1-7 自白
首筋から汗が一筋伝う。水滴はひとつ、またひとつと数を増し、色素の薄い首に引っかき傷のような水の跡を残す。
身体中に衣服が張り付き、温度と湿度が相乗し不快感を底上げする。
ああ、とても苦しい。私は息を切らしながら、それでも地を蹴る足を止めない。
「まてっ!人殺し!」
ぜぇはぁと、息を枯らしくたくたになりながら。空気と重力に力の入らない身体をもみくちゃにされながら。
私は謂れの無い罪からの逃避行を続けていた。
なぜ私が追われなければならないのだろうか?
なぜ私は糾弾されなければならないのだろうか?
逃げるという行為はだいたい衝動的なものだ。苦しい事に対する反射とも言ってもよい。
しかし、私が逃げているのには目的があった。
「中央から、離れないと...」
先程電子板越しの対談をしたハッター氏。同君は私が知ってしまった秘密、アダムについての口封じをしようとしている。通話した時間は三十秒にも満たないが、まるで私の命を軽く見ているようなスタンスであった。
「...あんまりだ」
誰も彼も、私の事など吹けば飛ぶ紙切れのようにしか思ってないのだろう。
理由があれば攻撃は正当化される。攻撃というのは、自分が卑下する者に実行するのだ。
ふと、走馬灯のように記憶が流れる。
私の寿命を回復させると言ったきり行方知らずのメガスロット、ライム。
地下室からくすねてきたメモ用紙に書かれていた、私からアダムへのメガスロット移植に賛成した八割の人間。
私を陥れようと誤情報で区民を扇動するハッター氏。
そしてその情報に踊らされ、私を鬼畜生だと捉える区民達。
みんなみんな、私なんてどうでもいいと思っている。
世界から否定されるってのは大袈裟だろうけど、右を向いても左を向いても、私の生きる意味を担保してくれる人間はいなかった。
「大人しくしろっ!」
目線が下向きに下がっていたからか、突如目の前に出てきた大柄の男性に気が付かなかった。
私は右腕を片羽締めに捉えられ、右半身の自由を失う。
「誰かこいつを押さえてくれ!暴れるんだ!」
必死にもがくが、如何せん体格差がある。抵抗も虚しく抜け出すことは出来なかった。
私を中心に人の群れが出来る。数人がかりで私は動くことが出来なくなった。左腕を押さえる人の力が強く、鈍い痛みが走った。
そういえば、前に子供を見つけた人間には褒賞が恩賜されていた。ここに集まった人間もそれ狙いだろうか。
「こいつ、どうすりゃいい?」
「このまま連れてった方がいいだろ!」
「バカ!キュービットで檻をつくるんだよ。そうすれば無駄な苦労も無くなる」
「こいつに解除されたらどうするんだ!」
集まった烏合の衆は、目の前のご馳走をどう料理するかで割れていた。当然ながら、そこに私の意思は入ってなかった。
「...貴方たちも」
「あ?」
「私なんて消えてしまってもいいと思っているんですか」
「...」
私の呟きに周囲が静まりかえる。ざっと十四人ほどが居たが、私の質問に答える人間は居なかった。
「人が死んでるんだ、その報いは受けるべきだろ」
誰かがそう言った。水面に広がる波紋のように、その言葉が呼び水となった。
「そうだ!罪を償え!」
「オレはアナウンスにあったから追っかけてただけで...」
「許せないんだよ、悪いやつが」
「前の時は高級ドライヤー貰ったって言ってたから...あっ」
「お前も褒美目当てかよっ」
怒る声、胴間声の馬鹿笑い、ボソボソとした声、様々な声が上がる。
皮肉にも、親切な事に皆私に対しての印象を吐露してくれた。
答えが聞けた。望むものでは無かったが。
私は拘束されたまま、抵抗する力を入れることが出来なかった。目の光を失っていたのは、俯いていたからだけではないだろう。
あんまりだった。
事故で余命が縮まってから、生きる意味を無意識に模索してきた。
だが、私は生きてはいけない存在だと、強大な存在から審判が下されたようだった。そのために怪我を負い、生き長らえてしまった私に寿命が設定され、かくも足掻く私は知らない人間のエサにされようとしている。
どうやら連中はまとまったようで、私を人力で拘束したまま中央に連れていくらしい。
「...諦めるってほんと、虚しいなぁ」
表情を失った私の顔。目のパーツから、一滴の水滴が滴り落ちていった。それはきっと走り回った事による汗ではないだろう。
抵抗する気は微塵も起きなかった。アナウンスの弁明も出来たはずだが、脳みそが蕩けてしまったかのように、怠惰な虚無感に支配されていた。
最後に、何がかは分からなかったが、嫌だなぁって思った。
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「よし、中央まで連れていくぞ」
「あれ、このエスってやつ全く動かなくなっちまった。まぁそっちの方が運びやすいが」
「おい、俺たちが運ぶんだ。ほら行った行った!ほらアンタもぶごぉっ!?」
私は頭が痛かった。だから、突然拘束から解放された衝撃は、とても脳に響いた。
私は地面に尻もちをついた。
灰色になった視界で、私の前に立つ人間を見上げる。
その視界に映るのは、赤い色彩を持つ髪と、影が灰色を塗りつぶす黒の双眼であった。
「今いいか?聞きたいことがある」
私を取り巻く異常事態など意に介さないようなそぶりで、目の前の少年───ディエゴは私に問いかけてきたのであった。