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願いを叶える教室

作者: 歌宮ゆか

 知ってる? この学校には何でも願いを叶えてくれる教室があるんだって。その教室にたどり着いたら、どんな願いも叶うらしいよ。


 そんなバカみたいな話を聞いたのはいつ頃だっただろうか。桜が散り、新緑が芽吹いたころだったか。

 我が相連(そうれん)高校にはそんなうわさ話があった。学校の七不思議でもない、実に奇妙な話だ。いつ頃から囁かれていた話なのか、誰も知らない。伝統だけは無駄に長い相連高校に代々伝わる与太話なのだろう。今年入学した俺ですらも知る、まことしやかに話される噂だが、その割には願いを叶えた人の話は一切聞かない。それもまた胡散臭さに拍車をかける。

 それでも。

 あまりにも魅力的な話じゃないか。どんな願いも叶えてくれるなんて。

 その教室にたどり着くためには、いくつもの段階を踏まなければならないとされている。

 曰く。


 奇数学年であること。

 その教室にたどり着く前日が土砂降りであること。

 当日の昼食は学食の揚げ物であること。

 一週間以内にクラスメートが一人以上、学校を休んでいること。

 十六時三十二分以降にその教室へ向かうこと。

 その教室にたどり着くまで、八人以上の人間に会わないこと。

 決められた順序通りに進むこと。


 以上の七項目を遵守しなければ、噂の教室にはたどり着けない。羅列してみると中々に面倒だ。二年生は資格がなく、天候に左右され、クラスの休みも必要になる。かと思えば、ありがちな誰にも会わないようになどではなくて、八人になら見られても構わないという甘さもある。

 俺は問題の教室のうわさと知った時から、この状況が整うのをずっと待っていた。


 その日の前日は恐ろしいほどの土砂降りだった。クラスでは夏風邪で二人の休みが出ていた。

 これ以上ない好条件だ。今日を逃すとしばらくは条件が整わないだろう。俺はついに計画を実行に移すことにした。

 今日の昼食は学食のから揚げ定食だった。もちろん条件を満たすためだけのものだ。割高なので出費は痛いがどうしても必要な経費である。

 ホームルームが終わった直後、スタート地点に近い屋上へと続く扉の前に向かった。ここは基本的に誰も来ないような場所だ。屋上に出られるわけでもなく、何かめぼしいものがあるわけでもない。隠れられるという利点はあるが、夏が始まった今、蒸し暑くて長居したい場所じゃない。

 俺は階段に腰かけて、ただじっと時間が過ぎるのを待った。十六時三十二分を過ぎたが、今は動くわけにはいかない。流石にまだ人が多すぎる。十六時三十二分以降であればよいのだから、他のやつらが部活か下校するまで待たなくてはいけない。

 階下から聞こえる放課後の喧騒が小さくなっていき、遠くの方で運動部の掛け声がかすかに聞こえるようになった。

 そろそろ行動を開始してもいいだろう。

 ゆっくりと立ち上がり、額の汗を拭う。階段を降りたが、廊下には誰の姿も見えなかった。

 まあ、幸先の良いスタートだと考えよう。

 ここから一歩踏み出せば、例の教室へと歩みを進めたと判断されるだろう。噂話じゃ、この場からがスタートなのだから。

 まずはこのまま一階まで降りなければならない。そして、校舎の反対側まで歩き、二階に上がったうえで、渡り廊下を進み、対面の校舎でもう一度、一階まで降りる。それから降りてきた階段以外の経路で三階の音楽室の直前まで進み、反転して、外階段で二階まで降りる。そして、そこから校舎入ると、本来存在しないはずの廊下には入れるらしい。例の教室は入り口から数えて三つ目だという話だ。

 ネックとなるのは三か所だ。まずはこちら側の一階。校門に近く、人の出入りが激しい。次は渡り廊下。視界が開けるので、人に見られる可能性が高くなる。人に会ってはならないという判定の度合いにもよるが、見られただけでも会ったにカウントされると面倒なことになる。

 最後は音楽室周辺。吹奏楽部が絶賛活動中なので、人に会う確率は非常に高い。

 俺は覚悟を決めて足を踏み出した。

 流石に緊張する。しかし、幸運なことに、一階降りても、反対側まで歩いても誰にも会わなかった。

 よし、ついてる。

 渡り廊下で生徒の一人とすれ違ってしまったが、あと七人には会っても大丈夫だ。

 それよりも問題はここからだ。吹奏楽部の連中と鉢合わせる可能性が高くなる。今の俺にとっては耳障りでしかない管楽器の音が気分を苛立たせる。陽気な音楽と鳴き喚く蝉の声が俺の神経を逆なでする。

 落ち着け。緊張でイライラしているだけだ。絶好のチャンスだが、それでも失敗したからといって、すぐさま何かを失うわけじゃない。

 俺は音楽室まで歩き、直前で振り向いて歩いた。後ろから来ていたらしい吹奏楽部と思わしき四人の集団とすれ違ったが、まだ許容範囲だ。集団は急に踵を返した俺を不審げに見ていたが、かまわずに歩き続けた。

 無事に外階段へ出ることができた俺は大きく息を吐いた。

 ふう。くそ、心臓に悪い。

 だめだ。まだ落ち着くな。すぐに行動しろ。

 蝉の大合唱に背を押されるように俺は二階まで降りて、無事に廊下に飛び込んだ。

 これで……!

 何の変哲もない廊下だ。

 しかし、さっきまで聞こえていた蝉の声がピタリと止んだ。寒くもないのに全身の産毛が逆立っているような感覚がある。

 ははは……どうやら成功したらしい。普通じゃないことだけが、肌で感じられる。それともそうあってほしいという願望のなせる業か?

 頭を振って、三つ目の教室へと向かう。噂の真偽はここではっきりわかるはずだ。

 俺は教室の扉に手をかけて大きく開けた。普通の教室だ。机が並んでいて、教卓と黒板がある、古いタイプの教室だ。

「おや……」

 小さなつぶやきが聞こえた。

 想定外の事態に体が硬直する。

「また来たのかい……?」

 教室の中にはセーラー服を着た女子生徒がいた。一番後ろの窓際の席に腰かけて、扉を開けた俺の方を見ながら微笑んでいる。

「なん……お前は一体……」

「ああ、すまない。こちらの話だ……それよりも入り口に突っ立ってないで、入ってきたらどうだい? 君も……願いを叶えに来たのだろう?」

 女はにこやかに、妖しく微笑んだ。



「ようこそ……と言った方がいいのかどうかはわからないが、まあ、はやり、ようこそ、と言っておくとしよう」

 俺が教室に入り、後ろ手で扉を閉めたのを確認してから、謎の女は両手を広げてそう言った。

「……お前はなんだ?」

「人間だよ。君が望んでいる言葉かどうかは知らないがね」

「ここで何をしている? お前が願いを叶えてくれるのか?」

「いきなりだな……そう急かされると困ってしまうよ」

 女は不満げに口を尖らせながら肩をすくめた。

 そんな女の様子を観察する。

 目鼻のはっきりした美形と称してもよさそうな顔立ちに、肩口までの黒髪。座っているのでわかりにくいが、おそらく女にしてはかなりの長身だ。そして、セーラー服。よくよく見ればウチの高校のセーラー服とは形状が異なっている。

 何者だ? 本当に人間か? この女が噂の願いを叶えてくれる存在なのだろうか。

「一つずつ疑問を解消していくとしようか。私がここで何をしているのかと言われれば……私はここで願いを叶えている」

 その言葉に思わず一歩を踏み出したが、女は俺に向けて手のひらを突き出した。

「焦る必要はない。私は君の願いを叶えることはできない。そんな力はない。さっきも言ったが私はただの人間だ」

「どういう意味だ? ここで願いを叶えているんじゃないのか?」

「どういう意味もないのだがね……そのまま、言葉通りの意味だよ」

「はっきり言ってくれ」

「……わかった。何度目だろうね、この説明は……その前にこちらに来て座りたまえ。突っ立ったままじゃ落ち着いて話もできはしないだろう?」

 俺は無言で女の前の机に陣取った。こいつが何を言っているのか、ちゃんと確認しなければならない。とにかく願いを叶えなければいけないのだから。

「君は噂を聞いて来たのだろう?」

 俺が大人しく席に着いたのを見てから女は口を開いた。

「ああ」

「なら正確に噂を言ってみたまえ」

「『なんでも願いを叶えてくれる教室がある』だ」

「その通り。その『教室』が『ここ』だ」

 女は両手の人差し指を床に向けた。

「『願いを叶える教室』だ。『願いを叶える存在』じゃない。私はこの『願いを叶える教室』で『私の願いを叶えている』のだよ」

「……なるほど。お前は単純に先客だってことか」

「まあ、概ねその理解で合っているよ」

「じゃあ、どうすれば願いは叶う?」

「願いたまえ」

「……それだけ?」

「ああ。叶えたい願いを願いたまえ。それだけでこの教室は願いを叶えてくれる」

 女は自信満々に言い切った。

 そんな単純な話だなんて信じられないが、他にどうしようもない。


 妹の病気が治りますように。健康になりますように!


 必死に願った。この願いを叶えるために、藁にも縋る思いで噂を追ったんだ! 頼む、誰でもいい、教室だろうが、目の前の女だろうが、何でもいいから願いを叶えてくれ!



「……これでいいのか? 実感がないんだが……」

「確認したいなら、それも願える」

 女は平然と言う。

 妹の病室が見たい、と頭の中で願った瞬間、ジジッと音がして、黒板一面に妹が寝ているはずの病室の映像が映し出された。

 あいつが……ベッドの上で飛び跳ねている……!

「マジか……本当に……?」

「この現象に理屈がつくかな? 信じるほかはない」

「ああ……そうだな」

 俺は机に突っ伏した。緊張の糸が切れた。安堵と安心で体が弛緩していく。

「……おめでとう」

「ああ。ありがとう。あんたのおかげだな。教えてくれて助かった」

「いや……とんでもない」

「あんたの願いも叶うといいな。いや、叶ってるのか」

「ああ。そうだね」

 女はなぜか悲しげに眉を潜めている。

「俺はもう行くよ。元気になったあいつに会いに行かなきゃ」

 俺は席から立ち上がり、速足で出口に向かった。

「じゃあな」

 扉を開けて教室を振り返る。彼女に別れを告げるため手を挙げた。彼女はこちらを向いていなかったが、少しだけ手を挙げていた。

「……すまない」

 教室を出る瞬間、彼女の小さなつぶやきだけがかすかに聞こえた気がした。




「……すまない」

 私は金瀬(かなせ)君に謝った。何度目の謝罪になるのかわからない。

 この教室の秘密をまた伝えることができなかった。


 この教室は何でも願いを叶えてくれる。


 この言葉に嘘はない。しかし、この言葉は正確ではない。正しくはこうだ。


『この教室にいる限り、この教室は何でも願いを叶えてくれる』


 教室を出た瞬間、金瀬君の願いは泡と消える。叶ったことがなかったように、存在さえ消えてしまう。彼の妹さんは病が治ったことなどない、ずっと病人のままだ。

 それどころか、彼が教室を探し当てた時間とともに、願ったことさえ消えてしまう。

 金瀬君は教室を出た途端に、ここでの出来事をすべて忘れ、今はきっとこの教室を探して学校をさまよっているだろう。

 この教室で願いを叶え続けるためには、ずっとここに居なければならない。

 私も私の弟を救うためにここに来た。事故で死んだ弟を生き返らせるために。何十年も前にここに来た。

 私はここで願いを叶えて教室を飛び出し、弟に会いに行こうとした。

 しかし、教室を出た途端に私の願いはなくなる。存在しなくなる。弟は死んだままで、私の記憶もここへ向かう直前まで無くなってしまう。

 それがこの教室のルールだからだ。

 どうあがいてもこのルールは変わらない。何度試しても無駄だった。私は何度も何度も同じことを繰り返した。しかし、結果は変わらない。

 私がなぜこんなことを知り、記憶しているのか、理由は単純、ただ単に願ったからだ。

 この教室の願いを叶える法則が知りたい、と。

 ルールを知ったときは絶望した。教室はいとも簡単に残酷な真実を教えてくれた。


『教室にいる限り、どんな願いも叶う』

『教室の外に出た瞬間、それまでの願いはすべて消え、元通りになる』


 そして私は思った。記憶がなくなるならば、繰り返してはいないかと。

 なくなった記憶があるならばそれを思い出したい、そう願った。

 そして私はすべてを思い出した。何度も何度も教室にたどり着いては、同じことを願い、そしてそれを忘れ、また教室を探していたことを。

 ある時は、弟を生き返らせて、喜び勇んで教室から駆け出したことを思い出した。

 ある時は、単純に弟を生き返らせ、それを知った両親が恐慌に陥るさまを教室で見ていたことを思い出した。

 ある時は、事故自体を無くし、弟が生きているが、行方不明となった私のことで家族や友人が絶望していたことを思い出した。

 ある時は、事故を無くして、外の世界に偽物の私を作り出して、家族が幸せに暮らしている姿を、教室から見守り続け、幸せの中に私がいないことに耐え切れずに教室を飛び出したことを思い出した。

 ある時は、弟の事故を無くし、私の存在をすべての人の記憶から消して、家族が暮らしていくところを見ていたことを思い出した。

 どうあがいても、私が弟や家族とともに幸せになることができないことを思い出した。

 弟と家族が幸せに生きていくためには、私がここに居るしかない。一瞬たりとも離れるわけにはいかない。私がここで死んだらどうなる? わかっている。願って知った。元通りになるのだ。願いは消えてなくなる。

 私は願った。


 空腹がなくなることを。

 排泄がなくなることを。

 不老不死になることを。

 狂わなくなることを。


 教室はすべて叶えてくれた。

 私はここに居なければいけない。

 娯楽を手に入れる手段はあった。願えばいいだけだ。何でも手に入った。しかし、教室の形を変えることはできなかった。教室を別の空間に変えたりするとルールの『教室にいる限り』という部分に抵触するようで、すぐさまはじき出されてしまう。

 ここでは時間の感覚があいまいだが、外の世界では何十年も経過した。両親は穏やかに息を引き取り、弟すらも家族に見守られながら老衰した。私はそれをここから見ていた。

 終わった、と思ったが、教室から出てはならなかった。私が教室から出た瞬間、弟の幸せな時間は消え、彼は幼くして事故で死んでしまう。どれだけ時間が経っていても、教室のルールは変わらない。

 だから。

 私は願いを叶え続けるためにずっとここに居る。

 もうずっとだ。

 一人でずっと。

 そんな時に、金瀬君がやってきた。私が願いで作り出した人間じゃない、外から訪ねてきた人間。

 彼に会ったとき、うれしくてうれしく踊りだしそうだった。

 私は飢えていたのだ。私以外の誰かと接することに。

 彼との会話だけが、私に残された唯一の娯楽なのだ。今回は名を名乗ることはなかったが、何度も繰り返していれば、聞くタイミングがいくらでもあった。

 彼には絶対に叶えたい願いがある。彼は記憶を失えば何度でも、ここを訪ねてきてくれる。私に会いに来るわけではないが、かまわない。彼が来てくれれば、話をすることができる。

 金瀬君との会話はとても楽しい。生きている実感がある。

 ……わかっている。ひどい話だ。私の気を紛らわせるために、彼の願いを何度も無下にしているのはわかっている。一番大切な説明が出来ないままだ。

 次こそは説明しよう、ちゃんと言おう。

 金瀬君と別れる瞬間はそう思う。罪悪感に押しつぶされそうになりながらそう思う。

 しかし、私は結局、未だに何も伝えられていない。

「……すまない」

 何の意味もないが小さくつぶやく。

 そして、また教室の扉が開く。


 ああ、なんてひどい話だろう。わかっているのに。私のせいなのに。

「お前は……一体……」

 許してくれ、金瀬君。

「おや……また来たんだね」


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