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キュービット・オン・ザ・グラウンド  作者: TATA
第一章 一歩目の歩み
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1-8 悪人

「今いいか?聞きたいことがある。」


 私は上を見上げる。そこには、鋭い目をした真意が掴み取れない少年、ディエゴがいた。出会った頃に纏っていた濃緑の外套ではなく、大柄の、襟首に隙間が目立つ白いワイシャツを羽織っていた。


 何だ。彼も私を追ってきたのか。もはや反発する気力などなかった。唯一できたことといえば、涙袋にシワを作ることぐらいであった。


「なぜお前は捕まっていた?悪い人間でもないだろうに」


 私の目線だけが彼に向けられる。言葉を反芻し、飲み込む。恐らく彼は他の場所から来た人間なので、アナウンスが届いていないのだろう。


 そういえば、柱を倒したのも彼ではないか。死人は結局いなかったとはいえ、私が追われているのも元はと言えば彼のせいである。


 だが、正直それは大した問題ではなかった。

 立ち上がって、歩こうとすることができないのが問題であった。


「なんでもない。ただ、自分のことが分からなくなっただけ」


「哲学的な事は俺にはわからん」


 ディエゴと話すうちに、ほんの少しだけだが、心を蝕んでいた厭世観のモヤは希釈するように薄れていった。だが、私から引き離された群衆は黙っていなかった。


「このっ...いきなり何しやがんだ!」


 私の右半身を拘束していた男が、声を荒らげる。


「コイツは悪いやつなんだから、連れていかないと!」


 群衆の一人が声を上げる。その言葉に、私の胸がズキンと痛む。

 ディエゴは無言で聞いている。首を後ろに向けているからか、こちらからは表情が見えない。


 やがてこちらに振り向き、少し驚いたような表情でこう言った。


「お前、悪人なのか」


 やっぱりこうなってしまうのか。誰も彼もが私を否定する。


「...もう、なんだっていいよ」


 せっかく解放されたが、逃げようとは思わない。街外れの開けた場所。一歩引いたところで群衆は私を半円形に囲むよう立ち止まっていた。だが、膠着していた時間が動き出すように、群衆は私の元に向かってきた。


「手間かけさせやがって!オラッ、付いてこい!」


 体格のいい男がどすどすと私に歩み寄ってくる。立っていたディエゴの横を通り過ぎ、我儘な子供を連れ戻すように私を捕縛しようとする。


 突然、びゅん、という風切り音が私の耳を掠めた。


「がはっ!?」


 男がディエゴの横を通り過ぎようとした途端、反対方向に二十メートルほど吹き飛ばされていった。ディエゴは、まるでボールか何かを投げたような体勢のままであった。


 人がこんなに軽々と吹き飛ぶのか。男は群衆を巻き込み、慣性を乗せたまま壁に激突した。


 潰れるような、割れるような嫌な音がした。男は動いているので生命に別状はないだろうが、骨などは数本折れているかもしれない。


 まがりなりにも、病院に務めていた身だ。骨折の箇所や、内臓に骨が刺さっている可能性、打ち身によるショックなど、ぽんぽんと、泡のように考えが湧いてきた。


「手当しないと...!」


 反射的に私は駆け出そうとするが、足が鉛のように重かった。代わりにというか、ディエゴに胴を抱えられその場から離脱させられる。


「ちょっと...離して!すぐに手当しないと」


「悪人なら、人の幸や不幸に気を取られるな」


 自分で吹き飛ばしておいてなんだと思ったが、私は反論しない。なぜなら、彼は私を中央に連れていくのでなく、その反対───区を囲む壁に向かっているようであった。


「あれくらいで死にはしないだろう。...それより、お前は何をして捕まっていたんだ?」


 思わず口が半開きになる。彼には情報が足りていないようであった。

 抱えられた姿勢のまま、仕方なく電子板を開く。そしてこの区の人間全員に送付されたアナウンス・メッセージを開く。


「これ。でもこのクリンピーって人は実はとうの昔に亡くなっていて、ある秘密を覗き見た私に濡れ衣が着せられているんだ」 


 ディエゴはそれを見ると、何故か残念そうな顔をし、立ち止まる。ぼとりと、私は胴を抱える腕から解放された。


「つまらん、それだけか。」


 つまらんと言われてしまった。心外である。


「...」


 ディエゴの顔を見る。目線はかなた先にあるようで、私の事などまるで意に介していないようであった。


 だからだろうか。私に無関心の態度を取るからこそ、私の内心を吐露してもいいと思えた。


「...ちょっと、私の話を聞いてくれる?」


「断る。無駄な時間は使いたくない」


「...こっの〜!」


 肩透かしを食らった気分だった。無関心にも程があるだろう。

 だが、ふと私の脳裏に疑問がよぎった。なぜ彼は私を助けてくれたのだろうか。本当に無関心なら、何もせずに去っていってもおかしくはない。


 何らかのワードに反応していた気がする。それは確か...


「悪人」


 私の呟きに、ディエゴの反応はない。眉一つも動かしてはいないだろう。だが、それから彼は動こうとしなかった。


「あなたは、悪人を許せないの?...それとも、貴方が悪人なの?」


 お前、悪人なのか。私に掛けられた言葉だ。その言葉は、まるで自分の同類を見つけたように聞こえた。


「なんだっていいだろう。そんなものは。」


 ディエゴが羽織る白いワイシャツが風でたなびく。私の鼻孔にから入ってくる空気は、有機物を焼いた、ほのかな煙の匂いがした。


「崇高な理念なんてなくても、悪意だって世界を変えられる。俺はそう信じている」


 私は何も言えなかった。掴みどころが無かった彼だが、初めて彼の本心が垣間見えたような気がした。


「...へんな人だね」


 きっと彼は悪い人なのだろう。実際、彼の蛮行に怒り、心を揉んだ。だが、重力の軛から逃れるように、彼の意思は私を一瞬現実から忘れさせた。


「さっき、何か言おうとしていなかったか。」


「したね。聞く耳持たれなかったけど」


 一瞬話しても良いかという躊躇いがあった。だが思いとは裏腹に、口は言葉を紡ぐ。


「...私、事故で頭に機械を入れてるんだ。喋る機械を柱の根元で見たでしょう。あれと同じ機械なんだ」


 ディエゴは何も言わない。沈黙は肯定の証として先に進める。


「機械には一つだけデメリットがあってね。機械には寿命が設定されているんだ。その寿命は、私が二十歳を迎えるまでに尽きてしまうの」


「バッテリーみたいなものか」


 その呼び方が正しいのだろう。だが私はあえてメガスロットの数字のことを寿命と呼んでいる。


「それ以降、私は寿命が減るのが怖くなった。寿命は可視化されていて、毎日毎日少しづつ減っていくんだ。わかるかな、自分の命が目減りで減っていく恐怖ってのが」


 声がほんの少し上擦っているのを自覚できた。周りには人がいないのか、辺りの静寂は破られることは無い。


「だから、私が生きる理由を見つけたかった。何かを残したかった。でも、ライムからも、ハッター氏からも、ここに住む誰もが私なんていなくてもいいって」


 順当にいけば、残り四、五年だろうか。その年月は私にとってとても短く感じた。

 その時間で私は何かを見つけないといけない。それは誰に聞いても分からないのだ。


「そんなの、生きてる理由なんか無いと肯定されてるようなもんじゃん、って」


 悲しくも苦しくもない。ただ、空虚さがあった。地に足を付けなければ走れないように、足元が虚空の薄闇となってしまったようであった。


 清聴していたディエゴは天井を見上げていた。


「生きている理由か...」


 ぼそりと呟き、右手でポケットを探っている。


「そんな事、壮大すぎて俺は考える気にもなれない」


 私はディエゴに向き直った。彼はかつて脱出の柱が立っていた方向に向かい、歩き始めていた。


 会話はここで終わった。天蓋は橙色に色づき、夜の訪れを予期していた。

 この後、私は彼にヒナゲシ区の外までの道を作る提案を持ちかけた。

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