場面
不謹慎なことを言う
あまり関係性のない親族のお葬式で、吹き出しそうになったことがある
まだ十代頃の事で、お葬式がもの珍しかったというのもある
亡くなった人との関係性が深いものならそんな事は絶対無いと思う
ほぼ面識の無い相手だったので
笑ってはいけないというプレッシャーにムズムズしてきて堪えきれなくなる感じ、わかるでしょう?
お坊さんの頭とかジッと見てたら、時々急にお経の調子が独特のリズムで聞こえたりして
そんな時に姉と目があって、あ、今絶対ツボったよね、と暗黙のやり取りが起きて、もう限界
漫画家の蛭子能収さんもお葬式は笑ってしまうから行けないというエピソードを聞いたことがある
ハイ、私もそれです
場にそぐわない行動が抑えきれなくなるタイプです
でも、こういう話をするとけっこう仲間が見つかる
知り合いは、花を最後のお別れで棺に納める時に、隣のおばさんが号泣しながら床に落ちている花を踏みにじっているのに気がついてツボったらしい
なんかおかしな高揚感みたいな雰囲気が伝わって、ネガティブ越えてハイ越えてダークコメディファンタジー
これを読んでしまったあなたも、面識の少ない相手のお葬式にはもう耐えられないかもしれない(仲間増殖中)
話が戻れないくらい脱線した
場面に応じたあり方について書こうと思っていたのに
私だけではないはず
激怒している人を見るとからかいたくなるのは
真面目な話にはふざけたツッコミを入れたくなるのは
いつもおちゃらけてるけど許される末っ子気質(自分で言う)
身内で言いたい放題できる特権
そんなに怒られたことはない
国によってはお葬式はお祭りみたく歌ったり踊ったりするところもあるという
それぞれの事情にもよるけど、真面目に神妙な顔を装うような儀式などの場面は白々しく感じてしまう
人の気持ちを考えたら、とか
いい大人が非常識な、とか
常識人ぶった正論
正義だの大義名分だの人の道を説く
大概そんな時は個人の思惑が潜んでいたりする
損得計算だったり、好感度高めたいだけだったり
洗脳された正しさに習って、出来上がった思考回路で無意識的に判断して否定する
それ、誰の意見?
皆?皆って?当たり前って?
普通とは?
お葬式で吹き出すことが正しいとは言わないけど
本当の、心からの、自分の気持ちで生きてる?
世間や社会の意向、過去の常識
そんなものは時代により変わる
自分の心に素直に生きる
ひとりひとり皆違う
それぞれが自分の心で生きる
そういう生き方に変えていこう