1-4 希望だったり、失望だったり
私の人生はわりかたがらんどうなものだ。
普通の人間と同じように生まれ、特に不自由もなくすくすく育ち、成長につれ自己のレールを確立し始めるという年頃に、大怪我を負った。幸い、凄腕の医師により一命を取り留めたが、その代償は寿命の激減であった。
両手の指を駆使する数の年齢で、将来の展望が決まっている人間はこの世界にはそうそう居ない。しかし、それだけの齢で人生の終わりを決める人間も、そうそう居ないのだ。
それ以来、私はあらゆる物事に対して、ああ。私は終わりが目前なんだな。という考えががちらつくようになってしまった。
それはある種の諦観なのだろうか。
私自身、それが辛いだとか、陰鬱になるだとかはあまり感じたことはない。
それでも。
終わりが近いことは事実なのだ。連綿と続く羊皮紙は、酸いも甘いも隔てなく吸っていく。誰もが羊皮紙に人生と言うものを書き連ねていくのだろう。だが、私が持つ切れ端は目線の先で止まっている。奇矯な例えだが、切れかけのトイレットペーパーのように。
この前、見知らぬ男性が仲間内で二十歳の誕生日を祝われていた。一般的に、二十歳という節目は大人への成長とされている。
私の中にあるメガユニットは、どう転んでも二十歳を迎える前に寿命が尽きてしまう。
それは大人になれないということではないのだろうか。
皆、大人になる為に苦労してるのに。
私が歩み出す意味とは、一体何?
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「ライフを回復させるって、何...?」
前述の叙情が吹いて飛ぶような提案だった。
私の脳内、位置としては小脳の部分にメガスロットは埋め込まれている。私は事故で小脳の機能を欠損したが、メガスロットが24時間小脳の機能を補助している。
私を手術し命を繋いだ恩人による話だが、元はBCI(Brain Computer Interface)という技術の活用なんだそうだ。
BCIは脳信号を機械が受け取り、筋肉あるいはロボットに信号を伝達させる。脳からの信号をダイレクトに器官に送れない障害を持つ人達が利用するという。
私もその一人であり、仮にメガスロットが無ければ小脳が司る運動、平衡感覚の欠損により立っていることもままならないだろう。
ライフが止まったら死んでしまうのはまた別の話で、脳への血流の経路もメガスロットが担っている。複雑な話で完璧には理解できなかったが、メガスロットの機能停止につれ、血液のバイパスは塞がれる。止まった血流は他の脳部分まで到達できず、脳全体が枯死してしまうというのだ。
「そのメガスロットを、新品の状態に戻せるってこと...?」
それはできないと強く釘を刺されていた事柄だった。曰く、脳機能の埋め合わせにメガスロットを使うなどまずなく、ましてや装置の寿命は外部から補充するのは不可能だと。
生きている事自体奇跡だと捉えていたこともあり、ライフは増やせないという前提を疑いもしなかった。事故で失った寿命。十歳のあの時から苛まれていた焦燥を、払拭できるというのだろうか───?
「WowWow食いついてくるわねお嬢ちゃんんん?でもダーメ、話は最後まで聞くものよ?」
衒うような口調に、私はむっとする。しかし、内容が気になりすぎて意識を割く暇がない。
「なに、それは一体。」
「ある人に会いなさいな。今どうなっているかは分からないけど。」
「メガスロットとその人は何か関係はあるの?」
「大ありよ!彼ならば...ンフッ、とにかく目指すのは彼の眠る場所よ!」
「彼」が誰かはこの際どうでもよかった。私は今すぐ踵を進めたかった。
「わかった、行こう。その人の元へ!私これでもせっかちなんだ。」
「見れば分かるわよ...着いてきなさい!ビクトリーなロードを行くのだわ〜っ!」
予備動作も無く目前の機械は動き出す。地上20メートルから地上に向かい斜線を描く。その踪跡を追うように、私も窓の桟から身を乗り出す。
手元の電子板を操作し、進路に足場を用意する。八艘飛びよろしく、リズムよく飛び跳ねていく。
「もしかして、脱出の柱があった場所?えっと、アナタは...」
「ライムよ。ま、覚えなくてもいいかしら。」
「ライム...」
不思議な響きの名前を、口の中で反芻する。無機物を名前で呼ぶというのは何となしに抵抗があるが、据わりの無さとともに飲み込む。
夜の街を駆ける。天井はネオンブルーの燐光を灯し、夜闇を中和している。往来を交差する人の姿は昼間と比べ少なく、珍妙な機械が私の傍らにあることに気づく人間はいなかった。
「うっ...」
渋い声を漏らしてしまったのは、日中ディエゴがなぎ倒してしまった柱が見えたからだ。周辺は軽易に整理されていたが、大地に横たわる柱はそのままだ。
キュービットの運用について、あまりに大きすぎる質量を動かす際には申請が必要となる。個人の裁量で大事故を起こす訳にはいかないからだ。いかに形而下で空想のように管掌できるキュービットでも、なんでも出来るという訳では無い。
「ほんとに怪我人がいなくてよかった...不幸中の幸いだよ。」
「......着いたわよ。」
一瞬の寡黙のあと、私とライムは柱の根元に到着する。しかし、そこには人はおろか、窓や建物などが見当たらない。
「その人ってどこ?あっ、あのー!私は───」
「おだまりなさい!こんな人目に付く場所にいる訳無いでしょう!?」
一片、キュービットが鼻頭に直撃した。多分ライムが飛ばしたのだろう。1センチ角とはいえ、割と痛い。
「むぐっ...じゃあ何でこんな所に来たの?」
「誰にも見せられないものは、人目がつかない所に隠すのよ。」
午前中に相対したキュービットの胸像が指を鳴らした気がした。一拍の後、ゴゴン、という音が私の足元から響く。
「うぅわっ!?」
私は慌てて飛び退いた。地面を構成していたキュービットが舞い上がったからだ。堆積していたキュービットが飛び去ると、鋼鉄の外殻が露出する。鉄と鉄の境目に割れ目が出来たかと思うと、地面の一部がくり抜かれたように、90°回転した。
人ひとり入れるような洞が姿を表した。光源がないのか、奥の様子は全く見て取れない。
「言っとくけど、これ、誰かにチクったらただじゃ済まないわよ?」
ライムから脅される。せめて心の準備をさせて!と反論する間もなく、傍らのメガスロットは洞の奥へと進んで行ってしまう。
「とにかくっ、ここに私のメガスロットを回復させる人がいるってことね。」
その人がどんな役割を持つかは分からないが、凄腕の医師という線が妥当だろう。私の命を救ってくれた人の事を思い出す。
口は悪い女性だったが、患者に向かう姿勢は真摯であった。今でも度々連絡を取る。数個上の先輩のような存在だ。
「...ふふっ」
思わず笑みがこぼれてしまう。期待に心を弾ませ、私は先の見えない暗闇へ足を踏み入れるのであった。
****
「ねぇ、これってどこまで続くの?」
私とライムは、かれこれ20分は歩き続けたような気がする。もっとも、メガスロットである彼(彼女?)は宙にぷかぷか浮いているのであったが。
「シッ!今集中してるのよっ!ンマー、アナタが痺れを切らすのは分からなくもないけどね!!」
通路は光源が皆無で、視界はおろか上下の感覚も曖昧になってくる。地面を踏みしめる感覚がなければ、底なしの奈落に自分が溶けていく感覚へと呑まれていただろう。
だが、狭いので体の色んなところをゴンゴンぶつける。その感覚で現実に呼び戻されるのはたまったものではない。
「あだっ、何がいでっ!」
「うるさいわねっ!...アタシが言えることじゃないケド。」
幸いなのが、進んでいるのが変哲もない一本道であることだ。変化がないので、視界が黒に塗りつぶされた状態でも辛うじて歩を止めずに進めている。
「こんなに距離が離れているなんて思わないわ・よ!前来た時はもっとフランクにバッティングできたはずやねーん!」
「その口調どうにかできないの...痛っ。」
噛み合わないやり取りを幾度も繰り返し、先の見えない道を進んできた。しかし、歩いても歩いても変化がないという事実は、原始的な恐怖を訴えかけてくる。
「こんなに縮こまった所に住んでる人ってどんな人なの...」
よくよく考えたらそうだ。ここに住んでいるであろう人は、どのように生活しているのだろうか。
少なくともこの街では、衣食住に困ることは無い。文化的な生活に必要なものは、欲しいと言えば届けられる...地表に住んでいればの話だが。
「もしくは、よほどの人嫌いかも...はは...」
私は乾いた笑いを漏らす。一抹の希望を大仰に膨らませ進んできたが、光が刺せば影が出来る。何か危ない世界に踏み込んでいるのではないか、という感覚が、自分が持つ社会性の裡から芽生えてきた。
突然、隣にいるであろうライムがぴくりと震えた気がした。その感触は、あながち間違ってはいなかった。
「ウフン、心の準備をしておきなさい。あと30メートルよ。」
「それって、もしかして...」
返事はなかった。私は気持ち駆け足になる。上下左右が暗闇に塗りつぶされている最中であったが、逸る気持ちからか目的の場所までスムーズに行くことが出来た。
「わととっ!?」
襟首を引っ張られる感覚に身を強ばらせる。しかしそれは、服のフードにライムが入り込みブレーキを掛けたためであった。
「その止め方、驚くからやめて!」
「着いたわよ。でも、これは...」
訝しげな声をライムが出す。思えば、メガスロットはどういう考えで思考と会話を行っているのだろうか。AIは私たちの生活に欠かせないものである。しかし、あたかも人間のように考え、思慮するAIは見た事がない。
と思ったつかの間、ピロンという電子音が鳴り、暗闇に白色の亀裂が走る。それは地上に居た時ぶりの光であった。
「痛っ...光ってこんな痛いの!?」
急に差し込んだ斜光に、私は目を開けていられない。手で覆いを作りながら、徐々に目を慣らしていく。
「...なぜ。そんな無惨な姿で繋がれているの?まさか失敗して...いやそれならレオルを連れてきた意味は...」
部屋の中にライムが入ったのだろう。何か言ってるようだが上手く聞き取れない。
「...さぶっ!」
ようやく光に慣れてきた目が映し出したのは、霜漬けの無機質な一室だった。配管や床などに霜が這うように付着している。温度は間違いなく氷点下を下回っているだろう。
「ほんとにここに人がいるの...?」
冷気がむき出しの肌を刺激する。この部屋に三十分居るだけで凍ってしまいそうであった。しかし退く訳にもいかないので、恐る恐る部屋に踏み込む。
目的のものは直ぐに分かった。
結論から言えば、そこに人はいなかった。
入り口から見て左手の壁に、それは存在していた。
全裸の成人男性が、壁に磔にされたように氷像となっていた。両腕を肩の高さまで上げ俯く男は、至る所が霜で覆われ特徴が掴めなかった。
この男を人として判断出来なかった理由は、男から伸びる器官だ。
男の背中を中心として、腕の太さほどある器官が枝分かれするように壁を這っていた。そしてその双肩には、明らかに人のものでは無い頭がひとつずつ乗っかっていた。その様相は形容できないとしか言えない、言葉が見つからなかった。
「...」
氷漬けのスタチューに圧倒されるしかなかった。物言わぬ氷像に睨まれたように私は動けない。その硬直を解いたのは、ライムの発言だった。
「これじゃレオルを彼に移植できない。ここまで改造されてるなんて想定外よ!」
「...移植?私の寿命を回復させるんじゃ」
「早合点ね。レオルさえ生きていればアナタなどどうでもいいのよ」
ライムはそう言い、すいー、と部屋から去っていってしまう。
「...はっ、はあっ!?」
思わず驚嘆の声を上げてしまう。つまり、一杯食わされたということか。
極寒の部屋に一人ぽつんと残される。身体が存在を思い出したように、かじかむ寒さが身を包んだ。
「ちょっ、嘘はよくないぞーっ!!」
ライムが去っていった通路に向かって叫ぶ。当然というか、こだまが帰ってくることはなかった。
「さささむむ凍えるってばば」
一刻も早くこの部屋から去るべきであった。眼前に見える、壁に埋め込まれた男がどれだけ現実離れしていようとも。
「何がライフの回復だ、嘘ばっかりっ...」
私は毒づく。あのメガスロットにとってもこの状況は不本意だったようだが、せめてどうライフを回復させるのかくらい教えてもいいだろうに。
せっかくここに来たという貧乏性から、何か手がかりになりそうなものを探す。男が埋まっている壁とは反対側の、凍りついているであろう戸棚が目につく。その棚は、四段あるうち二段目だけが引きっぱなしになっていた。
「な、何これ。」
えいやと引き戸に手を突っ込み、手が痺れるような冷感とともに掴みあげたのは、
「...イートバー?」
イートバー、普段私達が口にする食事であった。銀紙で包装されている棒状の食料は、いつのものだか分からない。
「...はずればっかり。」
やはり落胆を隠せない。私は白い息を吐きながら目を細め、往路を逆向きに辿った。
行きに苦難した通路はするすると戻ることが出来た。変化がない一本道であることが分かっていたため、左手を壁に添えながら進むとあっけなく外に到着した。
「...なんだか、いつもこう。良い事があると思ったら、肩透かしをくらったり。」
不意に昔診療した患者のことを思い出す。目を怪我した患者であり、白目に裂傷が生じていた。
一手間違えたら失明する最中、私と院内で処方の方向性が対立した。内容は割愛するが。
私は必死に眼球を治す術を模索した。僅かなミスで、一生失明したままになることも有り得たのだ。まるで我が事のように、万難を排して事に取り組んだ。
しかし、採択されたのは誰の案でもなかった。
この区にある技術ではどうやっても治すことができなかったというだけだ。
結局、患者は失明とまでは行かなかったが、左目の視力が格段に低下した。
物言わず去っていった患者の後ろ姿と、燃え尽きたような徒労の感覚は今でも忘れられない。
思い返せば、大小こういった事ばかりのような気がする。頑張れば頑張るほど、事態はあらぬ方向に転がっていくという。
「...寝よう。まあまあの明日ほどいい事もないし。」
どうにもならない時は毛布を被り、微睡みに落ちるのが私なりの解決策だ。バイタリティなんて高ければよいなんて思わない。宵闇の静寂が、身体を包んでくれる気がするのだ。
私は電子板を呼び出し、自室までの足を用意しようとする。
突然、ズボンのポケットが手前に引っ張られる。
「うわっ、これって持ち帰ってきたやつじゃ」
気味が悪い部屋から持ち帰ってきたイートバーが、キュービットの収集につれて引っ張られたのである。
イートバーの包装を開ける。表面を覆っていた氷は溶け、直方体の包装を流れる汗となっていた。
「キュービットと、紙?」
包装を開けて現れたのは、見慣れた食品ではなく、同じ形に揃えられたキュービットの塊であった。中には一枚のメモ用紙が丸まった状態で収まっている。
「わ、これ秘密の情報ってやつかな。」
思わぬ収穫に目が覚めていく。紙を情報媒体として用いることは、電子化の普及が済んだこの世界ではだいぶ稀である。生唾を飲み込みながら、スクロールを開いていく。
「っ...!」
文面に目を通した途端、心臓が跳ねた。思いもよらなかったが、その紙に書かれていたのは他ならぬ私のことであった。
曰く、メモ用紙にはこう記されている。
・十歳の女児にメガスロット〈レオル〉を移植。小脳部に神経および血管と接続する形で駆動。脳機能および身体機能の維持に弊害は見られず。
・メガスロットの継続稼働に伴う心身変調のリスク大。経時観察により、変化があれば報告する。
・当該女児からのメガスロットの摘出案
賛成:反対=8:2
出席者7名+判断用AI 3基
・アダム氏へのメガスロット積載検討および稼働許可
賛成:反対=6:4
・アダム氏のドメイン統一移植は順調に進んでいる。草木類との適合が良好であり、魚類との適合は芳しくない。
備考:アダム氏は迅速なメガスロットの配備を希望している。余剰がないため、女児からのメガスロット移植を推奨する。
機械のような字で書かれたメモ書きは、ここで終わっていた。