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キュービット・オン・ザ・グラウンド  作者: TATA
第一章 一歩目の歩み
10/11

1-10 さいしょの一歩

「アダムって...!」


 アダム。その単語の意味は私にとって複雑奇怪だ。

 秘密の冷凍室に閉じ込められた彫像であり、余人の思惑に巻き込まれる主要素であり、なにより私の命を脅かす意志をもった存在であった。


 どういうことか、そのアダムは私に区外へ出ることへの警鐘を鳴らしてきた。図らずも彼とのファーストコンタクトである。


「私、ただのしがない区民だよ?何でアダム...さんは話しかけて来たの?」


「ボクにとっては、大事なメガスロットをもったヒトなんだ。誰かに食べられちゃうくらいなら、ボクが引き止めるよ」


 中腹部に位置する内臓がキュッ、と音を立てて縮んだ気がした。アダムはやはり私を自身の糧とするつもりではないだろうか。


「ごめん、やだ。私のメガスロットは誰にも渡したくない」


「大丈夫だよ、女の子。キミの命を摘むなんてひどいことはしないさ。メガスロットの代わりはあっても、キミの代わりはいないだろう?」


 それは、赦しだった。私はメモで得られた情報で判断し、先入観から横暴な敵対生物だと決めつけていたのだろうか。

 機械越しの声には、思慮が馴染んでいた。


「なんだか、イメージと違うな...はは」


「どうしたんだい?」


「ん、なんでもない。気にしないで」


 自嘲には安堵があった。とんとん、とレッグパンツの汚れをはたき、私は腰を上げる。


「忠告ありがとう、アダムさん。でも私は外に行こうかなって思ってる」


 一陣の風が吹く前に。


 私は髪を結っていた空色のリボンを解き、唇で挟む。

 後ろ髪を右手の親指と人差し指で束ね、元あった位置より上に髪束を持ってくる。支えを失ったリボンは、髪を結うという元の仕事に戻る。


 遙か遠い場所に居るアダムが押し黙る気配がした。


「だめだよ、キミは絶対に後悔することになる」


 新たに束ねた髪が明滅した。


「行きたい」


「だめだ!」


「行きたい!」


「だめだ!!」


 頭の中に響く声は強さを増していく。前を見ると、外に続く橋は端からゆっくりと崩壊していた。


「わからず屋!なんで自分から危険に飛び込もうとするんだ!」


 私は目を瞑り、外の世界に思いを馳せる。

 意識外の世界には、地に根を下ろす蒼穹を押し返すように、無限に続く地平線があった。


「確かめたいんだ。私は小さな存在だってことを」


「...えっ?」


 私は地を蹴った。崩れかけの橋に一歩目の足跡を刻む。

 ミシッ、という音が足の裏から伝わってきた。構わずに疾駆する。止まったらだめだ。


「どういう事だい!死にたいの!?」


 頭に響く声は突風の中でも鮮明に聞こえる。アダムの焦りと困惑がひしひしと感じられた。


「ごめんね、止めないでほしいんだ!私の目的はきっと外にあるから!」


「意味がわからないよ!目的ってなに!?」


「これから見つける!」


「ええっ!?めちゃくちゃだよ!」


 ハッター氏の妨害を掻い潜るために私が作った壁。その壁は足元のキュービットから成るものであった。私の走路に聳える壁は、橋の一部分に切込みを入れ、そこから九十度傾いたようなものであった。

 私は橋の切れ目で思いっきり踏み切る。


「やあっ!」


 壁の縁に向けて上方向に手を伸ばす。幸い踏み切りが良かったのか、頭一つぶんの余裕を残して壁の縁に掴まることが出来た。


 そのまま前転し、壁の向こう側へぼとっ、という音と共に落ちる。後ろを向くと、塞がれた視界の向こう側で私が疾走してきた橋が崩れ落ちる音が聞こえた。橋自体の質量はそこまでないので、落下しても大事にはならないだろう。


 再び脚に動力を点す。区外の壁までは目と鼻の先であった。


「教えてよ!ボクにもわかるように!なんでキミが区外に出ようと思ったのかをさ!」


 アダムの声が聞こえる。少年のような声音が高い響きに、私は返す。


「私、メガスロットのせいであと少ししか生きられなくって、それが苦痛だった!」


「...そうらしいね。」


 息を切らしながら、半分叫んだような声は聞こえているだろうか。構わず私は続ける。


「それでも、さっきこの橋を通って出ていった男の子は、私の苦しみに対してこう言ったんだ。壮大すぎて分からないって!」 


 アダムの返事は無い。崩れる橋は崩壊の加速度を増しているようだ。


「心外だった!理解されるでもなく、否定されるでもなく、それを知らないって言う人がいるなんて思わなかった」


 私は姿勢を崩しながらも、我武者羅に駆ける。都度躓きそうになるが、それは辺りが暗くなり始めている証左だった。気づけば、空に張り付いた天蓋は明度を落とし、夕焼け色に変わろうとしていた。


「なんでそんな事が言えるのって思ったよ。でも、それはすぐに分かった。私の知らない世界を見てきたからだって」


 ゆっくりと、周囲の明度が下がっていく。細分化されて区切られた時間、そこに割り当てられた色がフィルム映像のように変わっていく現象は、例えるなら世界の変遷であった。


「ちっぽけな私は、誰かという誰か、そのまた誰かの一人でしかないとっ、解りたいから!」


 道の輪郭をなしていない道を、私は跳ぶ。

 この先に広がっている未知なる世界がどうであるのだろうか。願わくば、私の想像を超えた遙か広い茫漠の地であってほしい。


 アダムが警告するように、危険なことも少なくはないだろう。だが、私の知らない世界を見れるなら。私に染み付いている懊悩が、世界という情報の水嵩で希釈されるのならば。


 きっと見えるものは変わってくるだろう。そう予感できたのだ。

 アダムは暫く押し黙っていたが、やがて溌剌とした声が聞こえてきた。


「もういい!好きにしなよ!ボクは警告したからね、外は危ないってことを!」


「...後悔するのかな、きっと」


「自分の主張に疑問を持ったらそこまでだ。そしてそれを肯定した時、主張は後悔に変わるんだよ」


「あー、確かにね」


 アダムは割と熱弁するタイプらしい。外見とは想像にかけ離れていると思った。


「ボクの主張はここまで。...まぁ、キミに呼びかけたことに後悔はしていないけど」 


「私に語りかけてくれなかったら、アダムの事誤解したまんまだったよ」


「...なんなんだろうな、相応にボクも」


 思えばなぜ人とかけ離れた様相なのか、なぜ冷凍されていたのかなど、途端に疑問が湧いてきた。だが聞くのは野暮だと思い、一度目を瞬かせる。


「キミとの対話はここで終わりだ。ところで、キミ面倒見は良かったりする?」


「え?いやぁ、それなりには...」


「よかった。彼とはウマが合えばいいが...」


 そこで会話は終わった。なんの事だろうと思ったが、呼びかけても返答は無かった。区外まで、あと5メートル。


「えいっ!」


 私は思いっきり跳躍する。そして、いつも見上げているだけだった区を区切る壁に、足を付けた。


 さいしょの一歩。この選択がどうなるのかは分からない。だが、区を出ることに未練は皆無だった。


「あれは...」


 私は改めて区外の景色を見上げる。前人未到の景色は、私の想像とは九割異なっていた。


 その景色に感慨を抱く前に。

 足元からボロッ、という音が聞こえた。


「へ?うわぁぁぁっ!?」


 未踏の地は慮外に脆かったらしい。私は新たな世界に向かって、加速度的に落下を始めた。


「もうこりごりだってぇぇ!!」


 地面までは最低でも50メートル以上はあると思う。当然、今の勢いを保ったまま衝突すれば即死は免れない。


 再びメガスロットの力を使おうとした瞬間。

 私は誰かに鷲掴みにされた。


「ぎゃっ!?」


 思わず女の子らしからぬ悲鳴を上げてしまった。

 ベクトルが真下から横に移動する。回転する視界では、情報を取り入れることはできなかった。

 ざざざざっ、と大きな摩擦音が続いたかと思うと、私は地面に投げ出されていた。


「な、なにが起きたの...」


 私は三半規管が定まらない中、現れた人影を見上げる。それを見て、状況を納得することが出来た。


「お前が来るという予感がした。仕方がないから、五分だけ待ってやった。」


 立っていたのは、私が橋渡しを行った相手、ディエゴだった。一度迄ならず二度も落下から助けてくれたらしい。


「ディエゴ...」


 私は唖然とした。彼の行動に。どこか遠くに行ってしまったのだろうと思い込んでいたため、彼と再会する可能性は意識外から外れていた。


「俺は行く、急いでいる身だからな」


 ドライな態度と共に、私を助けたことに恩を着せようともせず立ち去ろうとした。


「まっ...」


 反射的に私は呼び止める。ディエゴは足を止めない。


「私も、ついて行っていい?」


「...」


 私の提案にディエゴは押し黙る。こちらに向けられた表情からは、真意を読み取ることはできない。


「この先は広いし、私もキミも何一つ分からないよね。だから、まとまって行動した方がいいと思うんだ。」


「必要ない」


「ですよねー...」


 ばっさりと拒否されてしまった。まぁ、こういう人間と言うことは分かっていたので、縋ろうとも思わない。


「はは、そっか。じゃあ助けてくれてありがぶっ!?」


 私はいきなり首元を引っ張られ、どってーん、と青天になる。薄墨色の天蓋がよく見えた。

 私のフードから何かが出てきたようだった。


「ノン、アナタ達がここで別々行動を取るのはナンセンスじゃない?死ぬわよ?」


 私は声の主を見上げる。そこには、カード状の機械がふよふよと浮いていた。


「あーーーっ!!」


 思わず大声を上げてしまう。声の主は、メガスロットのライムであった。


「どこに行ったと思えば、こっちは大変な事に...」


 私はこのメガスロットに唆され、そして区内で追われる事となったのだ。掴みかかろうとするが、仰向けの状態では腕の長さが足りない。私は無様に両手をじたばたさせる。


「これは...」


「あら、アナタには自己紹介してなかったかしら?アタシ、ライムって言うのよ。ミス・ライって呼んでちょーーーだい!!」


「ライム...」


 相変わらずやかましいメガスロットだ。私は起き上がり、質問を投げかける。


「なんでここにいるの?私、ライムにいい印象持ってないんだけど」


 半眼になり問いかけたが、ライムは意に介さずという様子であった。


「ンフ。アタシ、アナタについて行くことにしたわ!保護観察役ってワ・ケ!」


「えぇ...必要ないってば」


 付いてくる理由は推定できる。私の持つメガスロット、レオルだったかに彼女は執着があるのだ。


「ひょっとして、アダムが言ってたのって...」


「そ!アタシのコトよーん」


 私は乾いた笑いを吐く。ディエゴを加えて頭数が増えたと考えても、心強いと思わないのは何故だろうか。


「感謝しなさいな!外の世界を知ってるのは、この場では私だけでしょ!?」


「えっ」


 思わず声を漏らす。彼女が言っていることが本当ならば、正直心強い。ディエゴはともかく、私は目的地がないのだ。


「いいよーだ、受け入れますよ...」


 それでも私は渋々受け入れる。


「さ、行きましょ!ビバ!外の世界へ!!」


「あーっ!もうあんな所に!」


 号令を掛けるライム、とっくに遠くへ進んでしまっているディエゴ、振り回される私、三人の息は見事にバラバラだった。


 なし崩しもなし崩し、急造のパーティは荒野を進む。


 区外に広がる光景は、私の思うものと違っていた。

 明らかに整備されていない地面は、不規則にキュービットが積み重なっていた。ここで台車を走らせようとするのはまず無理だという様相だった。


 遠くに見えるのは、巨大なテコであった。片方に落ちてくる何かが貯まると、テコが沈み質量を別箇所に流していた。巨大な装置に息を飲む。


 テコがある場所とここの間には、大小キュービットの柱が無数に樹立していた。何のためにあるのか、想像もつかない。


 そして遥か遠く、ヒナゲシ区にあった脱出の柱など比べ物にならない高さの柱が屹立しているのが見えた。柱の周辺には、何かが蠢いている。


 私たちは進む。人の歩みで。

 期待通りに行くとは思っていなかった。だが、見渡す景色に人の残滓が無いのは私に不安をもたらした。


 視界の左端に映る数字は4631と表示されている。私は顔をぶるぶると震わせ、小走りになる。きっかけから始まった旅路には目的がない。


 それでも、私は目的を見つけるために、前人未到の区外に足跡を残していくのであった。


「これは私が踏み出した一歩だ。いっぱい後悔するかもしれない。それでも、私の命と同価値な、大事なものを一つでも多く見つけたいんだ」

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