたちの噂を聞いて、少しでも力になれたらと思って……」
「なんか、リュミエルって名前、人気すぎないか?日本で言う“さくら”ポジか?」
「なぜそこで“さくら”?」
「わたし、リュミエルAってことでいいですか?」
「じゃあ私、リュミエルBで……」
「やめろ!記号で分けると人格ごと崩壊しそうになるからやめてくれ!」
店内に再び笑いが起きる。
それでも、どこかあたたかくて、心地いい空気があった。
「こうやって、何も考えず笑っていられる時間が、いちばん大事かもな」
ふと漏らした俺の言葉に、シエルが静かに頷く。
「そうだね。平和って、きっとこういう瞬間のことなんだと思うよ」
紅茶の香りと笑い声が混ざり合う午後。パンケーキの甘さと、仲間たちの優しさが胸を満たしていく。
だが、その静かな午後は――
「うわっ!? なんだこの揺れ!? 地震か!?いや違う、これって……!」
店の外から、黒い煙と共に爆風が。
「お、おい……!さっきの“幻のバター”って、もしかして……」
「――禁断の魔導酪農が錬成した、時空爆裂バターだったらしいよ。ご注文、感謝します」
「いやそれパンじゃなくて兵器じゃんかあああああ!!」
爆笑とともに俺たちは、慌ててカフェを飛び出した。
こうして、日常とギャグとほんのりバターの香りを残して、またひとつ小さな冒険が幕を開けるのだった――。